音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.74

クラシックメールマガジン 2019年9月付

~音楽はお菓子だ! ~ 湯山昭/ピアノ曲集「お菓子の世界」 堀江真理子(P)~

少し前、「お菓子の音楽」という言葉がSNSのトレンド入りしていました。どうやら音楽教室の先生が保護者向けに書いたブログが炎上し、そのキーワードに注目が集まったらしい。
問題のブログ記事は、クラシック音楽をご飯、それ以外をお菓子になぞらえ、お菓子ばかり聴かせては子供の感性が育たない、だから「本物の音楽」である前者も聴かせましょうと諭すものでした。世の中にはいろいろな考え方があるものですね。
ということで、今月は話題になった言葉からの連想で、湯山昭のピアノ曲集「お菓子の世界」をご紹介します。「お菓子」を題材にした正真正銘の「お菓子の音楽」です。コロムビアからは、堀江真理子の演奏による1997年録音盤がリリースされています。
子供のための作品を多く発表してきた湯山の「お菓子の世界」は、1973年、全音楽譜出版社の小冊子の連載のために書かれた小品を集めたものです。翌年の楽譜出版以来、ピアノの先生や子供たちから愛され続け、2018年9月現在で通算148刷(第二版)に達する大ベストセラーとなっています。
ご自身でピアノを習った経験がある方はもちろん、お子さんがピアノ・レッスンに通っている(いた)方なら、一度は耳にした曲があるかもしれません。かく言う私の長女もレッスンで習っていましたし、子供たちが出演した発表会で聴く機会も幾度かありました。
タイトルからして子供たちの関心を引かずにおかない、おいしそうな曲たちばかりです。
一曲目は「お菓子のベルト・コンベヤー」と題された序曲。続いてシュー・クリームやバウムクーヘン、ホットケーキ、ショートケーキ、甘納豆や鬼あられなど、文字通りお菓子のタイトルがついた小品21曲が、「むしば」「どうしてふとるのかしら」「くいしんぼう」と名づけられた間奏曲を挟んで並び、それまでの曲のテーマがメドレーで現れる「お菓子の行進曲」でおしまい。
7分を要する終曲以外はいずれも1~2分の小品ですが、内容は目移りしそうなタイトルそのままに実に多彩です。技術的な難易度にも幅があり、初心者向けの平易なものから大人でも手こずる難曲までが混在しています。通常の教則本では使われないユニークな音遣いやリズムも、様々なかたちで出てきます。この曲集は、単なるピアノの技術の習得にとどまらず、多種多様な音楽と出会う経験を提供するものでもあります。
しかし、それぞれの音楽が何をどう表現しているのか、具体的な説明はほとんどありません。弾き手は曲のタイトルや楽譜から僅かな手がかりを見つけ、自分自身の五感の記憶や思考をもとに謎を解かなければなりません。答えらしきものが得られたら、実際に音にしてみて試行錯誤を繰り返す。その過程で、生き生きとした自分なりの音楽表現を見いだすことの楽しさと難しさを学ぶのです。
子供の場合、音楽の基本を学ぶための(あまり面白くない)教則本とともに、上達の速度に合わせて「お菓子の世界」にじっくり取り組むことで、豊かな表現力を伴った確かな技術と、創造的な課題解決能力の両方を身につけられるに違いありません。
そう考えると、この「お菓子の世界」は実によくできた「教材」だと思います。148刷は伊達ではありません。
しかし、「教材」として広く使われることと、「音楽」として多くの聴き手に鑑賞されることは、なかなか両立しないものです。最近でこそ、ブルグミュラーやギロックのように、子供が練習用に弾く曲が「聴く音楽」として再評価されるケースも出てきました。しかし、ごく一部の例外を除いては、楽器学習者向けに書かれた音楽はほとんど鑑賞されていないはずです。
