「あなたらしさって何ですか?」
先日、とある人からそんな質問を不意に投げかけられ、絶句してしまいました。
分からない、答えられない。先日、私の勤務先に入社してきた新人でさえ、社員一同を前に「自分らしく働きたい」と挨拶していたのに。今、私が大学生と一緒に就職試験を受けたら、真っ先に不合格になることでしょう。
でも、みうらじゅんの言葉の受け売りなのですが、生きていく上では「自分らしさ」などという訳の分からないものを追い求めて「自分探し」に走るよりも、「自分なくし」の方が大事なんだと思っています。
自分などというものに執着するから生きづらい。悟りを開くとまではいかずとも、ちっぽけな自我への固執など捨て、仏教で言うところの「諸方無我」の境地に達した方が、楽に、充実して生きられるのだろうなと、近年は身に沁みてそう思います。そもそも、自分なんてものをどんどん突き詰めていったところで、そこにあるのは「空(くう)」。「空」なのに「ある」。色即是空。
とは言え、自分をなくすのは至難の技、まさに苦行・修行です。そもそも音盤中毒患者などというレッテルを自らに貼っている私にとって、煩悩の炎が吹き消された悟りの世界、すなわち「涅槃」への道は何と険しく、何と遠いことでしょうか。
涅槃と言えば黛敏郎。そんな安易な連想から、今月は、黛の代表作「涅槃交響曲」を取り上げます。この曲の世界初演者である岩城宏之が東京都交響楽団と東京混声合唱団を指揮して、1995年7月に録音したディスクです。作曲者自らが監修にあたった、当曲の代表盤であると同時に、日本の音楽史上特筆すべき名盤として高い評価を受けています。
読者諸氏には「釈迦に説法」かもしれませんが、「涅槃交響曲」は、黛が魅了された梵鐘の響きをオーケストラで再現するとともに、禅宗のお経と天台声明を男声合唱に歌わせて、壮大な仏教的音響世界を構築した力作です。
舞台上と、客席の左右の3つの場所に分離して配置されたオーケストラが、梵鐘の響きを模倣する「カンパノロジー」と題された3つの楽章と、男性合唱が加わる3つの楽章が、交互に切れ目なく演奏される約40分の音楽。1958年、岩城宏之指揮NHK交響楽団によって世界初演されました。
男声合唱は、第2、4楽章では禅宗の経呪「楞厳咒(りょうごんしゅう)」を唱和し、フィナーレでは天台声明の「一心敬礼(いっしんきょうらい)」の旋律を「おー」という母音によって歌います(第5楽章でも合唱は同様に「おー」と歌って参加しています)。
この曲は、仏教の儀式を時系列に再現したものでも、仏教の教義や何かのストーリーを念頭に置いて作られたものでもありません。梵鐘の響きやお経、声明は単なる素材でしかなく、音楽の実体は、作曲家が鐘の音から受けたインスピレーションを、徹頭徹尾、当時の西洋音楽の最新の流儀に基づいて再構築した音響のオブジェであると捉えるべきなのでしょう。
それにしても、何と凄まじいパワーを秘めた音楽でしょうか。全編にわたって、ギラギラと輝きながら強烈に放射される音のエネルギーには、聴くたびに圧倒されます。
なるほど、最終楽章の最初と最後では、静謐な響きに満ちた敬虔な祈りが感じられますし、全曲が静寂の中で閉じられるさまに、黛の言う「永遠の涅槃に到達したことを象徴」したものを見ることも可能でしょう。
しかし、「一心敬礼」のモチーフが、息の長いクレッシェンドを伴って何度もユニゾンで繰り返され、どんどん膨れ上がっていくさまを聴いていると、人間の内にある根源的で未分化な荒々しい生命力を感じずにはいられません。涅槃図に描かれた、菩薩や弟子たち、森の動物たちに囲まれて往生した釈尊の最期の姿とは、どうにも結び付かない。
その意味で言えば、この曲における「涅槃」とは、仏教で言うところの、苦行の末に解脱した先にある「生も滅(死)もない高い悟りの境地」というより、死に打ち勝つ「永遠の生」が横溢した場所を指すのかもしれません。
それは、仏教の根本思想を表した四法印(諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静)に見られるような、生と死は「無」に根差した表裏一体のものという概念とは異質のものです。それよりも、「いまこの瞬間、確かに生きているのだ」という熱い実感、あるいは、その実感への激しい欲求が、この音楽のあらゆる音符に脈打ち、怒張しているように思えてならないのです。悟りの境地を表現した音楽には、とても聴こえない。
