INTERVIEW
メンバー全員の楽曲インタビュー(インタビュアー:今井智子氏(音楽評論家))
配信サイト:https://lnk.to/theroostersz
MEMBER INTERVIEW
「ロージー」
1980年11月にリリースされた記念すべきデビュー・シングル。ソリッドなスカ・ビートで時代に切り込んだ名曲だ。ドロップ・ビートに乗せて「教えてRosie」と繰り返す歌は、ダンスフロアのトランシーな空気に聴くものを引き込んでいく。大江が「R&Rは反復音楽」というのは、こうした曲のマジカルな力のことだろう。アルバム・ヴァージョンより1分弱短くエディットされているが、曲の持つパワーは変わらない。
- 大江慎也
レゲエで作ったんですよね。北九州の自宅で、ギター弾きながらこれいいかなと。レゲエでAmGFで弾いて、歌詞も、これがいいなと思って作ったんです。それでリハーサルスタジオに持ってって、みんなで音出して。ルースターズの4人はスタジオに入るとあまり喋らなくて、音だけで会話してると僕はよく言ってるんですけど。僕はよく言ってるんだけど、R&Rというのは反復音楽だと思ってるんですよ。
デビュー・シングル、デビュー・アルバムを作りたくて、それが目標だったんですけど、あまりわからないままに進んじゃったんですよね。若いから乗り越えたんですけど。なんか、スカになってたんですよね。スペシャルズとか流行ってた頃で、当時のプロデューサーに「スカでやらないの?」って言われて。レゲエ・ヴァージョンも後にリリースされたんです。自分で弾くとレゲエの方が今も好きなんですけど。結果的に、後で皆が「ロージー」いい曲だって言ったりしてますんで、よかったかな。嬉しいですね。亡くなった母親も「ロージー」は好きだといってくれた。
- 花田裕之
シングルになったのは、メンバーがどうこうより、まわりが決めたというか。ツートーン・ブームがあって、みんなよく聴いてたんで、その辺の感じで。
- 池畑潤二
初期のルースターズはエイト・ビートが基本だったのもあって、なんとかエイト・ビートで演奏して。それしかできないというのもあるかもしれないけど。1回叩いたのにもう1回重ねる感じにして叩く、それを1日でやるって感覚で、「ロージー」もそういう感じで、その後にハイハットだけ入れて、裏ビートで足して。あの頃は裏のビートというのはなかなかなくて、感覚はあるけど演奏はまだできてない(笑)。レコーディングは、ドラムよりギターのンチャンチャっていうのに合わせてた。
- 井上富雄
『ニュールンベルグでささやいて』に、ちょっとオリジナルぽい「ロージー」が入ってる。最初は、テンポはあんな感じ。70年代後半て、ローリング・ストーンズとかエリック・クラプトンとか、レゲエやってたじゃないですか。それでレゲエをモチーフにしたものが、パンク/ニュー・ウェイヴの音楽にもあって、自然とレゲエやってみようかって。当時はあまりやったことなかったんだけど、こんな感じでいいのかなぐらいの感じで(笑)。特別に「レゲエなんだ!」という感じはなかった。スカになった時も、じゃあそういうフレーズにしようかって。ルースターズの最初のレコーディングは1週間で40曲ぐらい録ったんで、悩んだり、そんなことは一切なかったというか。普段やってるものをそのまま録った。
- 穴井仁吉
ロッカーズでデビューしてすぐぐらいの頃、ルースターズと対バンして初めて「ロージー」聴いた時、カッコいい曲だなーと思った。
「恋をしようよ」
1stシングル「Rosie」のカップリング曲。青い欲望丸出しの歌詞が若々しいが、ブルースのセクシャルなラヴソングを大江流に解釈して、日本語にするとこうなる。R&Bやブルースを日本語でかっこよくやりたいというルースターズのコンセプトそのもの。
- 大江慎也
これは、リフを作って、これ曲にしたいなと。リフから入った曲。歌詞的には、こういうものを歌いたいなと。僕はもともとブルースの曲が好きなので、昔のブルースっていうのは、そんな感じの歌が多かった。マディ・ウォーターズにしても「I just want to make love to you」みたいな曲作ったり。その辺が入ってきたというか。
やる時には、自分たちなりのスタイルに昇華させないといけないというのがあったから。バンドって続けていると、必ず昇華していくんですね。
純粋のブルースより強めにギターを弾いたら、歌詞というか歌も強く歌わないとって感じになったし、バンドでやると、井上くんはすごいメロディアスなベースを昔から弾いてたし、花田くんのギターも僕が説明することもないですけど。NHKラジオに行った時に、これはかけてくれないよなと思っていたらいいですよってなって、ホッとしたことがありました。
- 花田裕之
北九州の小倉のNHKのラジオで1回かかったら、苦情がすごい来たというのを聴いて、ああそうなんだって(笑)。
- 池畑潤二
九州にいた頃から演奏してたけど、家の人には聴かせられない(笑)、そんな感じはあったな。この曲を演奏するのは好きだった、ビート的に。
- 井上富雄
当時、何がルースターズの1曲だと思う?みたいな話をしたことがあって、僕は「恋をしようよ」だと思う、と。やっぱり一番、当時のルースターズを的確に表してると思う。ごくシンプルな曲だけど、若くないと絶対作れない曲。
どうしようもない恋の唄/ヘイ・ガール
COKM-44959MEMBER INTERVIEW
「どうしようもない恋の歌」
