音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.42

クラシックメールマガジン 2015年1月付

~映画音楽をめぐる冗長で散漫な随想~

とある秋の夜、都心の小さな映画館で、古い映画を観ました。50年近く前の公開当時のフィルムを使っての上映で、映像は赤茶色にぼやけていて始終ノイズが入るし、音声も歪んで聞き取りづらい。挙句の果てには、機器のトラブルで10分ほど上映が中断される始末。

真っ暗闇の中で復旧を待つ間、狭い映写室の中で、映写機に絡まったフィルムと汗だくで格闘しているであろう映写技師の方の姿を想像しつつ、ついさっき見た主役の男女の熱いキスシーンの記憶を反芻していると、2016年、東京のど真ん中に突如現れた「ニュー・シネマ・パラダイス」に迷い込んだように思えて微笑んでしまいました。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督のイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988)と言えば、サルヴァトーレ・カシオが演じたトト少年と、イタリアの作曲家エンリオ・モリコーネが書いた音楽。
その美しいテーマ曲は、例えば、イタリア合奏団が時を置いて録音した2枚のディスクで聴くことができます。一つは「イタリア合奏団・オン・シネマ」と題された1995年録音盤(COCO-73331)、もう一つは、新イタリア合奏団と団体名を改め、メンバーも一新して2000年に録音した「ロータ&モリコーネ From the Screen to Stage」(COCO-73021)。 両者とも、ピアノ・ソロを前面に立てたアレンジは同じで、後半、静かな弦楽合奏を伴って呟くように奏でられる「愛のテーマ」は、ペルトやシルヴェストロフといった作曲家の曲と並べて聴いても違和感のないモダンな装いを身にまとっています。聴いていると、音符が五線譜からポトリポトリと落ちていくかのような、どこか喪失の痛みを孕んだイメージが湧き起こるのですが、あの映画を見た印象と響き合うものがあって、とても気に入っています。
また、この2枚のディスクは、凝りに凝った選曲も、磨き抜かれた美音に貫かれた演奏も魅力的で、「映画と音楽が好きな友人へのプレゼントにいかが?」なんていう宣伝文句が似合いそうです。特に、「オン・シネマ」に収められたウォルトンの「2つの小品」は、卒倒しそうなくらいに美しいので、是非ご一聴を。
イタリア映画の音楽と言えば、私は、ヘンリー・マンシーニが書いた「ひまわり」(ヴィットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マスロヤンニ主演、1970)のテーマ曲を偏愛しています。
第二次世界大戦によって引き裂かれた男女の物語。オープニングとラストで、スクリーンいっぱいにウクライナの広大なひまわり畑が映し出され、ピアノとオーケストラが奏でるテーマ曲が流れる。その情景を思い浮かべるだけで、私は、いつ、どこででも瞬時に泣くことができます。数年前にリバイバル上映を観たときも、のっけから嗚咽をこらえるのに必死でした。小学生の頃から何度観たか分からないのに。
マンシーニは、この「ひまわり」を、1987年にロイヤル・フィルを指揮して再録音しています(「マンシーニ自作自演」COCO-70508)。マンシーニ自身によるピアノ・ソロのまろやかな音色と、陰影豊かでしみじみとした語り口、華美になり過ぎない上品なオーケストラの響きが涙を誘います。サントラ盤はあまり音が良くないので、「ひまわり」が聴きたくなると、このアルバムを取り出します。
余談ながら、「シャレード」「ムーンリヴァー」などの名曲も収録されたこのアルバムは、CBSでワルターやバーンスタインの名盤を手掛けたジョン・マックルーアがプロデューサーを務めたという点も、音盤ファンにとっては興味深いところです。
