- 2024/06/28 今週の古関メロディー
- 今週の古関メロディーは「別れのワルツ」!!
- 2022/03/18 インフォメーション
- 古関裕而が作曲して妻の金子が歌った「静かな日」の音源を公開!!
- 2021/09/29 古関裕而関連作品
- 古関裕而の優れた歴史的価値のある貴重な作品を集めたCD『古関裕而秘曲集』新民謡・ご当地ソング編とプレミアム編の2タイトルが本日・9/29同時発売!!
- 2021/01/27 連続テレビ小説「エール」関連作品
- 『連続テレビ小説「エール」オリジナル・サウンドトラック Vol.4』、本日より配信開始!!
- 2020/12/23 古関裕而関連作品
- 作曲家・古関裕而もうひとつの世界。貴重な社歌を集めたCD『古関裕而秘曲集 ~社歌・企業ソング編』、本日・12/23発売!!
- 2020/12/09 インフォメーション
- 『連続テレビ小説「エール」オリジナル・サウンドトラック Vol.3』、12/9発売!! 山崎育三郎よりコメントが到着!!
- 2020/11/20 古関裕而関連作品
- アルバム『古関裕而秘曲集 ~歌謡曲編』、12/9発売!!
- 2020/11/20 連続テレビ小説「エール」関連作品
- 『連続テレビ小説「エール」オリジナル・サウンドトラック Vol.3』、12/9発売!!
- 2020/10/29 関連グッズ
- インテリア蓄音器 コロンブス「長崎の鐘」バージョン、11/4発売! 予約受付スタート!!
今週の古関メロディー
♪ 別れのワルツ
スコットランド民謡/編曲:ユージン・コスマン
演奏:ユージン・コスマン管弦楽団 昭和25(1950)年発売
昭和24(1949)年、アメリカ映画「哀愁」が日本でも公開され、劇中主演のロバート・テイラーとヴィヴィアン・リーが踊るシーンにスコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン(蛍の光)」がワルツ・アレンジで効果的に使われ感動を呼んだ。その反応を見たコロムビアでは古関裕而にアレンジを依頼、ユージン・コスマンと外国人作家名でその楽団の演奏風にして輸入洋楽の企画Lでこのワルツ蛍の光を発売した。それが会社の思惑以上にヒットするとともに、日本人の生活のいろいろな局面でも特に〈終了〉〈閉店〉〈別れの曲〉として定着。イントロが流れるや「もうそんな時間」と感じるほど、ほとんどの日本人が「自宅への郷愁に駆られる」曲となった。古関の優れたアレンジ力と音楽的普遍性の結晶であろう。(解説:三木 容)
古関裕而 コロムビアレコード公式Twitter
“貴重音声でよみがえるスペシャル対談”を特別公開!!
このコーナーでは、“貴重音声でよみがえるスペシャル対談”と題して、昭和55(1980)年発売の作曲生活50年記念「古関裕而大全集」に収録された、古関裕而と音楽評論家の森一也氏との対談を特別に公開! 古関裕而が自身の半生を語った貴重な音声です。
(20)「西遊記」テーマ音楽について
(19)菊田ミュージカルについて
(18)NHKのテーマ音楽について
(17)「スポーツ・ショー行進曲」について
(16)「栄冠は君に輝く」について
(15)「紺碧の空」について
(14)「サロマ湖の歌」について
(13)「高原列車は行く」について
(12)「君の名は」について
(11)「あこがれの郵便馬車」について
(10)「イヨマンテの夜」について
(9)「長崎の鐘」について
(8)「とんがり帽子」について
(7)「雨のオランダ坂」について
(6)「若鷲の歌」について
(5)「英国東洋艦隊潰滅」について
(4)「月のバルカロール」について
(3)「愛国の花」について
(2)「船頭可愛や」について
(1)コロムビア専属作家になった頃の思い出
古関裕而が作曲して妻の金子が歌った「静かな日」の音源を公開!!
長い間、行方不明だった、古関裕而が作曲して妻の金子が歌った唯一のレコードが発見されました。その音源を公開します!
内山金子 / 静かな日
詳細はこちら
アルバム『古関裕而秘曲集』新民謡・ご当地ソング編とプレミアム編の2タイトル、2021/9/29同時発売!!
古関裕而が作曲し、妻の金子が作詩した「エメラルドの丘」が発見され、アルバム『古関裕而秘曲集』の中に収録!今回発見された「エメラルドの丘」は、昭和44(1969)年に伊豆の宅地分譲地の宣伝歌として作られ、三鷹淳によって録音されるも一般発売されず、関係者に配られただけだったために存在が忘れられていたが、今回CDの制作にあたり資料を整理する過程でマスターテープが残っていることが判明し、レコード作品としては現在確認される唯一の夫婦合作!
古関裕而が生涯に作曲した約5000曲の作品の中から、優れた歴史的価値のある貴重な作品を集めたCD『古関裕而秘曲集』2タイトルが2021年9月29日に同時発売! ジャケットには古関が描いた山のイラストを使用、「エメラルドの丘」はプレミアム編に収録。
2021/09/29発売
古関裕而秘曲集 ~新民謡・ご当地ソング編
CD2枚組 COCP-41537-8 ¥3,300 (税抜価格 ¥3,000)詳細はこちら
2021/09/29発売
古関裕而秘曲集 ~プレミアム編
CD2枚組 COCP-41539-40 ¥3,300 (税抜価格 ¥3,000)詳細はこちら
アルバム『連続テレビ小説「エール」オリジナル・サウンドトラック Vol.4』、2021/1/27配信開始!!