黛が「涅槃交響曲」を世界に向けて発表したのも、著しい科学文明の発達と経済発展によって表面上は豊かになった実生活の中から、彼が尊ぶ「生の実感」が失われているという文明批判的な意味合いがあったのでしょうか。
そうした作曲者のありようは、私がテレビなどのメディアを通して触れていた「あの」黛敏郎の姿の記憶とは重なりません。彼が保守派論客として政治活動に身を投じるようになったのは、1970年代に入ってからのこと。この曲の初演の年、彼は「若い日本の会」なる団体に加入し、大江健三郎、寺山修司、谷川俊太郎、永六輔、そして、石原慎太郎(!)、江藤淳(!)らと共に60年の安保改定反対運動に参加(!!!)しているのです。
ですから、この「涅槃交響曲」は、黛敏郎の政治的思想や言動とは切り離して、ただ純粋に音楽として聴けるし、聴くべきなのかもしれません。
でも、自分の内にあるものを完全に捨てて音楽を聴くのは、とても難しいことです。音楽と真剣に向き合おうとすればするほどに「自分なくし」よりも「自分探し」へと向かわざるを得ない。
非常に悩ましいのです。私の心を揺さぶる「涅槃交響曲」は、考え方も価値観も正反対で、むしろ憎悪の対象だった作曲家の手から生まれたものだからです。そのムズムズするようなねじれ、矛盾をどう受け止め、折り合いをつけていくのが良いのか。そんな余計なことを考えずにいられない。それこそ「自分探し」です。
「涅槃交響曲」は、黛敏郎という音楽家にとっても「自分探し」の旅の出発点だったはずです。この曲を契機として彼はますます仏教に傾倒し、その伝統をなぞった作品を多く発表するようになったからです。加えて、能や狂言、歌舞伎、茶道、そして神道という古来の日本文化に触れ、創作活動の幅を広げ続けた。それは日本の固有の文化とは何かを知る旅であると同時に、西洋音楽を作る日本人の自分とは何かを知る旅であったことでしょう。
そして、この交響曲の演奏が重ねられていくうち、彼はこの音楽に内在するものの中に、「日本」あるいは「大和魂」のようなものを見いだしたのではないかと思うのです。
その結果が、オペラ「金閣寺」の最後、金閣寺の美しさに取り憑かれた主人公の溝口が寺を燃やす場面で、合唱に第2楽章と同じお経を歌わせ(音楽は新たに作曲したもの)、モーリス・ベジャールの委嘱で書いたバレエ「ザ・カブキ」の最後、主君の仇討ちを果たした赤穂の四十七士が切腹をする場面で第5、6楽章を引用したことに顕著に表れている気がします。
美への執着から解放されたい一心で金閣寺に火をつけ、寺が炎上するさまを見て「生きよう」と思ったという溝口と、武士としての本懐を遂げて自決する赤穂浪士たち。それら登場人物が絶望的な破滅、死とまっすぐ向き合うことで、むしろ「いま、ここで生きている」というたしかな実感を得たことに対し、黛はほとんど羨望のようなものを感じながら「涅槃交響曲」の素材に新たな生命を吹き込んだのではないでしょうか。
黛敏郎は、1972年2月放映の「題名のない音楽会」で、終戦を知らずにフィリピンのジャングルに潜伏した後、28年ぶりに帰国した横井庄一氏を「生きていた英霊」と称え、こんな文章を朗読しています(動画サイトで音声だけ聴くことができます)。
「横井さんの立場に立ってみるならば、二十八年間、たった一人で、毎日毎日を絶えざる死との対決の中に日々を送ってきた、その生活というものは、私達には窺い知ることのできない、生命感の横溢した充実したものであったに違いないのではないでしょうか。
私達には、残念ながら、そうしたギリギリの限界状況において、自分自身を見つめるというような厳しい瞬間は、この二十八年間、与えられることがありませんでした。むしろ、その点では、私達は横井さんに羨望の念を禁じ得ないとさえ言えます」
黛は、横井氏が日々感じていたであろう「生命感」こそ、日本文化が古来守り続けてきた真髄なのであり、自身の旧作「涅槃交響曲」に既にそれが表現されていたことに喜びと誇りを感じたに違いありません。
しかし、平和と繁栄と無信仰の時代、人間が「ギリギリの限界状態」の中で「死」を強く意識しながら「生きている実感」を得ることは難しい。死は日常生活の中からどんどん隠蔽されている。私たちには横井氏の二十八年間の孤独な生活を支えたような精神性、敢えて言うなら「大和魂」がないのだと嘆いてもいる。
