この3月末から、NHKの朝の連続テレビ小説「エール」の放映が始まります。
主人公のモデルは、昭和の時代、戦前から戦後にかけて数多くのヒット曲を生み出した「国民的作曲家」の古関裕而(1909~1989)です。
窪田正孝、二階堂ふみという人気俳優が、熱烈なロマンスを経て結ばれた古関夫妻を演じるのも話題を呼んでいますが、制作発表以来、この作曲家に関する書籍やCDが次々と発売されるなど、ちょっとした古関ブームが到来しています。
折しも、今夏には東京オリンピック・パラリンピックの開催が「予定」されています。1964年東京オリンピック開会式で選手入場の際に流れた「オリンピック・マーチ」の作曲者であり、「六甲おろし」や「紺碧の空」「君に栄冠は輝く」などスポーツ応援歌の名手にして、福島出身の古関が、大震災と原発事故からの復興を謳うスポーツの祭典に際し、再び脚光を浴びるのは自然なことかもしれません。
古関裕而といえばコロムビア。彼はコロムビアの専属作曲家であり、1931年発売の「福島行進曲」から1981年の「ふくしま盆唄」に至るまで、その楽曲の多くがコロムビアからリリースされました。
この千載一遇の商機を逃すまいと、コロムビアは特設ページで各種情報を発信するとともに、彼の名曲を集めたCDも何点か再発売してきました。4月末にはファン投票の結果に従って「あなたが選んだ古関メロディーベスト30」をリリースするそうです。
ということで、今月は時流に乗って古関裕而の音楽を収めたアルバムをとり上げます。
私が古関裕而という作曲家の存在を初めて意識したのは、1990年代初頭、ソプラノ歌手の藍川由美が演奏会で取り上げた古関の歌を、音楽評論家の故・宇野功芳氏が雑誌で激賞したときのことでした。
宇野節炸裂の熱烈な賛辞を読んで、是非聴いてみたいと思いました。程なくして、コロムビアから藍川の「古関裕而歌曲集 長崎の鐘~新しき朝の」(COCO-80098)がリリースされ、次いで「古関裕而歌曲集-2 レクイエム『ああ此の涙をいかにせむ』」(COCO-80660)も出ました。前者は古関の代表的な流行歌を、後者は戦時中に書かれた歌を集めたもので、私はどちらも即座に飛びつきました。
そこで聴くことができたのは、藍川の言葉を借りれば、「クラシックにもポピュラーにも収まりきらない」魅力をもった音楽たちでした。どれも大衆に向けて書かれた平明でキャッチーな曲であると同時に、クラシックの唱法で歌っても違和感は皆無で、クラシック・ファンの耳にもすんなり入ってきました。
しかも、宇野氏の絶賛の通り、藍川の歌はまさに絶唱でした。古関というと、子供の頃に見ていたテレビ番組「オールスター家族対抗歌合戦」で、審査委員長としてニコニコと穏やかなコメントをする姿しか知りませんでしたが、その凄みさえ感じさせる歌の力に気圧され、腰を抜かしてしまいました。
本当はここで藍川由美のCDをご紹介したいのですが、なぜか廃盤となって久しいので、昨夏、作曲家の生誕110年を記念して発売された二種のベスト盤「昭和日本の歌」「戦時下日本の歌」をとり上げます(前者が藍川由美のディスクの第1集、後者が第2集と呼応していて重複曲も多い)。こちらは主にオリジナル音源を収めたもので、古関のご子息、古関正裕氏の監修による各二枚組のアルバムです。
まず、「古関裕而 昭和日本の歌~長崎の鐘~」(COCP-40920~1)から。
古関の初ヒット作「利根の舟唄」から「船頭可愛や」を経て、戦後の「長崎の鐘」「夢淡き東京」「イヨマンテの夜」「雨のオランダ坂」「三日月娘」「フランチェスカの鐘」「君の名は」「黒百合の歌」「高原列車は行く」などのヒット曲、「とんがり帽子」を始めとする子供向けの曲や、映画の主題歌「モスラの歌」など全42曲が収められています。生前レコード化されなかった「幸子の子守歌」「今日はよい日」の2曲も、鈴木聖子の歌と古関正裕氏が結成したバンド喜多三の伴奏による新録音で聴けます。
このディスクに聴く古関の音楽には、その旋律やリズムに、幅広い層の多くの聴き手を魅了せずにはおかない人懐っこさがあって、聴いていて理屈抜きに楽しい。録音や歌手の発声スタイルの古さなど忘れて聴き入ってしまいます。
各曲のつくりは至ってシンプルなものです。節度を保ちながら流麗に歌われるカンタービレと、弾むような附点のリズムをもった旋律を、曲ごとに、あるいは曲の中の歌詞の内容によって適宜使い分ける。言葉のイントネーションや意味によって、一つの旋律、フレーズの中で適切な音の高さと長さを選ぶ。伴奏のアレンジも含めハーモニーを常に安定させながら、ちょっとした音の跳躍や転調だけで音楽の風景を一瞬にして変える。