2020年11月に最終回を迎え、紅白歌合戦でも話題となった、連続テレビ小説「エール」のオリジナル・サウンドトラック Vol.4が配信開始!ドラマでは、「栄冠は君に輝く(全国高等学校野球選手権大会の歌)」「六甲おろし(阪神タイガースの歌)」「闘魂こめて(巨人軍の歌)」などスポーツシーンを彩る応援歌の数々、「高原列車は行く」「長崎の鐘」「イヨマンテの夜」「君の名は」など、数々のヒット曲で昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)氏と妻で歌手としても活躍した金子(きんこ)氏をモデルに音楽とともに生きた夫婦の物語が描かれ、その音楽は、多くのCMソングやサウンドトラックを手掛ける瀬川英史が担当。
今作には、「エール」内で再現されたラジオドラマ「君の名は」のテーマ曲も収録される他、劇中で流れた、川野三津代役の山田麗が歌う「福島行進曲」、藤丸役の井上希美が歌う「船頭可愛や」を収録。
2021/01/27配信
『連続テレビ小説「エール」オリジナル・サウンドトラック Vol.4』
配信限定 COKM-42836詳細はこちら
アルバム『連続テレビ小説「エール」オリジナル・サウンドトラック Vol.3』、2020/12/9発売!!
NHK連続テレビ小説のオリジナル・サウンドトラック第3弾が発売!作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)と妻で歌手としても活躍した金子(きんこ)をモデルにした連続テレビ小説「エール」のオリジナル・サウンドトラックの第3弾。音楽は多くのCMソングやサウンドトラックを手掛ける瀬川英史。
今作にはボーナス・トラックとして、劇中で流れた双浦環役の柴咲コウが歌う「船頭可愛や」、佐藤久志役の山崎育三郎が歌う「イヨマンテの夜」の2曲を収録。
2020/12/09発売
『連続テレビ小説「エール」オリジナル・サウンドトラック Vol.3』
CD COCP-41381 ¥3,300 (税抜価格 ¥3,000)詳細はこちら
山崎育三郎 コメント
今回の朝ドラでは、数々の古関裕而さん楽曲を歌わせて頂きましたが、なかでも「イヨマンテの夜」は大変緊張して歌った事を覚えています。音域が広く、メロディーラインがあるようでない、歌い込まなければ挑めない大曲でした。この楽曲で完全復活をした久志の音楽への情熱・想いをぶつけました。これからも古関裕而さんの楽曲を歌い続けたいです。スペシャル動画「作曲家・古関裕而をより知るための楽曲ダイジェスト」を公開!!
「作曲家・古関裕而をより知るための楽曲ダイジェスト」と題して、古関メロディーを代表する楽曲を紹介するスペシャル動画を公開!!歌謡曲編・スポーツ/応援歌編の2本で古関メロディーをお楽しみください!
歌謡曲編
スポーツ/応援歌編
古関裕而作曲のプロ野球の球団歌をご紹介!!
古関裕而は、応援歌や行進曲など数多くのスポーツ関連楽曲を作曲したことでも知られていますが、その中にはプロ野球の球団歌もあります。まもなくのプロ野球開幕に合わせて、古関裕而作曲の球団歌をご紹介します!!
♪ 六甲おろし ~阪神タイガースの歌
作詩:佐藤惣之助/作曲・編曲:古関裕而
歌:若山彰 昭和36(1961)年録音昭和11(1936)年、プロ野球リーグ発足にあたり結成された大阪タイガースの球団歌が元歌。昭和10(1935)年の都市対抗野球でコロムビア準優勝の立役者となった若林忠志投手が入社1年でタイガースに移籍したが、その交渉過程で持ち上がった企画ではないかと推測される。昭和36(1961)年、阪神タイガースと球団名変更に伴い、再録され細々と命脈を保っていたが、朝日放送の中村鋭一アナが積極的に流し阪神ファンに浸透、超関西国民的楽曲となった。その後も多くの人が歌っている。(解説:三木 容)
♪ 闘魂こめて ~巨人軍の歌
作詩:椿三平/補作詩:西條八十/作曲・編曲:古関裕而
歌:守屋浩、三鷹淳、若山彰 昭和38(1963)年発売球団創立30周年記念に読売新聞が詩を公募した。当時「ドラゴンズの歌」も「六甲おろし」もさほど知られていなかったからか、スポーツ音楽のオーソリティ古関が作曲した。オリジナルでは、当時大人気のアイドル守屋浩、国民的ヒット「喜びも悲しみも幾歳月」の若山彰、社歌や校歌のカリスマ歌手三鷹淳が起用された。昭和40(1965)年からの巨人V9のタイミングにあったこともあり、ファンの心をつかみ、「巨人の歌の絶対王者」の位置は今も揺るがない。(解説:三木 容)
記事掲載のお知らせ
古関裕而の特集/コラムが掲載されました。ぜひご覧ください。・うたびと
※NHK連続テレビ小説『エール』放送再開記念「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第1回 福島三羽ガラス~特集はこちら
※【手塚治虫との意外な関係も】NHK連続テレビ小説『エール』再開記念「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第2回 戦時歌謡~
特集はこちら
※【鎮魂そして希望の音楽】NHK連続テレビ小説『エール』放送記念「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第3回 戦後歌謡曲~
特集はこちら
※【オリンピック・マーチ】NHK連続テレビ小説『エール』放送記念「もっと知りたい!作曲家・古関裕而」~第4回 スポーツ・応援歌~
特集はこちら
・全日本歌謡情報センター
※連続テレビ小説『エール』解説付き再放送直前コラム:志村けんが演じた作曲家・小山田耕作のモデル山田耕筰という人物コラムはこちら
※連続テレビ小説『エール』解説付き再放送直前コラム:主人公・古山裕一のモデルとなった作曲家・古関裕而の超人伝説
コラムはこちら
※連続テレビ小説『エール』解説付き再放送直前コラム:激動の昭和を彩った国民的作曲家・古関裕而の音楽の原点を探る!
