コロムビア・リズム・ボーイズ&シスターズ / 音故知新 昭和の名歌手 コロムビア・リズム・ボーイズ&シスターズ商品情報

コロムビア・リズム・ボーイズ&シスターズ / 音故知新 昭和の名歌手 コロムビア・リズム・ボーイズ&シスターズ

コロムビア・リズム・ボーイズ&シスターズ / 音故知新 昭和の名歌手 コロムビア・リズム・ボーイズ&シスターズ

[ALBUM] 2021/07/28発売

コロムビア・リズム・ボーイズ&シスターズ / 音故知新 昭和の名歌手 コロムビア・リズム・ボーイズ&シスターズ

COCP-41500 ¥2,530 (税抜価格 ¥2,300)

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     / コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ

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     / コロムビア・ナカノ・リズム・シスターズ

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     / 中野忠晴、コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ

  • 13.アホダラ心経
     / コロムビア・ナカノ・リズム・シスターズ

  • 14.夕陽山に沈めば
     / 中野忠晴、コロムビア・ナカノ・リズム・シスターズ

  • 15.日の丸数え唄
     / コロムビア・ナカノ・リズム・シスターズ

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     / コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ

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     / コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ

  • 18.かっぽれ
     / 中野忠晴とコロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ

  • 19.タリナイ・ソング
     / コロムビア・リズム・ボーイズ

  • 20.男荒波
     / 中野忠晴、コロムビア・リズム・ボーイズ

  • 21.つもりつもりだ
     / コロムビア・リズム・ボーイズ

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     / コロムビア・リズム・ボーイズ

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*全曲モノラル録音

監修・解説:郡 修彦(音楽史研究家)

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コロムビア・リズム・ボーイズ&シスターズ プロフィール

 1932年(昭和7年)から10年程の間に本格的な四重唱の先駆として活躍したリズム・ボーイズと、やや遅れてのリズム・シスターズは、当時の本邦の軽音楽の水準を示す存在と言えます。そもそもは黒人4人組の「ミルス・ブラザースThe Mills Brothers」や、白人3人組の「ボズウェル・シスターズThe Boswell Sisters」の影響があり、同様の音楽への挑戦から全ては始まりました。
 武蔵野音楽学校の卒業生が組織した男声四重唱団は、1933年(昭和8年)1月新譜に「コロムビア・アイキー・コルテット」の名称で登場し、4月新譜には「コロムビア・ミッキー・フォアー」と改称。この四重唱団と中野忠晴の独唱を合わせる本格的な新時代の軽音楽が企画され、準備期間に経て1934年(昭和9年)1月新譜に曲種も新規に“ジャズコーラス”と命名され、「コロムビア・リズム・ボーイズ」の名称にて、中野忠晴と「山の人気者/今宵逢ってね」の1枚にて華々しく登場しました。絃楽四重奏と同じく四重唱団も個々の歌手の技量が高く、4人が均一の実力を有する事が不可欠であり、準備期間に練習を重ねた成果が遺憾なく発揮され、以後は続々と同様の様式の軽音楽作品を世に送りました。この初代は木下伊佐男(テナー)・松本欣三郎(テナー)・村田清(バリトン)・早川一郎(バス)の4人でしたが、1935年(昭和10年)2月新譜の中野忠晴との「不景気なんか?/ミルク色だよ」の1枚を最後に日本ポリドール蓄音器株式会社へ移籍し、5月新譜から「ポリドール・リズム・ボーイズ」の名称で活躍を始めます。
 そこで、コロムビアでは直ちに2代目を結成するべく男声合唱団の「東京リーダーターフェル・フェライン」を中心に人選を行い、新たに「コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ」の名称にて、3月新譜の中野忠晴との「七匹の犬/猿とは辛いね」の1枚から新登場します。以後は毎月の新譜に不可欠の存在となりましたが、随時構成員は変化しております。2代目は秋山日出夫(テナー:1905〜1976)・原田礼輔(テナー)・手塚慎一(バリトン)・山上松蔵(バス:1900〜1950)の4人にて発足、山上松蔵が日本ビクター蓄音器株式会社へ作曲家として移籍し東辰三(あずまたつみ)となり、代わりに同合唱団の百瀬大了がバリトンとして参加、バスは荻原栄一となります。この3代目が全盛時期であり、中野忠晴以外の歌手との共演も見られました。
 この間に女声四重唱の準備を始め、1936年(昭和11年)1月新譜から「コロムビア・ナカノ・リズム・シスターズ」の名称で登場、初代は山野美和子・榊夏子・柘植けい子・鈴木芳枝の4人でした。そして、奥山彩子、豊島珠江、高杉妙子等の出入りを経て、最終期には深山藍子・真木綾子・栗山なお子・木村鑑子と変動が激しくも、常に一定の水準を維持している事がSP盤からわかります。
 同年2月には関西の大日本蓄音器株式会社から服部良一が移籍して来ますと、“ジャズ・コーラス”は更に本格的となり、音楽的に高度な作品への挑戦が始まります。様々な試みを作曲者との二人三脚で創り上げて行く過程が作品から伝わって来ます。
 1937年(昭和12年)5月新譜の「山寺の和尚さん」では初めて純粋に四重唱のみとなり、巧みな構成の四重唱と伴奏音楽の見事な編曲にて支持を得、この後には独唱の歌手と組まない活動も増え始めました。テナーの原田礼輔が三木良夫を経て笈川潔に変更になり、最終期に到ります。
 これらは全て四重唱団としての活動と捉えられ、SP盤のレーベル・文句紙(歌詞カード)・新譜月報・広告の何れにも団体名のみが記されており、社内書類である録音日誌とレーベル原稿も同様です。僅かに最終期の文句紙に各団員の写真と名前が出ている例がありますが、全体からしますと僅かですので、各作品の団員を特定する事は現在では非常に困難です。
 事変後も両者の活動は衰える事は無く、様々な題材の作品を発表して行きますが、やがて長期化に伴い時局を織り込んだ題材も扱う様になりました。とは言うものの基本は四重唱ですので過激な作品は無く、円熟の度合いを増して行く音楽的な技巧が見事でした。1939年(昭和14年)10月新譜から「コロムビア・リズム・ボーイズ」に改称、時期を同じくして録音が減少し、1941年(昭和16年)には四重唱ながら「コロムビア合唱団」の表記となり実態を隠す様になり、大東亜戦争開戦後の1942年(昭和17年)には四重唱そのものの企画自体が無くなり、自然消滅となりました。

郡 修彦(音楽史研究家)