Interview & Text by 腹巻猫(劇伴倶楽部)
■『エースをねらえ!』と三沢郷
1973年放映のテレビアニメ『エースをねらえ!』も、アニメソングファン、大杉久美子ファンに人気のある作品だ。BOXには、CD化される機会の少ない挿入歌「ひとりぽっちのコート」を含む3曲が収録されている。作曲は三沢郷。『サインはV』(1969)、『アテンションプリーズ』(1970)、『デビルマン』(1972)、『ミクロイドS』(1973)など、日本放送音楽史に残る名曲を多く残した作曲家である。
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大杉 三沢郷先生も私の恩人の一人です。先生との出会いは、『アタックNo.1』のあとでした。私が東芝で童謡のアルバムを吹き込んだときに、そのアレンジを三沢先生が担当されていたんです。アルバムの中に北原白秋の詩による「砂山」という歌があったんですが、この歌にはメロディの違う2種類の曲があって(※)、私が思っていたのが別の曲のほうだったんですよ。三沢先生に「違うんですか」と聞いたら、「違うよ。こんな歌だよ」って言って、その場で歌い始めたんです。三沢先生はもともとコーラスグループ出身で、歌手もなさっていたから、歌も上手なんです。そのとき、「この先生、歌も歌うんだ!!」ってすごく印象に残りました。
※「砂山」は中山晋平と山田耕筰が作曲している。
大杉 その頃、私が「歌謡曲が売れなくて、もう歌手をやめようかと思っているんです」なんて話を雑談でしていたら、「なに言ってるんだ。もったいないよ」って言ってくださったのが三沢先生でした。それからCMソングなどで使っていただきましたし、当時プロダクションに所属していなかった私にマネージャーを紹介してくれたのも三沢先生なんです。
『ジャングル黒べえ』(1973)の歌をいただいたときは、「なんて曲だろう!?」と思いました。それまで私が歌ってきた歌とはまったく違う歌でしたから。先生からは「今までの大杉久美子をぜんぶ忘れてください」と言われました。でも、すごく楽しく歌えましたね。「ベッカンコー」はちょっと演歌っぽく歌っています。三沢先生はあとで、「久美子はこれでふっきれたみたいだよ」とおっしゃっていたらしいです。
その次が『エースをねらえ!』(1973)です。『ジャングル黒べえ』と同じ東京ムービーの作品で、スタッフもほぼ同じだったんですが、主題歌が私に決まるまでには紆余曲折があったらしいです。ほかの歌手に歌わせたいとか。でも、三沢先生が「どうしても久美子でいきたい」と粘ってくださって決まったんですって。それまでのアニメの歌に比べて、ちょっと大人っぽい歌でしたね。
エンディングテーマの「白いテニスコート」は、テレビで使われたものとレコードとでメロディが違う箇所があるんです。レコードのときに歌い直したんですが、その経緯は私もよく知らないんです。
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「白いテニスコート」は曲の一部がテレビ版とレコード版で異なるメロディで歌われている。これは一度は録音したものの、どうしても直したい部分があって、あとで録り直したため。同じカラオケで、歌だけが録り直された。レコード盤は修正したものが発売されたが、テレビ放映には間に合わず、最初に録音したものがそのまま使われている。
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大杉 でも、私は最初に歌ったものもいいと思っていたんですよ。それから、サビの「テニスコートに〜」も大事に歌った箇所で、聴いた方から「大杉さん、うまくなったねー」って言われたのはうれしかったです。
私が歌った三沢先生のアニメの歌はこの2本だけなんですが、『サインはV』(1973年放映の坂口良子版)の主題歌をカヴァーして歌っています。ほかにCMソングや子ども向けの歌もいくつか歌わせていただきました。
三沢先生はその後、ハワイへ移住されたんですけれど、何度か先生をたずねてハワイへ遊びに行きました。とても親しくおつきあいしていただきましたね。先生が街を案内してくれるというのでついていったら、危ない界隈に入り込んでしまったこともあって、先生は「大丈夫だから」っておっしゃるんですけど、どうなるかと思いました(笑)。