コラムはこちら
『朝ドラ「エール」を10倍楽しもう!~古関裕而ヒットプレイリスト』公開中!!
Apple Music・Spotifyなどで古関メロディーが聴ける!『朝ドラ「エール」を10倍楽しもう!~古関裕而ヒットプレイリスト』を公開中です!
『朝ドラ「エール」を10倍楽しもう!~古関裕而ヒットプレイリスト vol.3~「エール」最終回スペシャル・バージョン』
『朝ドラ「エール」を10倍楽しもう!~古関裕而ヒットプレイリスト vol.2』
『朝ドラ「エール」を10倍楽しもう!~古関裕而ヒットプレイリスト』
「今週の古関メロディー」バックナンバー
♪ 赤 青 黄いろ
作詩:関根新太郎/作曲:古関裕而/編曲:越部信義
歌:三鷹淳、コロムビアゆりかご会 昭和52(1977)年発売全日本交通安全協会が、児童等の交通安全思想の普及啓発を目的として、昭和36(1961)年11月に制定した歌である。このときは「うたのおばさん」で知られた安西愛子が録音し、昭和52(1977)年に三鷹淳とコロムビアゆりかご会で再録音した。学校行事などでもよく使われたので、お馴染みの方も多いのでは?
♪ オリンピック・マーチ
作曲:古関裕而/指揮:斉藤徳三郎
演奏:陸上自衛隊中央音楽隊 昭和39(1964)年発売昭和39(1964)年10月10日の午後2時、晴天下の国立競技場へ選手入場。565名の演奏により高らかに鳴り響いた「オリンピック・マーチ」を聞き、多くの日本人はこの行進曲が日本人の手によることを誇りに思ったのではないだろうか。清新明朗で格調高い古関作品の神髄である。唯一日本的と言えるのはコーダーに「君が代」の旋律を取り入れたこと。戦前のスポーツ音楽の最高峰・山田耕筰の「走れ大地を」での手法を踏襲している。(解説:三木 容)
♪ イヨマンテの夜
作詩:菊田一夫/作曲・編曲:古関裕而
歌:伊藤久男 昭和25(1950)年発売連続放送劇「鐘の鳴る丘」の劇中曲、奥多摩の木こりのテーマとして作られ、アイヌをテーマとした詩が付けられレコード化された。冒頭の「アーホイヨー」のカデンツァ、リズミカルで豪快な歌が人々の心を高揚させた。オペラのアリアのような曲が大衆歌謡として成功した稀有な作品であり、今も多くの支持を得ている。(解説:三木 容)
♪ ひめゆりの塔
作詩:西條八十/作曲・編曲:古関裕而
歌:伊藤久男 昭和28(1953)年発売昭和28年4月公開の今井正監督による東映映画「ひめゆりの塔」の主題歌。沖縄の第一女学校と女子師範生徒による学徒隊「ひめゆり部隊」の悲劇は数次映画化されているが、この初回作は興行的にも成功している。この主題歌は古関の沖縄戦への思いが反映されたのか重く暗く、歌謡曲としては成功しなかった。(解説:三木 容)
♪ 長崎の雨
作詩:丘灯至夫/作曲・編曲:古関裕而
歌:藤山一郎 昭和26(1951)年発売雨三部作の代表曲で“鐘シリーズ”ほどにヒットはしなかったものの、藤山一郎のクルーナー唱法(声を張らず、ソフトに歌う)の魅力をうまく引き出した、しっとりした味わいのある佳曲である。古関は長崎に因む曲も多く、幾度か長崎を訪れているが、雨の日は無かったと伝えられている。(解説:三木 容)
♪ 君の名は
作詩:菊田一夫/作曲・編曲:古関裕而
歌:織井茂子 昭和28(1953)年発売昭和27(1952)年から29(1954)年まで、木曜夜8時半から放送された「君の名は」。放送時間帯には銭湯の女湯がガラガラになるとの伝説が生まれるほど大ヒットした。古関も音楽担当としてライブでハモンドオルガンを弾き番組に貢献した。「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却の心を誓う心の悲しさよ。」鎌田弥恵の名文句から始まる王道、大すれ違いメロドラマは戦中、戦後のドサクサ時代を背景に同時代を経験した多くの人の心を捉えた。大庭秀雄監督のメガホンにより松竹で映画化され、3部までのヒット・シリーズとなった。ラジオで高柳二葉が歌った主題歌は、織井茂子がレコード化し大ヒットした。(解説:三木 容)
♪ 高原列車は行く
作詩:丘灯至夫/作曲・編曲:古関裕而
歌:岡本敦郎 昭和29(1954)年発売作詩家・丘灯至夫とのコンビによる「乗り物歌」は多いが、その代表作。国民的歌謡である証しの一つは替え歌で歌われることだろう。たぶん替え歌で、汽車の窓から“何か”を振った人は多いはず。丘はのんびりした福島の沼尻軽便鉄道をモデルに作詩、古関はアルプスを颯爽と走る列車をイメージして軽快なメロディーを付けた。(解説:三木 容)
♪ さくらんぼ大将
作詩:菊田一夫/作曲・編曲:古関裕而
歌:川田孝子、ゆりかご会 昭和26(1951)年発売「鐘の鳴る丘」の後、昭和26(1951)年初頭から27(1952)年3月まで放送された、菊田・古関の黄金コンビによる連続放送劇「さくらんぼ大将」の主題歌で川田孝子が歌った。古川ロッパ、土屋忠一によるコミカルな劇中歌「さくらんぼ道中」も愛唱された。このように古関は童謡作家としても歴史的な曲を遺した。(解説:三木 容)
♪ 全国高等学校野球大会の歌 ~栄冠は君に輝く
