今年4月にリリースしたカルミナ四重奏団との共演による『シューベルト:ます五重奏曲/シューマン:ピアノ五重奏曲』が高い評価を得た田部京子ですが、その記憶も覚めやらぬうちに新アルバムのリリースです。今回は久しぶり(ほぼ8年ぶり)のシューマン・アルバムで、しかもライヴ録音。そこで、制作が全て終了した9月上旬に、改めてこの企画を振り返る形で、担当プロデューサーとの対談をまとめました。是非、お楽しみください。(2008年9月掲載)
『シューマン:謝肉祭|浜離宮朝日ホールライヴ』
シューマンのロマンと独創が閃く瞬間を、鮮やかな切れ味で描く、渾身のライヴ!
奥深い精神世界を垣間見せ聴きての魂を揺さぶる、田部京子の新境地!
録音:2007年12月5日 浜離宮朝日ホール(ライヴ)
2014/11/26発売 COCO-73364 ¥1,000+税
田部京子 X プロデューサー スペシャル対談
《シューマンについて》
--- 今回の新アルバムは、これまでにない形、すなわち、現在浜離宮朝日ホールで進行中の「シューマン・プラス」というコンサート・シリーズをライヴ収録して作られたわけです。まず、この「シューマン・プラス」とはどんなシリーズなのか、読者の皆さんに改めてご紹介いただけませんか?
「シューマン・プラス」は、シューマンの生誕200年の記念年である2010年に向けて進行中の、浜離宮朝日ホールでの7回(予定)のコンサート・シリーズです。私にとってシューマンは、これまで取り組んできたシューベルトとは違った意味で特別な存在で、演奏していると無条件に魂が揺さぶられる思いがします。実に奥深くて、その魅惑的な世界に惹き込まれ、挑戦したいという気にさせられる作曲家なのです。
シューマンは19世紀ロマン派中心的作曲家・評論家のひとりとしてその潮流を引っ張る一方で、時代の中で異色の存在でもありました。このシリーズでは、シューマンのみならず同時代を生き互いに影響を与え合った他の作曲家たちの作品を一緒に取り上げることで、19世紀初期ロマン派という充実した時代を辿り、その中でシューマンがどんな存在であったかを浮き上がらせることができたらと思っています。それで「プラス」と銘打ったわけです。今回リリースの新アルバムは2007年12月に行われたその第1回目のコンサートをライヴ収録したもので(その中から以前にCDがリリースされている《子供の情景》を除く)シューマン初期の代表作である、《謝肉祭》、《パピヨン》、《アラベスク》を収めました。
--- 田部さんの感じるシューマンの魅力とはどんなところでしょうか?
シューマンは、いつかは集中して取り組みたいと思っていた作曲家でした。
シューベルトのシリーズを一段落させた後、北欧の作曲家(シベリウス、グリーグ)を取り上げる機会を得ました。シベリウスには「北欧のシューベルト」、グリーグには「北欧のシューマン(・・・ショパンにも通じる)」を感じていました。グリーグの作品には北欧の自然、民族色が色濃く反映されていますが、若い頃にライプツィヒで学びシューマンの影響を受けたこともあり、作品の根底に共通点を感じます。和声感、リズムの使い方、音楽的な高揚感など、弾いているとシューマンを想起させられるのでした。
シューマンの音楽は、夢の世界にいるように夢と現実の挟間を行き来したり、憂鬱と快活が交差したりと、シューマンの複雑な心の中の動きを何かに託して(一種のフィルターを通して)音にしている。「フロレスタン」と「オイゼビウス」のように架空の性格をを持つ人物を登場させて自分の心を投影させるような感じですね。シューマンはどこか行き着くところがわからないような、変容をし続けるような特質、たとえば「勝利を確信する」とか「ここがゴールだ」といったことが曖昧な、起承転結とは違う構造の曲が多く、すごく多面的で構造が複雑な感じを受けます。この点が他のロマン派作品とは一線を隔すところであるように感じますし、ここでシューマンを集中して取り上げたいと思った、今私が感じる魅力ですね。
--- 田部さんは、シューマンのことを、「演奏家としての私の心に魂を吹き込んでくれる存在」だと評したことがありましたね。
シューマンというのは不思議な作曲家で、演奏家として感じるシューマンと、聴き手として感じるシューマンとでは、身をおく立場によってその魅力がずいぶん違って感じます。演奏家としてシューマンに向かっているときは、なにかものすごい高揚感、大きなエネルギーをもらえる感覚があります。それが何だろうかと分析して考えると、技術的に安易ではないとしても、魅力的なメロディと反復されるリズムのなかで和声が興味深く変わっていったり、内声と外声が複雑に別の動きをしたり、小節線をまたいで特別の動きをしたり、そんな音楽的な絡みが弾いているとすごく面白くて、自然にかきたてられるのかなあと感じます。とても立体的な感じがあってそこで色々な音楽的な要素が絡み合って、そのなかで浮いては消えという要素が、動きの中で変わり続けていくというのがシューマンらしくて興味深いところです。今回収録された作品にもよく表れていると思います。
--- シューマンをただ聴くのと、楽譜を見ながら聴くのでは情報量がぜんぜん違って感じられ、私など「こんなにいろんな仕掛けがしてあるのか」という驚き・発見があります。逆にいうと、耳で聴いただけでそこまでを伝えきれている演奏が少ないということでしょうか?
