音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.23

クラシックメールマガジン 2015年3月付

~座右の響 ~ ウェーベルン/弦楽四重奏のための緩徐楽章(Langsamer Satz)~

コロムビアのHPを見ていたら、「デビュー」に関連する話題が二つ掲載されていました。一つは、既に活躍が注目を浴びているピアニスト反田恭平のデビュー盤発売の告知、もう一つは、クラシカル・クロスオーバーの新人オーディション募集開始のお知らせ。
反田恭平については、ピアノレンタルや調律、アーティストマネジメントなどの事業をおこなっているタカギクラヴィアの社長である高木裕氏が、彼のことを絶賛していたので聴いてみたいと思っていたところでしたから、7月に発売されるというデビュー盤と、同時期のバッティストーニ指揮東京フィルとの共演(ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」)が俄然楽しみになってきました。
そして、クラシカル・クロスオーバー系は、本田美奈子.が惜しくもこの世を去ってから、この分野は外国勢に押されっぱなしという状況、作り手、聴き手の間でも、新しい歌姫の誕生を望む声が強く出ているのだろうと思います。一体、どんな女性がデビューするのでしょうか。期待せずにはいられません。
デビューと言えば、クラシックに限ってみても、既にたくさんの「デビュー盤」がコロムビアから出ています。最近では、バッティストーニや小林沙羅、上野星矢、上野耕平らのものが記憶に新しいところですし、田部京子やイリーナ・メジューエワ、藤原真理、寺神戸亮といった日本を代表する演奏家たちの鮮烈なソロ・デビュー盤もあります。また、今を時めくスター演奏家たち、例えばエレーヌ・グリモー(ラフマニノフのピアノ曲集)、コンスタンチン・リフシッツ(バッハのゴルドベルク変奏曲)、エマヌエル・クリヴィヌ(ベートーヴェンの三重協奏曲?指揮者としてのデビュー?)といった人たちもコロムビアからレコード・アーティストとしてのキャリアを開始しています。
かのグレン・グールドの例を引き合いに出すまでもなく、デビュー盤というのは、それが優れたものであればあるほど、その演奏家の音楽活動の中で大きな意味を持ちます。成功した演奏家にとって、高い評価を受けたデビュー盤とは、常に超えなければならないハードルとなるからです。亀井勝一郎はかつて「作家は処女作に向かって成熟する」と言ったそうですが、演奏家の場合も同じことが言えるのかもしれません。
コロムビアからリリースされているたくさんの素晴らしいデビュー盤の中で、私にとって、一際印象深いものと言えば、カルミナ四重奏団の、シマノフスキの2曲の弦楽四重奏曲とウェーベルンの作品を収録した一枚です。
このディスクが発売されたのは1992年。まさに鮮烈なデビュー盤でした(ただし、実際にはこの前にチャイコフスキーなどのマイナーレーベルへの録音が存在するようなので、国際デビューというのが正確なのだそうです)。
カルミナ四重奏団は、1987年におこなわれたイタリアのボルチアーニ国際弦楽四重奏コンクールで1位なしの2位に入賞した際、世界の超一流カルテットのメンバーで構成された審査員たちがその結果を不満とし、声明を出して賞賛したことで大きな話題になっており、彼らのデビュー盤の登場が待たれていました。そして、1991年5月にスイスのセオン(詳細は不明ですがアルバン・ベルク四重奏団のディスクなどで有名な福音教会でしょうか?)で録音され、翌年になって鳴り物入りで発売されたこのアルバムは、各方面から高く評価されて絶賛を浴び、今も現役盤として聴き継がれています。1992年のイギリスの音楽雑誌主催のグラモフォン賞(室内楽部門)受賞、アメリカのグラミー賞ノミネートということでも大きな話題になりました。
このディスクが好評を得たのは、当時はほとんど聴く機会のなかったシマノフスキの弦楽四重奏曲の真価を世に問う素晴らしい演奏だったのは勿論のこと、カップリングされたウェーベルンの「弦楽四重奏のための緩徐楽章(Langsamer Satz ラングザマー・ザッツ)」がファンの間で話題になったからです。
かく言う私も、このカルミナ四重奏団の弾くウェーベルンに心から感動したクチで、初めて聴いて以来20年以上経った今も愛聴しています。