ルースターズの前身バンドとも言える”人間クラブ”のヴォーカリストだった南浩二が作詞し大江が作曲した曲で、人間クラブでも演奏していた。60年代ポップス/R&Bに通じる軽快なラヴソング。1stアルバム『THE ROOSTERS』からの2ndシングルA面。
- 大江慎也
これも北九州の自宅で作った。(マーサ&ザ・バンデラスの)「ヒート・ウェイヴ」という曲があるじゃないですか、それをいいなと思ったのがどっか残ってて。曲の展開とか全然違うんですけど。曲は僕ですけど、南くんに詞を書いてくれって言ったんですよ。なんとなく南くんに書いて欲しいと思って。そしたら最初、南くん恥ずかしがって(笑)、書いてくるのが遅かったんですけど、そしたらああいう歌詞だったんで、「あら?」って(笑)。自分で書いた歌詞じゃないと、歌いやすいんですよ、何となく。責任回避かな(笑)。もともとブルースやR&Bのカヴァーをずっとやってたからですね。ローリング・ストーンズの1stアルバム全部やろうって持ってったり。そういうことを最初に、多感な時期にやってたんで、残ってるのかもしれません。
- 花田裕之
これも九州時代の曲。これはアルバムで録って、そのままじゃないですかね。
- 池畑潤二
これは人間クラブの時も演奏した曲。あの頃は、エディ・コクランとかそういう感じでやってたから、もうちょっとドシッとした感じ。「ヒート・ウェイヴ」系の、もうちょっと重い感じになってる。レコーディングでも、ちょっとライヴの要素も入ってるというか。
- 井上富雄
僕は人間クラブには1、2ヶ月しか参加してないので、人間クラブの曲という認識は薄い。前にいたベーシストがヤクザに追われて逃げたんで、代りにちょっとベース弾いてくれないかと言われて。当時僕はギタリストだったんだけど、当時の感覚で行くと、ギター弾けたらベースも弾けるだろうって(笑)。ベース持ってないって言ったら大江が貸すよって。それで人間クラブに入った。ルースターズになって、自分の持ってたギブソンのギターを売って、それでベースを買ったって感じですね。僕は一番年下だったし、高校生で2、3年、歳が違うって大きいじゃないですか。楽器がどうのこうのより、僕はその頃地元では有名というか人気のある人たち、薔薇族とか、そういう人たちとやれるのは面白いなっていう感覚だった。
「ヘイ・ガール」
「どうしようもない恋の歌」のカップリングだが、1stアルバム『『THE ROOSTERS』には未収録。2000年にCD化された際にボーナス・トラックになった。マイナーコードに乗せて「悲しまないで」と歌うキュートなラヴソング。
- 大江慎也
可愛い曲?いやいや(照れ)。可愛いかもしれないけど、当時の同世代のファンからは冷たく見られたんじゃないかな。このコード進行が好きですね。最後の「シャララ〜」てところは僕が考えたんです。スタイリスティックスとかに憧れがあって。
- 花田裕之
1枚目(『THE ROOSTERS』)は九州時代の遺産(笑)。(収録されていないけど)この曲もそうですね。
- 池畑潤二
リズムのこととかでいうと、ルースターズの曲は大体1グルーヴ2グルーヴぐらいでできていて、これも2パターンの組み合わせで作ってる。聴き返してみたら、最初は安定してなくてどっちに行くのかなみたいな感じなんだけど、始まると、やっぱこっちかって感じ。
- 井上富雄
これも小倉にいる頃からやってる曲。最初の頃のルースターズでは九州でやってたものを東京に来てそのままやってるんで、レコーディングは普段やってる通りにしかやってない。
ONE MORE KISS(Single Ver.)/DISSATISFACTION
COKM-44960MEMBER INTERVIEW
「ONE MORE KISS」
「明るい青少年(FANTASTIC KIDS)のためのロックンロール」と帯に書かれた2ndアルバム『THE ROOSTERS a-GOGO』の先行シングルとして、1981年5月1日にリリースされた。英語で語りが入るあたりに60年代R&Bの影響を感じさせる、スウィート・ソウル・ナンバー。
- 大江慎也
途中の英語の部分は、僕が適当な英語を並べてライヴで歌っていたんですよ。そしたら事務所のマリアさんという人が英語のできる人で、僕がイメージしたものを文法的に綺麗にしてくれた。他は僕が書いて。だいたい思い通りになったという感じかな。
- 花田裕之
2作目になって、3分の1ぐらい、こっちにきてから作ったのが入ったけど、これは九州時代の曲。
- 池畑潤二
途中で入ってくる歌詞というかセリフがいい感じ。オリジナルの詞があって、そこにジョニー野村さんの妹のマリアさんが、つけたという。マリアさんは事務所の人でもありゴダイゴのファンクラブの人でもあり。いろんな人が(ルースターズに)興味を持って、こういう風にやれとかああいう風にやれとか、たまに言って来た。リズム的には、A面とB面で、ポップなシャッフルとロックンロールぽいシャッフルになってるのかな。
- 井上富雄
これも小倉からやってる曲。「ONE MORE KISS」とか「ヘイ・ガール」みたいな、R&Bのポップな感じを、4人編成でやってるのが結成当時は多かった気がする。
「DISSATISFACTION」
スピード感たっぷりのパンキッシュなロックンロール。シングル「ONE MORE KISS」のカップリングで、2ndアルバム未収録のまま今に至っている。
- 大江慎也
