音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.12

クラシックメールマガジン 2014年4月付

~おいしいお米、ごちそうさん 伊福部昭/プロメテの火 広上淳一指揮 東京交響楽団~

今年、生誕100周年を迎える伊福部昭は、私にとっては「近くて遠い」作曲家でした。
どうして近いかというと、私の先祖代々の墓が、伊福部が学長をつとめていた東京音楽大学の隣の墓地にあり、また、私の大学時代の下宿が伊福部の自宅のすぐ近くだったので、もしかしたら私はどこかで伊福部とすれ違っていたかもしれないからです。しかし、なぜか私はこれまで伊福部の音楽をちゃんと聴いて来ませんでした。「ゴジラ」の音楽を書いた人、日本古来の土俗的な音楽を取り入れた作品を残した人、芥川也寸志や黛敏郎の先生、そして一部熱狂的なファンがいる、というくらい程度の認識。だから、「近くて遠い」作曲家だったのです。
そんな私が、コロムビアからリリースされた広上淳一指揮東京交響楽団による伊福部昭の舞踊音楽「プロメテの火」(カップリングは「日本の太鼓"鹿踊り」)のディスクを聴いてみようと思ったのは、常任を務める京都市響との活動がこのところ大好評で迎えられている広上の指揮する演奏を久しぶりに聴きたいというのが、一番大きな理由だったのですが、これまで縁遠かった作曲家の音楽を聴けるチャンスでもあるので、とても楽しみにして聴きました。
素晴らしい音楽でした。いや、それ以上に、私に「近い」音楽でした。その感覚を具体的な言葉で表すのは難しいのですが、例えば、自分のDNAが刺激されているような感覚、ミトコンドリアが活性化するとか、ゴルジ体がモゾモゾ動き出すとか、そんな感覚とでも言えば良いでしょうか。ああ、どうして私はこれまで伊福部の音楽を聴いてこなかったのかと激しく後悔しました。
「プロメテの火」は、戦前からノイエ・タンツ(新しいダンス)という分野を開拓していた舞踊家、江口隆哉の委嘱で書かれた作品で、1950年12月に帝国劇場で初演されました。反応は上々で、全国で100回以上も再演が重ねられたそうですが、なぜかぱたりと上演されなくなり、スコアも行方不明になっていました。
不幸にして幻の作品となってしまった「プロメテの火」ですが、2009年に亡くなった、江口の妻、宮操子の遺品から楽譜がようやく見つかり、昨年(2013年)、初演から63年を経てミューザ川崎シンフォニーホールで演奏会形式で再演されました。演奏している東京交響楽団は、初演を担当した東宝交響楽団が母体になって創設されたゆかりのオケ、しかも伊福部のスペシャリストとして名を馳せている広上が振るということで大きな話題を呼び、かつ、大絶賛された演奏会で、私が聴いたアルバムはその時のライヴ録音をベースにして制作されたものです。
プロメテというのは、人間に火を与えたギリシャ神話の神プロメテウスのこと。古今東西の多くの作曲家が題材にして曲を書いてきた、あのプロメテウスです。作品はほぼ50分を要する大曲で、プロローグに続いて4つの部分からなりますが、暗闇の中で苦しむ人間、火を盗むプロメテ、火を手に入れて狂喜する人間たちの踊り、火を盗んだ罪で捕えられ拷問されるプロメテの姿などが描写されています。片山杜秀氏による詳細なライナーノート(15ページ書き下ろしの力作です)によれば、人類の喜びの踊りの場面では、約60人のダンサーが舞台に登り、めいめいが即興で踊るなど、当時としてはかなり先鋭的な作品だったようです。
肝心の音楽ですが、作曲した伊福部の話では、これは江口氏の「言いなり」になって作ったもので、あらかじめ決められたバレエの台本や振りつけに綿密に合わせて書いたものなのだそうです。何だかどこかで聞いたことのあるような話ですが、それはともかく、できあがったのは、伊福部の曲をほとんど聴いてこなかった私でさえも、部分的に知っている「ゴジラ」や「タプカーラ」などの作品と共通する、強烈な個性を感じ取れる音楽でした。
具体的な特徴としては、シンプルで明快な構成、どこか官能を帯びた艶めかしい旋律、血沸き肉躍るようなタテノリのリズムとその反復(オスティナート)、原色系の鮮やかな色彩をもったユニークなオーケストレーションなどが挙げられるでしょうか。加えるに、伊福部が北海道出身だからでしょうか、ごく紋切り型の感想になってしまいますが、アイヌの民族衣装や木彫りに見られるような、根源から生命力が漲る音楽とも感じられます。北のルートを通って大陸から本州に渡ってきた人種としてのDNAが活性化されたと言って良いかもしれません。
