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ゲスト・コメント
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竹内まりや

★+++☆プロフィール☆+++★
1978年、シングル「戻っておいで・私の時間」でデビュー。「SEPTEMBER」「不思議なピーチパイ」など次々と大ヒットを飛 ばす。結婚後は作詞・作曲家として「けんかをやめて」「元気を出して」「駅」など多くの作品を他の歌手に提供するかたわら、1984年に自らもシンガー・ソングライターとして活動復帰し、1987年に発表した「REQUEST」以降すべてのオリジナル・アルバムがミリオン・セールスを記録している。また、1994年発表のベスト・アルバム「Impressions」は350万枚以上の記録的な大ヒットとなり、日本ゴールドディスク大賞ポップス部門(邦楽・女性)でグランプリ・アルバム賞を受賞。ベスト盤ブームの先駆けとなった。その後も独自のスタンスを守りながら、音楽活動を続けている。

Q1.MICOさんをいつ、どういったきっかけで知りましたか?
小学校低学年の頃、私がいちばん聴いたレコードがMICOちゃんでした。両親も兄姉も皆MICOちゃんの歌が好きで、我が家のステレオでは毎日彼女のレコードが鳴っていました。


Q2.その当時、あなたは何をなさっていましたか?
音楽好きでおてんばな小学生でした。ピアノのレッスンが大嫌いで、学校から帰るとすぐにポップスのレコードをかけて一緒に歌うのが習慣でした。


Q3.MICOさんにまつわるエピソードで、思い出深いものを教えてください。
2003年にオールドポップスのカバーアルバム「ロングタイム・フェイバリッツ」を出した際、弘田さんから直々にお電話をもらい、私の歌をとてもほめていただきました。どんな人に賞賛されるよりもうれしかったのを覚えています。あの時は本当にありがとうございました。


Q4.あなたから見て、MICOさんはどんな方ですか?
日本のポップス史を語る上で絶対に欠かすことの出来ない、唯一無二のシンガーでありながら、そんな自分をちっともひけらかすことのない謙虚な人間性と、女性として深い魅力を持っている人。


Q5.「恋のクンビア21」の感想を一言お願い致します。
久しぶりにダンサブルで元気なMICOちゃんの歌が聴けてうれしいです。60年代のリメイクとはいえちっとも古く感じないのは、やはり彼女の歌声の普遍性と力だと思いました。まだまだずっと歌い続けてください!

 

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渚ようこ

★+++☆プロフィール☆+++★
平成の歌謡歌手。
1994年デビュー以来、ザ・ヘア、コモエスタ八重樫、及川光博、ハプニングスフォー、半田健人、渋さ知らズ、内田春菊など数々のアーティストとコラボレート。
クレイジーケンバンドの横山剣プロデュースによる作品や、日本を代表する作詞家・阿久悠とのコラボレーションで情念あふれる歌謡世界を構築した。
「新宿には雑多なエネルギーがまだあふれている、それが私の原動力」と新宿にこだわり、歌手活動の傍ら2003年、新宿ゴールデン街にカウンターバー「汀(なぎさ)」を開店した。

 

Q1.MICOさんをいつ、どういったきっかけで知りましたか?
物心ついたころにテレビの特番で、スレンダーなミコさまの写真と歌が流れたのをみて、あまりのかっこよさにショックを受けました☆

Q2.その当時、あなたは何をなさっていましたか?
田舎に住む、フツーのこども(でも、その頃から60、70年代の歌謡曲に異様に反応を示していたようです)

Q3.MICOさんにまつわるエピソードで、思い出深いものを教えてください。
私はミコさまにものすごく影響をうけた部分が大きいのですが、そんな憧れのミコさまのToKyo27:00というアルバムで、コモエスタ八重樫さんがリミックスした‘子供じゃないの’でちょっとだけコーラスをやらせてもらいました。(クレジットにはのってません)

Q4.あなたから見て、MICOさんはどんな方ですか?
超プロフェッショナルのミコさまに対して失礼ですが、とにかく歌が抜群にうまく、いつまでも美しさを保ち続ける奇跡のような方。

Q5.「恋のクンビア」の感想を一言お願いいたします。
「恋のクンビア」のプロモーションビデオの撮影のときもこっそりと見学させていただき、見ていて、常に進化つづけるミコさまを感じました。





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