音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.25

クラシックメールマガジン 2015年5月付

~魂の歌 ~ 「スマイル-母を想う」/幸田浩子(ソプラノ)~

幸田浩子さんの新盤「スマイル-母を想う」を今月の「音盤中毒」で取り上げようと、自分なりの考えをまとめた段階で、いくつか確認したいことがあったのでライナーノートに改めて目を通していたら、幸田さんの親友で、フリーアナウンサー、エッセイストとして活躍する住吉美紀さんの文章が目に留まりました。
彼女は、職業を超え、人生の不条理や人間の強さ弱さに悩み、葛藤し、それでも前向きに日々を歩もうとする、ひとりの女性だ。このひとりの女性の個人的な思いが音楽に昇華されたとき、どんなものよりも普遍的な音楽が生まれるのではないか。母を想う気持ちには、誰もが自分を重ねられる。(住吉美紀 「スマイル」ライナーノートより)
簡潔にして要点を衝いた住吉さんの言葉に愕然としました。私は、「スマイル」を聴いて、この住吉さんの文と一言一句違わぬことを感じ、心を動かされていたからです。一体、これ以上何を付け加えることがあるだろうかとも思いましたが、私自身の言葉でこの感銘深いアルバムの紹介文を書きたいという衝動は抑えがたく、何となく気後れしつつも、このまま文章を続けたいと思います。
さて、この「スマイル」というアルバムは、チャップリンの映画「モダンタイムズ」のラストシーンで流れるタイトル曲を始め、彼女が「涙と微笑みの間にあるような曲たち(「レコード芸術」誌 2015年5月号インタビュー)」と呼ぶ音楽を集めたもの。サブタイトルにあるように、最近亡くなられた彼女の母親への思いも込められています。
アルバムに収められているのは、クラシックの歌曲、誰もが知っているおなじみのミュージカル・ナンバーや唱歌(アイルランド民謡)、テレビやラジオ番組の企画から生まれた曲、そして、彼女の母親との思い出が結びついた曲など、実にバラエティに富んだラインナップですが、幸田さん自身のパーソナルな思いが詰まった歌ばかりです。
しかし、アルバムを聴いて頂けば明らかなように、彼女のパーソナルな思いは、そのまま生々しい形で表現されている訳ではありません。前掲の住吉さんの言葉の通り、普遍的な音楽へと昇華されています。
幸田さんの歌から、聴き手である私が受け取ったものとは何かと考えを巡らせてみると、まず最初に思い浮かぶのは、住吉さんも指摘されている「母親への想い」ですが、私にはそれ以上に強く感じられるものがあります。とてもありきたりな言葉になっていささか気恥ずかしいのですが、それは「優しさ」です。
何と優しい気遣いに満ち溢れた歌たちなのでしょうか。
幸田さんは、歌う対象が何であれ、一音たりともおろそかにせず、言葉がクリアに聴き取れるよう、響きに細心の注意を払って歌っている。どんなに甘美なメロディを歌う局面であっても決してかたちを崩すことなく、凛とした佇まいをもった姿勢の良い歌を聴かせている。その点はいつもと同じ、私たちがよく知っている幸田さんの歌です。
しかし、この「スマイル」というアルバムでは、それぞれの歌に対する思いが強いからこそ余計に、彼女は、自分の感情を過度に投影し、自己を必要以上に前面に押し出すことを厳しく戒めて歌っているように思います。その代わりに伝わって来るのは、自分の愛する歌を聴き手と共に味わい、そして音楽と触れ合うことの喜びを分かち合いたいという強い気持ち。音楽を自己表現の道具とはしない、音楽家としての謙虚なありように、私は彼女の「優しい気遣い」を感じるのです。 「優」という漢字は、「にんべん」に「憂う」と書くことに意味があると誰かが言っていましたが、幸田さんの歌から感じる優しさ、気遣いとは、まさにその「人を憂う」という意味での優しさなのかもしれません。自分を憂う前に、人を憂う優しさ。自分が辛い状況にあっても、人に会うと逆に「大丈夫?元気にしてる?」と微笑みながら声をかけるような気遣い。
決して聴き手に対して一つのイメージを押しつけることのない柔らかな歌からは、こんなメッセージが聴こえてくるような気がします。
最愛の存在を亡くした時に味わった喪失感や、深い哀しみに包まれて流した涙は、あなたもいつか直面するはず。でも、私は耐え難いほどの喪失の痛みの中で、音楽によって救われた。音楽がいつも私のそばにあったからこそ、涙から微笑みへと向かっていくことができた。あなたも、いつか言い知れぬ哀しみに出会ったとき、音楽がそばにあればきっと乗り越えることができる。そのことを忘れず、音楽とともに生きてほしい。
いい歳をして、思い込み過多のポエムを書いてしまっているでしょうか。