長大な曲の中で、特に強い印象を残すのは、第3部の火を与えられた人類の喜びの踊りの音楽。舞台中央の大きな焚火を囲んで、小さい火(懐中電灯に赤く染めた真綿をかぶせて作った)持った60人の男女のダンサーが即興で踊ったというシーンです。独特のリズムが執拗に繰り返され群衆の歓喜が徐々に高まっていくさまは、まさにハレの場としての祭りを思い起こさせます。この部分を取り出して演奏しても客席が盛り上がること請け合いの、絶大なエネルギーを放射する音楽です。
ラストシーンの音楽にも、劣らず心を動かされました。捕えられてコーカサスの山の岩につながれながらも、人類に火を与えたことを悔いることも弁解することもなく、嵐の中、鷲に啄ばまれるのをひたすら耐えているプロメテ。そこに、ゼウスに思いを寄せたことで、ゼウスの妻ジュノウによって牝牛の姿にされたアイオが現れます。プロメテはアイオに希望を捨てるなと語り、将来の救済(アイオは後に女性の姿に戻り、その末裔ハリキューズがプロメテを解放するとされる)を暗示する、ホ長調の輝きに満ちた音楽とともに幕が下ります。どこまでも果てしなく激しく高揚する音楽。聴いているうちに、無条件に心が湧き立ってしまいます。
このディスクを聴いて、どうして伊福部の音楽が私にとって「遠い」ものだったのか、理由がよく分かりました。
昔の日本のオーケストラの演奏は、乱暴な言い方をすると音が美しくありませんでした。残響の少ない会場での演奏が多かったからだとは思うのですが、どんな曲を聴いても色彩感に乏しい痩せた音しか聴けなかった。栄養もあって体にはいいのだろうけれど、脂肪分のまったくないパサパサの鶏の胸肉を連想してしまうような、とても乾いた音で聴いた伊福部の音楽に、私は良い印象を持てなかったのです。
一方、2013年の広上と東響の作り出す音はとても美しいのでした。常に潤いのあるみずみずしい響き、変幻自在で多彩な音色、ぐいぐいと我々の方に向かってせり出して何かを訴えかけてくる前向きな音楽のありよう、どれをとっても私の耳と心を惹きつけずにはいられないもの。古くからのコアな伊福部ファンにとっては洗練され過ぎた演奏と感じられるかもしれませんが、艶めかしいカンタービレ、果てしなく反復されるリズムの高揚、叩きつけるようなトゥッティの鋭い切れ味など、伊福部の音楽にとって必要不可欠な表現は十分で、私はまぎれもなく伊福部ワールドの内奥部にどんどん誘われていきました。
結果、私と伊福部の音楽との距離は一気に縮まり、私にとって「近くて遠い作曲家」だった伊福部昭は、「遠くて近い作曲家」へと位置づけが変わってきました。(「遠い」というのは死後8年経っているから)それは多分、オーケストラの各楽団員の目覚ましい技術向上、広上淳一という熱いハートと洗練された美的感覚を併せ持った優れた指揮者の存在に加えて、ミューザ川崎という豊かな音響効果をもったホールと、音楽の魅力を余すところなく記録した優秀な録音、それらすべての条件が高いレベルで揃ったからこそ可能になったことです。
もう一つ、前述の片山杜秀氏の手によるライナーノートにも触れない訳にはいきません。伊福部を語らせたらこの人しかいないというくらい、長年にわたって伊福部の音楽の魅力を語り続けてこられた氏の文章は、長年失われていた幻の音楽が一体どういう背景をもって書かれたのか、舞台では音楽に合わせてどのような舞踊が繰り広げられていたのかを、詳細に、そして、熱く語ったものです。音楽を聴いただけでは分かりづらい音の必然性が伝わって来る、とても優れたものだと思います。
そんなライナーノートを読みながら「プロメテ」を聴いていると、1950年12月11日の「プロメテの火」の初演の日、東京の帝国劇場へ私の妄想は広がっていきます。
「プロメテの火」の初演を観るために集まった人たちは、一体どんな人たちだったのでしょうか。
終戦から5年、空襲で焦土と化しGHQの統制下にあった東京では、庶民の生活はまだ苦しかったはず。折しも、その4日ほど前に、当時の大蔵大臣だった池田勇人が、国会答弁で「貧乏人は麦を食え」と言ったと新聞で報じられて大騒ぎになっていましたが、ナマで前衛的な作品に触れることのできた人たちは、それなりに収入のある人たちだったのでしょうか?それとも、チケットは低価格で、麦を多く食べる人たちも観ることができたのでしょうか?食糧などの統制がようやく解除されつつある中、普段は麦ばっかり食っているけれども、早くこういう音楽をもっとたくさん聴けるような「米食う人」になりたいと願ったのでしょうか?