演奏時間10分ほどの小品「ラングザマー・ザッツ」は、作曲者が22歳の頃(1905年)に書かれた作品で、特定の曲の中の楽章として書かれた訳ではなく、独立した作品として構想されたものですが、作曲者が第二次世界大戦直後に不慮の死を遂げて17年も経った1962年になって初めて演奏されたいわくつきの曲です。今でこそコンサートでもCDでも時折耳にする機会がありますが、一般的にこの曲の存在が知られるようになったのは、このカルミナ四重奏団の演奏がきっかけだったように思います。インターネットでいろいろ調べてみたのですが、カルミナ以前に録音されたものではイタリア四重奏団のフィリップス盤しか見つけることができませんでした。
ウェーベルンと言えば、先刻ご承知の通り、新ウィーン楽派に属する作曲家で、十二音技法を用いた、抽象的でどちらかと言えば難解な音楽を書いた人です。彼の初期作品であるオーケストラのための「パッサカリア」や「夏風の中で」は、ブラームスやマーラーの影響を強く受けた後期ロマン派的な音楽で以前から広く知られていましたが、この「ラングザマー・ザッツ」は、前述のような事情もあり、私を含めた多くのファンにとって「秘曲」でした。
しかし、冒頭を聴いて頂くだけでもすぐお分かりのように、ゲンダイオンガクの元祖のような気難しい音楽を書いた人の作品とは思えないような美しい音楽です。
曲の出だし、ヴァイオリンがハ短調の「ソドレミ(♭)」という定番の音型を切なく弾き始めるところから、私はこの甘美なロマンをたたえた音楽にいつも引き込まれてしまいます。しかも、その甘美さは完熟した味ではなくて、どこか少し硬さや酸味も残った青い果実の歯ごたえや味を感じさせるもの。
まだ見知らぬ世界への希望や期待、憧れを持ちつつ、いつも不安や恐れがどこかで鳴り響いている。長調に転調したかと思えば、いつの間にか短調の響きが雲のように光を遮って少し暗くなる。良からぬことが起こるのではないかという心もとなさを拭いきれないまま、いや、どこかに希望はあると意を決して前へ進み始める。でも・・。と言うような、行ったり来たりを繰り返しながら、ゆっくり、ゆっくりとアーチを描くように音楽が高潮していく。そしてクライマックスに至って、これまで自分を突き動かしてきた憧れは確信へと変わり、どんな苦難があっても生きていくのだという決意が生まれる。昂揚を少しずつクールダウンしながら、時折、後ろを振り返って過ぎ去った景色を惜しみつつ、また旅を始める。そんな心象風景を感じながらこの曲を聴いています。
私がこのカルミナ四重奏団のウェーベルンを聴いたのは、CDが発売された直後で、大学を卒業して社会人になった頃でした。諸事情あり、作曲当時のウェーベルンより少し年長になっていましたが、自分と同じ歳の頃に書いたウェーベルンの音楽、そして、自分と同じ頃に「デビュー」するカルミナ四重奏団の演奏に深く共感しながら、毎日のように聴いていました。
こんなに素晴らしい曲がどうして埋もれていたのか、とても不思議に思えました。友人や先輩にも薦め、気に入ってくれた人も何人かいました。私も、音盤中毒患者の悪しき習慣として、もしかしたら世の中にはもっと凄い演奏があるのではないかと、結構な数の同曲異演盤を集めました。中には、カルミナ四重奏団よりもずっとゆったりしたアダージョくらいのテンポで綿々と歌う魅力的な演奏もありますし、深々としたロマンを楽しませてくれる弦楽オケ版もありますが、結局のところ、いつもカルミナの演奏に戻ってきてしまいます。
それは勿論、カルミナの演奏が素晴らしいからに違いないのですが、このCDの演奏を聴いていると、自分が社会人になった頃の「初心」を思い出させてくれるからかもしれません。
いや、初心というのとは違うかもしれない。20年以上も昔の初心がどんなものだったかなんて、余りに時間が経ちすぎていてちゃんと思い出せないからです。
おぼろげながら、蘇って来る記憶が一つだけあります。社会人になったばかりの頃、「この音楽のような人間になりたい」という感覚を持って聴いていたという記憶です。人間を音楽に擬するというのはちょっと変かもしれませんし、自分がウェーベルンの作品のように素晴らしい人間だとか、カルミナのデビューと同様に私が華々しい社会人デビューを飾ったとか、そういうことを言っているのではありません。ただ、私は、この音楽のように「穏やか」でありたい、「ゆったり」としていたい、という願いを、いつも心のどこかに持っているのです。それは私自身がそうではないからそう思うのであって、この音楽のもつ、柔らかであたたかい、でも少し翳りのある表情みたいなものを自分のものとできたらいいなという憧れがあるのです。そして、そうした願望を他の演奏よりも強く呼び覚ましてくれるのが、このカルミナ四重奏団の演奏なのです。