それだけ、そこまでを表現するのが非常に難しいともいえます。 演奏する側は楽譜からの情報を全部把握しているので、余計にそれを聴き手に伝えるのが面白いという部分がありますね。それぞれの声部の横の流れ・縦の流れの絡みをうまく表現するという論理的な表現の部分と、一方で非常に奔放でつかみどころの無いものをも表現する、凝りに凝った作曲法を感じます。
--- たとえばショパンなんかはもっとシンプルですよね。
ショパンはどんなに短い曲でも、1曲毎に世界が完結しているように感じます。それにくらべてシューマンは、小さな曲の集合体でひとつの世界を作っていて、全曲を通してはじめて世界がわかるような曲が多いですね。《謝肉祭》が良い例ですし、《クライスレリアーナ》なんかもそうですね。たとえば《謝肉祭》の中から1曲だけ抜き出しても、それではシューマンの世界は掴みきれないと思います。
--- 今回の収録曲取り上げた3曲は、どのような意図で選ばれたのですか?
そんなわけで、シューマンの楽曲にはある種のとっつきにくさ・難解さを感じる方がいても、それは理解できなくもありません。でも、そんな方にも是非シューマンの魅力に触れていただきたい。そういった意味を込めて、リサイタル第1回目は「シューマンの世界に入っていただく扉」として、多面的な特質をもつシューマンの曲の中でも比較的シンプルでわかりやすい曲でプログラミングしました。《謝肉祭》は色々な変遷を辿りながらも最後のフィナーレに向かう明確な構造があって、シューマンがベートーヴェンを尊敬していたことも想起させますね。
今後のシリーズでは、時代を下ったシューマンの作品もとりあげていきます。加えて同時代の作曲家の作品と一緒に取り上げることで、さらにシューマンの特質がクローズアップされていくと思います。それこそ、《森の情景》なんかは、深淵をみるようなところあって、いわゆる森林浴から想像する森の情景とは別世界のように感じずにはいられません。メンデルスゾーンやリストなどは、音から情景が明確に湧いてきて、たとえば「ここが鳥のさえずり声」などと、イメージ出来る部分もあるのですが、シューマンの場合は、なにか独特のフィルターがかかった抽象的・形而上的なものを感じます。今回の3曲は、ピアニストの妻クララの存在も感じる若い時代のピアノ作品ですが、すでにこのころから後年にシューマンが精神を病んでゆくその萌芽を見る思いがあります。
《初めてのライヴ録音を終えて》
--- ディスクで聴く田部さんとコンサートで聴く田部さんとでは、かなり印象が違っていると感じている方が少なくないと思うのです。実際、「是非ライヴ録音を!」という希望がリスナーの方から寄せられたこともありました。これまで、録音に関しては完璧主義者という感じでライヴ録音には慎重だった田部さんが、ライヴ録音に踏み切ったのはどんな理由からですか?
一発勝負という点でライヴの恐ろしさという部分があるにせよ、自分ではライヴでしか出ないものがあるということも事実だなあと、常日頃感じていました。また、CDとコンサートの両方を聴いてくださっている聴衆のかたから、「このコンサートはライヴ録音で残してほしかった」という声をきくことも時々あって、そんなことも意識のどこかにありました。
もうひとつは、シューマンという作品の特性からいっても、ちょっと破滅的な部分があったり、ものすごく自由だったり、そのような作風が、自分としての解釈をしっかり持った上であれば、本番に臨んで、そのときの一期一会的な感性・瞬発力がうまく良い方向に影響がでるように、期待できると感じたのですね。そのような視点から、シューマンだったら「ライヴ録音」もあるかな?と考えたのです。同じくライヴ録音とはいっても、ひとつのプログラムを何度も本番を経験しながらより表現を深めていき、その結果として一つの公演を録音する、という形もあるでしょうけど、今回のシューマンはそれとはまた少し違う発想です。
--- セッション録音とライヴ録音では、どんなところが違うのでしょう?演奏の解釈も変化するのですか?
解釈が変わるわけではありません。セッション録音の場合は、なんと言っても聴衆がいません。録音したテイクのプレイバックを聴きながらそれが次の演奏に少しずつ反映されます。プレイバックを聴いて感じる音楽的違和感などを微調整していく中で「録音における理想像・完成形」みたいなものが出来てきて、それを目指してテイクを重ねるわけです。
でも、ライヴは、なんといっても「一回きり」なので、吟味して作り上げていくというよりは、その時の自分が感じる確固たる解釈のもとに、舞台の上ではかなり自由に表現するという感じになります。毎回ライヴは、基本の部分は変わらないながらも、ピアノのコンディション、ホールの響き、聴衆の反応、いろんな要素があって演奏が生まれてくるのです。だから2つとおなじ演奏は無いと思いますし、その意味で一度しかない、そのときしか出来ない音楽というのが、シューマンの「変容する音楽」と重なる部分があって、ライヴ録音の面白さにもつながると思います。
--- 実際に録音を終えてみて、いかがでしたか?