この「お菓子の世界」も、残念ながら状況は似たようなものかもしれません。CDでは堀江盤が現在容易に入手できる唯一のアルバムだし(以前は井内澄子、上田晴子盤が出ていました)、YouTubeで動画検索しても発表会などでの子供の演奏記録がほとんど。演奏会で聴いたこともありません。
しかし、「お菓子の世界」は教材として「弾かれる」だけでなく、広く「聴かれる」べき音楽であると私は確信しています。作曲者の「大人も子どもも弾いて楽しめて、しかも聴いて楽しめるという、非常に欲張ったコンセプトで作曲しました」という言葉に嘘偽りはありません。
聴いていて、とにかく愉しいのです。
甘美で胸に沁みる優しい旋律(バウムクーヘン、バースデー・ケーキ、ショートケーキ、ウェハース)、柔らかに舞うワルツのステップ(シュー・クリーム、ボンボン)、ウキウキとバウンドする付点のリズム(ホットケーキ、クッキー)、ジャジーでお洒落な和音の動き(チューインガム、ドーナッツ)、フォーレやラヴェルを思わせるデリケートな空気感(マロン・グラッセ)、ヒナステラばりに激しいビート(チョコ・バー)、ほとんど無調の不気味なフゲッタ(ヌガー)、凛として耳に心地良い和の響き(柿の種、鬼あられ)、ファンタジーが羽ばたくストーリー展開(終曲)。そして、あちこちで弾けるユーモアとウィットに満ちた茶目っ気たっぷりの音たち。
子供向け、学習者向けだからと手加減して書かれたような曲は一つもありません。曲ごとに設定された難易度の範囲内で、創意工夫に満ちた高度な技が随所に散りばめられています。しかも、それらはさりげない音の振る舞いの中に巧妙に隠されているので、聴き手は作曲者が仕掛けた宝探しに巻き込まれ、童心に帰ってゲームに夢中になってしまう。
この面白さに味をしめてしまうと、一度聴き始めたらもうやめられない、止まらない。聴き終わっても余韻が残る。だから、時折無性に聴きたくなる。中毒性のある音楽です。でも、いくら食いしん坊に聴いても虫歯にはならないし、太らない。成人病の心配もない。素晴らしいではありませんか。
この曲集が「聴かれる」べきだと考える理由は、もう一つあります。異世代間のコミュニケーションを生む可能性があることです。
何しろ、「お菓子の世界」は、出版以来半世紀近くを経てもなお現役で使われている教材です。今、この曲集を練習している子供たちの親御さんの中にも、同じ曲を習っていた人はたくさんいるはずです。三世代にわたって「お菓子の世界」を弾いた家族がいたって不思議はない。しかも、苦痛だった(であろう)教則本とは違い、この曲集を楽しんで弾いていた人は少なくないでしょう。
すべてが目まぐるしく激変するこの時代、幸福な音楽体験を異世代間で共有できる機会は、とても貴重なのではないでしょうか。「お菓子の世界」で音楽の楽しさに目覚め、その後も音楽と幸福な関係を続けている人たちが集うような場では、この曲集が豊かであたたかい会話を紡ぎ出してくれるかもしれません。
私自身、それに近いものを体験しています。私は昔ピアノを習っていましたし、その頃既に「お菓子の世界」は出版されていましたが、この曲集の存在を知ったのは娘が習うようになってからでした。でも、当時、彼女が弾く曲に興味を持ち、家族であれこれ話をしていた記憶があります。ついこの間も、今や大学生になった娘とCDを一緒に聴きながら、どの曲のどこが好きかという話で盛り上がりました。
彼女は、一般的にも人気の高い「バウムクーヘン」が一番好きで、よく練習したと言っていました。特に、“Un poco più mosso”と指示された部分。それまでの明るい曲調が、細かい動きの中で翳っていくところが「エモい」から好きだと。音楽の好みも遺伝するのかと驚くとともに、「お菓子の世界」を一所懸命に弾いていた少女が、今や一端の口をきく成人になったのかと感無量でした。
