音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.24

クラシックメールマガジン 2015年4月付

~音楽と出会うということ ~ 「アビイ・ロード・ソナタ」1966カルテット~

最近、ビートルズにハマッています。
いや、これまでもビートルズの音楽は好きだったのです。愛聴する曲もいくつもあります。でも、音盤はベスト盤を1枚持っているだけで、彼らのオリジナルアルバムを集めたり、現役メンバーのファンになったりというようにビートルズにのめり込むところまでは行っていませんでした。
そんな私が、わざわざ「ハマる」というほどにビートルズの音楽に魅せられるようになったきっかけは、ある日、1966カルテットの目下の最新盤「アビイ・ロード・ソナタ」を聴いていて、これはビートルズの「アビイ・ロード」を何としても聴かなければならない!と猛烈に思ったことです。
昨年入手してから随分時間が経っていて、これまで何度も聴いているのに、どうして最近になって突然ビートルズへの興味をそそられたのか、理由は私自身にもよく分かりません。天のお告げと言うしかない。とにかく「アビイ・ロード・ソナタ」を聴いていて、自分の中でビートルズの音楽に対してチャンネルがピタッと合った気がしたのです。
1969年に発表されたビートルズの事実上最後のアルバム「アビイ・ロード」は、中学生の頃にLPレコードで聴いたことがありました。もうかれこれ30年以上も前のことになるでしょうか。確か、貸しレコード(!)で借りたのだと思います。
それは私にとってビートルズのアルバムの初体験でした。「カム・トゥゲザー」や「サムシング」、「ヒア・カムズ・ザ・サン」など気に入った曲もあったのですが、全体としてはさほど心を動かされることはなく、ビートルズ開眼のきっかけにはなりませんでした。特に、「アイ・ウォント・ユー」のジョンの声を絞り出すようなシャウトや、背景の盛大なノイズが怖くて印象が悪かった。
当時は、ビートルズと同時期に活躍したデュオグループ、サイモン&ガーファンクル(S&G)が一時的に再結成し、日本でもリバイバルブームが巻き起こっていた頃でした。歴史的な再結成コンサートのライヴ盤を聴いてすっかり彼らの歌に魅了された私は、S&Gの熱狂的なファンになっていました。また、S&Gからのつながりで聴くようになったのは、ビートルズではなく、ピアノの弾き語りのカッコ良さに惹かれたビリー・ジョエルでした。ですから、ロックの歴史的名盤「アビイ・ロード」を聴いてもビートルズのファンにはならなかったのは、ポピュラー音楽に関しては、私はアメリカの音楽の方が耳になじむからだろうと自己理解していました。
しかし、「アビイ・ロード・ソナタ」を聴いていて、突如何かが降りてきてしまったので、早速、最新のリマスターが施された「アビイ・ロード」を入手して聴いてみました。
素晴らしいアルバムだと思いました。確かに、4人の目指す方向が完全にバラバラになっていることを如実に示した作品という見方も可能なのでしょうが、どの曲も一体何という凄まじい力をもった音楽だろうかと驚きました。
あの苦手だった「アイ・ウォント・ユー」はジョンの魂の叫びのように思えて、むしろアルバムのハイライトなんじゃないかというくらいに気に入りましたし、ポール・マッカートニーの手によるラストのメドレーは、メロディも構成も見事で、彼の作曲家としての高い手腕を見せつけるものだと圧倒される思いでした。勿論、ジョージの「サムシング」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」の美しい音楽には改めて胸を打たれましたし、初めて聴いた時、そのユルさにアホらしく思えたリンゴの「オクトパス・ガーデン」が、実は独特の味わいのある佳曲であることも分かりました。どうして昔このアルバムが気に入らなかったのか不思議でなりませんでした。
こうして「アビイ・ロード」の素晴らしさに目覚め、再び1966カルテットのアルバムを改めて聴き直してみました。すると、元ネタをよく知っていると、このアルバムはこんなにも愉しめるのか!と聴きながらニコニコしてしまいました。オヤマダアツシさん(クラシック音楽業界きってのビートルズ・フリークとして有名な方ですね)がライナーノートで書かれている編曲の種明かしも、それまでよりもずっと楽しんで読むことができました。
毎日のように「アビイ・ロード」と「アビイ・ロード・ソナタ」を交互に聴いて楽しむのが日課になりました。そして、ビートルズの他のアルバムも聴かずにはいられなくなり、音盤中毒患者の常として、ビートルズのCDが着々と増えるということに事態になってしまいました(1966カルテットの他のアルバムにまではまだ手が回っていません。ごめんなさい!)。
