アルフレート・プリンツとウィーン室内合奏団によるモーツァルトのクラリネット五重奏曲のディスクを聴いていて、ふと口をついて出た言葉は「ああ、なつかしい」でした。
この曲の代表盤の一つとして親しまれてきた1979年録音の名盤(原盤は独オイロディスク)を聴いたのは、それが初めてのことでした。昨年、惜しくもプリンツが亡くなったと知って彼の演奏を改めてじっくり聴いてみたくなり、モーツァルトとブラームスの同じ編成の2曲がカップリングされた音盤を購入したのです。
ウィーン・フィルの首席クラリネット奏者を長年務めた名手プリンツと、同じオーケストラの「顔」と呼ばれた伝説の名コンサートマスター、ゲルハルト・ヘッツェルを始めとする70年代のウィーン・フィルの主要メンバーによるモーツァルトの室内楽。もう二度とリアルタイムで演奏を聴くことのできない人たちが遺した貴重な演奏であり、かつて私たちファンが一つの規範として愛した典型的なウィーン・スタイルのモーツァルトを聴くことができます。
この演奏が録音された当時は、現在主流となっているような、作曲家が生きた時代の楽器や奏法を使った古楽アプローチによる古典派作品の演奏はまだ少数派でした。ウィーン・フィルも、今聴けばロマンティックと思わずにいられないような古風なスタイルで、モーツァルトの交響曲やオペラを演奏していました(勿論、戦前の録音や、プリンツの師であるレオポルド・ウラッハが活躍した時代の録音に比べれば随分とモダンな印象がありますが)。
このクラリネット五重奏曲でも事情は同じです。ミニ・ウィーン・フィルともいうべき顔ぶれの5人の音楽家たちは、少しピッチ高めの艶やかな音色で、なめらかに旋律を歌っている。弦楽器は節度を保ちつつもヴィブラートを十分にかけている。強弱も音色も過度にコントラストをつけすぎず、拍節も柔らかなアタックで控えめに強調する程度。常に中庸で安定したテンポを崩すことのない運びは優雅とさえ言え、モーツァルトが随所に仕掛けた転調の場面も、慌てず騒がず、必要最小限の身振りの中で表情をふっと変えてしまうあたり、落ち着いた大人の音楽という趣があります。
楽譜を注意深く見ながら聴いていると、ウィーンの名手たちが、均質な連続性をもった流れの中に、突出したもの、汚れたものが紛れ込まないようにどれほどの神経を遣っているか、その気遣いを聴き手に気づかれないようにどれほどの工夫をこらしているかがよく分かります。和食の板前さんが、食材のおいしさを引き出すために、見えないところに手間暇かけて料理をするのにも似て、持てる技を惜しみなく注ぎ込んで仕上げた、プロの中のプロの演奏と言えます。
最近は、こんなタイプの演奏を聴くことはめっきり少なくなりました。古楽アプローチの影響で、フレーズを短くとって「歌う」より「語る」ことに重点を置き、エッジのきいた音で強拍にアクセントをつけ、生命感溢れるリズムを前面に押し出した闊達な演奏が主流となりました。また、異なる楽器の音を融合させて美しいハーモニーを生むことよりも、異質な者同士が互いを主張し対話することに音楽の喜びを見出し、高度な職人芸を駆使してきっちりと作り込んだ音楽よりも、多少の疵はあっても生き生きとしたライヴ感覚に満ちた音楽を指向するようになりました。このように、この30年ほどのうちに、弾き手、聴き手ともに大きな好みの変化がありました。
つまり、良し悪しや好悪の問題ではなく、厳然たる事実としてプリンツやヘッツェルらのモーツァルトは過去のものになってしまっているのです。私にはプリンツとウィーン室内合奏団らの時代の演奏をリアルタイムで聴いていた記憶がありますから、彼らの演奏をなつかしいという感慨を持って聴いたのは当然のことと言えます。
ところで、この演奏が録音された1979年というと、私は小学六年生でした。毎日のようにレコードやFMでクラシック音楽を楽しんでいましたが、特に、80歳を超えて元気に活躍していた名指揮者カール・ベームが指揮するウィーン・フィルの演奏を聴くのが何よりも楽しみでした。
あの頃のベーム人気は凄まじいものがありました。一部からは「神格化」されていると批判されるほどでしたから。
当時、評論家、ファンを問わず、ベームの演奏を絶賛するときには「円熟」という言葉を好んで使っていました。老境を迎え自己の芸術の総仕上げ時期に入っていた巨匠と、音楽の都ウィーンに君臨する伝統の名オーケストラという黄金コンビに対しては「円熟」というキャッチフレーズがふさわしかったのでしょうが、当時は多くの人たちが、長年にわたる豊富な経験をもち、人格や技能が熟達した境地に達した「円熟」の名人に対して「憧れ」を抱いていたようが気がします。小学生だった私も、背伸びをして評論家の口調を真似するうち、「円熟」という言葉に包まれた音楽家に対し、「憧れ」をもつようになっていました。