これは、赤坂のコロムビアのリハーサル・スタジオに向かうワゴン車の中で、歌詞書いたんです。ノートとペンを持ってて、できるの早かったですよ。それでリハーサル・スタジオで、曲ができた。今より僕、いろんなことに余裕があったんですよ時間も気持ちも。
その頃は4人で一緒に住んでいて、楽器を自分たちでエレベーターに詰め込んで降ろして、ワゴン車に積んで行く。若い頃って目的が明確だったりしません?だからできたのかな。
- 花田裕之
これはこっちに来てから。いろいろ当時の新しいのを聴いたりして。そういう時期の曲のひとつかな。
- 池畑潤二
この曲はリズムがあったり面白くて好きだったけど、ダーッと始まって、ダーっと終わる感じが(笑)イライラしてるんだろうな。でもあんまりやりたがらなかったよね。楽曲なのか歌詞なのか。あの頃は、それぞれの役割というか、考えないとなっていうのが出て来たかな、そこまでは同じ時期にレコーディングしてるから。最初に2日間で28曲とか録ってるんだよ。東京に来てすぐにライヴやれるわけじゃなかったから。
- 井上富雄
デビューした頃に作った曲。大江もアグレッシヴでかっこいい感じを狙ったんだと思いますけど、歌詞も含めて。結成当時は「ヘイ・ガール」とか「ONE MORE KISS」みたいな、R&Bのポップな感じを、4人編成でやってるというのが多かった気がする。
GIRL FRIEND(Single Ver.)/WIPE OUT~TELSTAR
COKM-44958MEMBER INTERVIEW
「GIRL FRIEND」
4thシングルにして初のラヴ・バラード。新境地を曲にした大江慎也の歌が柔らかく、バンドの演奏も憂いを含んで曲のムードを盛り上げている。
- 大江慎也
気に入ってましたね。今でも自分のライヴで時々やってるけど。レコーディングで、その頃ダビングというか音を増やして行くというのをやってたんですけど、ヴォーカルに集中して歌うためにスタジオの電気真っ暗にして。プロデューサーの提案で、自分と譜面台とマイクだけに光が当たって。
- 池畑潤二
アコースティックが入って来て、どういう感じやろうぜってなって。でもアコギに慣れないのか、なかなか落ち着かなかった記憶がある。ギターも合わないとかね。ドラムはそんなにやること変わらなくて、やることなさすぎて(笑)。1回やったらまた始まったとか、そんな感じ。あれはレズリーのアンプ使ったりして。もちろんローリングストーンズとかの影響はあったにしろ、新しい音がバンドの中に入って来た時期じゃないですかね。感覚的には、そういう違うところにいかいなというのが俺とかあって。そろそろミディアムとか、そういうのやりたいなと思っていた。
- 井上富雄
「GIRL FRIEND」シングル盤は、クレジット書いてないけど、タケカワユキヒデがアレンジしたんですよ。と言っても一緒にスタジオに入って録音したわけではなく、アレンジを施された譜面をいただいてそれをもとに演奏しました。聴き直してみるとサビのコード進行が変わっています。それくらいなアレンジ感です。ちょっとオシャレなコードになってるんです。ああこういう代替があるんだって、勉強になった覚えがある。元はGCADみたいなのしかないのが、Am7とか入ってきて、なるほどねって。
当時、イタカジがめちゃ流行ってて、BALLってブランドが原色で、それが皆かっこいいみたいになって、大江もすごいハマって。1stが黒いイメージだったから、あんなのだめだって、みんな急にカラフルになって(笑)。ジャケットは単純にそれで、だと思う。
「WIPE OUT~TELSTAR」
2ndアルバム『THE ROOSTERS a-GOGO』の1曲目と最後の11曲目になったインストゥルメンタルのカヴァーをエディットしたもの。「WIPE OUT」はThe Surfarisが1963年に発表、日本でも大流行したサーフ・ロック。「TELSTAR」はThe Tornadosによる世界的ヒット曲。オリジナルはクラヴィオンというアナログシンセサイザーの先駆けと言われる楽器でメロディを演奏しているが、ルースターズはThe Venturesのヴァージョンを更にソリッドにしたようなギター・インストにしている。
- 大江慎也
確か僕がギターメロディーを弾いていますが、花田君もメロディーを弾いていたような記憶がうっすらとあるのですが。ギターメロディーとコードを交互に、だったような記憶です。 (ギターインストは)北九州でリハーサルをしていた頃から、The Venturesの「Bumble Bee Twist=バンブルビーツイスト」は演っていました。Wipe Out とTelstarは、(また出てきますが 笑)プロデューサーの意見でした。
- 花田裕之
「TELSTAR」のメロディは大江。あの辺も東京に来てからあの時のレコーディング用に録ったのをエディットした。なんか楽しかったですけどね。でもライヴではほとんどやってなかった。とりあえずやったけど、結局やらなくなっちゃった。
- 池畑潤二
インストはよくやってたので、こういうのも周りはイメージしたのがあった。モータウンの、イントロだけ繋ぎ合わせたやつ(12インチの「Stars On 45」シリーズ?)、ああいうのを聴いてたし、あとツアーに行く時に短めにいろんな曲を、作って持ってったりしてた。ベンチャーズとか九州にいる頃は結構やってた。
レッツ・ロック(日本語 ver.)/ゲット・エヴリシング(日本語 ver.)
