ここ最近、長女の志望校の選定で親の希望と子どもの思いが一致しないことが多くなり、親の私が参っています。親が行ってほしい学校と、子どもが行きたい学校が合致すれば良いのですが、そこに乖離がある場合は擦り合わせがなかなか大変です。親の思いとしては「なるべく近いところ」を優先したいのですが、本人は「電車に乗っている時間が楽しいので、電車で通いたい」など、なんともどうしようもない意見の食い違いがあります。
自分で自覚するほど過保護な私は、毎日電車に乗って通学する娘が心配で心配でなりません。ここのところ災害も多いですし、なにかあったら迎えに行ける距離というのは精神的に安心ができます。
一番ショックだったのが、ずっと第一志望にしてきた学校を受けないと本人が決めたことです。過去問も6回分解いてきて、徐々に合格者平均を超えてきていたのに本当に残念でなりません。これから新しい第一志望の学校の過去問に着手するのか…時間はあるのか…本当に不安がつきません。
しかもここに来て、なかなか成績が伸び悩むという現実にも直面!! 暗記科目の社会がものすごく脚を引っ張ります。社会の不出来のおかげで全体が下がるという悲しみ。
そんな成績に一喜一憂しているうちに体に不調を来たしている状況が現在の私です。中学受験は親の関わりが非常に大きいと聞いていましたが、本当にその通りです。しかし、人生の過程のひとつにしか過ぎない事象にこんなに入れ込んでどうするのだとも思います。ここで私の考え方も方向転換するべきかなと思っています。もうちょっとおおらかに構えて本人に任せるべきことは本人に任せなければ。
なぜ親はこんなにも子どものことを心配する生き物なのでしょうか。DNAか何かで決まっているのでしょうか? 自分が大人になって考えてみれば、親と連絡を取ることも滅多にないです。元気で生きていればそれだけで御の字なのですよね。そう考えると、やはり自分より小さいものは守らないといけないとDNAに刷り込まれている説が有力かもしれません。小さいものほど人間はかわいいという感覚がありますものね。動物も赤ちゃんはとてもかわいいですし、末っ子がいつまでもかわいいというのもそれかもしれません。
一度私の母性をどこか金庫にでも入れて、放ったらかしておきたい気持ちでいっぱいです。子育ては適度に手をかけて適度に放置。これが精神衛生上は一番よいと感じている今日このごろです。
過去問がいっぱいありますが、とても間に合いそうにありません
本田 香
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