音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.59

クラシックメールマガジン 2018年6月付

~インテルメッツォ(間奏曲) - ジャケットとは匂いである~

ディスクの演奏や録音についての評はあるのに、どうしてジャケットデザインの評はないのだろうか。音楽雑誌などを読んでいて、ふとそう思うことがあります。ジャケットもアルバムという作品の大切な一部なのですから、優れたものがあれば、然るべき評価がなされてもいいような気がするのです。
いや、厳正な評価対象にならなくたっていい。アルバムの顔として価値のあるものや面白いもの、単独のアートとしてもすぐれたものは、パブリックな場でそれなりに話題になって然るべきだと考えます。例えば、美術に造詣の深い選者による「今月のジャケットベスト5」みたいなコーナーがあれば、是非読みたいと思う。
ということで、今月は、コロムビアの数々の名アルバム・ジャケットのうち、とりわけ印象深いものを独断と偏見でご紹介します。勿論、中身も素晴らしいと思えるものばかりを集めたつもりです。一ファンの与太話に過ぎませんが、どうか暫しおつきあいください。
なお、一枚でも多くのディスクをご紹介したいので、既に取り上げたディスクは対象から外します。また、アーティストのポートレート写真になっているジャケットも除外します。私が好きな特定の演奏家のディスクがずらりと並んでしまいますから。

クラリネットの至芸 ~ ポール・メイエ(cl)

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最初に取り上げるのは、ポール・メイエの「クラリネットの至芸」。ストラヴィンスキー、ベリオ、シュトックハウゼン、メシアン、ジョリヴェ、ブーレーズといった20世紀の作曲家のクラリネット独奏作品を集めたディスクで、1993年10月にチューリッヒで録音されたもの。
ジャケットには、黒いスーツを着たままプールの底に潜って膝をつき、身を仰け反らせてクラリネットを吹くメイエの姿。彼は、真っ青な水の中でベルアップ気味に楽器を構え、目を瞑り、口いっぱいに空気をためて、ブクブクと泡を立てながら演奏しています。
もちろん、アルバムが水中で録音された訳ではありません。音楽家が楽器の限界に挑戦する姿を描いたものなのでしょうか。一度目にしたら忘れられないほどにインパクト満点のジャケットです。
このジャケットを見ていると、せっかくのイケメン奏者の容姿が台無しではないかとか、さすがにこのクラリネットはおもちゃだよなとか、保険はかけていたんだろうかとか、まことに小市民的な感慨が湧いてしまいます。でも、そのあまりに鮮烈なイメージゆえに、このジャケットはもはや交換不可能なものとして、アルバムと完全に一体化しています。
内容は、まさに「至芸」と呼ぶにふさわしい、名手メイエの超絶技巧を存分に堪能できるアルバムです。彼は、居並ぶ難曲たちを、軽々と、そして鮮やかに吹ききっています。しかも、彼の持ち味である、やわらかくて豊かな音色も十分に楽しめるのが凄い。とりわけ、シュトックハウゼンの「友情」での巧みな音楽構築や、ブーレーズの「ドメーヌ」での研ぎ澄まされた音色から漂う仄かな官能には聴き惚れてしまいます。

モーツァルト/ピアノ作品集 ~ ヴァレリー・アファナシエフ(P)

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ヴァレリー・アファナシエフの音盤は、インパクトのあるジャケットの宝庫です。中でも、メイエ盤と同じ1993年4月にラ・ショー・ド・フォンで録音されたモーツァルトの作品集が一際異彩を放っています。
このアルバムのジャケットは、あろうことかチベットの「閻魔王」の図です。馬に乗り、ギョロリと目をむいて大きな口を開け、何かを叫んでいる閻魔様。モーツァルトとはおよそ結びつかないおどろおどろしい図ですが、ライナーノートに寄せられたアファナシエフ自身の文章を読めば、なぜこの絵が選ばれたかは分かります。
アファナシエフはモーツァルトの短調の作品(幻想曲、ソナタ、アダージョ)を集め、その暗鬱でデモーニッシュな面に着目した演奏を繰り広げています。彼の独特の解釈の背後には、非常にユニークな哲学的思考があり、閻魔王はそこで非常に重要な役割を演じているのです。
つまり、演奏者の音楽に対するイメージを、そのまま反映させたジャケットという訳です。正直なところ、音楽家であり、詩人・作家・哲学者でもあるアファナシエフの思考を、自分のものとして理解するのはとても難しい。でも、彼の奏でる音楽と、ジャケットの絵や文章を行き来しながら、妄想や空想を広げて繰り返し聴くうち、少しずつでも何か見えてくるものもある。その体験こそが、音盤を聴く醍醐味と言えるのではないでしょうか。

