Interview & Text by 腹巻猫(劇伴倶楽部)
■ドンチャック物語
大杉久美子40周年記念BOXのDISC4は「レアトラックコレクション」と名づけられ、初CD化の曲や、まとめてCD化される機会にめぐまれなかった曲が集められている。テレビアニメ『ドンチャック物語』の歌もそのひとつ。放映第1期(1975)と第2期(1976)の主題歌4曲がまとめて収録されるのはこれがはじめてで、第2期エンディングテーマ「星の川」は初CD化となる。オリジナル・レコードは、第1期がキャニオンレコードから、第2期がキングレコードからリリースされていた。
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大杉 この歌は後楽園ゆうえんちでもよく歌いました。ドンチャックは、もともと後楽園ゆうえんちのキャラクターだったんですよ。たしかビーバーなんですよね。最初の放映のあと、少したって第2部が放映されました。私は第2部の歌が好きでしたね。
作曲が森田公一さん。はじめて紹介していただいたとき、「あの〈青春時代〉の森田先生!」って感激しました。
■テンプルちゃんの小公女
DISC4に収録された作品の中でも異彩を放っているのが、映画『テンプルちゃんの小公女』(1979)だろう。名子役シャーリー・テンプルが主演した1939年製作のアメリカ映画を日本語に吹き替えて公開したもので、日本ではこの吹き替え版が初公開となった。台詞だけでなく、音楽もすべて差し替えるという大胆なアレンジをほどこしている。公開当時はアニメブームはなやかし頃。吹き替え声優陣は、阪 脩、北原文江、玄田哲章、平井道子、石丸博也、信沢三恵子、小山まみ(現・茉美)ら、アニメでも活躍するベテランと若手実力派がそろえられていた。
音楽は渡辺岳夫と松山祐(※祐の文字は「示」に「右」)士が書き下ろしている。「世界名作劇場」の流れを汲む曲調で、渡辺岳夫ファン、大杉久美子ファンのあいだでは埋もれた名曲として知られていた作品。今回、初CD化が実現したのはほんとうによろこばしい。
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大杉 私は主演のシャーリー・テンプルの吹き替えで、歌だけでなく、声優としてお芝居もしました。これもたいへんだったんですよ。声優さんといっしょにブースに入って演技をするんですけど、私はほとんど声優の経験がなかったんです。「私なんかが主役でいいんだろうか」って恐縮しながら、先輩方にまじってがんばりました。でも、歌の録音になると、「これは私の領分よね」と自信を持って収録できましたね(笑)。
声のお仕事ではほかに、人形アニメーション『コラルの探検』がありました。それから、スヌーピーのアニメ(※)もあるんですよ。チャーリー・ブラウンの妹サリーの声をやらせていただきました。
※劇場用アニメーション『スヌーピーとチャーリー・ブラウン』(1969:原題"A BOY NAMED CHARLIE BROWN":1972年日本初公開)のこと。複数の日本語吹き替え版があり、大杉久美子が出演したのは1984年に『少年ケニヤ』と同時上映されたときのもの。この版ではチャーリー・ブラウンを松岡洋子が演じている。
大杉 声のお芝居は歌とはまた違う楽しさがあるんですが、お芝居と歌が両方出てくるときは苦労しました。声優のときは意識してかわいい声を出したりして、少し声を作ってお芝居しているんです。そうすると、「さあ、歌おう」と思ってもすぐには声が出ないんですよ。
実は、『森の陽気な小人たち ベルフィーとリルビット』(1980)でも、リルビットの妹のチュチュナの声をやる予定があったんです。私がやることは決まっていたんですが、決まったあとで、子どもができたことがわかって。単発だったらいいですけれど、何ヶ月も放映されるテレビアニメですから、途中でお休みしないといけなくなったら迷惑がかかるでしょう。だから、あきらめて歌だけにしていただきました。ちょっと残念でしたね(笑)。
■カヴァー・ソング
DISC4では、珍しいアニメソングのカヴァーも聴くことができる。「いま地球が目覚める」「きこえるかしら」「裸足のフローネ」「虹になりたい」「誰よりも遠くへ」「ニルスのふしぎな旅」は、1982年に発売されたアルバム『大杉久美子 よい子の名作アニメベストヒット16』(CZ-7191)に収録されたカヴァーだ。ほかに、BOX未収録ではあるが、『星の子チョビン』や『名犬ジョリィ』主題歌「走れ!ジョリィ」のカヴァーなども歌っている。