作詩:加賀大介/作曲・編曲:古関裕而
歌:伊藤久男、コロムビア合唱団 昭和24(1949)年発売昭和23(1948)年の学制改革により、中等学校野球大会が高等学校野球大会に変わるにあたり、新しい大会歌を朝日新聞が公募した。婚約者の道子名義で応募した加賀の作品が入賞し、古関が作曲した。怪我によりプレイを絶たれた作詩者の野球愛が根底にあり、ありきたりのスポーツ讃歌を超えている。NHKの高校野球放送でチーム紹介のバックに流れるようになり定着、いまや国民的な歌となった。(解説:三木 容)
♪ 夜更けの街
作詩:菊田一夫/作曲・編曲:古関裕而
歌:伊藤久男 昭和22(1947)年発売菊田一夫とのコンビによる最初のヒット曲「雨のオランダ坂」(昭和22(1947)年発売)は古関にとっても快心作だった。新国劇「長崎」の劇中歌として作られたが、「長崎」が松竹で「地獄の顔」のタイトルで映画化された時にも使われた。その映画化にあたり新たに作られたのが「夜更けの街」である。この映画から、テイチクより発売されたディック・ミネの「夜霧のブルース」と藤原千多歌による「長崎エレジー」と4曲の主題挿入曲のヒットが生まれた。ミュージカル映画でもあまりない多くのヒットを生み出した映画は画期的な歴史を持つが、映画史上では忘れられた作品となってしまった。(解説:三木 容)
♪ 長崎の鐘
作詩:サトウハチロー/作曲・編曲:古関裕而
歌:藤山一郎 昭和24(1949)年発売被爆者としての体験を下に長崎医大の永井隆博士が著したベストセラー「長崎の鐘」「この子を残して」をサトウハチローが平明で感動的に作詩。古関が格調高い抒情的な調べを通奏に、再生と明日への希望を高らかに謳い上げた。古関の代表曲である以上に、日本歌謡史の不朽の名作中の名作。(解説:三木 容)
♪ とんがり帽子
作詩:菊田一夫/作曲・編曲:古関裕而
歌:川田正子、ゆりかご会 昭和22(1947)年作曲CIE(民間情報教育局)の指令による戦災孤児、浮浪児救済のキャンペーン企画。連続放送劇「鐘の鳴る丘」は昭和22(1947)年7月から25(1950)年12月末まで放送された国民的番組で、主題歌「とんがり帽子」も国民的ヒットとなった。菊田一夫と古関の黄金コンビを決定づけるエポック・メイキングとなった番組、主題歌である。(解説:三木 容)
♪ ビルマ派遣軍の歌
作詩:火野葦平/作曲:古関裕而/編曲:山田年秋
歌:コロムビア男声合唱団 昭和19(1944)年作曲昭和19(1944)年4月、古関はインパール作戦の模様を後世に残すための特別報道班員として、作家・火野葦平、画家・向井潤吉とともにビルマ(現在のミャンマー)に派遣された。前線へは火野と向井が先発したが、その際に火野が託した詩に古関は現地でメロディーをつけた。これが「ビルマ派遣軍の歌」である。古関はこの他にも各部隊から依頼された部隊歌を次々に作曲した。この音源は、昭和48(1973)年にコロムビア男声合唱団によって録音されたもの。(解説:板西 唱三)
♪ 若鷲の歌
作詩:西條八十/作曲:古関裕而/編曲:仁木他喜雄
歌:霧島昇、波平暁男 昭和18(1943)年発売東宝映画「決戦の大空へ」挿入歌。古関は勇ましい長調と哀愁のある短調の2曲を用意、予科練生にモニターし、圧倒的に支持された短調の曲が採用された。“この時代の最大のヒット曲”は、解りやすく時代の心情を描いた詩と、歌い易く、勇ましいが“哀しい”メロディーの相乗効果で生まれた。選択したのは時代の前線を生きた若者だった。(解説:三木 容)
♪ 英国東洋艦隊潰滅
作詩:高橋掬太郎/作曲・編曲:古関裕而
歌:藤山一郎 昭和16(1941)年作曲開戦3日目、海軍航空隊はマレー半島沖で英国東洋艦隊に潰滅的打撃を与えた。その知らせを受け、JOAK(現在のNHK東京放送局)の丸山鉄雄は3時間後の7時にニュース歌謡として発表しようと急遽高橋、古関、藤山を“ 軟禁”し、間に合わせた。コロムビアの制作部は内幸町のAKの前にあり、対応できた。昭和41(1966)年に録音され、初レコード化された。(解説:三木 容)
♪ 暁に祈る
作詩:野村俊夫/作曲:古関裕而/編曲:奥山貞吉
歌:伊藤久男 昭和15(1940)年発売陸軍省が軍馬振興のため企画した松竹映画「暁に祈る」の主題歌だが、三番で初めて馬が登場する。詩の冒頭の、人の心を捉える名文句と、自然に流れる古関メロディーが人々の心をつかみ、戦時下で「露営の歌」と双璧のヒット曲となった。軍歌と言われる曲の殆どは時代の流行歌で、中でも古関メロディーは絶大に大衆の支持を得た。(解説:三木 容)
♪ 露営の歌
作詩:薮内喜一郎/作曲:古関裕而/編曲:奥山貞吉
歌:中野忠晴、松平晃、伊藤久男、霧島昇、佐々木章 昭和12(1937)年発売昭和12(1937)年、東京日日・毎日新聞が進軍のための詩を公募した。満州旅行からの帰途、東京へ急ぎ帰るようとの電報を受けた古関は、帰京中に下関で目にした公募詩2席作の作曲が用件と読み、車中で作曲したところまさに図星。作曲依頼の時に用意されていた曲はみごとに、A面の「進軍の歌」を凌駕、新しい出征兵士を送る歌となった。(解説:三木 容)
♪ 月のキャムプ
