音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.81

クラシックメールマガジン 2020年4月付

~出会い直す ~ スメタナ/わが祖国 クーベリック/チェコ・フィル(1990.5.12)~

新型コロナウィルス感染拡大の影響で、厳しい日々が続いています。戦後最大という危機的状況の中で「行動変容」を余儀なくされ、働き方や生き方の見直しを迫られている方も多いかと思います。かく言う私もその一人で、健康に日常生活を送れることのありがたみを、今更ながら痛感しております。
音楽の世界でも、国内外のホールや劇場は閉館となり、演奏会の中止または延期が相次いでいます。国際的な音楽祭の中止も目立ち、ザルツブルグの復活祭音楽祭、バイロイト音楽祭などがキャンセルとなりました。
毎年5月12日、スメタナの命日から始まるプラハの春国際音楽祭も、既に中止が発表されています。1946年の創設以来、初めてのことだそうです。本来なら、セミヨン・ビシュコフ指揮チェコ・フィルが、例年通りスメタナの連作交響詩「わが祖国」を演奏して開幕するはずだったのですが・・・。
通算75回目の開催となるはずだったプラハの春国際音楽祭ですが、ビロード革命成就の翌1990年、ラファエル・クーベリックが「わが祖国」を指揮した歴史的な演奏会から、今年でちょうど30年になります。私はクーベリックとチェコ・フィルの「わが祖国」を実際にホールで聴いた訳ではありませんが、あれからもう30年が経つのかと思うと視線が遠くなってしまいます。
それは、特別なコンサートでした。
1914年にチェコに生まれ、1942年からチェコ・フィルの首席指揮者を務めていたクーベリックは、1948年、共産主義国家樹立に抗議して西側に亡命します。以来、彼は祖国には一度も足を踏み入れたことはなく、しかも、1986年には健康上の理由で指揮活動から引退していました。
そんな彼が、革命の立役者ヴァーツラフ・ハヴェル大統領の要請に応えて、チェコの民主化を祝うために42年ぶりに祖国へと帰還し、彼のキャリアの出発点であり、パートナーでもあったオーケストラと再会を果たす。そして、かつて何度も出演したスメタナ・ホールの指揮台に立って、チェコ人にとって最も大切なスメタナの「わが祖国」を指揮する。
演奏会当日、ミュシャが手がけたアールヌーボー様式の内装が美しいホールの中には、これから繰り広げられるであろう名演奏への期待と、前年のベルリンの壁崩壊から始まった東欧民主化の歓喜と熱狂が、破裂せんばかりに満ち溢れていたに違いありません。
そして、世界中の音楽ファンが、古巣のオーケストラを前にしてクーベリックがタクトを下ろす瞬間を、固唾をのんで待っていました。そう、このコンサートは世界中で同時中継されたのです。日本ではFM東京が衛星回線を使って、生中継音声を放送しました(テレビでは同日夜に衛星放送で録画がオンエアされました)。
私はそのFMの特別番組をリアルタイムで聴きました。放送開始は日曜の早朝でしたが、当時大学生だった私は六畳一間の下宿先でラジカセの前にかじりつき、歴史的大演奏を一音たりとも聴き逃すまいと耳を凝らしていました。
安物の装置から聴こえてくる音は、哀しくなるほど貧相でした。それでも、夜が白々と明けていく中、熱気を孕んで高揚する音楽に、居ても立っても居られないほどに興奮したのを今でもはっきり覚えています。そして、自由への連帯に向けて歩み始めた世界と、わずかでも繋がれたように思えて心が震えたことも。
あれから30年。クーベリックは既にこの世になく、ハヴェルも鬼籍に入りました。ソ連は崩壊して冷戦は終わり、スロヴァキアも分離。戦争、テロ、経済不安、大災害、そして今般のパンデミックを経て、世界の情勢はまったく変わってしまいました。当時大学生だった私も、今や大学生の子を持つ父親になりました。
そんなことを考えているうち、クーベリックとチェコ・フィルの「わが祖国」が無性に聴きたくなり、コロムビアから出ているライヴ盤を久しぶりに取り出しました。因みに、私の手持ちのディスクは同年8月発売の初発盤COCO-6559ですが、初回一万枚限定のビュアゴールド盤ではなく通常盤。現行盤はUHQCD仕様のCOCQ-85311としてカタログに載っています。
