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1965年テレビスペシャルとして放映/フジテレビ系/53分/モノクロ

日本初のテレビ用1時間スペシャルアニメ。物語はスティブンスンの『宝島』の登場人物を動物に変えて翻案。(手塚治虫自身の出世作『新宝島』をアニメ化したものではありません。)海賊シルバーはオオカミに、主人公のジム少年はウサギに変更されている。

脚色・演出:手塚治虫
原作:ロバート・ルイス・スティブンスン/音楽:冨田勲/作画監督:杉井儀三郎

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港町の小さな旅館・ベンボー亭の息子ジム(兎)は、急死した客の荷物から1枚の地図を見つけた。地主のトリローニ(豚)は、それが大海賊フリントの残した宝の地図であると見抜く。彼は、医者兼地方判事のリプジー(鹿)や船長(熊)とともに、宝探しの航海に出発した。乗員の1人として旅に加わったジムは、片足のコック・シルバー(狼)とすぐに親しくなった。だが、美しい貝を自分の宝だと言ってジムに与える彼の正体こそ、船員たちを配下に治める恐ろしい海賊の首領であった。宝島に到着した一行に、本性を現した海賊たちが襲いかかる。リプジーたちの立てこもった山小屋は砲撃にさらされ、激戦のなか地図はシルバーの手に渡ってしまった。そして、ジムの身にも危険が迫る。果たしてフリントの宝の隠し場所はどこに? 宝の正体とは一体何なのか!?

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脚本、演出は手塚治虫自らが担当。その名を一躍世に知らしめた名作マンガ『新宝島』とは同題名ながら、内容はまったくのオリジナルである。登場人物を、その性格をからめて動物へと擬人化したアイディアもさることながら、彼ら自身が“人間”としての誇りを持ち、爪や牙を剥き出しにした“ケダモノ”になることを忌避している、という設定が実に手塚作品らしい。終盤、宝を前にしたリプジーやトリローニが理性を失い、衣服を脱ぎ捨てて四本足で走り出すのに対し、誇りを失わないシルバーがそのさまをあざ笑う、という善悪の対比はクールであり、本作の名シーンとなっている。長編の原作を、その主要な見せ場をすべて盛り込んで53分にまとめ上げた見事な構成、作画監督・杉井儀三郎が腕を奮った一糸乱れぬ作画、冨田勲による胸高鳴るBGMの数々など、全編が高密度な完成度を持つ幻の逸品である。1965(昭和40)年1月3日、フジテレビ系で放映。

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●原作:ロバート・ルイス・スティブンスン ●脚色 演出:手塚治虫 ●作画監督:杉井儀三郎 ●原画:坂本雄作、紺野修司、高木 厚、永島慎二、勝井千賀雄、 平田敏夫、熊野基雄 ●第二原画:正延宏三、西牧秀雄、出崎 統 ●動画:宇田川一彦、小川隆雄、大貫信夫、内田有紀彦、大木徹一、鈴木 満、田崎正夫、 西村 宏、松尾信吾、三輪孝輝、吉川惣司 ●美術:半藤克美 ●背景:松本 強 ●トレース:杉井正子(チーフ)、大河寿子、坂本洋子、田口和子、鶴田淑子、中西京子、 籏野雅子、松本光代、六笠有子 ●彩色:日高V子(チーフ)、朝戸澄子、橘川紀代子、久保礼子、小山江以子、島野昌子、進藤富子、杉本泰子、二瓶多津子、林 広美、 阪 佐智子、福永雅子、藤井和子、光延幸子 ●ブラシ:安斎儀之 ●撮影:清水達正、佐倉紀行 ●編集:古川雅士 ●音楽:冨田 勲 ●効果:秦 和夫 ●録音:アオイスタジオ ●現像:東洋現像所 ●製作担当:明田川 進、田代敦巳 ●製作協力:フジテレビ 担当:別所孝治

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●海賊シルバー(狼):加藤 武 ●ジム少年(ウサギ):田上和枝 ●船長(熊):若山弦蔵 ●リプジー先生(鹿):北原 隆 ●トリローニ(豚):藤岡琢也 ●ピュー(山猫):熊倉一雄 ●ビリー・ボーンズ(山犬):加藤精三

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プロローグ(Aパート開始)
タイトル〜ビリー・ボーンズの秘密
ジョン・シルバー登場(Bパート開始)
出航
シルバーとジムの友情(Cパート開始)
リンゴ樽
宝島発見
かわいそうなベン・ガン(Dパート開始)
正体を現したシルバー
砦の攻防(Eパート開始)
船を奪い返せ〜ジムの大活躍
ジム人質に(Fパート開始)
海賊たちの行進(挿入歌)
大鷲山の崩壊
宝の真相
シルバーとの別れ

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『新宝島』はもともと、全26話のテレビアニメシリーズ『虫プロランド』の第1話になる予定だった作品である。本シリーズは、手塚治虫のさまざまな原作マンガを、毎回1時間枠で1作ずつアニメ化していこうという企画であり、候補にはほかに『リボンの騎士』『0マン』『魔神ガロン』『漫画天文学』『オズマ隊長』などが挙がっていた。63年8月、虫プロとフジテレビとの間で仮契約が交わされた後、年末より『新宝島』の制作がスタート。フィルムは64年6月に完成。ところが、それに先立つ4月には制作体制上の行きづまりなどから、第2話以降の制作中断が決定してしまった。結局、本作はお蔵入り状態になった後、65年正月の単発番組として放映されたのである。

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