あけましておめでとうございます。
首都圏では年明けから寒い日が続いていて、毎日、肌に刺さる寒風に凍えています。でも、そんな中でも桜の木々はつぼみ始めていて、季節はゆっくりと、でも、確実にめぐりつつあるのだと実感します。
季節はめぐると言えば、昨年末の本欄では一年の締めくくりとして、チャイコフスキーの「四季」のディスクをご紹介しました。今月はそこからの連想で、ヴィヴァルディの「四季」を取り上げます。
演奏は、新旧二種あるイタリア合奏団盤と迷った末、ジャン=フランソワ・パイヤール(1928~2013)指揮パイヤール室内管盤を選びました。
仏エラート・レーベルとコロムビアの共同制作第一弾として、1970年にパリのノートルダム・デュ・リバン教会でセッション録音された、パイヤールにとって最初の「四季」のディスク(この後、二回録音)です。ヴァイオリン独奏はこのオーケストラの要であったジェラール・ジャリ。1971年のレコードアカデミー賞の受賞盤です。
私がクラシック音楽を聴き始めた70年代半ばは、何度目かの「四季」ブーム沸騰中でした。小編成の団体による演奏が主流となる中で、このパイヤール盤は、イ・ムジチ合奏団(アーヨ、ミケルッチの新旧二種)やミュンヒンガー、マリナーらのディスクと並ぶ代表盤として人気を博していました。
バロック音楽を得意とするパイヤールはエラートの看板指揮者で、彼が指揮するパッヘルベルの「カノン」がFM番組のテーマ曲として流れるなど知名度は高く、日本にも頻繁に来ていました。このディスクがファンから広く愛されたのも頷けます。
しかし、70年代の終わり、アーノンクールとウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの古楽器によるレコードが出て、「四季」をめぐる事情はガラリと変わりました。
それはまさに衝撃的な演奏でした。綿密な時代考証と作曲当時の楽器と奏法の使用により、ヴィヴァルディが思い描いた響きを徹底的に追究した、斬新な「四季」像が提示されたのです。
畳みかけるような快速テンポ。強弱や緩急の大きなコントラスト。雑音が混じることも厭わず、激しく叩きつけられる痛烈なリズム。聴き手の予想を裏切る大胆な表現の連続に、誰もが度肝を抜かれました。
賛否両論が渦巻いた末、90年代初頭に出たビオンディとエウローパ・ガランテ、アントニーニとイル・ジャルディーノ・アルモニコの個性的な演奏を経て、最も新しいポッジャー盤に至るまで、「四季」は古楽アンサンブルの演奏が席巻しました。モダン楽器でこの曲を演奏する人たちも多かれ少なかれ古楽器奏者の影響を受け、その激烈な演奏スタイルを取り入れています。
その流れに呼応して、70年代に愛された名盤たちが話題に上る機会は、めっきり減ってしまいました。
パイヤールの「四季」も例外ではありません。
それは全体に中庸を目指した穏やかさが支配的で、フランス風の上品な華やかさが魅力的な演奏です。オビの宣伝文句にある「洗練・典雅の極み」「みずみずしさが際立つ」という形容は、まことに的を射ていると思います。潤いとふくらみをもった流麗な歌と、柔らかく弾む軽妙なリズムも耳に心地良い。
一方、アーノンクール以降の古楽器系の「四季」には、聴き手を驚かす「踏み外し」があちこちにあります。地雷のようにサプライズを仕掛けて差別化を図った音楽の向こう側には、ギラギラした資本主義的欲望が透けて見えるようです。かつてはそこに拒絶反応を示す人も多かったのですが、バロック音楽とは本来そうした性質を持ったものだという認識が浸透しているので、今では広く受け容れられています。
そんな演奏に慣れきった耳でパイヤールの「四季」を聴くと、どうしても古さを感じてしまいます。
「踏み外し」の一切ないパイヤールの演奏は、落ち着いた佇まいに好ましさを覚える反面、刺激に乏しい。猛烈な嵐も、冬の日の土砂降りの雨もない。犬の鳴き声は「借りてきた猫」のように大人しいし、収穫を喜ぶ農民の踊りも優雅。古楽器によるスリリングなドラマ展開を知ってしまうと、彫りの浅い微温的な音楽に聴こえてしまう。