オホーツク幻想 ~ 冨田勲

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イメージの広がるジャケットと言えば、冨田勲の一連のアルバムは外せません。「イーハトーヴ交響曲」「ドクター・コッペリウス」といった最晩年の渾身の作品、過去の名盤のリメイク、発掘音源など、どれもジャケットデザインは秀逸なものばかりです。その中から、冨田勲が亡くなる数か月前に発売された「オホーツク幻想」を挙げたいと思います。
冨田が1996年に制作したタイトル曲に、1979年に発売された「ダフニスとクロエ」に収められた「マ・メール・ロワ」と「亡き王女へのパヴァーヌ」、そして1972年、冨田がMOOGシンセサイザーを購入した翌年に制作した「こどものための交響詩『銀河鉄道の夜』」を集めたオムニバス盤。
DOMMUNEの宇川直宏氏が、冨田と協議を重ねながら作成したというジャケットは、音楽にまつわるイメージを掻き立てずにおかないファンタスティックなものです。
地球の上空を走る機関車の前景。その眼下に広がるのは、流氷に覆われたオホーツク海でしょうか。背後には暗黒の宇宙があり、地平線あたりにはオレンジ色の光が広がっています。ブックレットの裏表紙の絵には、上部に機関車前面下部のカウキャッチャーが描かれ、その向こうには地球が小さく見えています。さらに、その下側には月の表面が見える。地球を出発した汽車は、月の真上を飛んでいるということでしょうか。
この機関車は、「銀河鉄道」に違いありません。後続の車両には、きっとジョバンニが乗っていて、向こう側へ行ってしまったカンパネルラとの再会の旅へと出発するところなのでしょう。宮沢賢治も乗っている。アルバム冒頭の「オホーツク幻想」は、賢治が、妹トシを亡くした翌年(1923年)、彼女の魂と交信するために樺太を旅行したときの姿をイメージして作られた曲だからです。
銀河鉄道に乗り、愛する人の影を追い求めてさすらう二つの魂。そんなイメージを広げながら、幻想的なトミタサウンドに包まれていると、賢治の詩集「春と修羅」に綴られた痛切な言葉や、「イーハトーヴ」の愛に溢れた音楽が思い浮かんで胸がいっぱいになります。
この「オホーツク幻想」には、「イーハトーヴ交響曲」の第5楽章「銀河鉄道の夜」で出てくるのと同じモチーフが出現(トラック1:3分15秒、7分)します。合唱によって歌われる「いつなのか わかりませんが 主はわたしにいわれるでしょう」という賛美歌の旋律。
下敷きになっているのは、「銀河鉄道の夜」でも言及されているタイタニック号沈没の際、乗客が歌っていたという賛美歌320番「主よみもとに近づかん」だと思われます。旋律も歌詞もよく似ています。当盤収録の「銀河鉄道の夜」のオリジナル版でも同じ旋律が使われていた(LP化の際にカットされたらしい)という記述もネットで見つけました。
若い頃から賢治の文学を音楽にしたいと願っていた冨田勲の「銀河鉄道」への深い愛着と、強い執念を感じずにはいられません。
併録されたラヴェルの作品は、ジャケットとは直接関係ありませんが、パイプオルガンの音色を模したようなサウンドが印象的な荘重な「亡き王女へのパヴァーヌ」、夢幻の音空間がひたすら愉しい「マ・メール・ロワ」、どちらも名作と呼びたい逸品。
このアルバムは、冨田の生前に発表された最後のものになってしまいました。機関車の美しいフォルムを見事に視覚化したジャケットとともに、彼の創作の軌跡を点と線で結んだアルバムとして、長く記憶されるべきではないでしょうか。