そして、「アビイ・ロード」や「レット・イット・ビー」を出発点として、アイドルだった時代のアルバムへと時代を遡って彼らの音楽に接しているうち、前はあまり共感できなかったビートルズの4人のパフォーマンスには、何の違和感など感じることなく、とても魅力的なものとして接することができるようになりました。私の大好きなポール・サイモンやビリー・ジョエル、その他の多くのミュージシャンたちが、どれほどビートルズの音楽に大きな影響を受けているのかも痛いほど分かりました。ビートルズが20世紀最大のバンドとして称揚されるのも当然だし、その音楽は私自身にとってもとても大切なものなのだということをはっきりと認識しました。
かくして、初めて知ってから30年以上経って、私はようやくビートルズの音楽に本当に「出会えた」という訳です。1966カルテットの「アビイ・ロード・ソナタ」を聴いていなかったら、こんな風にビートルズの音楽と出会えていたかどうか・・・。
今まで私にとってビートルズの曲は、ポール、ジョン、ジョージ、リンゴという4人の傑出したパフォーマー、特にジョンとポールというヴォーカリストの演奏する音楽でした。彼らの声や楽器のプレイに対する好き嫌いで、ビートルズの音楽への印象を決めてしまっていたように思います。ビートルズのメンバーのパフォーマンスが好きじゃないなんて、お前は一体何を言ってるんだと言われてしまうかもしれませんが、たとえ相手がビートルズであっても、そして彼らがいかに優れたミュージシャンであることが分かっていても、こればっかりはどうしようもありません。
その点、「アビイ・ロード・ソナタ」では、あの4人の声や楽器という具体的な属性を持った音を一旦捨て去って、ただただビートルズの音楽だけを純粋に聴くことができます。勿論、ビートルズの音楽のアレンジものはこれまでいくつも聴いてきて、それなりに印象に残ったものもあったはずなのですが、ビートルズのオリジナルを聴かねば!と思えるようなものに出会ったのは、やはりこの「ソナタ」が初めてだったように思います。
歌も、ギターサウンドも、ドラムビートも、そして言葉もない。聴こえてくるのは、オリジナルの楽曲の美しいメロディラインや、繊細な移ろいをもったハーモニー、そしてこちらの肚に響くようなリズム。まさにビートルズの音楽の骨格を見るかのような思いですが、それによってビートルズの音楽が、いわゆる西洋音楽の三要素と呼ばれるものを、どれほど美しく守り、どれほど刺激的に逸脱したかが、手に取るように分かります。そして、ビートルズの音楽が、クラシック音楽のファンである私にとっても耳になじむ「つくり」をもったものであることが実感できます。中音を欠いた特異な楽器編成にもよるところが大きいと思うのですが、ビートルズの音楽が、思っていたよりもずっとデリケートで優しい音遣いに溢れたものなのであって、時には興奮よりも、聴き手である私の心を鎮静させてくれるものであることに気づかせてもらったのも大きな収穫でした。
何より演奏がいい。変に音楽を崩したり、オリジナルの物真似をしたりすることなく、自分たちの問題として真正面から音楽に対峙し、自分たちの言葉で音楽しているところが私にはとても好ましいのです。もしかしたら生真面目にすぎるという聴き手がいてもおかしくありませんが、日頃はクラシック音楽を聴くことが圧倒的に多い私にとって、ビートルズのメンバーの書いた曲そのものの魅力を存分に味わうためには、この彼女らの真摯さこそありがたい。
アレンジも素晴らしいと思います。加藤真一郎、藤満健という2人の気鋭のアレンジャーの手による編曲は、クラシックの名曲のフレーズがふんだんに引用されたものばかりですが、繰り返し聴いてもあざとさが耳につくようなことのない自然なもので聴き飽きることがありません。同時に、どんなにアレンジャーが遊んでも、びくともせず、まったく魅力を減じることなく生き生きと鳴り響くビートルズの音楽の懐の深さにも気づかずにはいられません。
やはり、アルバムのタイトルになっている「アビイ・ロード・ソナタ」が特に素晴らしい。これは題名の通り「アビイ・ロード」に収録されたナンバーで構成された曲で、どうして「ソナタ」なのかは、ライナーノートでオヤマダアツシさんが丁寧に説明されていますが、多様なテイストをもった曲たちをうまく4つの楽章に散りばめながら見事に起承転結を作るあたり、実に「聴かせる」編曲になっていると思います。
特に第4楽章は聴きものです。アルバムのナンバーを次々と回想しながら、オリジナルのB面最後の「ゴールデン・スランバー」、「キャリー・ザ・ウェイト」、そして「ジ・エンド」というメドレーへとなだれ込んでいくあたり、音楽が大きなうねりを作りながら盛り上がっていくさまは圧巻と言ってよいほどです。
ここでの4人の演奏は、ビートルズの面々が実際に録音をおこなったアビイ・ロード・スタジオで演奏しているという気分の高揚も手伝ってか、彼女らが明らかに音楽に心の底から打たれて弾いているのが伝わってきて、もはや感動的でさえあります。「ゴールデン・スランバー」の静かなメロディを弾くチェロの歌も心に沁みますし、「ジ・エンド」での堂々たる完結感には快哉を叫びたくなります。