その後、先生は本土のカリフォルニアのほうに移住されたんですが、残念ながら、2007年にご病気で亡くなられました。奥様が日本にいらしたときにお会いしたんですけど、もう、悲しくて悲しくて、抱きあって泣いてしまいました。
■思い出の曲たち、越部信義、小森昭宏、渡辺宙明 |
『風船少女テンプルちゃん』
のジャケット |
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『くまの子ジャッキー』
のジャケット |
今回のBOXで挿入歌5曲が初めてCD化された『風船少女テンプルちゃん』(1977)は、『マッハGoGoGo』(1967)や『昆虫物語みなしごハッチ』(1970)で知られる作曲家・越部信義の作。「おもちゃのチャチャチャ」の作曲者でもあり、『おかあさんといっしょ』などの子ども番組の音楽も多く手がけている。
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大杉 『風船少女テンプルちゃん』は、絵がとてもかわいいですよね。タツノコプロダクションのそれまでのキャラクターとはちょっとまた別の作風に感じました。作詞が丘灯至夫先生でした。丘先生にもとてもお世話になりました。
作曲の越部先生は渡辺岳夫先生とは対照的に録音ではなにもおっしゃらないんですよ。もうにこにこと聞いててくださって。ほんとうに「スマート」っていう言葉がぴったりの先生です。越部先生は『ジェッターマルス』(1977)でも曲を書いていただきました。とても歯切れのよい曲を書かれるんです。
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『くまの子ジャッキー』(1977)、『まんがのくに』(1978)、『コラルの探検』(1979)の小森昭宏も、アニメ以外に『ブーフーウー』などの子ども番組の仕事で知られる作曲家。大杉久美子との仕事ではほかに『勇者ライディーン』(1975)の挿入歌「女の子だもん」、長編アニメ映画『白鳥の王子』(1977)の挿入歌「なみだとねんね」などがある。今回のBOXで『まんがのくに』からの2曲が初めてCD化された。
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大杉 小森先生はもとお医者さんなんですよ。ですから、独特の雰囲気があって、そこが楽しい先生です。先生とは『ふえはうたう』というNHKの番組で一時ごいっしょしていました。
『勇者ライディーン』の「女の子だもん」は、私には珍しいロボットアニメの歌です。この曲の録音のとき、ミッチ(堀江美都子)がスタジオをのぞきに来たそうなんですよ。私はブースの中にいたので会ってないんですけど、「かわいい!」ってひとこと言って帰って行ったって(笑)。あとで聞きました。
私はあまり声を張り上げて歌うタイプではないので、ロボットものの勇ましい曲なんかは歌う機会がなかったんです。でもリズミカルなものというと、『透明ドリちゃん』がありましたね。
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『透明ドリちゃん』
のジャケット |
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『透明ドリちゃん』(1978)は、『マジンガーZ』(1972)、『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975)などで知られる渡辺宙明の作。アクションものを多く手がける渡辺宙明の数少ない少女向け作品のひとつだ。
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大杉 宙明先生とはそんなにたくさんお話した記憶はないんです。ただ、この歌はすごく印象に残っています。音がキラキラしていて、女声コーラスもかわいいですよね。エンディングの「夢の国の王女さま」の中に「アー」っていうところがあるんですが、そこをディレクターから「もっとため息みたいに色っぽく歌えない?」って言われました。でも、私はそういうのがダメなんですよ。どうしても色っぽくならなくて。でも、小さい女の子向けの作品だから、それでよかったんじゃないかな(笑)。