カルミナ四重奏団の演奏がどうして私の心にそんな風に作用するのかというと、演奏している(当時の)若者4人が、私と同じような願いをウェーベルンの音楽の中から感じ取ってまっすぐに音にしてくれたからです。これから国際的キャリアを積もうという野心を持った若者たちだからこそ、感じ取り、音にすることのできたものなのかもしれません。彼らは、自分たちの音楽にじっくりと向き合い、自らの未熟や未完成、弱さをはっきりと自覚しつつ、高い志を持ち、より質の高い音楽を目指して「ここではないどこかへ」と進まずにはいられない、そんな作曲家の音楽へのあり方に深い共感を抱きながら演奏したのではないでしょうか。
この原稿を書くために、彼らのウェーベルンを新たな気持ちで聴き直していますが、何度聴いても飽きるということがありません。勿論、聴いている私も、社会人なりたての頃から随分変わってしまいましたので、当時と同じ思いを抱いている訳ではありませんが、聴いていて湧き起こる「この音楽のような人間になりたい」という気持ちは今もまったく変わりません。私事で恐縮ですが、私自身が8年ほど前から書き始めたブログのタイトルも、ウェーベルンの曲からとって「Langsamer Satz」にしています。ゆっくり、じっくり、穏やかに、自分の考えを自由に述べる場にしたいと思い、カルミナ四重奏団の演奏を念頭につけたタイトルなのですが、手前味噌ながらとても気に入っています。
カルミナ四重奏団の演奏する「ラングザマー・ザッツ」は、私は自分によく合った音楽だと思っていますが、他の人から賛同を得られるか、それに値する人間になれるかは分かりません。ですから、「座右の銘」をもじって「座右の響(きょう)」とでもいう音楽として、あるいは自分の「テーマ曲」として、自分がたどりつきたい目標地点と思って聴くのが良いのかなあなどと思っています。
きっと、世の中に音楽好きの人がいればその人の数だけ「座右の響」があり、それぞれの人たちの「テーマ曲」があるのだと思います。音盤を聴くにせよ、演奏会を聴くにせよ、あるいは自分で演奏するにせよ、「座右の響」を持てるということは何と幸せなことだろうかと思います。自分の目指すものをはっきりとした音として体験することができるからです。
そう考えると、ここでも何度も書いてきたことですが、音楽を演奏する、音盤として聴き手に届けるという仕事は、他の人の人生に何か影響を与える、何かを刻み込むことであり、何と素晴らしい意義のある行為だろうかと思わずにいられません。
このカルミナ四重奏団のデビュー盤は、数多くの名盤を手掛けてこられた馬場敬さんのプロデュースによるものです。馬場さんはカルミナ四重奏団を始め、日本の音盤史に大きな足跡を残した古楽専門レーベル「アリアーレ」の数々の名盤、最近では幸田浩子やバッティストーニらのアルバム(ここで取り上げたものもたくさんあります)を手掛けてこられました。厳しい時代にあってもクラシックのいわゆるド真ん中のレパートリーの音盤をコンスタントに作って私たちリスナーに届けて下さったこと、そして、私にとっての「座右の響」となる大切なアルバムを世に送り出して下さったことに対して、この場で文章を書けるという特権を利用し、ファンを代表して心から感謝の意を伝えたいと思います。本当にどうもありがとうございます。
さて、まだ寒さは厳しいとは言え、暦の上では季節はもう春。冒頭で述べた反田恭平やコロムビアの未来の歌姫だけでなく、学校で、仕事で、新しい環境へのデビューを果たす方もおられることと思います。中には意に沿わない道を選ぶしかなかったケースもあるのかもしれませんが、ご自分だけの「座右の響」を胸に、これまで以上に豊かな人生を歩まれることを、切に祈りたいと思います。いや、何事も始めるのに遅すぎることはないと自らに言い聞かせ、生きたことのない明日に私はデビューするのだ、くらいの心意気でやっていきたいものです(無理かもしれないですけれど)。
皆さんの「座右の響」は何でしょうか?
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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