演奏しているそのときは、自分は演奏そのものに集中しているので、「ライヴ録音が面白い」なんて思っているわけではないのですが(笑)、収録後にプレイバックを聴いてみて、想像していた以上に「ライヴらしさの出た」仕上がりになったと感じ、とても嬉しく思っています。セッション録音ではこうはならなかっただろうなぁと、思います。普段のライヴでは、弾いているときの感触とか聴衆の反応とか、ある意味通り過ぎてしまうものですし、演奏会ごとの記録録音をいつも確認しているわけではありませんでしたので、「どの程度ライヴらしさが演奏に反映されるものか」は、やってみるまでは分からなかったのです。実際のところ、「こんなにも違うものなのか!」と、それはそれは新鮮な驚きでした。逆に、時折いただいた「今日の演奏は是非ライヴ録音で残して欲しかった」との聴衆の方からのことばの意味が、ちょっと分かったような気がします。シューマンの作品の特性と重なり、セッションでの録音とは違うライヴの魅力が出た記録ができた、と思います。
--- 11月15日の事前リハーサル、本番当日のリハーサル、そしてコンサート本番と、時系列を追うごとに音楽のテンションがどんどん上がっていきましたね。「これこそがライヴ本番の魅力!」と、それをいかに活かしきってリスナーの皆さんにお届けするかが、我々スタッフの使命だと感じました。
テンションの変化に関しては、自分ではぜんぜん意識していないのです。リハーサルだからといって意識して手加減することもしませんし。だから、録音を後で聴いて比べてみて自分でも驚いたくらいです。アスリートが大会本番で「アドレナリンが出る」なんていいますが、これはそうなのかなぁと思いました。コンサートの本番は、興奮も緊張も並大抵ではないレベルに達しているわけですから、普段とは大きく違う精神状態であるのは間違いないですね。それによって演奏にどれほどの違いが出るかは、自分では計り知しれないところですが。
--- 演奏会当日。スタッフたちはリハーサルから本番に向けて田部さんのたたずまいやオーラが、どんどん変わっていく様子を目の当たりにしているわけです。本番スタートの時にはそれがピークに達し、演奏が全て終わってステージ袖に引き上げてきたときには、それこそ湯気が立つような状態になっている。これを、セッション録音で再現するのは・・・・
いやいや、そうなれといわれても無理です(笑)。会場のお客さんとおなじ時間を共有して一緒に創っているという感覚、それがあるからこそ成せる技なのでしょうね。自分の世界に独り浸ってその中で完全燃焼して、ということも無いわけではない、・・・・たとえば自宅で練習しているときとか、(セッション)レコーディング最後の全曲通して弾く総仕上げのテイクなど・・・・でもやはり、聴衆の皆さんを目の前にするとそれとはどうしても違ってくる、いや、違うものなのだということを今回改めて知りました(笑)。
--- 録音も極上のサウンドですね!
ピアノそのものの美音と豊かなホールトーンが互いに邪魔することなく引き立て合っていて、非常にバランスの良い録音だと思います。
私が最も心地よく演奏出来るホール&ピアノのひとつである浜離宮朝日ホールの素晴らしさもよく伝わってきます。
(終)
Newアルバム『シューマン:謝肉祭|田部京子 浜離宮朝日ホールライヴ』の魅力
今回のプロジェクトの計画を知ったある人が、これは、「田部さんによる2つ同時の大きな賭け・チャレンジ」、つまり、同じロマン派とはいっても、ある意味対角線上にいるようなシューベルトからシューマンへの大きなシフト・チェンジと、CDで聴く限りは(決して「爆演派」ではない)むしろ「静」のイメージの田部によるライヴ録音(!)へのチャレンジだと評してくれました。この大きなチャレンジは、本人も驚く予想以上の成果を得て、リスナーの皆さまにお届けできる日を待つばかりとなりました。どうぞ、ご期待ください。 もし、これまでディスクのみで田部をご存知で、田部のことをリリカルで静のイメージで捉えていらっしゃる方がいたら、是非この新しいライヴ録音で、田部の「もう一つの面」を知っていただけたら、と思います。また、来る2008年12月10日の第3回のシューマン・プラス公演のプログラムは、シューマンの幻想曲とリストのロ短調ソナタという、二人の作曲家が互いに献呈しあった曲!いよいよ、シューマン以外の作曲家がプログラムに加わり、シューマン・プラスの「プラス」の部分に進展してゆくわけですが、同時代の傑作と一緒にシューマンを演奏することで、シューマンの素晴らしさ・特質を浮き彫りにしてゆくというこのシリーズのコンセプトがどのように形になるか、大変に楽しみです。田部の弾くシューマンの魅力に、是非ライヴでも接していただけたらと思います。