稀代のヒットメーカー古関の楽曲は、そうした基本的な技の組み合わせを軸にしてできており、最大の効果を生み出している。だからこそ、「古関メロディ」は覚えやすく、歌いやすくなる。子供からお年寄りにまで広く親しまれたのも当然と言えます。
また、古関が当初傾倒したクラシック音楽への志向が随所に聴きとれるのも、興味深いところです。「雨のオランダ坂」の間奏でプッチーニの「蝶々夫人」のハミングコーラスの旋律が引用されていたり、「夢淡き東京」がトスティの「マレキアーレ」に似ていたりするのも微笑ましい。曲の様々な側面から古関とクラシック音楽との関わりを見いだしながら聴くのもまた楽しいものです。
個々の曲では、私は伊藤久男が歌う曲に強い魅力を感じます。例えば、「イヨマンテの夜」。名曲だけに多くの歌手がカバーしていますが、伊藤の重さと輝かしさを兼ね備えた声、雄々しさと優しさが共存した表現は、他の追随を許さない。他にも甘美なカンツォーネ風の「恋を呼ぶ歌」、スケール壮大な「サロマ湖の歌」でも朗々たる伊藤の歌声は魅力的です。
二葉あき子の「フランチェスカの鐘」も忘れがたい。二葉のツンと澄ました歌も素敵ですが、曲中の台詞(高杉妙子)が強烈なのです。情緒不安気味の呟きと最後の高笑いの唐突さが可笑しく、病みつきになります。
藤山一郎の歌ではやはり「長崎の鐘」でしょうか。哀しみをたたえた静かな旋律が、リフレインで長調に転じ、鐘の音とともに高らかに歌い上げられるあたり、その展開の見事さに打たれてしまいます。
子供向けラジオ番組の主題歌「とんがり帽子」では、溌剌としたマーチのリズムと鐘の音に乗って、川田正子と児童合唱が附点のリズムをもった明朗活発な旋律を歌いますが、耳に入ってくる歌詞が刺さります。
鳴る鳴る鐘は 父母の
元気でいろよと 言う声よ
口笛吹いて おいらは元気
おいらは帰る 屋根の下
父さん母さん いないけど
丘のあの窓 おいらの家よ |
この歌が戦災孤児、浮浪児救済キャンペーンの企画として書かれたことを思うと、屈託のないメロディとともに歌われるこの言葉は、重く響きます。これは戦争で家族を失った子供達に向けた、古関・菊田コンビからの精一杯の「エール」だったのでしょう。
国民的大ヒットとなったラジオドラマと映画「君の名は」の一連の楽曲も収められています。織井茂子の歌うタイトル曲の他、岸恵子、淡島千景、佐田啓二という名優の歌が聴けるのも貴重です。
その他、美空ひばり、越路吹雪、山口淑子らの独特の魅力をもった歌声や、今もお元気な草笛光子の歌もいいし、ザ・ピーナッツの「モスラの歌」は懐かしい。閉店の音楽として今も聴ける「別れのワルツ」(ただしモノラルの旧録音)で、古関の名をもじったユージン・コスマン管弦楽団の演奏が聴けるのも嬉しい。
これだけでも十分に満腹感がありますが、古関の音楽を聴くとき戦時中に書かれた作品を無視する訳にはいきません。思想研究家・音楽評論家の片山杜秀氏曰く、その楽曲を追うだけで戦争の歴史が完璧に追えるというほどに、古関は戦時下に歌を量産しているからです。
ということで、続いて「古関裕而 戦時下日本の歌~愛国の花~」(COCP-40922~3)を。
当盤では、「露営の歌」「さくら進軍」「暁に祈る」「海の進軍」「麦と兵隊」「若鷲の歌」「ラバウル海軍航空隊」「決戦の大空へ」「海を征く歌」「嗚呼神風特別攻撃隊」など代表的な41曲を収録。ほとんどがオリジナル音源ですが、戦後にステレオで録音されたものもあります。
正直言って、これらの曲を続けて聴くのは辛いものがあります。藍川由美がその第二作のアルバムのライナーノートに書いているように、「歌詞の無謀さ、悲惨さに目を覆いたくなる」からです。
お国のために死を厭わず戦えというメッセージに血塗られた詞に、勇ましい日本男児への憧れと銃後を守る誇りを歌う女性の詞。いずれも太平洋戦争の悲惨な結末を知る身にはやりきれません。当時の聴き手からさえも非難されたという「比島決戦の歌」の「いざ来いニミッツ マッカーサー 出て来りゃ地獄へ 逆落とし」という劣悪な詞(西条八十が軍部からの指示て改変したもの)に至っては、全身の力が抜けてしまいます。
しかし、無惨な詞に対して、古関裕而は魅力的な音楽を書いています。