私は「ショートケーキ」も好きです。初心者向きの平易な曲で、楽譜巻末の「練習の手引き」によれば左手の伴奏の和音はスポンジ(カステラ)、右手の旋律はクリームなのだそうです。が、そうしたことよりも、この甘やかでどこか懐かしい響きと、ゆったりとした時間の流れに身を浸していると、亡くなった母のことを思い出さずにはいられません。
子供の頃、休みの日には、母が近所のケーキ屋さんでショートケーキを買ってきてくれることがありました。おやつ時になるとコーヒーを淹れ、レコードやFMを聴きながらケーキを食べる。それが、母と私のささやかな楽しみでした。この曲のしみじみとした優しい調べに包まれていると、母と二人で食べたショートケーキの味と、親の保護を受けて呑気に過ごしていた少年時代の幸せな日々の記憶がよみがえってきます。
あれから年月を経て自分が親になった今になって思えば、あの昼下がりのひとときは、女手一つで私を育ててくれた母にとって、一週間頑張った自分へのご褒美だったのかもしれないという気がしています。もう二度と戻ってこない日々に思いを馳せながら「ショートケーキ」を聴いていると、亡くなって10年近く経つ母への感謝の気持ちを新たにします。
と、これは私のごく個人的な感傷にすぎませんが、「お菓子の世界」は、聴く人それぞれのお菓子と音楽が交差する幸福な光景を、心の中に映し出してくれることでしょう。そこで聴き手は音楽の主人公となって、自分自身の内面にあるさまざまなものに出会う。湧き起こった感情の変化や思考を言語化することで、他者とのコミュニケーションが自然発生し、どこかであたたかな共鳴、共振が起きる。「お菓子の音楽」には、そんなふうに個人的な音楽体験を広げ、育てていく力があります。そう、古今東西の名曲たちと同じように。それが「お菓子の音楽」はもっと聴かれるべきだと考える最大の理由です。
当盤でピアノを弾いている堀江真理子は、作曲者からの信望も厚く、湯山作品演奏の第一人者として高く評価されているピアニストです。そんな彼女の弾く「お菓子の世界」は、冴え冴えとしたクリアな音色と、端正な造型感覚を武器に各曲の「かたち」をクリアに描いている点が最大の特徴であり、美質であると言えます。加えて、情緒に傾きすぎることを厳しく戒めながら、豊富な表現の引き出しと音色のパレットを駆使して、目まぐるしい曲想の変化を鮮やかに描き分けているのが素晴らしい。若いピアニストたちがこの曲集をどんなふうに弾くのかも聴いてみたいですが、この堀江盤は湯山自身の言葉通り「珠玉の模範演奏」と言えるのではないでしょうか。
私は、「お菓子の世界」の続編を夢想しています。題材は、世界各国のより幅広い地域のお菓子です。グローバル化・多様化の時代を生きるのに不可欠な他者への理解力と寛容を身につけるためには、お菓子と音楽は子供たちの強い味方になってくれるでしょう。未来を担う少年少女たちには、隣国のタマネギについて連日無駄口を叩く我々大人を横目に、音楽と食を通して他国の人たちと互いに関心を持って語り合い、理解を深めて友好の輪を広げてほしいと思います。お花畑にすぎるでしょうか。
最後に、冒頭で取り上げたブログ記事について一言。
私は、特定のジャンルの音楽より低い位置に「お菓子の音楽」が存在するとは思いません。音楽は確かにかけがえのない大切なものですが、すべての音楽はお菓子と同様に「なくても生きていけるが、あれば人生を楽しく幸せにしてくれるもの」であるにすぎない。自分が愛するものを過度に崇め奉るのは不健康です。それに、お菓子を軽く見てはいけません。お菓子は子供だけが喜んで食べるものではないし、お菓子作りには一人の人間が生涯をかけて技を磨くだけの難しさと価値があります。
「お菓子の世界」という名曲を後ろ楯にして、「音楽はお菓子だ!」と叫んで本稿を閉じることにします。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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