イタリア映画と言えば、私は、エルマンノ・オルミ監督の作品を好んで観ます。代表作「木靴の樹」(1978)を始め、近作の「ポー川のひかり」、「楽園からの旅人」、最新作の「緑はよみがえる」まで、どれも深く心の奥深くに静かに語りかけてくる映画で、観て良かったと心から思えるものばかりです。
オルミはオペラ演出も手掛ける人で、どの映画でも音楽の使い方が印象的ですが、「木靴の樹」で流れるJ.S.バッハのオルガン曲の調べに、胸を熱くした方も多いのではないでしょうか。
19世紀末、過酷な環境の中で懸命に日々を生きる北イタリアの小作農たちの姿を、プロの俳優を使わず、ドキュメンタリー・タッチで描いた大作。名もなき農民たちの貧しい暮らしに寄り添い、慈悲深く見守るかのように、全編でバッハのオルガン曲が流れます。 中でも、結婚式を挙げたばかりの若い夫婦が修道院を訪れ、そこで捨て子を託される場面で使われたコラール「来たれ、異教徒の救い主よ」BWV659が忘れがたい。まだ歩き始めたばかりの赤ん坊を胸に抱き、その里親になることを決心する新婦。その表情には、突然母になることの不安と喜びが相半ばしている。そこにバッハのコラールの切実な祈りの歌が流れてくると、どうしても彼女の姿に聖母マリアを重ねてしまう。厳かな感動を呼ぶ名シーンです。
この「来たれ、異教徒の救い主よ」は、PCM録音初期の名盤、ヘルムート・リリングの「J.S.バッハ/教会暦によるオルガン・コラール集」で聴くことができます(COCO-73324)。親密であたたかいオルガンの音色と、朴訥とした、でも、心のこもった歌は、いつ聴いても心が洗われる思いがします。これらのコラールは、すぐれた芸術作品であるより前に、民衆の素朴で篤い信仰の中から生まれた音楽なのだと強く実感させてくれます。バッハの音楽の本質に触れた、宝物のようなアルバムです。
蛇足ながら、リリングの演奏するバッハの教会暦コラールと言えば、1963-65年録音、ベーレンライター・ムジカフォン原盤の「オルゲルビュヒライン」(COCO-75721-3)を忘れる訳にはいきません。バッハ編曲のオルガン・コラールの前後に、合唱と器楽アンサンブルによる原曲を演奏した好企画盤で、ポーランド映画「イーダ」(パベウ・パブリコフスキ監督、アガタ・チュシェブホフスカ主演、2013)や、アンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」(1972)でも使われた「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」BWV639が含まれているので是非ご紹介したかったのですが、残念ながら廃盤。再発売のハードルは高いのでしょうが、時代を超えて聴き継がれるべき記念碑的な名盤だけに、入手困難な状況は解消してほしいものです。
ところで、冒頭で、最近見たと書いた「古い映画」とは、恩地日出夫監督、黒沢年男、酒井和歌子主演の「めぐりあい」(1968)でした。武満徹作曲、荒木一郎作詞の主題歌を聴きたかったのと、映画デビュー当時の酒井和歌子の姿をスクリーンで見たくて映画館に足を運んだのでした。
「めぐりあい」は、まさに「楽園」で見るに相応しい、若い男女の熱い恋愛を描いた「青春映画」ど真ん中の作品でした。いかにも古臭く、粗削りで雑なところもありますが、「きっと明日は今日より良くなる」という、私たちが忘れてしまいがちな希望に満ち溢れていて、ハッとしました。
何しろ、酒井和歌子の笑顔が、たまらなく、いい。スクリーンをまっすぐに見ていられないほどに眩しくて、この笑顔のためになら何だってする、地の果てにだって行く、と一瞬口走りそうになるほどでした。
武満徹の「めぐり逢い」は広く愛されている名曲で、最近聴いたのでは、アン・サリーがショーロ・クラブと組んで歌ったもの、鈴木大介が編曲・演奏したギター版が記憶に新しいところですが、私は、石川セリの歌に強い愛着があるので、どうしてもここに戻ってきてしまいます(「石川セリ/翼~武満徹ポップ・ソングス」COCY-78624)。