冷静に聴けば、ライヴゆえの細かな傷はあって、必ずしも完璧な演奏ではありません。クーベリックのオーソドックスな音楽づくりも、ゆるぎない安定感がある反面、例えばアーノンクールの問題提起を孕んだ衝撃的な演奏を体験した後では、スメタナの音楽の革新性が背後に隠れてしまっているようにも思えます。
しかし、そうした諸々を差し引いても、久しぶりに聴くクーベリックとチェコ・フィルの1990年の「わが祖国」には、ありきたりの言葉しか出て来なくてもどかしいのですが、心の底から感動しました。
何より胸に響くのは、その悠揚迫らぬ音楽の「大きさ」です。
まず、表現のダイナミックレンジがとても広い。第3曲「シャールカ」のコーダや、第5曲「ターボル」から第6曲「ブラニーク」にかけての激しいドラマ展開、随所で聴かれる詩情あふれるカンタービレ、田園風景を想起させるようなのどかで優しいパッセージなど、それぞれの曲想が求めているエネルギーやリズムは、過不足なく具現化されています。
しかし、この演奏の素晴らしいところは、もっと別のところにあります。部分から部分への移行が驚くほどに自然で、どんなに曲想が変化しようとも、音楽に常に一貫した大きな流れが感じられる点です。
その流れの美しさは、熟練した書家の筆さばきを連想させます。筆のスピードや圧力を自在に操って力点をスムーズに移動させ、絶妙の間合いをとりながら、音楽の持つ表情や熱、律動、感情のうねりを一筆書きで生き生きと表現していく。
一時も途切れることのない流れの中で、すべては美しく調和しながら大きな空間を満たしていきます。私たち聴き手は、曲の進行につれて、6つの交響詩のすべてを包み込む宇宙の存在とその広がりを目の当たりにすることになります。
だから、第1曲「高い城」冒頭でハープが奏でた主題が、終曲「ブラニーク」のコーダで回帰するところでは、音楽家たちの一期一会の高揚も相俟って、他に類を見ないほどに大きなカタルシスを得ることができます。ただ音響的に立派というだけでなく、人間性の勝利だとか何とかそんな言葉を当てはめたくなるような、音の大伽藍がそこにある。いつ何度聴いても、学生時代にボロアパートで生中継を聴いたときの感動がよみがえって、胸が熱くなります。
オーケストラの響きの美しさにも心を奪われます。そのサウンドの基本は80年代のチェコ・フィルのものですが、随所に「クーベリックの音」を聴きとることができます。当時としては珍しかったヴァイオリンを左右に分けた両翼配置と、独特の指揮ぶりから生まれるずしりと重量感のある響きがそれです。そう、彼がバイエルン放響と遺したマーラー、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスなど数々の名盤でお馴染みの、あの響き。
チェコ人指揮者が亡命先の西側諸国で身につけたものと、その指揮者が去った後も受け継がれてきたオーケストラの個性が、42年という年月を超えて分かちがたく融け合っている。その幸福な結びつきは、高度な技術を持ったプロフェッショナル同士の作業だからこそ生まれたものでしょうが、同じ母語を持つ人たちゆえになし得たものなのかもしれません。
しかし、クーベリックとチェコ・フィルの「わが祖国」から受ける感銘の深さを思うと、ただ母語を同じくする人たちの閉じた音楽であるようにはとても思えません。ある評論家が言うように「露骨な国威発揚音楽」というふうにも感じられない。この音楽が「自分事」として、身近で切実なものとして響くのです。フス教徒のコラールなどの素材や、音楽の成立背景など、どれも私とは関係の薄いものばかりなのに。
考えてみれば、クーベリックにとって1990年5月にチェコ・フィルと「わが祖国」を演奏するということは、「出会い直し」のプロセスだったに違いありません。
まず、祖国との出会い直し。彼の故郷チェコスロヴァキアは、民衆の力で自由化を成し遂げて生まれ変わった。街並みは以前と変わっていなくとも、「新しい祖国」を彼は見たのです。
次に、音楽との出会い直し。古巣チェコ・フィルを指揮して、他のオーケストラからはどうしても得ることのできなかった理想の音に触れ、新たな感覚をもってスメタナの「わが祖国」という音楽に向き合ったことでしょう。