録音当時から長い年月を経た今、プリンツとウィーン室内合奏団の演奏するモーツァルトのクラリネット五重奏曲を聴いていると、ベームとウィーン・フィルの演奏を賞賛するために使っていた「円熟」という言葉が脳裏に蘇ってきます。当時、40代、50代の働き盛りの人たちが奏でた音楽なのに、そこに「円熟」を感じ取ることができるのは、音楽の背後にカール・ベームという指揮者の息遣いが感じられるような気がするからです。勿論、指揮者のいないアンサンブルの演奏ですから、音楽にはのびのびとした愉悦感が漂っています。しかし、彼らの演奏の大きな特徴である、折り目正しいフレージングや、決して崩れることのない造型には、ベーム指揮の「円熟した」モーツァルト演奏のエッセンスを感じずにはいられないのです。
思えば、このアルバムで第1ヴァイオリンを弾いているゲルハルト・ヘッツェルは、特にベームからの信頼の厚い名コンサートマスターでした。ユーゴスラヴィア出身の「外国人」である彼が、史上初めてウィーン・フィルを率いる重要な地位に就くことができたのは、ベームの後押しがあったからとも言われますし、ベームの最晩年、椅子に腰かけ最小限の動きしか示せなくなった指揮者に代わり、大きな身振りでオーケストラを率いていたヘッツェルの献身的な姿を、来日公演の映像などを通してご記憶の方も多いのではないでしょうか。また、当時としては異例なほど多く残されたベームとウィーン・フィルのフィルム映像を見れば明らかなように、第2ヴァイオリンのメッツェル(ウィーン・アルバン・ベルク弦楽四重奏団の初代メンバー)、ヴィオラのシュトレンク、チェロのスコチッチ、そして、クラリネットのプリンツも、ベームの指揮の下で多くの名演奏を繰り広げていました。
ですから、「ベームが考えるだけでオーケストラはそのように演奏する」とまで言われたウィーン・フィルの主要メンバーが奏でる音楽に、当のベームが指揮する音楽の色が沁みついているのは、まったく不思議なことではありません。
思うのですが、彼ら5人の演奏家の心の中には、当時既に最盛期は過ぎていたにせよ、芸術家として独特の高みへと到達していたベームという指揮者の、円熟した音楽への大いなる「憧れ」があったのではないでしょうか。だから、彼らはベームの音楽から多くのものを学び、演奏に反映させずにはいられなかった。指揮者ベームの中にも、モーツァルトという奇跡のような存在への「憧れ」があったでしょう。生前、インタビューで「もしもモーツァルトが目の前に現れたら私は卒倒するでしょう」と公言していたベームが抱いていた「憧れ」は、勿論、ウィーン・フィルのメンバーにも共有されていたはずです。さらに言えば、作曲家モーツァルトの中にも、まだ見ぬ美しい音楽への切実な「憧れ」があったでしょう。だからこそ彼は音楽を書き続けた。それまで誰も聴いたことのない美しい音楽を。
「憧れ」と一言で言ってしまいましたが、それは、今、自分にないもの、手に入れるのが難しいものの存在を知っているからこそ生まれるものなのではないでしょうか。表現者の中に生まれた「憧れ」が抑えきれないところまで膨れ上がった時、歌が生まれ、音楽が生まれる。高い技術と豊かな感性によって美しいかたちに表現された「憧れ」は、間違いなく聴き手へと伝わる。作り手、弾き手の「憧れ」と、聴き手の「憧れ」が交差したところに、プリンツとウィーン室内合奏団のモーツァルトの最大の魅力がある。
1979年当時は、そうした「憧れ」が、作り手と聴き手の間を繋ぐ大切な要素となっていたように思います。一方、今という時代は、「憧れ」を持ちにくくなってしまいました。40年近く前には多大な時間と労力を費やさなければ手に入らなかったものが、いとも簡単に自分のものにすることができるからです。しかも、昔よりもずっと高品質で使いやすいものが入手できる。
音楽だって、国内外の一流音楽家の奏でる音をいつでも、どこでも聴ける。レアな音源でも何でも、スマホやPCの液晶画面のボタンを押してしまえばすぐに手に入る。聴き手にとって、音楽家という存在も遠い雲の上の「憧れ」の人ではなくなりつつあります。演奏家後のサイン会やイベント、ブログ、SNSなどを通し、直接間接に言葉をかわすことは難しくありませんから。演奏家たちも演奏技術が著しく向上し、多少難しい音楽であっても、音にするだけなら何の苦もなく演奏できる。
もう欲しいものなんてない。できないことなんてない。ここまで何もかもが容易に手に入る状況になってしまうと、私たち人間は、そんな間違った全能感に捉われてしまう恐れはないでしょうか?
