あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
この年始の休み、ブレイディみかこ著「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社刊)を読みました。ベストセラー本なので、既にお読みになった方も多いかもしれません。
英国在住の著者が、アイルランド人の夫との間に生まれた中学生の息子とともに、人種差別や経済格差など様々な社会問題に日々直面しながら、多様性とは何か、アイデンティティとは何かを学んでいく姿を綴ったノンフィクション。
鮮烈な場面がありました。
著者の息子は、異なる背景や考え方を持った人々の間で対立や差別が起きている今、混乱を乗り越えるためにはエンパシー(日本語では共感、感情移入などと訳す)、つまり「他人の感情や経験などを理解する能力」が大事だと学校で教わります。そして彼はテストで「エンパシーとは何か」という問いにこう答えるのです。
「自分で誰かの靴を履いてみること(Put oneself in someone's shoes)」
これはイギリスではよく使われる「他人の立場に立ってみること」を意味する定型表現だそうです。大人でも説明が難しい概念を13歳の少年が端的に言い当てていることに驚くとともに、実生活の経験を思い起こして、まさにその通りと深く頷きました。
そのとき私は、たまたまドヴォルザークのスラヴ舞曲集のCDをBGMとして流していました。考えてみると、これもまた「自分で誰かの靴を履いて」作られた音楽だと思いました。
聴いていたのは、ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルによるスプラフォン原盤のディスクでした(COCO-73070)。1985年3月にプラハでデジタル録音されたもので、ノイマンにとっては70年代初頭録音のテレフンケン盤に次ぐ二度目の録音です。この愛すべき舞曲集を代表する名盤の一つとして、広く聴き継がれています。
ドヴォルザークのスラヴ舞曲集は、それぞれ8曲からなる作品46と作品72の2つの曲集をまとめたものです。1878年出版の第1集は、ブラームスのハンガリー舞曲の大ヒットで気を良くしたベルリンの出版社ジムロックの依頼で書かれ、その8年後に続編となる第2集が作曲されました。もともとはピアノ連弾用の作品ですが、後に作曲家自身がオーケストラ用に編曲しました。
内容はバラエティに富んだものです。タテノリのビートが躍動する陽気な曲もあれば、ヘミオラ(三拍子なのに二拍の音楽に聴こえる)が多用されるなど特徴的なダンス・ステップをもった曲、ゆったりと優雅な佇まいをたたえた曲など、まさに多種多様。それだけでなく、一つの曲の中でも、緩急や楽想の明暗はめまぐるしく交錯します。そして、さすがは稀代のメロディ・メーカーの作品、心の琴線に触れる旋律がここかしこに散りばめられてもいる。
そららの旋律はすべてドヴォルザークの完全オリジナルですが、彼の母国であるチェコ(とボヘミア地方)を中心に、スラヴ語圏各国の伝統的な舞曲のスタイルに則って書かれています。
そのベースとなったダンスの多くは作曲当時チェコで広く愛され、ドヴォルザークも親しんでいたはずのものです。例えば、フリアント(第1, 8番)、ドゥムカ(第2, 12番)、ポルカ(第3番)、ソウセツカー(第4, 6, 16番)、スコチナー(第5, 7, 11番)、スパチールカ(第13番)などのチェコまたはボヘミアの舞曲が相当します。
これらのダンスは現代も生き残っていて、動画サイトで検索すれば実際のダンス風景を見ることができます。小編成のバンドが演奏する素朴な音楽に乗って、民族衣装を着た男女が手をとりあって独特のステップを踏みますが、女性たちがスカートの裾をフワリと翻しながらクルクル回る姿が微笑ましい。
注目すべきは、第1集の大成功を受けて編まれた第2集で、スロヴァキア、ポーランド、ユーゴスラヴィア起源の舞曲が書かれていることです。チェコの舞曲を集めて書かれた第1集よりも、もっと視野の広いものを作る意図があったのかもしれません。