COKM-44962MEMBER INTERVIEW
「レッツ・ロック」
1981年11月25日に出た3rdアルバム『INSANE』の1曲目になったストレートでパワフルなロック・チューン。大江慎也や池畑潤二も出演した石井聰亙(現・石井岳龍)監督の映画「爆裂都市」の挿入歌に使われたことから、1982年3月1日にシングルとしてリリースされた。しかしアルバム収録時は英語詞だったものを日本語詞に変えてリリースしたが歌詞に問題ありと回収、歌を差し替えて再発された。今回の解禁曲は、修正後の日本語ヴァージョン。
- 大江慎也
この説明が合ってるかわかりませんが、メンバーみんなが同じ方向を向いてましたね。皆が同じ方向を向いていて、やれた。『INSANE』のレコーディングが一番顕著だったと思います。自分やメンバーの創作活動に取り組む意欲が強かったように覚えています。曲は僕が書きましたけど。映画「爆裂都市」の出演は、かなりストレスだった。若い頃って切り替えがうまい具合にできなかったんですよ。今でも不器用っちゃあ不器用だけど。
この曲と「ゲット・エヴリシング」は、リリースした後で歌詞を英語から日本語に直して、ヴォーカルだけ差し替えました。結構後先考えずにやるところもあるから(笑)、言われて気がついたみたいな感じで。
- 花田裕之
池畑がドラム重ねてましたね、ジャングル・ビートじゃないけど、バウワウワウとか流行ってて。俺がギター弾いたイントロがあったんですけど、それは使わずに簡単なやつになった。フジロック(2004年)で復活した時に弾いた、元はあれですね。
- 池畑潤二
ライヴもあるから、バンドの中ではあまり重ねてというのはなかったけど、制作の中では、そういうのが面白いなというのがあって。その後も結構重ねていくのは使っていった。
- 井上富雄
「レッツロック」は初期ルースターズの一番盛り上がったところなんじゃないですか、バンドとしても演奏の感じも、今思うとすごく忙しかった。ハードすぎたんだろうなというのはありますけど。当時は圧倒的に大江がリーダーだったし、歌も歌うし詞も書く、バンドのコンセプトも持ってくるし、メンバーもまとめるみたいな、全部大江なんで。僕はベース弾くだけですから、カッコ良くベース引ければいいかなってぐらいで。
「ゲット・エヴリシング」
「レッツロック」と同じく映画「爆裂都市」の挿入歌となり、カップリングとしてシングル化された。アルバムではタイトルが「WE WANNA GET EVERYTHING」で英語詞だが、シングルは「レッツ・ロック」と同じく日本語詞で歌っている。
- 大江慎也
「ゲット・エヴリシング」が、アフリカン・ビートになったのは、今でも嬉しいです。そういう曲の感じにしたかったんです。ギターで、コードで僕がチャッチャと曲を作って、スタジオで作り上げて、レコーディングしました。「レッツ・ロック」も「ゲット・エヴリシング」も英語で歌詞は思いついたんですよ。歌詞は、狂気を孕んでいるとか言われましたけど、英語の方の歌詞のようなことを、当時は思っていた。英語の歌詞と日本語の歌詞は、ちょっと意味合いが違うんですよ。同じことを歌っているように見えても、違うんです。
- 花田裕之
これもドラムがすごいんですよ、ダビングが。
- 池畑潤二
元は1回ながして録ってOKで。その時の手法的に重ねて入れて見たら面白いぞって。もう1回同じことが叩けるというリクエストに応えて、全く同じことを叩いたら、みんなえ?同じの叩けるなって。最後に間違えるんだけど、その間違えたところも同じようにやったら、そこまで叩けるんだって。そんなに何時間もたたなければ。
バウワウワウをみんなで見にいって、今まで国内のライヴでは聴いたことないようなカンカンした高音がすごくて、ギターとかもすごいなあと思って。これに近づけたいなと思った。かたやU2も出て来たし、こりゃやばいなって、あくまで私の中ですけど。
- 井上富雄
「レッツ・ロック」と「ゲット・エヴリシング」は、この時期のライヴでダントツに盛り上がってたのは間違いないですね。日本語詞の歌入れには立ち会ってませんが、「爆裂都市」の相乗効果でシングルを切りたいから日本語にしようというような話を、プロデューサーの柏木さんが言っていたように思います。『INSANE』のジャケットは三浦憲治さんで、勝鬨橋で撮影した。このシングルも同じ時じゃないかな。
THE AIR/DESIRE
COKM-44963MEMBER INTERVIEW
「THE AIR」
1983年10月21日、4thアルバム『DIS.』と同時発売のシングルだが、曲題は「I'm Swayin' in the Air」から「THE AIR」と短くなっている。この前作『INSANE』から本作までの間に2作の12インチシングル『ニュールンベルグでささやいて』『CMC』を出し、それを最後に池畑潤二が脱退。九州時代の仲間のひとり灘友正幸が加入し、12インチではアディショナル・メンバーだった安藤広一(Kb)、下山淳(G)が正式メンバーとなる。大江の体調が不安定となり活動にも支障が出ていたが、彼らは必死でバンドを進めていた。幻惑的な歌詞とシンセなどを入れたサウンドで示したバンドの新境地に、当時のファンは大いに驚いたものだ。