日本人が、今一度、生きている実感を取り戻すためには、自分たちの生を脅かす危機を見つけ、そこに潜む「敵」を排除しなければならない。そうした焦りにも似た思いが、彼を国粋主義者的な言動へと駆り立てていったのではないかと思います。
冷戦時代はソ連を始めとする共産圏国家を、冷戦後であれば、世界中で勃興した新たな民族主義の「とばっちり(日本会議の前身「日本を守る国民会議」最後の総会での発言)」で日本に干渉する近隣諸国を敵対視し、「事を荒立てないでなぜ正常な外交関係が成り立つのでしょうか」と喝破する。
国内では、戦後教育を受けた人間が蔓延って、皇室も含めて国家存亡の危機に晒されていると警鐘を鳴らす。敵を斥けるためには軍隊も必要だから自主憲法を制定しなければならないし、国民を束ねるためには教育勅語も復活すべきだと主張する。私は、そんな彼の姿をリアルタイムで何度もテレビなどで見ました。
そう考えると、「生の実感」というキーワードによって、「涅槃交響曲」の作曲者である黛と、強面の保守系論客だった黛の姿が繋がります。音楽と、その作り手の言動が整合している必要は全くないのですが、何か一つ方程式が解けたような気がして、一人の聴き手としてはちょっと嬉しい。つい最近まで生きていた作曲家だからと言って、その作品を様々な文脈から複眼的に捉えてはいけないとか、自分という存在全部込みで受け取ってはいけないという道理はありませんし。
あとは、それを自分の中でどう受け止めるべきかですが、今のままムズムズした状態で「涅槃交響曲」を聴くのが良いだろうと思っています。どんなに音楽が素晴らしいからと言って、まったく理解できない思想や言動に、無理矢理共感する必要もないからです。そして、このムズムズは、「自分なくし」に成功したとしても、私の「自分らしさ」としてずっと残り続けるだろうからです。「自分なくし」を根本思想とする仏教の世界を素材にした曲を、私という人間の「自分探し」の材料にするのもおかしな話ですが。
勿論、これまで述べてきたことはすべて、私という聴き手の個人的な感想です。自分の考えが正しいとも思っていないし、唯一のものでないことは言うまでもありません。「涅槃交響曲」のように優れた音楽作品であれば、たくさんの聴き方、受けとり方が成立するはずです。初演から60年を経た音楽が、今もなお聴き手に生の実感を与え続けていることに最大限の敬意を表したいと思います。
演奏について述べずに来てしまいました。
岩城宏之指揮の都響と東混による、献身的かつ確信に満ちた演奏は、黛の音楽の特質を余すところなく表現していて、間然とするところがありません。首席指揮者が若杉弘から小泉和裕へと交代し、エリアフ・インバルとの(第一次)マーラー・チクルスに取り組むなど、驚くべきペースで充実の度合いを深めていた時期の東京都響の響きも、涙が出るほどに懐かしい。東京混声合唱団の歌も、何かとてつもなく大きなものへの憧れに満ちた厳粛な感動に貫かれていて胸を打ちます。
当盤の後、新録音が発売される気配がないのも、この演奏を乗り超えることの難しさの現れなのかもしれません。私自身は、是非とも若い指揮者の録音が聴きたいところですが。
さて、黛が指向したものは、間違いなく多くの人たちに受け継がれ、日本の中で確かな存在として根づいています。もしも彼が今生きていれば、きっとそのさまを見て喜ぶことでしょう。「古事記」の次はこれだとばかり、最近、著書がベストセラーとなったスキンヘッドの作家と組んで、壮大なオペラを書いたかもしれません。
折しも、つい先日、新しい元号が発表されました。最近出版されたとある本では、日本会議の初代会長でもあった黛敏郎が(ただし、就任直後に亡くなっています)、平成という時代のキーパーソンとしてとりあげられていました。ならば、ほどなく終わってしまう平成という時代を見送るとき、今年で生誕90年を迎える黛の名作「涅槃交響曲」に耳を傾けるのも一興ではないでしょうか。
カップリングされた奈良薬師寺の聲明「薬師悔過」も、黛が言うとおり、音楽的にも起伏に富んだ見事なシアターピースです。この聲明が唱えられる修二会は時期が過ぎてしまいましたが、花咲く春に古の奈良文化に思いを馳せつつ、「涅槃交響曲」と併せて聴き、日本という国の来し方、行く末を想うのもまた善き哉。