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大杉 カヴァーは、実はまだあるんですよ。ミッチの曲で「ペペロの冒険」。聴いていて「いい歌だなぁ」と思っていたら、「カヴァーで歌ってください」という仕事が来てうれしかったです。それから、「魔法のマコちゃん」も歌いましたよ。この歌も「アタックNo.1」と同じくセリフがあって、「また、セリフ?」と思ったのを覚えています。もう一度聴いてみたいですね。どこにあるのかなぁ。
※こちらの2曲の音源はコロムビアでは管理しておりません。
■40年をふりかえって
大杉 ふりかえるとあっという間でしたね。特にアニメの歌を歌い始めてからは、ほんとうに早かったです。無我夢中で歌ってきました。
アニメソングに出会う前の歌謡曲時代は5年しかなかったんですが、むしろそちらのほうが長かった感じがします。歌謡曲を歌った時期は、ちょうど中学生から高校生にかけての思春期の時期でしょう。思春期の頃って、学校へ行ってても毎日が長く感じるじゃないですか。ただでさえ長いのに、さらに私は歌手としての生活があり、その中でも悩み、いろんなことを考えながら過ごしていましたから、なおさら長かった。電車に乗っていて、車内で学生さんたちが楽しそうにしていると、「ほんとうは私もこの人たちの側にいるはずなのに、歌手としても苦労しなければいけない。どうしてなんだろう」って思ったこともあります。
でも、もともとは人見知りを直すために歌を習い始めて、歌手になろうなんて思ってもいなかった私が、40年も歌ってこられたのはほんとうに幸せでした。
歌って、ただうまく歌うだけではだめで、何かしら+αがなければだめなんですって。その+αが人の心を打つんです。今思えば、歌謡曲時代の私にはそれがなかったんです。私が歌ったアニメの歌をみなさんに支持していただけたのは、アニメの歌に私なりの+αが加えられたからじゃないかな、と思います。歌謡曲時代の私はどう歌っていいかわからなかった。アニメの歌は私に合っていたんでしょうね。ほんとうに「アタックNo.1」は運命的なめぐりあいでした。
昨年末、パーティでヤング・フレッシュの指導をずっとされている宮本貞子先生にお会いする機会があり、「〈アタックNo.1〉のとき、渡辺岳夫先生にこんなに厳しくされたんです」ってお話したんですよ。すると宮本先生が「それはよかったわね。いい経験をしたじゃない」っておっしゃったんです。「どうしてですか?」って聞いたら、「これ以上歌えないと思う人に厳しくなんかしないでしょう。あなたが伸びると思うから厳しくしたのよ」って。「あ、そうか」って、40年ぶりに気がつきました(笑)。
あのとき、あれだけ厳しくしていただいたので、そのあとも自分はやれるんだ、がんばろうって思えたんだと思います。今思うと、ほんとうにありがたかったですね。
■アニメソングを歌い続けて
大杉 私は子どものころから音楽が好きで、ジャズも聴いたし、洋楽も聴いたし、クラシックも聴いていたし、美空ひばりさんや島倉千代子さんも聴いていました。アニメソングを歌うために、そういうのがよかったんだと思います。
歌謡曲の歌手だったら、得意な分野で勝負できますよね。同じスタイルを貫いて、それが個性になっている方もいるし、自分の好きな歌だけ聴くこともできる。でも、アニメは作品によってがらっとカラーを変えないといけないことがある。だから、いろんな歌い方ができないとだめだし、いろいろな歌を聴いていないとだめですよね。
アニメの歌ひと筋と決めてからは、いろいろな歌が歌えたし、毎回新鮮な気持ちで録音にのぞめて、ほんとうに楽しかったです。それこそ、「今までの自分を忘れて!」って言われるくらい、新しいことにチャレンジできました。
あとで「こうすればよかったんじゃないか」と思うこともありますけど、私は、録音ではいつも全力を出し切ってきたので悔いはありません。私にとってはレコーディングされたものがベストなんです。「これ以上のものは歌えない」と毎回思ってやってきました。レコードはのちのちまで残るものだし、子どもが聴くものだから、少しでもいい加減なところがあってはいけないと思って歌ってきました。歌謡曲だと、ちょっと微妙な音程も良さになることがあるし、自分が納得できればそれでいいという考えかたもあるかもしれない。でも、アニメの歌はそうではない。子どものための歌、子どもに聴いてもらう歌なんです。だから、ほんとうにひとつひとつの言葉を大事に歌いましたね。その歌がみなさんに愛されて残っているのはとてもうれしいです。
―― 最後にファンのみなさんにメッセージをお願いします。
大杉 私の歌を聴いてくださって、いつも応援してくださって、ありがとうございます。お互いに身体をいたわりつつがんばりましょう。ほんとうにありがとうございます。感謝の言葉しかありません。
(2010.05.10/コロムビアにて)