この聴きどころの多い魅力的なアルバムの中で、私が最も強い印象を受けたのは、スペインの作曲家モンポウの「魂の歌」です。ポジティブオルガンの前奏に続いて無伴奏で歌われるユニークな曲で、スペイン音楽の第一人者である評論家、濱田滋郎さんの翻訳によるライナーノートの歌詞対訳(原詩はデ・ラ・クルス作)を読めば、この歌は「私たちの魂はどこから来てどこへ行くのか」という問いかけへの「答え」であることが窺えます。そして、その答えとは、「魂はその源がどこにあるかは知らないが、死という夜の暗闇の中でも永遠に生き続けている」という風に読めます。
しかし、ここでの幸田さんの歌は、魂の不死を確信し、楽観的に歌ったものではありません。魂は目に見えないし、本当に魂が存在するかどうかは分からない、永遠などというものがあるのかも分からない。でも、死んだ人の魂はきっとどこかで永遠に生き続けていると思いたい。私はいつかその魂を必ず見つけることができる。どうか、そうであってほしい。そんな切実な祈りに貫かれた歌です。
幸田さん以外の歌手の歌う「魂の歌」も聴きたくなり、CDを2つ入手して聴いてみました。スペインの歌手とピアニストによる歌曲全集の中の一枚と、波多野睦美さんと高橋悠治さんの演奏によるものです。どちらも5分足らずの演奏で、まるで祈祷のように抑揚をつけず早口で歌われていて、7分かけてじっくりと大きな振れ幅をもって歌われる幸田さんの歌とは別の曲かというくらいに印象が違います(伴奏がオルガンであるということも一因かもしれませんが・・・)。
私は、幸田さんの深い祈りに満ちた「魂の歌」を聴いていると、生と死は、いつも隣り合わせに共存しているのだということを痛感せずにはいられません。愛する人の死を運命として受け容れることは強い痛みを伴いますが、自分もいつか必ず死ぬ存在であり、また、チャップリンの言葉を借りれば、死ぬことと同様に生きることも避けられない。そして、たとえ深い喪失の哀しみに打ちひしがれることがあっても、生きることの希望を見出すことが困難であっても、それでも、とにかく前を向いて生きていかなくてはならない、涙から微笑みへと一歩を踏み出さなくてはならないのだということに思い至ります。他の歌手による歌もそれはそれで味わい深いけれど、力強い「再生」の歌として響く幸田さんの歌に、私はより強く魅かれます。
「魂の歌」は、多くの雑誌のインタビューで、この曲を取り上げた意図について質問が投げかけられているように、他の曲と並べてみると異質な音楽であると言えなくもありません。しかし、私からすれば、この曲がアルバムの中心として存在するからこそ、他の曲たちの微笑みが生きてくるように思えてなりません。
決して有名とは言えないモンポウの歌の、その真価を認識させてくれる素晴らしい録音を残して下さったことに対して、幸田さんやコロムビアの制作陣に感謝せずにはいられません。
他の曲たちについても少しだけ触れておきます。
私が偏愛してやまないチャップリンの「スマイル」での「微笑んで!」と呼びかける柔らかい歌声には心を癒される思いがしましたし、R.シュトラウスの「明日!」や、アーンの「クロリス」でのしっとりとした抒情は、オペラ歌手として華々しいキャリアを積んできた彼女のリート(歌曲)歌手としての新たな魅力を垣間見た気がして、彼女の歌うシューベルトやR.シュトラウス、あるいはフランスの作曲家の歌曲をもっと聴いてみたいと思わずにはいられないものでした。
また、トラック12以降のポップス系の音楽でも、幸田さんの折り目正しい、けれど、決して堅苦しくならない歌は何度聴いても飽きることがありません。特に、幸田さんが出演していたFM番組の企画で彼女が作詞作曲(詞は笑福亭笑瓶さんとの共作)した「K・セレナータ」も、イタリアの作曲家トスティを思わせる優美な旋律が光る佳品で気に入りました。
主に加藤昌則さんの手による編曲も、BGM的なムードに流れるようなものは一切なく、幸田さんの歌を引き立てるためには一手間かけるのを決して惜しまないところがとても印象的ですし、加藤さんを中心とする豪華な顔ぶれのアンサンブルが、ふるいつきたくなるような素敵な伴奏を聴かせてくれています。
例えば、新日本フィルのコンサートマスター、西江辰郎さんの奏でるヴァイオリンがしみじみと心に沁みる「夏の名残のバラ(庭の千草)」も私の涙腺を直撃する名演でしたし、大萩康司さんのギターが聴ける「フリースの子守歌」も素朴な響きがひたすら美しい。彼らのファン(特に女性)は多くいるはずですから、その人たちにもアピールするところの多い演奏ではないでしょうか。
この「スマイル」というアルバムは、幸田さん自身にとって、大きな人生の転機を迎えて作った大切な作品であるに違いありませんし、私たち聴き手にとっても、幸田さんから贈られたかけがえのないプレゼントとして長く記憶に残るものなのではないでしょうか。
新しい境地を切り開いた幸田さんの歌、これからも聴き続けていきたいと思います。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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