カリフォルニア出身のシンガー。
Secondhand Serenade = John Vesely のソロプロジェクト。
今作『アウェイク』は2005年に自主制作盤としてリリースされ、インターネット上で瞬く間に話題となり、
2006年NYのGlassnote Recordsと契約。
2007年2月に新たに2曲を追加し再発され、全米で大ヒット!
いよいよ日本でも Secondhand Serenade 旋風が起こる!!
ここ数年の音楽業界を取り巻く環境は、世界的に大きく変わってきた。
特にアメリカにおいては、日本でもお馴染みのTOWER RECORDSやHMVなどの CDショップが軒並み撤退し、ウォルマートなどの大型スーパーマーケットで、一部のヒット作品のみを扱うという、インディーや新人にとっては決して恵まれた環境とはいえない状態になっている。
しかしながら、それに変わるユーザーへの伝達手段として、インターネットを使った楽曲の試聴、
販売が大きく伸びてきた。
日本でも同じような現象が音楽業界で話題になっており、今後のCDのあり方が問われる時代に入った。
そんな中、一人の青年がインターネットを通じて本国アメリカをはじめ、世界中の音楽ファンの心をつかみつつある。
Secondhand Serenade = John Vesely
ジョンは、プロのジャズミュージシャンの父親の影響もあり、12歳のときに音楽を始め、いくつかのバンドをベーシストとして渡り歩く。
しかしその後、大きな転機が訪れる。
それは、最愛の妻との出逢い。
「彼女に歌を歌ってあげようと思った時、彼女の為のラブソングを歌うのに、ベースはよくないよね(笑)。だからその時から、ギターを弾くようになったんだ。」
そしてジョンは、曲を作り、遂にスタジオに入ることになる。
そして、2005年夏、完成したのが、「Awake」だ。
このとき彼は、単なるシンガーソングライターとしてではなく、そのイメージから離れる為に、Secondhand Serenadeという名前を使い始める。
「自分自身がバンドなんだ。この名前は、僕が書いて歌う曲を表しているんだ。
僕は、自分の人生に起こる様々なイベントや、感情を歌っている。
そしてそれは、妻の為に歌っているんだ。だから、他のみんなにとっては“Secondhand ”のSerenadeを聴いているんだよ(笑)」
この自主制作のアルバム完成後、メジャーのレコード会社へ持ち込んだりはせず、まず始めにMySpaceにUPした。同時に、西海岸を中心にLIVE活動をはじめ、それは瞬く間に多くのファンを獲得することになる。LIVE動員は増え、それにともなって口コミでさらにMySpaceへのアクセスも増大。 (現時点ではアクセス数は700万件を突破。)
数ヶ月の間に、契約をしていないアーティストではアクセス数No.1に上り詰める。
同時期、itunesのオルタナティヴ・アルバムTOP100に、唯一契約のないアーティストでありながらランクインを果たす。
こうなれば多くのレーベルが黙っているはずもなく、アメリカ中で彼の名前は知られるようになる。
2006年になって、彼はNYのGlassnote Recordsと契約を行う。
ダニエル・グラスという、業界では名の通ったベテランA&Rが立ち上げたレーベルで、いよいよ全米規模で動き出すことになる。
2007年2月、自主制作で作った「Awake」は、新たに2曲を加えて再発され、アルバムに収録されている『Vulnerable』のビデオを制作。
このビデオは、フランク・ボリン(レッチリ、グッドシャーロット、エミネムなども手がける)の手によって制作され、すぐにMTVの「Big10」や「Discover&Download」に加えられることになる。
もうこの時点では全米はおろか、全世界にファンの輪を広げたSecondhand Serenade。 2007年の夏には早くも次のアルバムの制作に取り掛かっており、それと平行してツアーも精力的に行っている。
今回日本盤としてリリースされる「Awake」には、次のアルバムを待ちきれないファンの為に、ボーナストラックとして1曲最新の楽曲を収録することになった。
“初期「Awake」”では聞くことの出来なかったサウンドを楽しんでもらえるだろう。