名手ジャリを中心とするアンサンブルも、指揮者の強い管理の跡のないのびやかさには惹かれますが、細かに見ればピッチには幅がある(特にチェロ)し、縦の線の合わせもやや甘い。複数声部の扱いも旋律と伴奏という単純な構図に回収されがちで、聴きやすい代わりに細部の解像度はやや低い。そして、フレーズの終わりを明瞭に言い切る語り口は端正ですが、往年のアナウンサーの口調のようで、堅苦しい印象を与えないでもない。
70年代には「上品、穏やか、折り目正しい」と称賛されていた演奏も、半世紀近くを経て「ゆるい、ぬるい、かたい」ものと感じられてしまうのは致し方のないところでしょうか。
しかし、だからと言って、このパイヤールの「四季」が、既に役割を終えた無価値な演奏だとは思いません。むしろ一定の存在意義を保ち、まだまだ生き続けていくはずだと考えています。
まず、今の社会が、この音楽にあるのと同質の穏やかな時の流れを取り戻そうとしているように思えるからです。
最近、24時間営業が一般的になっていたコンビニや牛丼店、ファミレスなどで、夜中の営業を中止する店が続出しています。ニュース記事の中には、我々の生活が昭和40年代に戻りつつあると(やや大袈裟に)指摘するものもありました。
また、働き方改革とかいう掛け声のもと、時差出勤やテレワーク勤務をしてラッシュアワーの混雑緩和に協力しろとか、作業効率化して残業時間だけ減らせ(仕事量は減らすな)とか、毎月最後の金曜の夕方は有効に使え(さっさと仕事を終わらせて街に繰り出し、金を使え)とか、そんなことを言われる機会が増えてきました。
あるいは、本格的なAI時代が到来すれば、これまで人間がやってきた仕事のほとんどは人工知能やロボットがやるようになり、大多数の人はクリエイティヴな活動に専念できる(暇になる)。そんな希望に満ちた(呑気な)予測を、最近よく耳にします。
これからの街の風景には、自由時間をゆったりと過ごす(することがなくて暇を持て余す)人の姿が増え、そこに流れる時間もゆるやかなものになるのでしょうか。
であるなら、パイヤールの「四季」に耳を澄ませば、その中に私たちの「いま」と重なるものを見出せるはず。この演奏はまだまだアクティヴであり続けるのではないでしょうか。
もう一つ、パイヤールの「古い」スタイルによるバロック音楽の演奏が、人々の音楽体験の中に脈々と生き続けているであろうことも、この音盤の行く末を考える上で見逃せません。
古楽器やピリオド奏法の採用が当たり前になる前のバロック音楽の演奏は、今の感覚では幾分「厳か」なものに聴こえます。格式張った儀式や行事、あるいは、重厚な雰囲気が漂うレトロな名曲喫茶に相応しい音楽とも言えます。
私の経験では、小中学校の入学式や卒業式で流れる「四季」や「カノン」、「G線上のアリア」は、例外なくモダン楽器による演奏が選ばれていました。バリバリ最先端の古楽器の演奏がかかるような学校行事には、少なくとも私は遭遇したことがありません(是非とも遭遇してみたいものですが)。
学校行事でバロック音楽を流す際には古楽器による演奏を選ぶべしと、国や自治体が学校に通達でも出さない限りは、今後もモダン楽器による「厳か」な演奏が流され続けることでしょう。
つまり、多くの人が成人前に出会う音楽の記憶の中には、今も昔も「厳か」な音楽が存在しているはずなのです。であれば、その記憶はやがて「あのとき聴いた音楽」として、クラシック音楽入門の足場となるのかもしれない。パイヤールらによるバロック音楽の演奏の需要は、まだ当面はあるのではないでしょうか。
・・・などと後付けでいろいろ書きましたが、私にとって、パイヤール盤で聴く「四季」の最大の魅力は別のところにあります。
それは「がらんどう」としての音楽のありようです。
年明け早々、友人の誘いで、有名な建築家が建てた古い住宅の見学会に参加させてもらいました。40年以上そこに住んでいた「施主」が亡くなって取り壊されることになり、一般向け見学会に先がけて関係者限定で公開されたのです。
その家は、外壁も各部屋の間仕切り壁もコンクリート打ちっぱなしの、当時としてはかなりモダンなものでした。住人が使っていた家具や、多岐にわたるコレクションのほとんどは既に運び出されていました。図面に書かれた空間が、ほぼそのままの形で姿を現したのです。もちろん、経年変化や、住人の手による加工の跡はありましたが。