- 大江慎也
正直言って、あの頃は心が空洞でした。若い頃から音楽しかしてないですからね。スタジオに入って歌を歌ってギターを弾いてみたいな。そういう活動、仕事しかしたことなかったから。当時の僕がどういうことを考えてたかわかりませんけど、その辺の感覚があったからやれたんじゃないかなと今は思います。
曲の感じとしては、そんなに悲しくないよな、どっちかといえば爽やかだよなと思ったりしてたんだけど、それは作ってから随分経って思うことで、当時は大変なことしか残りませんよね。
- 花田裕之
アルバムでいうと「DIS.」の頃。曲自体は好きでしたね。それより大江も元気なくなるし、池畑やめて、灘友になって。安藤がキーボード。下山も、「爆裂都市」で石井(聰亙・監督)さんと一緒にバンドやってたから、そっちから来て。
- 井上富雄
池畑くんがやめたのは大きいですね。灘友を誘ったのは僕だと思う。当時、人間クラブの南と自慰獣のベースと上京してたから、東京に居たし、気心の知れたドラムだし、ルースターズのことも知ってるし。「THE AIR」は、個人的にはポップな印象を与えるベースラインが作れたかなと思います。
- 安藤広一
シンセの力がデカい。DX7が出たての頃で、楽器の音に刺激されてメロディが出てくるみたいなところがあった。自分が面白いと思うのは変則的なコードを被せていくんじゃなくて、一番きれいなのはドミソかなと思ってて。あとは子供の頃から聞いてたクラシックとか、自分の中に残ってるものが、新しい楽曲が来た時に蘇ってくるみたいなのがあった。
- 下山淳
俺が最初にルースターズのレコーディングに関わったのは『C.M.C.』。花田の歌ってる「ドライヴ・オールナイト」でギターソロ弾いてくれって、安藤に呼ばれて弾いた。その前に映画「爆裂都市」の石井聡互監督のバンドに俺はいて、石井さんルースターズ大好きだから俺は面識なかったけど名前は聞いてた。石井さんのバンドのライヴに安藤が来て。その後に連絡が来たんだ。安藤たちは花田と俺のツインギター面白いんじゃないかと思ってたらしいし、俺もやらせろって言ったの。それで『CMC』が5月で、『DIS.』は10月にレコーディング。ネオアコがどうのって言ってたけど俺はピンとこなかった。でも12弦弾いてネオアコやらされたのは俺(笑)。エレキギターのソロと12弦しかやってない。「THE AIR」は、最初のギターソロは花田、2番目が俺。
- 灘友正幸
池畑さんが1984やってる時に、ちょっと手伝ってくれと言われて、それからの流れですかね。私は、ルースターズがデビューした後で人間クラブの南浩二と一緒に上京したんだけど、南が半年ぐらいで帰っちゃって、もう東京で普通に就職してと思ってたところだったから、軽い気持ちで手伝うような感じで。北九州時代のバンドって、作っては解散作っては解散、2、3ヶ月やってすぐ解散とか、そういうパターンが多かったんですよ。私もそんな軽いノリでいいよって感じで返事して。後で後悔した(笑)
いきなり「DIS.」のレコーディングで、バンドをやっててもレコーディングなんて初体験だったから、ドラムの音作りなんかも言われるままな感じ。「The Air」は、初期のルースターズと全然違う雰囲気だったから戸惑いましたね。『DIS』は最初の頃と全然違う曲調ばっかりなんで、本当に戸惑いました。
「DESIRE」
軽快なギターリフで始まり「ロージー」を彷彿させるスカ・ビートで踊らせる『DIS.』収録曲で「The Air」のカップリング。曲の展開に合わせアレンジが変化していくあたり、初期のルースターズにはなかったスタイルに彼らが進んでいたことを実感させる。
- 大江慎也
「Desire」のヒントを得たのは、当時のヨーロピアン・ミュージックだったと思います。New OrderとかOMD(Orchestral Manoeuvres in the Dark)とか。僕にとっては、この曲もブルースなんです。ブルースから昇華して、どうやって作っていくか。「レッツ・ロック」も「ゲット・エブリシング」もブルースから昇華したと思ってるんです。共感は得られないかもわからないけど。ロックンロールの雰囲気というのは、僕たち、僕の体に染み込んでいて、それは作品に出る。
- 下山淳
あんまり覚えてないけど、覚えていないのはライヴでほとんどやってないからだと思う。最初はスカじゃなかったような気がする。スカアレンジにしてからスムーズにいった曲かも。
- 井上富雄
あまり覚えてませんけど、ベースとしてはコードに忠実に弾いているという感じ。
SAD SONG (WINTER VERSION)/HEART'S EDGE (REMIX)
COKM-44964MEMBER INTERVIEW