古関の作曲技術上の巧みさは、「昭和日本の歌」で述べたものと基本は同じですが、律儀に刻まれるリズムは軍靴の音の如く厳しく響き、附点リズムと上向きの跳躍音型をもった旋律はエネルギーを増しています。そして、自身が言うように勇壮な調べをもった短調の歌の中には、どこか心の琴線に触れる哀調がある。60万枚売れた大ベストセラー「露営の歌」はその代表的な例ですし、「さくら進軍」、「暁に祈る」「若鷲の歌」なども同様。渡辺はま子が歌う「愛国の花」のように抒情的なメロディをもった美しい曲もある。
それゆえに、これらの曲は人々に熱烈に愛されました。兵士たちや、残されたその家族や友人は、さまざまな思いを胸にこれらの曲を歌ったのです。辛い時代にあって人の心を打ち、人々の心を結びつけた歌はまた、当時の日本に生きる人たちへの応援歌だった。
しかし、これらの歌に送り出されて戦地に赴いた人たちの多くは、敵からの攻撃や飢え、病のために尊い命を落としました。そのことに思いを馳せながら古関の戦時中の歌を聴いていると、様々な問いが頭の中で渦巻きます。
この時代の古関の音楽を、歴史背景と切り離して評価して良いものなのか?古関自身、古関正裕、藍川由美、刑部芳則各氏が主張するように、これらは大衆の中から生まれた「戦時歌謡」なのであって、軍の命令で作られた「軍歌」ではないという論は成立するのか?そもそも「戦時歌謡」と「軍歌」を区別することにどれほどの意味があるのか?もし仮に「戦時歌謡」だとして、売れるからという理由でこうした楽曲を制作し、大きな利益を得た歌手や当時のレコード会社の立場をどう考えれば良いのか?これらの音楽が大衆の中から生まれたというなら、その「大衆」とは一体何だったのか?終戦後、GHQの意向で戦争の責任は問われず、広く平和を訴える楽曲を発表して大衆の支持を勝ち得た古関の「転身」をどう捉えるべきか?戦時中に書かれた音楽が「応援歌」なのだとすると、本質的に、誰が、誰を、どのような意図をもって、どのような責任を担って応援する歌だったのか?
それらの問いへの答えは、人によって違うでしょう。ただ一つ言えるのは、どんな立場に立つにせよ、問いへの答えを考えるためには、これらの音楽を聴かねばならない、聴かなければ話は始まらないということです。
その意味で、コロムビアが日本音楽史の「黒歴史」に目を背けず、こうしたディスクを発売し続け、多様な聴き手がアクセス可能にしてくれていることは高く評価すべきことです。オリジナルの音源を極力使用し、各曲に簡潔なコメントをつけて音楽の成立背景を説明してくれているのも、リアルに音楽を感じるためにはありがたい。
あとは、聴き手がこれを聴いて感じ、考えるだけです。
当盤の最後には、伊藤久男が歌う映画「ひめゆりの塔」(1953)の主題歌と、藍川由美のアルバムから、「長崎の鐘」の歌詞のモデル永井隆博士が遺した短歌にメロディをつけた「新しき朝の」が収められています。監修者である古関正裕氏の、父親へのせめてもの配慮なのでしょうが、戦時中の歌に続けて、戦没者へのレクイエムとも言える音楽を最後に聴くことで、心の中に一条の光が差し込んで来るのを感じます。
二組の古関裕而のベスト盤を聴いていると、古関裕而の音楽家としてのキャリアが戦争によって形成されたものであることを痛感せずにいられません。「露営の歌」などのヒット曲を彼に書かせたのが戦争なら、「君の名は」「とんがり帽子」「長崎の鐘」「ひめゆりの塔」を生んだのもまた戦争。
古関は戦争をきっかけとして「国民的作曲家」となり、敗戦によって再び「国民的作曲家」となったのです。それは彼にとって大きな不運だったとも言えますが、彼と同時代を生きた人たちがそのような「国民的作曲家」を持ってしまったこともまた不運と言わねばなりません。
翻って、今、私の周囲に目をやれば、古関のような立ち位置の「国民的作曲家」はいません。時代の流れに伴って、大衆の好みが細分化されていることもその理由ですが、日本が今、直接的に戦争をしていないことも要因でしょう。古関裕而のアルバムを聴き、もうすぐ始まるドラマを見て、「国民的作曲家」不在の幸せをかみしめながら、二度と彼のような作曲家を生み出さないために何をすべきかを考えるのも、また一興ではないでしょうか。
新型コロナウィルスの感染拡大に伴って、私たちの日常生活は大きく制約を受け、先行きも見えずに気の重い日々が続いていますが、どうか、くれぐれもお身体に気をつけてお過ごしください。
昨日にまさる 今日よりも
明日はもっと しあわせに
みんな仲良く おやすみなさい |