作詩:久保田宵二/作曲:古関裕而/編曲:奥山貞吉
歌:ミス・コロムビア 昭和10(1935)年発売戦前のレコード・タイトルを眺めると「キャンプ」の付いたものは想像以上に多いが、その代表的作品。当時の若者の許される非日常的な遊びであり、ほのかな男女の触れ合いの場でもあった「キャンプ」のイメージは、現代とはかなり違っていたのだろう。戦後のラジオ歌謡にも引き継がれたテーマ世界だが、今ではほとんど見られない。(解説:三木 容)
♪ 福島夜曲
作詩:竹久夢二/作曲・編曲:古関裕而
歌:阿部秀子 昭和6(1931)年発売竹久夢二のファンであった古関は、昭和4(1929)年に福島市で開催された竹久夢二展を見に行き、そこに展示されていた福島夜曲と題された詩と絵に釘付けとなった。そして早速その詩に曲を付け、福島に滞在していた夢二に翌日会いに行き謹呈した。翌昭和5(1930)年秋に上京して作曲家となった古関は、最初のレコードとしてこの曲を選んだ。(解説:三木 容)
♪ ミス仙台
作詩:西條八十/作曲:古関裕而/編曲:奥山貞吉
歌:二葉あき子 昭和11(1936)年発売仙台の七夕祭りのために作られ、ご当地ソングとして発売された。好評のため詩を変え「乙女十九」として全国発売もされたが、結局オリジナルが定着し、七夕祭りを彩る歌となっている。二葉あき子、二代目 コロムビア・ローズ、島倉千代子とコロムビアの看板女性歌手が“レコード化”している。(解説:三木 容)
♪ 六甲おろし ~大阪タイガースの歌
作詩:佐藤惣之助/作曲:古関裕而/編曲:奥山貞吉
歌:中野忠晴 昭和11(1936)年録音昭和11(1936)年の大阪タイガース設立時、球団歌として制作された。当時、コロムビア野球部に所属していた若林忠志がタイガースと契約した背景もあり、球団の買取を条件に発売された「委託盤」であった。現在は、球団名が変わっただけで阪神の歌「六甲おろし」として制作当時では考えられない人気を誇っている。作詩の佐藤惣之助は皮肉なことに野球が嫌いだったようだ。(解説:三木 容)
♪ 船頭可愛や/歌:音丸
作詩:高橋掬太郎/作曲:古関裕而/編曲:奥山貞吉
歌:音丸 昭和10(1935)年発売古関裕而が昭和6(1931)年にコロムビア専属となって4年、歌謡曲で初の大ヒット作品。古関会心の和を基調とした美しく歌曲的な作品で、三浦環が気に入り後にレコード化している。作曲家が前間奏のメロを書いていた時代で、美しいイントロも古関によるものだろう。ただ和楽器の使い方など奥山による歌謡曲の編曲手法は範となったはずだ。(解説:三木 容)
※レコード発売時は「船頭可愛いや」と表記されていた。♪ 船頭可愛や/歌:三浦環
作詩:高橋掬太郎/作曲:古関裕而/編曲:奥山貞吉
歌:三浦環 昭和14(1939)年発売♪ 福島行進曲
作詩:野村俊夫/作曲・編曲:古関裕而
歌:天野喜久代 昭和6(1931)年発売昭和6(1931)年6月の古関の記念すべきレコードデビュー曲。上京前に書き上げて温めていたものが満を持して発売となった。大正の終わりごろから北原白秋・野口雨情・西條八十らによって起こされた“新民謡運動”により、「ちゃっきり節」や「丸の内音頭」(のち「東京音頭」と改作)など、現在でいうところのご当地ソングが“新民謡”“地方小唄”として盛んに作られた。これもそんな一曲で、歌詩に福島の情景が多く織り込まれている。作詩は古関の幼なじみで、現役の福島民友新聞社の記者であった野村俊夫。浅草のオペラ歌手・天野喜久代が歌ったが、ヒットには至らなかった。(解説:板西 唱三)
♪ 紺碧の空 ~早稲田大学応援歌
作詩:住治男/作曲・編曲:古関裕而
歌:早稲田大学グリー・クラブ 昭和6(1931)年作曲慶應の「若き血」のヒットに対抗、早稲田応援団が企画した。応援団に伊藤久男のいとこがいて、伊藤が帝国音楽学校で金子夫人と交友があった縁で、当時無名の作曲家であった古関に作曲が依頼された。県人繋がりとは言え、応援団と伊藤のこだわりが実を結び、早稲田を代表する応援歌が生まれた。(解説:三木 容)
※当初は第六応援歌として作曲された「紺碧の空」は、熱い支持を得てのちに第一応援歌に“昇格”となった。
連続テレビ小説「エール」関連作品
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2021/01/27配信
連続テレビ小説「エール」
COKM-42836
オリジナル・サウンドトラック Vol.4
<配信限定> 詳細はこちら -
2020/12/09発売
連続テレビ小説「エール」
COCP-41381
オリジナル・サウンドトラック Vol.3
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2020/09/23発売
連続テレビ小説「エール」
COCP-41233
オリジナル・サウンドトラック Vol.2
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2020/05/27発売
連続テレビ小説「エール」
COCP-41137
オリジナル・サウンドトラック
