昭和20年(1945年) | ・川田家は、母と妹、孝子、美智子は千葉県夷隅郡太東への縁故疎開するが、正子は海沼實と共に東京に留まる。 ・空襲激化する中、連日NHK放送会館のスタジオでマイクの前に立つ。(3月10日 大空襲の夜【海の歌謡集】出演) ・9月6日 【歌謡集・日本の四季】に戦後初出演 ・12月24日 【外地引揚同胞激励の午後】という特別番組で『里の秋』(斉藤信夫作詩/海沼實作曲)を歌い、大ヒットする。この曲は南方から引揚者が浦賀港に到着するので、JOAKからそれを迎える歌をつくってほしいと、海沼實先生に依頼があり、斉藤信夫先生と作られた。 |
昭和21年(1946年) | ・1月3日 第一回の【NHK紅白歌合戦】に出場する。 ・コロムビアレコードにて『赤ちゃんのお耳』(都筑益世作詩/佐々木すぐる作曲)を 戦後初レコーディングする。 ・8月24日 NHKの二元放送で、伊東市西国民学校の講堂において 『みかんの花咲く丘』(加藤省吾作詩/海沼實作曲)を歌い、大きな反響を呼ぶ。 |
昭和22年(1947年) | ・1月 海沼實とともにコロムビア専属となる。 ・4月 東洋英和女学院中等部へ入学 ・NHKにて連続放送番組【鐘の鳴る丘】が始まる。(昭和25年12月29日まで790回続いた。)その主題歌『とんがり帽子』(菊田一夫作詩/古関裕而作曲)も放送劇と同じく大ヒットした。 ・8月31日 特別番組【川田正子を送る夕べ】を放送。NHK会長 高野岩三郎より感謝状を贈られる。 ・第一線引退後、声楽家 原信子、田中伸枝、酒井弘、坂元芳子の各氏に師事して歌唱の基本から本格的な勉強を始める。 ・かたわら、戦争下の資材難でレコードの製作が難しかった童謡の名曲を次々と吹込む。 |
昭和25年(1950年) | ・3月 東洋英和女学院中等部卒業 ・4月 東洋英和女学院高等部入学 |
昭和28年(1953年) | ・3月 東洋英和女学院高等部卒業 ・4月 武蔵野音楽大学声楽科入学 ・海沼實が作曲と外部活動に専念するために、大学入学と同時に〈音羽ゆりかご会〉の指導育成を委ねられる。 |
昭和29年(1954年) | ・ラジオ、テレビ番組に多数ゲスト出演 |
昭和30年(1955年) | ・大学卒業とともに、〈音羽ゆりかご会〉の指導と運営に専念、児童合唱団としてのレベルの向上と、放送、レコード、公演などの外部活動の実質的な責任者として活躍する。都内各所に支部を開き合唱団の基礎強化と質的向上を目指す。 ■20年代、30年代童謡歌手全盛期 (川田正子・孝子、大道真弓、近藤圭子、安田祥子、古賀さと子、伴久美子、松島トモコ、小鳩くるみ 他) ■30年代、40年代は日本の児童合唱団の全盛期 (音羽ゆりかご会、NHK東京放送児童合唱団、ひばり児童合唱団、西六郷少年少女合唱団、杉並児童合唱団、東京少年少女児童合唱団 等) |
昭和35年(1960年) | ・3月 NHK芸能局長 吉川義雄の媒酌により渡辺一男氏と結婚 |
昭和36年(1961年) | ・2月 父 川田友一氏死去(享年55歳) |
昭和37年(1962年) | ・12月 長男克彦出生 |
昭和38年(1963年) | ・〈音羽ゆりかご会〉を率いて、「鉄腕アトム」「サザエさん」「ムーミン」「ウルトラマン」「ゲゲゲの鬼太郎」などアニメ番組主題歌の録音などに積極的に進出。 |
昭和40年(1965年) | ・9月 次男俊介出生 |
昭和46年(1971年) | ・6月13日 恩師 海沼實(作曲家、音羽ゆりかご会会長)死去。享年62歳。引き続き、ゆりかご会の実践指導に当る。 |
昭和52年(1977年) | ・4月4日 NHK内第一放送「午後のロータリー」「こどもの歌」放送開始。昭和54年3月26日(最終回)まで、2年間62回のシリーズを担当。 |
昭和54年(1979年) | ・4月 〈音羽ゆりかご会〉を海沼美智子に引き継ぐ ・7月 全員ソリストの合唱団を目指して〈森の木児童合唱団〉を旗揚げ。 |