実際に映画を観てから改めて聴き直すと、落ち着いた歌い口の中に、ちょっと蓮っ葉な少女性を残した石川セリの声には、スクリーンで見た酒井和歌子のあどけなさの残る笑顔と通じるものを感じて、胸がキュンとしてしまいます。また、この曲の詞にも音楽にも、登場人物の心に寄り添うあたたかさがあったのだと初めて知り、胸を打たれました。音楽だけを聴いていては分からないものを得ることができたのは、大きな収穫でした。これから、武満が映画音楽の分野で遺した業績を追っていきたいと思います。
最近見た映画と言えば、アニメ映画「この世界の片隅に」(こうの史代原作、片渕須直監督、のん主演)も印象深いものでした。
ネタバレするといけないので、広島に生まれ、呉に嫁いだ、すずという女性の視点から見た戦争、そして原爆の投下という「歴史」が、静かな物語の進行によって淡々と描かれていく映画だということだけ。
映画の冒頭で、ザ・フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」が、コトリンゴの歌で流れます。「この限りない むなしさの 救いは ないだろうか」という歌詞が骨身にこたえます。
コロムビアからは本家本元のバージョンが収められた「青春歌年鑑 1968 BEST30」(COCA-70273-4)がリリースされていますが、沖縄出身の歌手、上間綾乃の歌うバージョン(「唄者(うたもの)」COCB-53997)をご紹介します。
上間の歌う「悲しくてやりきれない」は、サトウハチローの詞を沖縄方言に「翻訳」したウチナーグチバージョン。彼女の、エメラルドの海のように透き通っているけれど、ピンと筋の通った力強い歌声で、「肝(ちむ)ぐりさ(=悲しくて)」という言葉が繰り返し歌われるのを聴いていると、沖縄では、今までどれほど哀しくてやりきれないことがあったろうかと思えて、胸が張り裂けそうになります。私たちナイチャー(沖縄以外の人間)こそ、いま、じっくりと耳を傾ける価値のある歌ではないでしょうか。
昨年は、チャーリー・チャップリンの没後40周年でした。彼の無声映画をオーケストラの生演奏に合わせて上映するコンサートが内外で頻繁に開かれますし、「モダン・タイムス」(1936)のスコアを復元して演奏した完全全曲盤が発売されるなど、彼の音楽が再評価されていて、フリークとしてはまことに嬉しい限りです。
チャップリンが、心のままに口ずさんで生み出された数々の名旋律の中で、どれが一番好きかと問われれば困ってしまうのですが、「モダン・タイムス」のラストで流れる「スマイル」に指を屈することになるでしょうか。
すべてを失い、絶望のどん底へと突き落とされてもなお微笑みを絶やさず、愛する人と手をとり合って道を歩いていく、そんな場面で流れる「スマイル」は何度聴いても胸が熱くなります。実際にはなかなかそんなふうには生きられないのですが、だからこそ、この歌が沁みます。
SHANTIの歌う「スマイル」(「Jazz en Rose」COCB-54050)がとても気に入っています。彼女の歌はヴィブラートが控え目で、この旋律の美しさを堪能させてくれますが、クリアで力強い中低域の声と、ファルセット混じりの優しい高域の声の使い分けがきれい。そして何より、彼女の「ほほえみ」が歌に溢れているようで、聴いていると自然にこちらの頬も緩んでくる。そこが、とてもいい。
このモノクロ写真のジャケットがお洒落なカバーアルバム、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」が痺れるほど魅力的なので、彼女の歌謡曲のカバーアルバムを聴いてみたいと秘かに切望しています。
とりとめのないお話を長々としてしまいました。こうして、心に残る映画と音楽の結びつきを改めて思い返すと、音楽が映画の印象を強めるだけでなく、映像という視覚情報を媒介として、音楽の聴体験が深まることもあるのだと痛感します。これからも、映画と音楽の幸福なマリアージュにめぐりあえますようにと祈りつつ、この冗長で散漫な随想を閉じることとします。
いやあ、映画音楽って、ほんとにいいもんですね。それでは、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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