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら
古関裕而関連作品<CD>
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2021/09/29発売
古関裕而秘曲集
COCP-41537-8
~新民謡・ご当地ソング編
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2021/09/29発売
古関裕而秘曲集
COCP-41539-40
~プレミアム編
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2020/12/23発売
古関裕而秘曲集
COCP-41334-5
~社歌・企業ソング編
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2020/12/09発売
古関裕而秘曲集
COCP-41336-7
~歌謡曲編
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2020/10/21発売
古関裕而スポーツ・ベスト
COCP-41309
~みんなにエールを贈りたい
¥2,750 (税抜価格 ¥2,500) 詳細はこちら -
2020/08/26発売
古関メロディー
COCP-41236
カバー・コレクション
¥2,750 (税抜価格 ¥2,500) 詳細はこちら -
2020/04/29発売
あなたが選んだ
COCP-41121-2
古関メロディーベスト30
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2019/08/07発売
古関裕而 昭和日本の歌
COCP-40920-1
~長崎の鐘~
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2019/08/07発売
古関裕而 戦時下日本の歌
COCP-40922-3
~愛国の花~
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2019/04/24発売
スポーツ日本の歌
COCP-40793-4
~栄冠は君に輝く~
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2009/08/05発売
国民的作曲家 古関裕而全集
COZP-375-81
~長崎の鐘・君の名は・栄冠は君に輝く~
¥15,715 (税抜価格 ¥14,286) 詳細はこちら -
2009/08/05発売
NHK-CD NHK番組による
COCP-35683
「国民的作曲家・古関裕而の世界」
¥2,619 (税抜価格 ¥2,381) 詳細はこちら -
2007/12/19発売
決定盤 栄冠は君に輝く
COCP-34629-30
古関裕而大全集
¥3,143 (税抜価格 ¥2,857) 詳細はこちら
古関裕而関連作品<配信>
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2020/08/26配信
古関裕而作品集
COKM-42856
~戦時下日本の歌(上)
配信限定 詳細はこちら -
2020/08/26配信
古関裕而作品集
COKM-42857
~戦時下日本の歌(下)
配信限定 詳細はこちら -
2020/08/26配信
古関裕而作品集
COKM-42909
~ア・ラ・カルト
配信限定 詳細はこちら -
2020/04/29配信
古関裕而
COKM-42732
初期作品集
配信限定 詳細はこちら -
2021/04/28配信
BREEZE(ブリーズ)
COKM-42838
古関裕而をうたう
配信限定 詳細はこちら -
2021/02/24配信
BREEZE(ブリーズ)
COKM-42837
晩秋の頃
配信限定 詳細はこちら
古関裕而ゆかりの人々関連作品
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2016/08/24発売
決定盤
COCP-39671-2
山田耕筰 歴史的名唱集
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2019/11/27発売
ザ・ベスト
COCN-60046
古賀政男 永遠の大ヒット
~東京ラプソディ~
¥1,980 (税抜価格 ¥1,800) 詳細はこちら -
2020/09/23発売
野村俊夫作品集
COCP-41250
~東京だョおっ母さん
¥2,750 (税抜価格 ¥2,500) 詳細はこちら -
2017/01/25発売
丘灯至夫ベスト
COCP-39847
~永遠の青春~
¥2,547 (税抜価格 ¥2,315) 詳細はこちら -
2020/05/20発売
決定盤 大歌手 藤山一郎全集
COCP-41166-7
~長崎の鐘・丘を越えて~
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2020/05/20発売