非公開の見学会に集まった関係者諸氏は、この住宅の建築としての素晴らしさと、貴重な建築物が壊されてしまうことの無念さを口々に述べておられました。友人の元上司である当の建築家ご自身も来られ、設計意図や当時のエピソードなど興味深い話を伺うことができました。
私は建築については門外漢なので、部屋を見ながら、ほんの少し前までそこにあったはずの「ある人の人生」に思いを馳せていました。ここでどんな一家団欒を過ごしていたのか、日々どんな悲喜こもごものドラマが展開されていたのか、そこで「ある人」は何を考え、どんな思いで過ごしていたのか、と。
すると、家の持ち主の暮らしが、ホログラムのように浮かび上がってきそうな感覚に襲われました。私の目の前にあるのは何もない空間なのに、その空間自体がそこで40年生活した人の人生そのものであるかのようにも思えました。
その不思議な体験の秘密を探るべく、家を設計した建築家の方の言葉をネットで検索してみました。
そこで私は、「がらんどう」という言葉に出会いました。
曰く、住宅設計のメインコンセプトは、単純な「がらんどう」の空間が、住まい手の人生のプロセスを引き受けること。巨大な公共施設を設計する際にも、建物の外側に「がらんどう」を作り、地域の住民が自由に使える場を確保する。建築家自身が書いた文章には、そんな意味のことが綴られていました。
施主の人生の営みをすべて建築で引き受けようとする設計者の姿勢と、建築というものが人の生き方の根源的なものにまで深く関われるのだということに、私は深い感銘を受けました。同時に、パイヤールの「四季」を思い出しました。
その音楽には、殊更に自己を主張し、それを他者に一方的に押し付けるような強引さはありません。建築家のモットーのように、そこに聴き手の人生の景色が描き込まれて初めて唯一無二の空間として成立する、「がらんどう」としての音楽が鳴り響いています。
マイクの向こう側にいるはずの聴き手が、自分達が奏でる音楽の空間の中に日々の暮らしや人生を描き込んでいく。その作業を積み重ね、聴き手にしか作り得ない世界でただ一つだけの「家」が完成する。
今から半世紀ほど前、パリの教会に集って録音に臨んだ演奏家たちは、そんなプロセスを思い描いて録音に臨んだのではないかと思えてなりません。
知的好奇心を刺激する先鋭的な演奏ばかりでなく、こんなふうに古くて、ゆるくて、まるくて、あったかい演奏も、いつも手もとに置いて折に触れて聴きたいと思う。
形あるものと違い、音盤に刻み込まれた音楽は、望みさえすればずっと残り続けます。パイヤールの「四季」は、たとえほんの一瞬であっても聴き手一人一人の人生を受け容れてくれる「がらんどう」として、これからも生命を保ち続けるのではないかと思います。いや、そうであってほしいと切に願います。
件の家には小さな庭がありました。そこには背丈二メートルもあろうかという秋色アジサイが植えてあって、1月なのに満開でした。アジサイをこよなく愛していたという住人は、部屋の中から庭を眺め、自分たちの暮らしを見つめてくれる存在のありがたさを感じて、幸せだったに違いありません。
でも、もうあの家は取り壊されてしまったはずです。冬の日差しの中で健気に咲いていたアジサイも、「がらんどう」の家とともに、
愛する主(あるじ)のもとへと昇って行ったのかもしれません。
そして、40年以上の間そこにめぐっていた季節は永遠に消え去り、これから新しい別の季節がめぐり始める。生の儚さを思わずにいられませんが、それもまた人生。「これでいいのだ」なのです。
パイヤールの「四季」を聴きながら、あの家のように私の人生を引き受けてくれる「がらんどう」となり、あのアジサイのように共に生きてくれる音楽が自分の傍らにあることの幸せを、しみじみと噛みしめています。
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粟野光一(あわの・こういち) プロフィール
1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。
http://nailsweet.jugem.jp/
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