昭和55年(1980年) | ・10月 第一回「森の木児童合唱団定期演奏会」を開催。以後、年一回の定期演奏会を行う。 |
昭和58年(1983年) | ・虎ノ門ホールにて「歌の道40周年記念コンサート」を開催。 |
昭和59年(1984年) | ・恋塚稔著の『みかんの花咲く丘-川田正子とその時代-』が刊行される。 |
昭和62年(1987年) | ・5月 中野サンプラザホールにて「歌の道45周年記念コンサート」を開催。 |
平成元年(1989年) | ・「森の木児童合唱団 第10回定期演奏会」で、 初チャレンジのオリジナル・ミュージカル『Time Messenger』の上演を成功させる。 |
平成3年(1991年) | ・6月 日本童謡協会より、第21回「日本童謡賞 特別賞」を贈られる。 |
平成4年(1992年) | ・4月 コロムビアより「ゴールデン・ディスク賞 特別賞」を贈られる。 |
平成5年(1993年) | ・10月 NHKホールにて「川田正子50周年記念コンサート」を開催 引き続き、2年間に渡り全国ツアー実施 |
平成7年(1995年) | ・3月 ブラジル、サンパウロの旧伯文化大講堂にて公演(チャリティーショー)を行う。 以後、5年間に及び存外同胞のための“童謡・唱歌”を中心とする演奏活動を展開する。 |
平成8年(1996年) | ・3月 ブラジル、ベレンのパラー州立平和劇場にて公演(チャリティーショー)を行う。 ・10月 NHKホールにて「歌の道55周年記念コンサート」を開催 |
平成9年(1997年) | ・3月 ブラジル、モジダスクルーゼス文化協会にて公演(チャリティーショー)を行う。 |
平成10年(1998年) | ・3月 ブラジル、クリチーバ市記念ホールにて公演(チャリティーショー)を行う。 ・3月 第7回「彩の国 下總皖一 音楽賞」を受賞 ・3月 カナダ、トロント日系文化会館にて森の木児童合唱団と共に公演 |
平成11年(1999年) | ・7月 第39回「久留島武彦 文化賞」を受賞 ・7月 ペルー、リマ市にて「ペルー移住100周年記念コンサート」を行う。 |
平成13年(2001年) | ・3月 童謡人生「この道」を東京新聞(夕刊)に連載する。 ・10月 自伝本『童謡は心のふるさと』を出版する。 ・10月 NHKホールにて「歌の道60周年記念コンサート」を開催 |
平成14年(2002年) | ・11月 長年に亘る童謡を中心とした音楽活動に対して、文化庁長官より表彰を受ける。 |
平成15年(2003年) | ・全国各地の「童謡・唱歌を愛する会」などを通して童謡の普及に努めると供に、〈森の木児童合唱団〉の育成と、こどもに対する音楽教育に専念する。 |
平成18年(2006年) | ・1月22日 前日、長崎県五島市福江で開催された「子守唄と童謡コンサート」を最後の出演として、帰宅後、自宅で倒れ、“童謡一筋”の生涯を閉じる。 享年71歳であった。 |
【CDアルバム】 | |
COCX-31515-6 | 歌手生活60周年記念 心の歌〜みかんの花咲く丘〜 川田正子 |
COCX-30526 | 川田正子と森の木児童合唱団 創立20周年記念アルバム「愛の贈りもの」 |
COCC-12791 | 思い出の童謡名曲集 みかんの花咲く丘 |
COCC-12792 | 思い出の童謡名曲集 十五夜お月さん |
COCC-12793 | 川田正子 日本の心を歌う 早春賦 椰子の実 |
COCC-12794 | 懐かしの童謡歌手たち1 復刻 川田正子・孝子 |
COCC-14107-8 | 心の歌をいつまでも 川田正子55周年記念コンサート〈ライブ盤〉 |
COCC-9763 | 川田正子50周年記念コンサート「いま心にやさしい歌を」 |
CC-2190 | 思い出の童謡名曲集 みかんの花咲く丘 川田正子 |
【CDシングル】 | |
CODC-1017 | 川田正子デビュー55周年記念 やさしい空 |