[この一枚 茶話-4] 〜冨田勲/イーハトーブ交響曲〜
20世紀日本音楽史の中で戦前から60年代初期までの童謡の興隆と童謡歌手の活躍は大きな1章を設けられるべき出来事であった。
1990年代半ば、日本コロムビアではコロムビアファミリークラブ(通信販売)の商品としてレコード会社4社の音源を用い、この童謡と童謡歌手の活躍に焦点を当てた「甦える童謡歌手全集(CD10枚)を企画した。(現在発売中の類似タイトルの商品は2012年にCD8枚として再企画されたものである)
当時、童謡の音源調査のため日本コロムビア学芸部の古い録音台帳(レーベルコピー)を調べていくと、そこに編曲者名として冨田勲の名を(ときに作曲家でもあったが、圧倒的に編曲が多かった)見つけ出し、1950〜60年代、冨田勲は日本コロムビア学芸部の専属作曲家であったことを知らされた。 1950年代初め、大学2年生の時に全日本合唱連盟のコンクールの課題曲に応募した作品が1位に輝いた冨田の才能を日本コロムビア学芸部は見出し、編曲家・作曲家として契約する。 日本のレコード会社は戦前から優秀な作詞家・作曲家と専属契約を行い、他社に楽曲を提供できないように、また他社で専属作家のヒット曲のカバーレコードを作るのを禁止するなど、独占使用する状況が続いていた。現在も当時のヒット曲(歌謡曲のみならず童謡でも)は管理楽曲と呼ばれ、半独占状態が続いている。 当時は78回転で収録時間が短く、割れやすいシェラック材質のSPレコードから33回転で長時間再生ができ、音質も優れ、割れない塩化ビニール材質のLPレコードに置き換わりつつあった。同時に録音もラッカー原盤へのダイレクト・カッティングからテープ録音に、そして1958年からはステレオ・テープレコーダーの導入でステレオ録音に進化してゆき、それに伴い過去のヒット曲の再録音が急速に行われていた。 そんな時代、どんな楽曲でも短時間にダイナミックに、ユーモラスに、抒情的にその作品の持つ新たな魅力を作曲・編曲で創り出す冨田の才能は放送でも、レコード録音でも重宝され、当時日比谷通りを挟んで近くにあったNHKと日本コロムビアの往復の日々が続いたという。 「私は、たとえ哲学でさえも音楽で描いてみせる」と伝えられるのはドイツの作曲家R・シュトラウスだが、「私はどんな音でも音楽に取り入れ、だれも聴いたことのないサウンドを創る」を目指したのが冨田ではないだろうか。 1970年代半ば、最初に「月の光」のレコード、冨田が創り出すシンセサイザーによるドビュッシーの音楽・サウンドを聴いた衝撃は、数年前のウォルター(ウェンディ)・カルロスによる世界初のシンセサイザーによる「スウッチト・オン・バッハ」を聴いたとき以上に「新たなサウンドの世界が拡がった」というものだった。 以来、冨田氏の世界的な活躍とサラウンド音楽・サウンドの創作と再生活動を尊敬の目で眺めていたが、氏と直接仕事で携わったのは2008年の藤原道山のアルバム「響 -kyo- 藤原道山×冨田勲」が最初だった。サラウンド再生を意図した冨田氏初のSACDであったため、その効果を記者・編集者・評論家に体験していただくため、社内にサラウンド試聴室を作り、試聴後インタビューを行った。翌年には「交響詩 ジャングル大帝 〜白いライオンの物語〜《2009年改訂版》」をCD+DVDという形で発売した。サラウンドだけならばSACDというフォーマットが良かったのだが、盟友手塚氏がこの交響詩のために描いた原画も物語に沿って見せる、という意図から音楽のサラウンド再生が可能で、同時に静止画が再生できるDVDとCDの2枚組となり、作品のプロモーションは後楽園と川越の尚美学園で行われた。 この2作品を通じて様々なジャンルに渡る氏の深い知識と興味、それを作曲やサウンドに移し替えてゆく情熱の凄さにあらためて敬服した。 しかしながら、「イーハトーブ交響曲」を最初に聴いたときには「これはいったい何?」と正直困惑してしまった。前半にはフランスの作曲家ヴァンサン・ダンディの「フランス山人の歌による交響曲」の各楽章の主要メロディがオーケストラ・合唱・初音ミクの歌のメインとして使われ、さらに第5楽章「銀河鉄道の夜」では夜空を疾走する機関車を表すピアノを彩るオーケストラの旋律としてラフマニノフの交響曲第2番の旋律が姿を現す。「イーハトーブ交響曲」というタイトルから「星めぐりの歌」など宮沢賢治が作詞作曲した作品や彼が残した詩が多く使われることは予想していたが、ダンディとラフマニノフは予想外だった。 しかし繰り返し聴くうちに最初の困惑は次第に共感に変わっていった。なぜならば、そのメロディは違和感なく作品に溶けて、トミタ・ワールド・宮沢賢治の世界を形作っていたからだ。 日本の音楽著作権法では通常、楽曲の著作権の権利は作詞・作曲家のみに認められ、編曲者には、いくら編曲のおかげで大ヒットしたとしても著作権は与えられない。例外は「その編曲の芸術性が高い」と認められた場合であり、冨田氏のシンセサイザーによるドビュッシーなどの編曲作品には音楽著作権が与えられている。 「イーハトーブ交響曲」での他楽曲の使用も「トミタ・ワールドを作り出すのに必要な音楽素材」と考えれば腑に落ちる。ここで冨田氏は子供のように「だれも聴いたことのない自由なサウンドの世界」で遊んでいる。 聴衆が360度、全身で美しい音楽・サウンドに包まれることを追い求めていた冨田氏だが、日本中で唯一か所、連日、氏の作品をそのような環境で提供している場所がある。朝は「今日も楽しく遊んでね」と迎え、夜は「もう終わりだよ。夢路につこうね」と優しく見送ってくれるその場所は東京ディズニーシーの入場ゲートをくぐった広場、噴水に浮かぶ青い地球が迎えるアクアスフィア。開館した当初は彼の音楽とは知らず、朝の生き生きした、また夜の安らかな音楽と三方からのサラウンド再生という凄い再生方法に驚いたが、冨田氏の作品と知りとても納得した。 いつか、音楽と未知のサウンドへの追及者の栄誉を称え、宇宙の探査機に冨田氏の音楽を載せて宇宙の彼方に航りだしてあげたいと願っている。 (久) |
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