P-MODEL
【P-MODEL】
1979年結成。結成時のメンバーは、平沢進(Vo/G/Syn)、田中靖美(Key)、田井中貞利(Ds)、秋山勝彦(B)。
同年、シングル「美術館で会った人だろ」、アルバム『IN A MODEL ROOM』でデビュー。
YMO、プラスティックス、ヒカシューらと共に“テクノ・ポップ”ブームの牽引役として一躍時代の寵児となる。
3rdアルバム『potpourri』(81年)以降は音楽スタイルもメンバーも1作ごとに変化し、POPでありながらも常に革新的な音楽実験を繰り返す。
結成20周年にあたる1999年にはメジャー・レーベルを離れ「音楽産業廃棄物〜P-MODEL OR DIE」と銘打ったプロジェクトを展開。プロ・ミュージシャンとしては初となるインターネット上での有料音楽配信を開始するなど、新たな作品配給の在り方を提示して音楽業界に衝撃を与える。
2000年からは、1988年の“凍結”、1993年の“改訂”に続く3度目の活動休止である“培養”期間に入り現在に至っている。これまでの参加メンバーは全16人(うち1人はCG、結成からのメンバーは平沢のみ)で、12枚のオリジナル・アルバムのほか多数の作品を残している。
【平沢進】
1979年にP-MODELのメンバーとしてデビュー。
89年にはソロ・アルバム『時空の水』をリリースし、P-MODELと並行してソロ活動を開始。
ソロ作品では、より歌に重心を置いた無国籍風サウンドで「過去(神話/民俗的世界)」と「未来(SF/コンピューター的世界)」が「現在」に出会ったかのような独自の音楽世界を確立。
94年より自ら考案した「インタラクティブ・ライブ」を開催、99年にはインターネットによる音楽配信を開始するなど、常に時代に先駆けた姿勢で音楽活動を行い、音楽業界内外のさまざまなアーティストたちへ影響を与え続けている。
また、ゲーム・ソフトやアニメーションのサウンド・トラックも多数手がけ、現在は長年のP-MODEL/平沢ファンであり、惜しくも昨年永眠したアニメーター/映画監督・今敏氏の遺作プロジェクト「夢見る機械」の音楽を制作中、完成が待たれる。
様々な発言が話題を呼び、現在公式twitterのフォロワー数は5万人を超す。