では、もしこの私自身が「プロメテの火」初演の客席にいたとしたら?と、想像はどんどん膨らんでいきます。私はやっぱり「麦を食べる人」の側だろうなあと前提しつつ、コーカサスの山の岩に繋がれて罰を受けるプロメテの姿に、アメリカに占領された自分たちの姿を重ねるのだろうか、ラストの将来の救済への希望を託した音楽に対して、いつか自分たちも後の世代の人たちの手で解放される日が来てほしいと願うのだろうか、と考えてしまいます。
私の妄想は場面が変わり、私は上演終了後に当時のファンの方と会話をしています。私の祖父母くらいの世代の人たちは、毎日米を食べられる人は多くはなかっただろうし、私たちに比べて質も量も貧しい音楽体験しかできなかったはずです。当時はフルトヴェングラーやトスカニーニ、ワルターといった巨匠たちが存命中でしたが、レコードはまだSPの時代(国内初のLPは翌年、コロムビアが発売したワルターの「第9」)。まったく噛み合わない会話に戸惑いながらも、いくらでも情報を仕入れることができ、気楽に良い音楽を聴けてしまう私たちと比べると、当時のファンの方々が一音たりとも音楽を聴き逃すまいと熱心に音楽に耳を傾け、音楽に対して濃密で愛情のこもった熱い思いを抱いていることに、感動してしまったりするのかもしれません。
と、そんなことを考えているうち、さらに妄想は未来へと広がります。今後、初演時の舞踊が再現された舞台上演を見たら、私は一体何を思うでしょうか?どこかの新聞の特集記事ではないですが、プロメテの持つ「火」に何か別のもの重ねてしまうでしょうか?プロメテではなくて、火を手に入れて狂喜乱舞している民衆の方に自分の姿を見出すでしょうか?あるいは、初演直前の池田勇人蔵相の言葉を思い出し、毎日米を食べられるという幸運に感謝するのでしょうか?
自分にとってまったくリアリティのない時代の音楽を、「近い」ものとして体験するためには、聴き手側にもある程度の技術と労力が必要ですが、何度も繰り返して聴くことができるのは音盤の利点の一つです。まず音を聴き、音楽に関連する情報を得て考えを深め、再び音へと戻るというプロセスを経ることで、音楽への感想を自由に膨らませ、自分の思考を広げていくことができて、音楽の楽しみはより豊かなものになります。その意味で、広上と東響の伊福部のディスクは、曲、演奏、録音、ライナーノート、すべての面で魅力的で、まさに私の音盤道楽の一番おいしいところを提供してくれるものです。
では、この文章を読んで下さっている「あなた」は、この伊福部の「プロメテの火」から何を聴き取り、どんな妄想を広げられるのでしょうか?
曲の良し悪しや、演奏の出来不出来について話をするのも楽しいものですが、音楽を聴いた後で自分の中でどんな風に考えが広まったか、深まったかを、他の人と話すのはとても楽しいことですよね。自分とはまったく違う考えと出会うことで、また新たな視点が生まれ、再び聴いてみると同じ曲がまた違って聴こえてくることもあります。また、何よりも、「他人と違っていて当然」という話題なので喧嘩になりようもありません。私を含め、この広上と東響による伊福部のアルバムを聴かれた方々の間では、きっとめいめいの妄想が楽しく飛び交う場があちこちで生まれるのではないだろうかと、これまたおめでたい妄想が広がっていきます・・・。
このように、「プロメテの火」は、私の想像力をかき立てるファンタジー豊かな体験を得ることのできるディスクでした。幻の作品の蘇演に当たった関係者、音楽家の方々、ディスク化して下さったコロムビアのスタッフの熱意と努力に深い敬意を表するとともに、素晴らしい「遠くて近い」音楽を聴けたことに、一人の聴き手として心から感謝します。天国の伊福部、江口夫妻らも、自分たちの子供のような音楽の復活をきっと喜んでいるに違いありません。また、「プロメテの火」のことばかり書いてしまいましたが、カップリングの「鹿踊り」も「和」のリズムに彩られた印象的な作品で、特に大活躍するパーカッションの鮮やかさには胸のすく思いでした。
それにしても、このディスクを聴いて、日本人作曲家の日本人による演奏は、欧米の音楽の代用品としての「麦」なのではなく、私たちにとって欠かすことのできない主食たる「米」になったのだなあと感無量です。それもおいしい米。西洋音楽を初めて輸入して以来、ここに至るまでの先人たちの血のにじむような努力と、今もより質の高い音楽を目指して日々研鑽されている音楽の作り手の方々の、身を削るような献身に思いを寄せつつ、おいしい米を味わい、心からの感謝を込めて「ごちそうさん」と言いたいです。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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