「SAD SONG」
『DIS.』からの2ndシングル。感情をどこかに置き忘れたうな大江のヴォーカルが切なく、その不安定さを受け止めるようにギターやシンセが重なってドラマチックに聴かせていく。
イントロとアウトロのインスト部分が少々カットされてアルバム・ヴァージョンより1分短い。大江が言っている「SAD ROMANCE」の弾き語りのデモテイクが、BOXセット『THE ROOSTERS→Z OFFICIAL PERFECT BOX “VIRUS SECURITY”』に収録されている。
- 大江慎也
「SAD SONG」は、もともとは他のアーティストに書いてくれって言われて、書いたんです。僕のアパートにこもって書いた。最初は「SAD ROMANCE」というタイトル。でもそれは渡らずに、ルースターズでやることになったんです。
- 井上富雄
これもベースラインが単調な曲調を、多少なりともダンスナンバーになりえるようにしました。
- 安藤広一
イントロをキャッチーにしたいなと。あれはDX7の琴の音。そう聴こえないけど。哀愁じゃないけど、入れたかったんだろうな、マイナーなメロディで。でもずっと沈み込むんじゃなくてメリハリつけて。シングル用に録った記憶はない。リミックスしてるかもしれない。
- 下山淳
このジャケット写真は、箱根ロックウェル・スタジオの帰りに、途中で車止めて撮影したんだよ。
- 灘友正幸
まだ慣れてないから、言われるがままに。ミュートとか本当はあまりしたくないんだけど、ミュートした方が録音しやすいからって言われて、え〜?とか思いながら。そういう感じもありましたね。
「HEART'S EDGE」
『DIS.』では「She Broke My Heart's Edge」のタイトルで、アルバムの幕開けを飾る緊張感のあるナンバー。大江が作詞、花田が作曲している。これは「SAD SONG」のカップリングになった際のリミックス・ヴァージョンで、アルバムと曲の長さはほぼ変わらないが、音のバランスなど細かく調整したりミックスのようだ。
- 大江慎也
「She Broke My Heart's Edge」は花田君との共作です。あの曲を好きなファンの方も多いと思います。dipのヤマジカズヒデくんとかも、あの曲好きらしいです。作ったのは、赤坂のリハーサル・スタジオに入った時に、花田くんが大きな音でギターを弾きだして、FとAで。僕はとっさに思いつきで歌詞を歌ったのが印象に残っています。歌詞は後で構成しますけど、当時置かれていた状況が、直感で歌詞に出たのかもしれないと思います
- 花田裕之
「She Broke My Heart's Edge」は、大江の曲のペースが落ちていたし、自分でも作るかって。井上も「DIS.」では何曲か書いてる。自分の曲がシングルになるのはちょっと嬉しかったですね。歌詞までかければいいなと思ったけど。
- 井上富雄
ベースの音作りを特に考えたりはしてないですけど、『DIS.』は灘友が加入まもないし、そもそもシンプルなドラミングなので何かとベースで色付けしていたように思います。
- 灘友正幸
これは初期のようなテンポ。ルースターズの曲は、早い曲が多かったからドラムきつかったです(笑)
SOS/Sunday/Oasis
COKM-44965MEMBER INTERVIEW
「SOS」
大江が治療のために入院したため、花田がヴォーカル/ギターでバンドを続けることにした決意表明の曲と解釈したらいいだろうか。柴山俊之による歌詞は、先行き不安な状況を感じさせるもので、まさに「SOS」だった花田たちの思いを綴ったかにも思える。花田のブルージーなメロディと歌も、そんな空気から生まれたものだろうか。そんなバンドのムードと裏腹に、ポップでカラフルな衣装で4人がポーズをとるジャケット写真が不思議な印象を残す。過渡期的なシングルだからかアルバム未収録のまま今に至っており、今回のサブスク解禁で初めて聴く人も多いのではないだろうか。
- 花田裕之
……(自分がヴォーカルを)やることに決めたので、やろうかって。自分のいいと思うことを、やりたい、それでやるしかないなと。詞を柴山さんに頼んだのは、柏木さんだ思います。大江とやったのは曲が先だけど、柴山さんは詞先で。詞を見ながら曲を書くのは、結構やりやすいなと思った。柴山さんは知らない人ではないので、サンハウスの人っていう感じで。あの人が書いていると思えば(解釈しやすい)。バンドもそういう状態なんで、会って相談したり。(バンドの状態を知っているので「SOS」というタイトルは)半分洒落な感じもありつつ、半分本気もありつつ(笑)。
- 下山淳
Date of BIrth(クレジットはbanana brothers)呼んだのは俺。大江が入院して花田が歌うことになって、急にジェニカ・ミュージックの社長が打ち込みでやれ、コンピューターだって言って来た。それで事務所に内緒でDate of BIrthと俺で、俺のアパートでキーボードとそれにリンクできるリズム・マシーンとかを使って作業して完成させた。ジャケット撮影で変な服着させられてね。すごいのは、あの変な服着てジャケ写撮った後で、着替えてくださいって言われて、顔に絵の具塗りたくられて、『ネオン・ボーイ』のジャケになった写真撮られた。よく見ると背景が同じなんだよ。
