今のアイドルはどこか満足できない。そう思う「元」アイドルファンは多い。
思い出を美化しているだけじゃない、と自重しつつも、確かに80年代アイドルは綺羅、星のごとく本当にスタアだったと四十路を過ぎて思う人も多いのではないか。
その80年代アイドルの中でもひときわまばゆい光を放ち続ける人がいる。河合奈保子さんだ。スタイルよし、笑顔よし、音楽センス抜群、でもとても親しみやすくて「奈保子タン」なんて言いたくなるアイドル。当時、同じように人気だった他のアイドルもいたけれど、改めて河合奈保子さんは今でも通用する新しさと実力を備えたアイドルだったと思いません?
1980年3月16日。西城秀樹さんの「スプリングツアー ハード・アンド・ハード」開始の日、その会場、中野サンプラザで行われた「ヒデキの弟妹募集」コンテストの決勝大会で河合奈保子さんは優勝した。関係者によれば、奈保子さんの歌唱力は抜群で、コンテスト応募のデモテープでは杏里の「オリビアを聴きながら」をファルセットで歌い、決勝ではうってかわってアップテンポな石野真子の「春ラ!ラ!ラ!」を歌い幅広い歌唱力を見せつけ、審査員たちを唸らせた。審査終盤には西城秀樹さんからも「この子!」という強いプッシュもあり、栄冠をかちとった。その堂々たる歌唱ぶりとは裏腹に、コンテスト決勝後、「週刊平凡」の記念撮影で、舞台の上で西城秀樹さんに抱えられながらまだ見ぬ芸能界に期待と不安の入り混じった河合奈保子さんの表情は、大阪から出てきたばかりの普通の少女のものそのもの。その壊れそうなほど繊細な表情を見ても、無限の可能性を秘めながらも、果たして、その後に進む彼女のアイドルストーリーを予想できた人はいったいどれほどいるのだろうか。
こうして華々しく芸能界にデビューした河合奈保子さん。往年の芸能誌、「平凡」の当時の特集を見てみると、毎号、彼女の特集がされている。当時はわからなかったが、改めて確認すると、16歳の女の子にはなかなか答えづらい質問も多く、きつかったはず。けれど、そんなことにもめげず、最初はただただ胸の大きさへの記事から、それを健康的で、弾ける若さと捉える記事へと、持ち前の清楚で上品な明るさと笑顔が、記事の内容にどんどん変化をもたらした。例えば「平凡」1981年2月号「スターと電話でデート」企画では、14歳のFクンに「(前略)バストのこと、今のままでいいと思う? 小さい方がいい」などと聞かれてもたじろぐことなく「そんなに気にならないけど、もう少し小さい方がいいナ」と答え、Fクンにホッペにキスして、と言われて笑いながら受話器にチュッっとする。なんという甘酸っぱさ。青春です。当時の水着グラビアを見ても、日本人離れした体のラインは、それはやっぱりとってもエッチなんだけど、不思議にいやらしくない。奈保子ちゃん定番の、あの「ハイッ!」という弾むような声でいろんなことに挑戦する姿を見て、清く正しく明るい「擬似」男女交際を読者は頭のなかで夢想し、我々はいつのまにか奈保子ちゃんの魅力の虜になっていたのだ。当時の記事を読むと、普通の女の子がそうするように奈保子ちゃんはしきりに「あと4キロやせたい。なにかいい方法はないですか」とか「食べるのが大好きなのでつい食べちゃう」と体型を気にしている発言がそこかしこに見られるのだけれど、読者はそういう発言を楽しみながら、でも実は奈保子ちゃんにやせてしほいなんてこと、みじんも思ってなかったと思います。そういうものです、男って。
河合奈保子さんを「平凡」で見ない日はなかった。1980年7月号から6年以上毎号「平凡」の誌面を飾り続けたアイドルは当時でもそうそうはいない。あのステージからの転落というアクシデントのときですら誌面には笑顔の奈保子さんがあったのだから。
そのあたりの話は、また来週。