そして、自分自身との出会い直し。異国の地にあっても自分がチェコ人であることを一時も忘れたことはなかったというクーベリックですが、念願の帰国を果たすことで、自身のアイデンティティを新たな視点から見つめたに違いありません。
この「わが祖国」から受ける感銘の根源は、クーベリックの「出会い直し」の感動と喜びなのかもしれません。人間の最もパーソナルな部分から生まれたものが、高度な技術と磨き抜かれた美意識によって音楽に昇華されている。だからこそ、この演奏は人間の属性を越えた普遍性を獲得していて、聴き手の心を震わさずにおかないのでしょう。
ところで、今回この演奏を聴き直してみて、「高い城」のコーダがとりわけ印象に残りました。冒頭の主題がトゥッティで回帰して圧倒的なクライマックスを築いた後、潮が引くように鎮まっていく部分です。これまでもその美しい演奏には魅かれていましたが、まったく違う視点から「出会い直し」たのです。
ここをクーベリックとチェコ・フィルはテンポを抑え、後ろ髪引かれるような情感を込めて演奏しています。作曲者の説明によれば、荒れ果てた国土を前に、かつて栄光を誇った王国を追憶する音楽なのだそうです。しかし、クーベリックとチェコ・フィルの演奏には、過去へのノスタルジーというよりも、戦いに敗れた者たちへの鎮魂の祈りが込められているように感じられたのです。
演奏者たちは、歴史の波間へ消えていった敗者たちの姿を、自身に重ねていたのでしょうか。彼らの多くは、1968年の「プラハの春」を記憶していたことでしょうし、何しろ演奏会のほんの半年前までは、チェコはまだソ連の支配下にあったのです。この「高い城」のしみじみとした響きに触れていると、演奏者全員の心の奥には、一度は負けを認めざるを得なかった人間の無念が、共通認識として存在していたのではないかと思えてならないのです。
そうした敗者の視点が根底にあるからこそ、第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」や第4曲「ボヘミアの森と草原から」の旋律は涙に濡れた郷愁の歌になり、終曲「ブラニーク」のコーダは自由への渇望として痛切に鳴り響く。
クーベリックとチェコ・フィルの「わが祖国」は民衆の「連帯」を象徴する演奏に違いないのですが、もっと本質的には「敗北者の連帯」なのかもしれない。今回、この演奏と出会い直してたどり着いたのは、そんな思いでした。
新型コロナウィルス騒ぎの只中にある、我が身に引き寄せて考えずにはいらません。
私たちは、あらゆる境界線を易々と越えて広がっていくウィルスの前に、ある種の敗北感を抱かざるを得ない。確かに、ウィルスが引き起こす危機的な状況は、何とか切り抜けられるかもしれません。しかし、ウィルスそのものを完全に打ち負かすことはできない。一旦は潔く負けを認め、うまく共存していく方法を見つけるしか道はありません。
以前ならば、ヤン・フスの「真実は勝つ」という言葉を、無邪気に信じることができたかもしれません。しかし、偉大な指導者も、時には真実も、世界中で猛威をふるうウィルスの前には無力であるということを、日々見せつけられています。加えて、都市や国境を封鎖し、人との接触を極力減らして「孤立」へと向かわざるを得ない状況では、「連帯」はどんどん遠のいていくばかり。
しかし、それでもこの不安の時代を生き抜いていくためには、「力なき者たちの力」を結集し、互いに「連帯」していくしかありません。一人で生きていけないのは自明の理だからです。
その重い真実に思いを致すとき、クーベリックとチェコ・フィルの「わが祖国」を聴くのは意味のあることなのかもしれません。「敗北者の連帯」の末にも明るい未来があるのだと、いくばくかの勇気と希望を与えてくれるかもしれないからです。
どうか一日も早くコロナウィルスの流行が終息して、ゆったりと音楽を楽しめる、健やかな日常生活が取り戻せますように。読者諸氏におかれましても、くれぐれもご自愛くださいますよう。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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