- 柞山一彦
最初にレコーディングに参加した曲ですね。それまではライヴでサポートということで弾いてました。博多のDate of BIrthの二人が、ポップな打ち込みのトラックを作って。そのトラックに合わせて、ベースとドラムを弾いた。そのレコーディングが単発であったんです。こういう曲もやるんだって思った。ジャケットも、1stから考えると随分すっ飛んだものだなと思いましたけど、そういうのは大人が決めて、花田さんと下山さんがOKというならいいかと。まだ僕は19でお子様だったんで(笑)。
「sunday」
初の詞・曲とも花田による曲。ミディアム・スロウなフォーキーな曲で、まだ歌いなれていない様子の朴訥な花田の歌が初々しい。どこか捉えどころのないような曲でもあるが、歌うことで否応無く向き合わざるを得ない現実から自分を守ろうとしているようにも思える。そんな彼の気持ちをバンドの演奏も組んでいるかのようだ。
- 花田裕之
俺が歌い始めて最初のシングル「SOS」を作るときの曲なんですけど、(バンドの)状況が状況で、はっきり進むという感じでもなくて、いろいろ様子見ながらみたいな感じの気分というんですか。あんまりこう、カッチリ決めた感じではやってなかったのを思い出します。だからバンドでというより個人的に作ったような、自分の引き出しの中から持ってきた感じはありました。バンドでみんなでやるというよりは、自分の感じで。歌詞も、その後の『カミナリ』とかのはっきりした感じにするような気分じゃなかったですね。
ギターは、下山と、ルースターズのいつもの感じで。下山が味付けというか広がりを入れるというか、そういう感じです。
「OASIS」
日常の一瞬を切り取ったような柴山俊之の詞に花田が親しみやすいメロディをつけ、力みなく歌っている。バンドの演奏もシンプルで、ルースターズには珍しいタイプの曲になっているところが、この時期の彼らの試行錯誤を表しているようにも思える。そうした背景を鑑みつつも聴けば、新たなバンドの産声と言ってもいい初々しさも漂う曲だ。
- 花田裕之
「SOS」と一緒に柴山さんから貰った詞で、ああいうポップな曲をやりたかった。バンドの状況が、そんな落ち着いた感じでもなく、先のことはわからないっていう感じもあって。でもこのシングルは、あまりインパクトみたいのは残せなかったですけど、とりあえずやったという事実が残ったので。その後に行けたのかもしれない。この3曲は知らない人も多いと思うんで、聴いて欲しいですね。
- 下山淳
この2曲(sunday/OASIS)は過小評価されてるけど、いい曲。「SOS」でシングルヒットが欲しかったんだと思う。だから、他はどうでもいいからお前らやれ、みたいな。あのハーモニカみたいなキーボードは俺ですね。
歌詞の「君が自転車に乗って~」というセンテンスが好きかなあ。あれ、柴山さんが最初の奥さんのこと言ってるから(笑)
- 柞山一彦
「OASIS」は、どこかのフェスに行く日の明け方まで、夜中に録ってた気がする。
Super mix(Stranger in Town)/Mega Mix
COKM-44966MEMBER INTERVIEW
「Super mix(Stranger in Town)」
1985年9月21日にリリースされた7thアルバム『NEON BOY』収録の「Stranger in Town」(作詞・柴山俊之 作曲・花田裕之)をリミックスしたヴァージョン。イントロなどの構成を変えて4分50秒の曲が5分48秒にリミックスされている。面白いことに『NEON BOY』のテイクよりも花田と下山のギターを生かしたミックスで、間奏や後奏の下山によるギターソロはダイナミックで聴き応えがある。『NEON BOY』でアレンジに下山淳・花田裕之と珍しくクレジットされているのは、二人のギターの存在が大きいからだろう。
- 花田裕之
こっちのほうが(『NEON BOY』より)ギター、長いですよね。俺はこっち用に録ってはいないと思うんで、先に録ったもので作ったと思う。でもこっちの方が(ギターが立ってて)余裕が出て、グッと来ますよね。
- 下山淳
Super Mixは、オリジナルに俺の付点8分ディレイ・ギターをダビングしたものです。なので一番最初に聴こえてくる俺のギターはダビングしたもので、その後にオリジナルの音源が登場するという事になったので、サイズがその分長くなっているという事ですね。ダビングしたのは俺のギターだけだと思います。 「Stranger in Town」のオリジナル・ヴァージョンはあまりポピュラーじゃないようですね(笑)。(オリジナルのアレンジは)なんか、ドラマティックにしたかったのかな?