この世の中にはもう知らない音楽なんてもう何にもないんじゃないか?こんなにたくさんの演奏が簡単にいくらでも聴ける時代、私たちはモーツァルトの音楽なんて完全に理解できている、というように。
勿論、そんなのがただの妄想に過ぎないことは自明なのですが、私たちは氾濫する情報の中にあって、そんな傲りを心に宿して行動してしまっていることもあるのではないか、そんな懸念が私の中で生まれてきました。
プリンツとウィーン室内合奏団の演奏から聴くことのできる「憧れ」は、そんな不遜な思い込みとは無縁です。敬愛するベームの円熟に比べ、あるいは、畏怖すべきモーツァルトの天才に比べ、自分という存在は何とちっぽけなのだろうか。彼らが手に入れたもの、到達した場所に少しでも近づくことはできないだろうか。そんなふうに己を知り、より高いもの、より美しいものに触れたいという「憧れ」なのです。
私たちは、確かにかつては広く共有されていたはずの「憧れ」を、時代の流れ、特にテクノロジーの発達に伴って、自ら進んで忘れ去ってしまったような気がします。勿論、「憧れ」が現実化するというのは喜ばしいことであり幸福なことです。既に手に入れた便利で快適な生活を今更手放す訳にもいきません。しかし、その代償として、間違った全能感に浸り、本当に大切なものの価値を見失ってしまうこともあるのではないでしょうか。そんなことをしていたら、いつかしっぺ返しがくる、
言うまでもなく、80年代以降、その「憧れ」の行く先がおかしなところへ向き、過度なブランド信仰や、空虚な権威主義がはびこってしまったという事実を指摘することも可能でしょう。「憧れ」が独り歩きしてしまうことは避けなければなりません。
しかし、この「なつかしい」演奏を通して、これまで忘れてしまっていたピュアな「憧れ」を思い出せたことは、私にとって大きな経験でした。プリンツとウィーン室内合奏団の演奏、あるいはベームとウィーン・フィルの演奏を、これまでとは違った新鮮な視点から楽しむことができるような気がしています。
こんなにも美しい「憧れ」がつまった名盤を低価格で聴けるというのは、これはまたこれで「憧れ」を持ちにくい事態とも言えるかもしれませんが、最近のモーツァルトしか知らない若い人たちがアクセスしやすい状況であるのはとても良いことだと思います。
若者よ、さあ、スマホを脇に置いて憧れよ!
以下、余談。
コロムビアからは、カール・ベームとウィーン・フィルの1977年の来日公演のライヴ録音がSACDフォーマットで発売されています。それまでNHKホールでしか演奏しなかった彼らが、初めて「音の良い」東京文化会館で演奏したということで、FMでも放送されて大きな話題となった録音です。特に最初に演奏されたモーツァルトの交響曲第29番は各方面から絶賛を浴びた名演奏。作曲家直伝のR.シュトラウスの「ドン・ファン」、そしてベームが亡くなるまで頻繁に指揮した「勝負曲」であるブラームスの交響曲第2番、アンコールにワーグナーの「マイスタージンガー」前奏曲という王道のプログラムでの白熱した演奏は掛け値なしに素晴らしいものです。
また、ヘッツェル率いるウィーン室内合奏団の録音も、いくつかコロムビアから出ています。1992年に録音されたベートーヴェンの七重奏曲を収めたアルバムと、モーツァルトのディヴェルティメントなどの2枚。特にベートーヴェンは、1992年7月、ヘッツェルが登山中の事故で亡くなる直前(6月)の、恐らく彼の生涯最後のセッション録音ですが、いずれのディスクも名盤として長く記憶されるものです。現在はこれもクレストシリーズから出ており入手可能です。
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粟野光一(あわの・こういち) プロフィール
1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。
http://nailsweet.jugem.jp/
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