1923年10月3日、ポーランドのリヴォフ(現在はウクライナ領)に生まれる。
4歳でヴァイオリンとピアノを始め、7歳でオーケストラ曲を書き、11歳で公式リサイタルを開いてピアニストとしてデビュー。13歳の時にはベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を弾き振りするほどの神童だったという。しかし、第二次大戦中に空襲で負った手の傷が元で、ピアニストの道を断念。以降、作曲と指揮の勉強に向かった。
大戦終結後、クラクフでワルシャワ・フィルを指揮した際、時のフランス大使が感動したことが縁で、奨学金を受けて2年間、パリに留学。まだ、西側に出ることが困難な時代だったが、そのパリで熱心に作曲を学んだ。
1940年代後半から本格的な指揮活動に入り、46年、ブロツワフ・フィルの指揮者を務めた後、カトヴィツェ・フィル(1949〜54年)、クラクフ・フィル(1954〜56年)の音楽監督などを歴任。この間、56年にローマの国際指揮者コンクールで優勝し、58年にはクリーヴランド管を指揮してアメリカ・デビューを果たした。以降、ニューヨーク・フィル、ピッツバーグ響、シンシナティ響に客演している。
その後、1960年から20年近くにわたってミネソタ管弦楽団(旧ミネアポリス交響楽団、1968年に改称)の音楽監督を務めた。84〜91年には英・ハレ管弦楽団の首席指揮者を務め、その後はミネソタ管の桂冠指揮者のほかザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の桂冠指揮者を務めるなど、90歳を超えても国際的な活動を精力的に展開し、「現役最長老指揮者の一人」として尊敬を集めた。
ブルックナーの指揮では世界的に定評があり、ブルックナー交響曲の解釈でマーラー・ブルックナー協会から金メダルも授与されている。ザールブリュッケン放送響との「ブルックナー交響曲全集」は世界中で賞賛され、「カンヌ・クラシック大賞2002(19世紀管弦楽作品部門)」を受賞している。
読売日本交響楽団とは1978年に初共演。2000年以後は定期的に共演を重ね、07年4月には第8代常任指揮者に就任。退任後の2010年4月以降は、桂冠名誉指揮者の地位にあった。2017年2月21日、永眠。
Photo: (C) Yomiuri Nippon Symphony Orchestra (Photo: T.Urano)
(C)読売日本交響楽団 (撮影:浦野俊之)