それらの曲のリズム・パターンや音遣いには、確かにチェコのダンスとは趣が異なるものがありますが、ドヴォルザークは行ったこともない異国の、踏んだこともないステップを持つ舞曲を書くとき、まさしく「自分で誰かの靴を履いてみた」のでしょう。
例えば、この曲集の中でも最も有名な第10番作品72 – 2。三拍子のリズムに乗って、哀愁に満ちた旋律が切々と歌われるこの曲は、チェコの民族色豊かな音楽として受け止めがちですが、実はポーランド起源のマズルカのスタイルで書かれています。
マズルカというダンスは、ドヴォルザークにとって異国由来のものであるがゆえに、「誰かの靴」だったはずです。彼は想像力を働かせて異郷の「誰か」の立場に立ち、その人たちが日々をどんなふうに生き、何を感じているのかに思いを馳せたことでしょう。その上で、自身の内側から湧き上がる旋律を生み出したはずです。
聴き手の感傷を刺激せずにはおかない名旋律と、それを包み込む柔らかなハーモニー、憂いを内に秘めて踊る人たちのステップを思わせるリズム、それらの要素の中に作曲家の、自らのアイデンティティとは異質な背景を持つ文化と、そこで生きる人々への優しいまなざしと限りない共感を、はっきりと見いだすことができるからです。
同様のことは、第9番のオドセメック(スロヴァキア)、第14番のポロネーズ(ポーランド)、第15番のコロ(ユーゴスラヴィア)でも言えるでしょう。あるいは、もともとウクライナの舞曲だったドゥムカをそこに加えても良いのかもしれません。
これらの曲をつなぐ「共感」というキーワードを意識してみると、その他のチェコ(ボヘミア)の踊りによる舞曲のあらゆる音符にも、やはり作曲家の自国の文化と同郷人たちへの溢れんばかりの「共感」が、生き生きと脈打っていることに気づきます。
だからこそ、このスラヴ舞曲集はダンスの伴奏音楽である以上に、聴く者の心を動かさずにはおかないエモーショナルな音楽として聴くこともできるのでしょう。そう考えれば、この曲集がもはやヨーロッパの一地方の音楽ではありきれず、世界中の人たちから愛され、ダンスを目的としない場でも好んで演奏され聴かれていることの説明も容易につきます。
私はスラヴ舞曲は大好物で、中学生の頃から折に触れて聴いてきましたが、「他人の靴を履く」というような切り口で捉えたことはなかったので、この気づきを得られたのはとても新鮮な体験でした。
加えて、そのとき聴いていたのが、ノイマン指揮チェコ・フィルの85年盤だったのは、偶然とは言え幸運だったと思います。
彼らは慣れ親しんだ音楽をアンコールピース的に軽く流すのではなく、まるで交響曲の楽章に取り組むかのごとく、生真面目に演奏しています。ゆとりあるインテンポの中で、楽譜の一点一画をも揺るがせにせず、楷書的な表現をすることに専心していて、音楽の外見は堅固で安定したものになっています。
そのあたりは職人気質の名指揮者ノイマンの面目躍如たるところですが、旧録音に比べて細部の解釈も演奏時間もほとんど同じであることに驚きます。彼には音楽に対する明確なイメージがあり、それを精度高く再現する卓越した技術を持ち合わせていたということなのでしょう。
だからと言って、厳格一辺倒の堅苦しい演奏だという訳ではありません。録音から35年を経た今の感覚からすれば音色も表現も概して地味ですが、淡い色彩の変化の中に豊かなニュアンスが息づいているのが聴きとれるはずです。その精巧な手作りの民芸品を手にしたときのような感触は、いつまでも愛でていたいほどにしっくりと耳に馴染みます。
さらに、細かいところにあまり拘泥せず、柔らかい音楽が悠然と流れるに任せる運びには巨匠の風格があって、スケールも大きい。特に第2集後半の滋味深い演奏は傾聴に値しますし、テンポの早い曲でもオーケストラから充実した響きを引き出しているのも好ましい。
もうそれだけでも十分に魅力的な名演と言えますが、私がノイマンとチェコ・フィルの演奏で最も惹かれるのは、私という聴き手を決して拒まないあたたかさと包容力です。
元来、遠い過去に異国で生きた他人が作曲し、他人が演奏した記録を聴くのは、隅から隅まで他者で埋め尽くされた行為です。過去のある時点で鳴り響いた音楽の生成に私が関われる余地は、もはやまったくありません。私の目の前で響いている音楽は、どうあがいても「他人の靴」でしかないのです。それも、どうしても履いてみたくなるほどに魅力的な。
