4月に帰省したと思ったら、コロナ自粛により高知の実家に1ヵ月ほど滞在を延長することになりました。当初実家の周辺の学校は通常通りに授業が行われていましたが、4月半ばになると休校となり、徐々に街も自粛モードへと変貌。いつもは過疎って閑散としているご近所でも、すれ違う人が多くなり「あれ? この街にこんなに子どもがいたの?」と感じることがしばしば。そして分かったことは、田舎はまあまあ子沢山だなということ。少ない世帯に平均3人子どもがいるイメージです。都会でも3人子どもがいるという家庭はありますが、その場合はたいてい親が近くに住んでいる気がします。田舎の場合は、たいてい親が近所、または二世帯住宅です。それでもご近所からは子どもを叱責する声や、子どもの泣く声が聞こえてなかなか気苦労が耐えない様子。
10年ぐらい前は「子どもはまだ?」、さらには「ふたり目は?」などというお節介が横行していましたが、それって子育てしない人の無責任な発言ですよね。そして、もしかしたら私も無意識に言ってしまった可能性があります(この場を借りてお詫びします)。でも、今はそのような発言をする人がめっきり減りました。家族構成にあれやこれやと口出しするのはナンセンスだという空気が広がっています。こんな短い期間で何があったのかとすら思うけれど、徐々に意識が変わったということですね。
母と話していましたが、私や姉の子育ての経験などを踏まえ、共働きで子育てすることは近くに親がいないと厳しいよねという意見で一致。特に姉が甥っ子を保育園に預けて仕事をしていた時は、母がしょっちゅう姉の家に通って甥っ子の面倒をみていました。振り返ると「あんなに面倒を見に行かなきゃ成り立たないことが異常」と母が言っておりました。うん、確かにそのとおり。甥っ子が赤ちゃんだった10年ちょっと前は、本当に母親に優しくない時代だったなと思い返します。私も子どもができた際は、「期待していたのにガッカリだよ」と言われたものです。子どもができたらあなたの仕事は終了。そう思われるのも悲しいものですし、実際そうなってしまう環境でもありました。ただ、その頃とは時代が変わってきたのも事実で、だいぶ子育てをしながら他のこともできる世の中となりました。
世の中が寛容になって暮らしやすくなったのは良いですが、仕事や家事や子育てを完璧にすることは無理があるなと感じます。どれかひとつ完璧にするのだって、本当はなかなか難しいことだと思うからです。どこかにしわ寄せがくるだろうし、すべてが完璧だとしても、そのしわ寄せは自分に来る可能性が高そうです。それに気付いたり、全部は必要ないと思ったりしたら、それができる世の中が健全ですよね。そして自分の人生なのだから人にどう思われるかは別で、自分が信じた方向で生きようと考える人が自然と増えたのでしょうか。簡単に言ってしまえば「多様性」ということになるのですが、もはや人間は子孫を残すということ以上に、自分がどうあるべきかと考えるようになってきているのかもしれません。
思えば、人と他の生物との違いは自分の自由意志で人生を決定できることにあります。考えることで科学が発達してきたように、人類の幸せのために発展をし続けてきたように(ちょっと話が大きいですし、それが良いことかどうかはともかく)、その行き着く先は個人の幸せにあると。そこに到達した限りは、従来のような家族制度では立ち行かなくなるのだろうと考えます。だからこそ、個々人がどういう暮らしを優先するのかを尊重していくのが今後の社会のスタンダードになっていくのかなと思うのです。母は「自分の子どもの顔を見るまで死ねない」と思っていたと言っていたけれど、私は「自分の孫を見られなくても構わないな」と思いました。子どもたちには、自分たちの自由な意思で生きてくれたら良いなと、そんなことを思う自粛徒然なのでした。
ゆっくり自然に囲まれると、見えてくるものがあるのかも?
本田 香
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