1998年秋、バンド活動休止後、ソロ活動開始。
1999年2月、自身が設立したインディーズレーベル「LAPLAND(ラップランド)」より、北海道、東北限定でシングル「天使達の歌」をリリース。同時にギター1本で、人が集まるところならどこでも歌い、CDを売るという「CD実演販売ライブ」開始。3ヶ月間で250本以上のライブを行い、この2地区のみで15000枚を売り上げ、仙台、札幌で行った無料ライブ「Free Live FG-250」ではそれぞれの会場に3000人、4000人を動員。この一連の活動は音楽業界のみならず、各方面に衝撃を与え「社会現象」とまで呼ばれる。様々なメディアが彼を取り上げ、全国から問い合わせが殺到したため、「天使達の歌」はついに5月、ヒートウェーブ・トライアドレーベルより全国発売され、ビッグセールスを記録。その後も「CD実演販売ライブ」は、その活動の場を全国に広げ、結局1999年1年間で坂本サトルが行った総ライブ本数は 471本にも及んだ。
2000年1月、セカンドマキシシングル「愛の言葉」リリース、2月、本人書き下ろしによる単行本「終わらない歌」発売の後、3月、ついにファーストアルバム「終わらない歌」発売。カーネーションのキーボーディスト、棚谷祐一との共同プロデュースによるこの作品はそのクオリティの高さから、業界内外で高い評価を得た。4月、日比谷野外音楽堂にて一人きりの無料ライブ決行。3000人を動員。5月、1999年に行った471 本の「CD実演販売ライブ」の中でも過酷を極めた北海道での9日間を映像に収めたドキュメントビデオ「天使達の歌34/471」発売。5月初の有料全国ツアー「終わらない歌」スタート。(〜8月末まで。33カ所35公演)10公演をバンドと共に、そして25公演を弾き語りスタイルで行う。7月、 MBS/TBS系全国ネット「情熱大陸」で坂本サトルを45日間にわたって取材したドキュメンタリーがオンエアされる。このCDに収録されている「サヨナラ」は、この番組の収録中に生まれたもので、その誕生の瞬間からレコーディングに至るまで、そして土壇場でリリースが無期限延期となるまでを痛々しいほど克明に写し出したこの番組は各方面で話題となった。9月、3枚目のマキシシングル「最後に咲く花」リリース。カップリングには坂本サトルの敬愛するシンガーEPOのカバー「矛盾の中で生きてる」を収録。
2000年12月31日、札幌市で行われるカウントダウンイベント「カウントダウン Sapporo 2001」に参加。このイベントのために書き下ろされた「明日の色」は、当日、会場である大通り公園に集まった1万人(前年実績)の人々とともに合唱される。「明日の色」は12月20日に、自身のレーベル「LAPLAND」から3000枚限定で北海道のみで発売されるが、このインディーズ版「明日の色」はチャリティを目的に制作され、その売り上げは北海道内の各団体に寄付される。インディーズ版の3000枚が予約のみで完売してしまい、入手できなかった人達があまりに多かったことや、他地域からの問い合わせが殺到したことから、「明日の色」は2001年2月1日に4枚目のマキシシングルとして発売されることが決定。 3月1日には待望のセカンドアルバム「走る人」がリリースされた。