「Mega Mix」
(Sos-Drive All Night-Neon Boy- That Girl Is Mystery-Heart Edge-Low Missile-Whisper In Nuremberg)
花田がフロントになった曲「SOS」から始まり、彼が初めてヴォーカルをとった『C.M.C.』収録の「Drive All Night」(エリオット・マーフィーのカヴァー)、「NEON BOY」とそこに収録の「彼の娘はミステリー」、大江と花田の初共作曲「Heart Edge」(ヴォーカルは大江)、『ニュールンベルグでささやいて』で「撃沈魚雷」のタイトルだった「Low Missile」、その表題曲「Whisper In Nuremberg」をリミックス。1982年~85年の彼らを凝縮したような音源になった。1984年の『GOOD DREAMS』からバンド名の表記を「THE ROOSTERS」から「THE ROOSTERZ」に変更したからだろう。ジャケット裏には「THE ROOSTERS~THE ROOSTERZ」と書かれている。選曲とミックスはプロデューサーの柏木省三とDate of Birthが行い、メンバーは関わらなかったようだ。
- 花田裕之
(『C.M.C.』での)「Drive All Night」は、柏木に1曲歌えって言われて。エリオット・マーフィー知らなかったんで、この曲も知らなかったけど、聴いて好きになった。(レコーディングを)やってる時は調子に乗ってやってたけど、後で聞いたら恥ずかしくなりましたね(笑)。
TRANSMISSION
COKM-44967MEMBER INTERVIEW
「TRANSMISSION」
『KAMINARI』初回盤に特典として封入された(?)ソノシート収録の曲で、アルバム未収録。
ストレートなロック・チューンは花田・下山・灘友・柞山の4人で進むという決意表明のよう。キーボードはホッピー神山か。
ライヴ・アルバム『FOUR PIECES LIVE』には収録されなかったが、2004年に出たBOX SET『THE ROOSTERS→Z OFFICIAL PERFECT BOX “VIRUS SECURITY”』にはラスト・ライヴが完全収録されており、その中にはこの曲も入っている。レコーディング時のリズム隊は柞山一彦と灘友正幸だが、ライヴでは穴井仁吉と三原重夫が務めた。
- 花田裕之
アルバムには入ってないけど、レコーディングは一緒で。『KAMINARI』は、一発録りにもう1チャレンジしようみたいな気持ちで。『NEON BOY』も一発と言えば一発だけど、『KAMINARI』は本当にもう1回一発録りみたいな感じでやりたいなと。でもこの曲はアルバムには入れなかった。詞曲は俺で、自分の感じで書きたいなというのがありましたね。
- 下山淳
これは正規の録音でちゃんと録った。当時、シングルっていう時代じゃなかったからシングルにしなかったけど、でも一番わかりやすいし、目玉にしようってことから、何か変わったことできないかってことで、ソノシートになった。途中から俺はソノシートと決めてたと思う。スターリンの影響かと(笑)。
- 灘友正幸
「TRANSMISSION」は、コロムビア本社の第1スタジオで録ったんです。普段めったに使えないスタジオなんだけど、たまたまスタジオに空きがあって、この曲をレコーディングした。私はデモテープだと思ってたから、最後ちょっとふざけた調子で叩いてたりしてるんです。『KAMINARI』の中でというか自分が叩いた曲の中で、この曲が一番好きですね。
それまではエンジニアの人とかに言われるままにドラムの音をミュートしたりしてたんですけど、『KAMINARI』のエンジニアの人は、なるべくミュートしないでドラムを生かそうというタイプの人だったんで、一緒にチューニングの相談したり、初めて自分で考えたというか。そういうレコーディングだったからすごく嬉しかった。
- 柞山一彦
花田さんがトントントンと作ってきた曲を、サクサクッとレコーディングした。ちょこっとリハーサルして、すぐ録っちゃうみたいな感じだった。
- 穴井仁吉
「TRANSMISSION」は大好きな曲です。ライヴツアー中にコード進行と構成を教えてもらったかな。録音した音源はいまだにちゃんと聴いたことがありません。
- 三原重夫
「FOUR PIECES TOUR」ではマジメに叩いてたけど、脳天気なロックンロールなんで、今だったらガシャガシャ楽しく叩きますね。
BURNING BLUE/STRANGE LIFE
COKM-44968MEMBER INTERVIEW
「BURNING BLUE」
『PASSENGER』からの同時発売シングル。スピード感のある演奏で花田が力強い歌を聴かせている。 作詞は柴山俊之。灘友の言っている「白い靴」はMVでキックを踏む足元を捉えた瞬間がある。 これも「TRANSMISSION」と同じく『FOUR PIECES LIVE』未収録だが、BOX SETにライヴ音源が収められている。
- 花田裕之
パリのレコーディング。6月ぐらいでフランスは暑くて蒸してて。気候が意外だった。パリに行ったのは、ジム・モリスンの墓がパリにあって、ジョニー・サンダースがその頃パリに住んでるとか、そういうロックンロールの人たちが、そこに流れ着いてるみたいなイメージがあった。
- 下山淳
この曲は最初から激しい感じで演ろうと思って日本にいるうちにアレンジも完全に決めてました。
リズム録りをしたスタジオのルームが大理石張りだったので更に激しい感じで録れましたね、フランスにしては(笑)
PV撮ったよね。調布の大映スタジオで。下が土で、「大魔神」撮ったところですって言われて感動した。- 灘友正幸
パリでレコーディングって、行けるのは嬉しいけど、どうかなという不安な感じはありましたね。時間がなくて、思うようにできなかった部分はあったかな。PVに、白い靴を使いたいみたいなこと言ってたんですけど、俺は白い靴を履いてなくて、カメラマンか誰かの白い靴を履いて撮影した。
- 柞山一彦
「BURNING BLUE」は、『KAMINARI』でやったことの延長みたいな感じ。この4人でやったらこんな感じなのかなっていう。
- 穴井仁吉
「BURNING BLUE」はめまぐるしい構成ですが、演奏中に下山とアイコンタクトするのが、スリリングで燃えました。
- 三原重夫
「FOUR PIECES TOUR」のライブはキメ、ブレイクなど、より強調してた記憶が。けっこうカッコ良かったと思いますヨ。
「STRANGE LIFE」
「BURNING BLUE」のカップリング。詞曲ともに花田で、ルースターズにとってアナログ7インチで出た、そしてバンドとしても最後のシングルB面。アルバムのテイクのままで、カップリングながら堂々としたスケール感のある曲だ。初の海外録音で苦心しながらも集中していたことが想像される。
- 花田裕之
音はフランスぽいと言うか。ちょっと重さがなかった。正直言うと軽い。それがフランスかな、みたいな。
- 下山淳
間奏も含めギターをかなり重ねて録音しました。フランス人たちはそんなの見たことないのでビックリしてましたね(笑)。パリでは何しろ俺はスタジオに缶詰でした。