娘が1年生になってから、毎日のように音読の宿題をしてきました。
1学期の初めは音読範囲も狭かったので、1日30回、多い日には50回読むこともあり、「このまま毎日50回音読することになったらどうしよう(学習意欲があるのは素晴らしいことですが、さすがに50回は多すぎる気が……)」と震えた日もありましたが、現在は1日3回に落ち着いています。
教科書に載っているお話を娘が音読する中で、「いまの教科書にはこんなお話が載っているんだ」と新鮮な気持ちで聞くこともあれば、「私も小学生の頃に読んだなあ」としみじみすることも。最近は、わが家の本棚にもある『ずーっと ずっと だいすきだよ』(評論社)を連日音読してくれるので、娘が幼稚園の頃に読んだなあと懐かしくなっています。“ぼく”と飼い犬のエルフィー(教科書ではエルフ)との別れを通して、「大好き」という気持ちを言葉にして伝えることの大切さを描いた名作です。
『ずーっと ずっと だいすきだよ』の音読を進めていくと、娘がどうしても耳をふさぎながら小声で読んでしまう箇所があります。それが、目を覚ました時にエルフィーが死んでしまっていたシーン。エルフィーの死が悲しくて、普通に読めないのだそうです。大人だって悲しい気持ちになるのですから、気持ちはよくわかります。
しかし娘は「かなしいお話だね」と言いつつも、「でも、『大好き』ってたくさん伝えててよかったね」と言っていたので、このお話の言わんとすることをちゃんと理解している様子。もともと好きな絵本ではあったものの、人生において大切なことを教えてくれる素晴らしい絵本だなあと改めて実感してしまいました。
相手が動物に限らず、人に対しても「大好き」という気持ちを言葉で伝えるのはとても大切なこと。互いの人生を豊かにしてくれるだろうし、いつかつらい別れが訪れた時にも、“ぼく”が「いくらか 気もちが らくだった」と言っていたように、悲しい気持ちを和らげてくれるのですから。
これから嬉しいこと、腹の立つこと、悲しいこと、楽しいこと、たくさん経験しながら長い人生を送っていくわが子たちへ、心のお守りとしてずっと本棚に置いておいてほしい物語だなと、娘の音読を通して改めて思ったのでした。
*『ずーっと ずっと だいすきだよ』ハンス・ウィルヘルム作・絵 / 久山太市 訳(評論社)
平岩茉侑佳
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