今回、BOXに入る曲をぜんぶ聴き直していたんですけど、この歌は自分でも「ほんとうに楽しそうに歌ってるなぁ」って思いました。
―― 宙明先生の曲では『とんでも戦士ムテキング』(1980)の挿入歌「タコロー・ダンシング」も歌われていますね。
大杉 あーっ!! これも面白い歌でした。コミカルで、私の歌にあまりないタイプの曲ですよね。でも、私はこういう歌も大好きなんですよ。
―― 作詞が秋元康さん。秋元さんの作詞デビュー曲です。
大杉 そうなんですか!? レコーディングも楽しくて、ノリノリで歌った記憶があります。
■『ドラえもん』と菊池俊輔
世界名作劇場とならぶ大杉久美子の代表作に挙げられるのが『ドラえもん』(1978〜)だ。作曲の菊池俊輔はテレビドラマ、アニメなどに膨大な作品を残す作曲家。『仮面ライダー』(1971)、『タイガーマスク』(1969)などのアクションものが有名だが、『ドラえもん』のような楽しい作品も多く手がけている。主題歌「ドラえもんのうた」の歌い出しのメロディは、映画好きの菊池俊輔がフレッド・アステアのタップのリズムにヒントを得て作曲したものだという。番組とともに長くファンに愛される歌になった。
大杉久美子が歌った菊池俊輔作品は、『ドラえもん』のほか、『ミラクル少女リミットちゃん』(1973)、『ポールのミラクル大作戦』(1976)、『燃えろアーサー白馬の王子』(1980)、『忍者ハットリくん』(1981)、『ウルトラマンキッズM7.8星のゆかいな仲間』(1986)など20曲近くにのぼる。
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『ドラえもん』
のジャケット |
大杉 菊池俊輔先生は、ほんとうにいい先生で、お話も楽しいんですよ。東北のご出身なんですか? だから、ちょっとお国言葉があるんですね。「女優の○○○は美人だってみんな言うけど、ぼくは●●●のほうが美人だと思うよ」なんておっしゃっていたのを覚えています。ふだんはそんな感じの先生なんですよ。
『ドラえもん』は、シンエイ動画の楠部(三吉郎)さんの企画です。実は「アタックNo.1」の録音現場にも同席されていたんです。10年経って、またお仕事がごいっしょできたのはうれしかったですね。私のことを覚えていてくださって感激しました。
私は『ドラえもん』を知らなくて、楠部さんに「“ドラえもん”てなんですか?」って聞いたら、「未来の猫型ロボットなんだよ。“ドラ”がカタカナで“えもん”がひらがななんだ」ってていねいに教えてくれました。でも、よくわからないですよね(笑)。あとで、原作コミックを読んで、「あ、こういうものなんだ」ってようやく腑に落ちました。「ドラえもんのうた」は、とにかく「かわいく歌ってね」って言われましたね。
ちょうど、私が4作続けて主題歌を歌わせていただいた「世界名作劇場」が『赤毛のアン』(1979)から私の歌でなくなったときに『ドラえもん』に出会ったんです。そしたら、『ドラえもん』も長く続く作品になって、「大杉さんはほんとうにラッキーだね」って言われたのを覚えています。
―― 主題歌の「ドラえもんのうた」は長く使われましたね。
大杉 私の歌が14、5年流れたのかな(※)。とても長く使っていただいてありがたかったです。その後もいろんな方がカヴァーされていますが、「最初に歌ったのは私」と言えるのはうれしいですよね。ずっとオリジナルとして残っていくわけですから。
先日も「最初に歌うのってどんな気持ちですか」って聞かれたんですけど、そう言われてはじめて、自分がいつもオリジナルを歌ってきたことに気づいたんです。いつも「最初に歌うのは私」でしたから、「どんな気持ち」って言われると、「毎回、こんな感じかな?と思いながら歌ってきました」としか言えない。いつも手探りでしたし、私にとっては、それがあたりまえだったんです。それは、ささきいさおさんも水木一郎さんもミッチも、みんな同じだったと思います。
※大杉久美子が歌う「ドラえもんのうた」は、1979年4月から1992年10月まで、オープニングに使用された。途中一時期、大山のぶ代が歌う「ぼくドラえもん」が使われている。
★次回は、レアトラックコレクションに収録された歌と40年をふりかえっての思い。
<第4回 まだまだあるお宝ソング!〜40年をふりかえって>
お楽しみに!