決定盤 大歌手 伊藤久男全集
COCP-41168-9
~イヨマンテの夜・栄冠は君に輝く~
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2020/05/20発売
決定盤 大歌手 霧島昇全集
COCP-41170-1
~旅の夜風・誰か故郷を想わざる~
¥3,300 (税抜価格 ¥3,000) 詳細はこちら -
2020/10/21発売
三浦環
COCQ-85510
~伝説のオペラ歌手
¥2,750 (税抜価格 ¥2,500) 詳細はこちら -
2020/12/23発売
音丸全曲集
COCP-41354
~船頭可愛や~
¥2,530 (税抜価格 ¥2,300) 詳細はこちら -
2020/12/23発売
奈良光枝全曲集
COCP-41355
~白いランプの灯る道~
¥2,530 (税抜価格 ¥2,300) 詳細はこちら -
2020/12/23発売
織井茂子全曲集
COCP-41356
~君の名は~
¥2,530 (税抜価格 ¥2,300) 詳細はこちら
古関裕而プロフィール
◇ 本名:古関勇治
◇ 生年月日:明治42(1909)年8月11日
◇ 出身地:福島県福島市
古関裕而は、「日本のスーザ」つまり世界のマーチ王と呼ばれることがある。それは大学の応援歌から、NHKのスポーツ番組のテーマ「スポーツ行進曲」、東京オリンピックの「オリンピック・マーチ」まで、実に数多くのマーチを作曲し、その世界では圧倒的な実績を誇っているからである。実際、最初のレコードは、出身地である福島に材を取った「福島行進曲」だった。それと同じ昭和6(1931)年に、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」を発表している。だが、古関が単なるマーチ作曲家でなかったことは、数多くのヒット曲をみてもわかる。実際、「紺碧の空」から4年後の昭和10(1935)年には「船頭可愛や」、その2年後の昭和12(1937)年には「露営の歌」を発表している。まさに多彩な作曲作品を書き、その実績は圧倒的である。
古関裕而は明治42(1909)年、福島市に生まれた。生家は「喜多三(きたさん)」という呉服屋だった。5歳の時に父親が蓄音機を買い、そのときにレコードを聴いた記憶がある。そして10歳の時、卓上ピアノで作曲を始めた。福島商業学校を卒業した後、音楽家を志していたが、親類の人に「遊んでいるなら、ここに勤めてはどうか」と言われ、その親類が経営していた川俣銀行に勤務する。銀行在勤中も作曲活動は続けており、福島ハーモニカ・ソサエティーに所属しつつ、ラジオ出演などをこなしていた。だが音楽への思いは断ちがたく、2年で上京。昭和5(1930)年、コロムビアと専属契約を結び、はれて作曲家としてスタートすることになる。
昭和12(1937)年、「露営の歌」を作曲し、その翌年29歳で中支に従軍、すぐに除隊し、昭和15(1940)年には名作「暁に祈る」を作曲する。若い人たちの青春の気分をうまくすくい上げた作風は勇壮なメロディとなったため、戦時歌謡としての色合いが強く、戦争協力者として非難されたこともあった。しかし古関には好戦の気配などはなく、一貫して青春というものへの熱い思いがあったのだ。たとえば「若鷲の歌(予科練の歌)」については、「あの歌で予科練を志望した若者も多かっただろうが、その人たちが戦争で死んでしまったことを思うと、とても辛い」と語っている。
そして戦後、作曲家・古関裕而の本格的な活動が始まる。昭和22(1947)年7月、NHKの連続ドラマ『鐘の鳴る丘』がスタートする。この番組は昭和25(1950)年12月まで続き、その主題歌「とんがり帽子」は古関裕而のハモンド・オルガンで流され、多くの子供たちの支持を受けた。この演奏は連日生放送で流され、戦後を彩る歌となった。この時に使ったハモンド・オルガンは、福島にある「古関裕而記念館」に展示されている。このほか、歌謡曲で「夢淡き東京」「イヨマンテの夜」「黒百合の歌」や、阪神タイガースの歌「六甲おろし」などがある。
昭和23(1948)年、夏の高校野球のテーマとして、現在でも使われている「栄冠は君に輝く」を作曲。その翌昭和24(1949)年、長崎での被爆体験を伝えるために人生を捧げた、長崎大学医学部の永井隆博士をテーマにした「長崎の鐘」を作り、永井博士との交流は長く続くことになる。また昭和27(1952)年、NHKラジオの連続ドラマ『君の名は』の放送が始まり、茶の間の人気を集める。そのドラマは昭和29(1954)年まで続き、この放送が始まると、銭湯の女湯ががらがらになるという話も出たほどの人気になった。
古関裕而に会った人たちが例外なく言うのは、その人柄の柔らかさである。それは、その曲のおおらかさとつながっているに違いない。夫人・金子のすすめで絵を描き始め、79歳の昭和63(1988)年、画集「風景の調べ」を上梓した。本人は「私にとっては楽譜のない音楽だ」と語っていたという。平成元(1989)年8月18日逝去、80歳だった。勲三等瑞宝章受章。福島市名誉市民。