他の楽章も聴きどころがたくさんあるのですが、私は、「サン・キング」、「サムシング」、「ヒア・カムズ・サン」という静かなたたずまいをもった音楽を集めた第2楽章が特に気に入っています。一陣の風が吹き抜けるような爽快感あふれる抒情こそは、1966カルテットというユニットの4人の音楽的な技術の高さを示すものですし、彼女らの魅力的な武器になるんじゃないでしょうか。
「アビイ・ロード・ソナタ」以外の作品にも素敵なものがたくさんあります。中でも「ロング・アンド・ワインディング・ロード」や「プリーズ・プリーズ・ミー」は、どちらもチャイコフスキーの音楽が実に効果的に使われてたアレンジが見事で「やられた!」とにんまりしてしまいまうのですが、1966カルテットの面々は、これがまるでオリジナルの曲であるかのように自然に、そして生き生きと演奏してくれていて楽しい。
「聴かせる」曲を、「聴かせる」編曲、「聴かせる」演奏で楽しむことができる「アビイ・ロード・ソナタ」。購入してからかなり時間が経ってからではありますが、こうやってビートルズに目覚め、私の音楽のストライクゾーンが広がった訳ですから、私はこのアルバムに感謝しなくてはなりません。
つくづく、音楽との「出会い」というのは不思議なものだなと思います。一度聴いただけでは出会えない音楽、繰り返して聴くことで初めて出会える音楽がある。そして、音楽と出会うタイミングは突如訪れる。
私がビートルズの音楽との出会いのタイミングを失わずに済んだのは、そもそもビートルズの音楽が素晴らしいものだからであり、1966カルテットのアルバムが魅力的だったからには違いありません。しかし、もし私が「アビイ・ロード・ソナタ」を繰り返し聴いていなかったら、前述のように突如チャンネルが合うような体験はしなかったでしょう。ビートルズのオリジナルアルバムを何者かに取り憑かれたように貪り聴くこともなく、ベスト盤1枚で満足していたはずです。
こういう音楽との付き合い方は、音盤などに記録された音楽を反復して聴くことでしかできないものです。勿論、実演を聴く楽しみも私もそれなりに知っているつもりですが、目の前で生まれてすぐ消え去ってしまう音にはもう二度と出会うことはできないので、自分が聴いた音を確かなものとして反芻して内省することも不可能です。何度も何度も繰り返し同じ音に向き合っているからこそ、それまで見えなかった景色が見えてくることがあります。
毎日何気なく歩いている道の見慣れたはずの景色の中に、ある日突然、おや?と思うものを見つける。よく見てみると、それは今まで見たこともない「新しい」ものであり、自分がずっと探し求めていたものだったりすることもある。すると、自分を取り巻く世界が全然違うものに見えてきて、これまで気がつかなかった美しいものが、自分の周囲にはこんなに豊かに存在していたのかと驚く。
私が「アビイ・ロード・ソナタ」というアルバムを通して得た体験というのは、きっとそういうものなのだろうと思います。これまで知らなかったビートルズの音楽を、オリジナルと、1966カルテットの演奏とで楽しむことで、すぐそばにあったのに存在にすら気づかなかった新しい世界の景色を見ることができた。とても刺激的で幸福な出会いです。
「何もぼくの世界を変えることはできない」とジョンは「アクロス・ザ・ユニバース」で歌いました。確かにそうなのかもしれませんが、もしも「ぼく」の目に見える世界の景色がより美しく魅力的なものへと変わったなら、「ぼく」は少しでも良き存在へと変われるのかもしれません。いや、私はもういい歳をした大人なので、もうただ、「なすがまま」に「長く曲がりくねった道」を歩いていくしか選択肢はないのかもしれませんが、でも、だからと言って、自分の内側にある「もっと美しい景色を見たい」という欲求はいつまでも捨てたくないと思います。これからもずっと、見たことのない美しい景色を求めて、大切な音楽を追い求めていきたい。もっともっと音楽を聴き続けていきたい。
え、何?ただ手持ちのCDが増えることの言い訳してるだけじゃないのか、ですって?
ええ、そうです、そうですとも。言い訳です。
でも、そんなことはともかく、1966カルテットには、これからもビートルズの音楽の魅力を実感できるアルバムを聴かせてもらいたいですし、それだけでなく、他のレパートリーへの挑戦、彼女らのベースとなっているクラシック音楽への取り組み、あるいはソロ活動も大いに期待したいと思います。
6月にはベストアルバムも出るそうですし、デビュー5周年を記念していろいろな企画が始まっているとのこと。私もつい先ごろファンクラブに入会しましたので、彼女らの活動を心から応援していきたいと思います。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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