しかし、私は音楽家でも音楽の専門家でもないので、その靴をうまく履きこなす技術を持ち合わせていない。とにかく履いてみたとしても、それが果たして自分の足に合っているのか、合っていないならどうすれば良いのかすら、よく分からない。
例えば同曲異演盤を聴き漁ったり、いろいろな情報にアクセスしたり、楽譜を見たり、時には実際に音にしたりして体験を広げてみても、結局のところ、自分の知識や経験だけでは読み解けない何ものかにぶち当たって、その靴を履いているという実感を得るところまでいかないのです。結局、私は他人の靴を、ただぼんやりと外側から眺めているだけかもしれないと思ったりもします。
その点、このノイマンとチェコ・フィルの演奏するドヴォルザークのスラヴ舞曲を聴いていて、そのような疎外感や無力感にさいなまれる瞬間はまったくありません。一介の聴き手に過ぎないはずの私が、踊りの輪に加えてもらったかのようなあたたかい感覚を味わうことができるのです。もっとも、実際にはダンスのステップも知りませんし、ダンスなど中学の頃にやったフォークダンス以来無縁なので、踊れるはずもないのですが…。
なぜそんな演奏が可能なのだろうかと考えてみるに、この演奏者たちが「他人の靴を履いている」という意識を持って、音楽に向き合っているからなのだろうと思います。
彼らは作曲家という「他者」の内面に創造力を働かせ、共感と敬意を捧げながらスラヴ舞曲を奏でていたのでしょう。それによって、ドヴォルザークが音楽に込めた人間への限りない「共感」が増幅されて私に伝わってくる。「共感」のバイブレーションは私の中でさらに共鳴し、私を音楽の真っ只中へと巻き込んでいく。その渦の中で私は「誰か」と繋がっているのだというあたたかな実感に包まれる。
ノイマンとチェコ・フィルの「スラヴ舞曲」の85年盤を時折無性に聴きたくなるのは、そんなヴィヴィッドな感覚を体験したくなるからなのかもしれません。人間の日常的な喜怒哀楽に寄り添ってくれる優しい音楽に触れ、何かしらの慰めを得たいという欲求が私を突き動かすのでしょうか。
そうやって繰り返し聴いてきた音楽はもはや「私の靴」となり、その形は私の輪郭とそっくりになっているはずです。それがどんなものになっているのかは客観的に見られなくて言葉にすることも難しい。
しかし、余分な自分語りを始める前に、ここで強引に結びに入ります。
音楽に国境はないなどと言うと笑われるかもしれませんが、私は音楽を通して「誰かの靴を履いてみる」ことで、世界の人々はもっと繋がれないだろうかと妄想しています。
例えば、ドヴォルザークのスラヴ舞曲に倣い、いくつかの地域のダンスを基にした舞曲集を作るというのはどうでしょうか。
イギリスを含むヨーロッパ各国の舞曲を集めた「EU舞曲集」とか、ロシアまで範囲を広げた「ユーラシア舞曲集」。あるいは「中東舞曲集」、「アフリカ舞曲集」、「アジア(またはオセアニア)舞曲集」など。アメリカは今の大統領が変わらない限りは「アメリカ舞曲集」しかできないかもしれませんが、最終的には「世界舞曲集」ができればいい。オーケストラでも、ピアノでも、民族楽器でも、演奏形態は何でもいい。声が入っても構わない。振り付けも自由。
それらの舞曲集を通じて、各国で生きる人たちが一緒になって音楽と踊りに興じ、他者への共感を深めてその存在を尊重し、多様性を確保していく。そのためには、自分たちの文化がいかに近隣諸国の文化と相互に影響を与え合っているかを知ってアイデンティティを確かめ、自己理解を深めることも大切でしょう。
何だか主語のデカい話になってしまいましたが、年明け早々、いきなり中東で緊張が走った2020年、それでも世界が「共感」で通じ合って、一歩でも平和へと向かうようにと願ってやみません。平和の中でこそ、私たちは音楽を本当に楽しむことができるのですから。
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粟野光一(あわの・こういち) プロフィール
1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。
http://nailsweet.jugem.jp/
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