爆クラ!Vol.1 RAVE CLASSIXS クラブ耳がハマるクラシック

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最後にご紹介するのは、「爆クラ!Vol.1 RAVE CLASSIXS クラブ耳がハマるクラシック」。著述家でプロデューサーの湯山玲子さんが主宰しているイベント「爆クラ(爆音クラシックの略)」とのコラボ企画の2枚組。湯山さんが選曲した、クラブカルチャーと相性の良いクラシック曲が収められています。
これも一度見たら決して忘れられない、強烈なジャケットです。赤とピンクを基調にしたサイケな背景に、右下には湯山さんの姿を描いたイラスト。彼女は、両手を口に当てて何かを叫んでいる。それは恐らく、ジャケット全面に大書された「爆クラ!」という言葉なのでしょう。
とことん楽しんじまえ!という吹っ切れたジャケットは、遊び心に満ちていて、見ているだけで楽しい。湯山さんの台風の如き存在感を、そのまま絵にしたようなド派手なデザイン、彼女の特徴を完璧に捉えた似顔絵、どちらも凄まじいまでの破壊力がある。
アルバムの内容ですが、まず選曲のユニークさには唸ってしまいます。近現代の作品を中心にセレクトされた音楽は、爆クラという企画から離れて聴いても実に楽しい。バッティストーニのレスピーギ、カルミナ四重奏団のバルトーク、インバルのショスタコーヴィチ、岩城の黛敏郎など、演奏も定評のあるものばかり。そんな中に、マタチッチのブルックナーの9番が違和感なく挟まっているのも面白い。
ライナーノートには、湯山さんと、音楽評論家(とお呼びして良いのでしょうか)の鈴木淳史氏による濃い対談が掲載されています。湯山氏の独特すぎる視点と、クラブカルチャーに由来する耳慣れない言葉を、鈴木氏がいい感じで咀嚼して翻訳してくれているのが、とてもいい。特に、クラブ目線で語られるブルックナーというのは、非常に新鮮。もしかすると読んで怒る人もいるかもしれませんが、私に言わせればそれは野暮といえよう(故宇野功芳氏風に)。それから、脚注が充実しているのも親切です。
後続の第二弾は、いつになったら出るのかと待ち続けているのですが、多忙を極める湯山さんのスケジュールを思えば、気長に待つしかないでしょうか。
この他にも、ご紹介したいアルバムは、まだまだたくさんあります。まったく書き足りないので、機会を見つけて続きを書きたいと思います。
既にご紹介したアルバムの中では、プログレッシヴ・ロックのアルバム(モルゴーアSQ、吉松隆編曲「タルカス」)に後ろ髪引かれつつ、エリアフ・インバル指揮フランクフルト放響によるマーラーの交響曲全集を挙げます。80年代後半、バブルの時代のど真ん中で世紀末を叫びながら、新しい時代のマーラー演奏の出現を高らかに宣言した名ジャケットだと思います。
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こうして印象的なジャケットを並べてみて思うのは、内容の良いアルバムのジャケットはいい匂いがする、ということ。聴き手の嗅覚に訴えて購買意欲をそそる「匂い」。ジャケットを手に取った瞬間、音楽の記憶とともに立ち昇る芳醇な「匂い」。どちらも兼ね備えている。考えてみれば、私たち聴き手は、ジャケットを通して五感で音楽を感じながら、複眼的に楽しんでいるのかもしれません。
コロムビアのクラシックのCDは、昨年秋あたりから、ジャケットアートの雰囲気が少し変わってきているように思えます。高橋悠治のサティ、朴葵姫の「ハルモニア」、バッティストーニの「新世界」。ある種の「軽さ」「やわらかさ」が感じられて、とても新鮮で、好ましい。そして、やっぱりとてもおいしそうな匂いがします。
さて、これからどんな匂いのジャケットに出会えるでしょうか。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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