古関裕而と
コロムビア年表
8月11日 福島市大町に生まれる。
生家は呉服屋「喜多三(きたさん)」。古関
(株)日本蓄音器商会として発足(F.W.ホーン社長)。
「シンホニー」「ローヤル」「アメリカン」「ユニバーサル」「グローブ」などのレーベルによる片面盤発売。
「ニッポノホン」蓄音器4機種発売(初めての国産機)。
このころ父親が蓄音機を購入。レコードを聴く。古関
「カチューシャの唄」(松井須磨子・歌)全国に流行。
両面盤が一般化しはじめる。
福島県師範附属小学校(現:福島大学附属小学校)入学。古関
小学3年から6年まで担任遠藤喜美治先生に唱歌とつづり方を習う。古関
卓上ピアノで作曲を始める。古関
福島商業学校入学。この頃「喜多三」廃業。
妹尾楽譜により本格的な作曲・編曲を始める。古関
福島ハーモニカ・ソサエティーに入る。
この頃関東大震災をテーマに「大地の反逆」作曲。古関
福島市新町70番地に転居。古関
ペンネームを「裕而」とつける。古関
国内プレスによるコロムビア洋楽レコード(黒盤)を発売。
イーグル蓄音器を発売。
福島商業学校卒業後、川俣銀行に勤務。
福島ハーモニカ・ソサエティーとともに、仙台中央放送局記念番組に出演。古関
舞踊組曲「竹取物語」ほか4曲をイギリスロンドン市のチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し、二等に入選。古関
6月1日 内山金子と結婚。
9月 「福商青春歌」作曲。同月、コロムビア専属作曲家として上京。古関
古関裕而と専属作家契約。
早大応援歌「紺碧の空」作曲。
第一回レコード「福島行進曲」「福島小夜曲(ふくしまセレナーデ)」発売。古関
コロムビア商標を米国コロムビアから譲り受け、すべてのレコードのマークを現在の音符のコロムビア・マークに統一。
東洋一のコロムビア・マークのネオン塔が川崎工場屋上に完成。
「船頭可愛や」初のヒット曲となる。古関
「大阪タイガースの歌」(通称:六甲おろし)作曲。古関
「露営の歌」作曲。
放送劇『当世五人男』初のドラマ曲作曲。
この年、菊田一夫と出会う。古関
中支従軍。古関
国産テレビ受像機を完成、高島屋で公開。
「暁に祈る」作曲。古関
南方慰問団派遣員となる。古関
約1ケ月軍隊生活を送る。
10月 NHK連続ラジオドラマ『山から来た男』で、終戦後初めて菊田一夫とコンビを組む。古関
社名を日本コロムビア(株)と変更。
霧島昇・並木路子の「リンゴの唄」大ヒット。
7月 NHK連続ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』放送開始。(25年12月まで放送)主題歌「とんがり帽子」作曲。古関
全国高等学校野球大会の歌「栄冠は君に輝く」作曲。古関
「長崎の鐘」作曲。古関
「第1回コロムビア全国歌謡コンクール」開催(創立40周年記念事業)。
わが国初のLPレコード発売。
音楽娯楽番組『コロムビア・アワー』民間放送の開局と同時にスタート。
4月 NHK連続ラジオドラマ『君の名は』放送開始(29年4月まで放送)。主題歌作曲。古関
NHK放送文化賞受賞。古関
『忘却の花びら』がNHK連続ラジオドラマの最後となり、この後は菊田一夫とともに舞台活動へと転進する。古関
『日曜名作座』開始。福商新校歌「若きこころ」作曲。古関
創立50周年「コロムビア大芸能祭」開催(歌舞伎座)。
電子ピアノ「エレピアン」発売。
日本電気音響(株)を吸収合併。
DL-103カートリッジNHKと共同開発。
東京五輪における行進曲「オリンピック・マーチ」作曲。古関
本社社屋、赤坂に新築完成(赤坂スタジオ開設)。
紫綬褒章受章。古関
(株)日立製作所と業務提携。
DENONブランド製品発売開始(プレーヤーDPシリーズ/アンプPMAシリーズ)。
札幌冬季五輪において「純白の大地」作曲。
9月 画集「風景の調べ」を自費出版。古関
朋友 菊田一夫氏逝去。
芸術座公演『道頓堀』が名コンビの遺作となる。
「暁に祈る」歌碑が信夫山第1展望台に建立。古関
福島市名誉市民となる。
勲三等瑞宝章受章。
レコード大賞特別賞受賞。古関
日劇にて作曲生活50周年記念ショー。
5月 自伝「鐘よ鳴り響け」を主婦の友社より刊行。
7月 妻・金子死去。古関
CDとCDプレーヤーを世界に先がけて発売。
ビデオカセットを本格的に発売。
30年間音楽を担当したNHKラジオ『日曜名作座』を健康上の理由で降り、作曲生活から引退。古関
CDプレーヤー「DCD-1500」が、米国・西独で最高の評価を獲得するなど国内外で好評。
ミュージックカセット生産累計1億巻達成。
日本オーディオ協会より、デジタル録音の実用化と推進により日本オーディオ協会賞を受賞。
『日曜名作座』を3人で30年間続けた業績に対し、森繁久彌、加藤道子とともに放送文化基金個人部門賞受賞。古関
11月 福島市古関裕而記念館開館。古関
8月18日逝去。古関
専属歌手・美空ひばり逝去。
創立80周年。
川崎工場敷地内に中央研究所竣工。
生誕90周年。古関
AV・メディア関連機器部門を(株)デノンとして分社化、譲渡。
社名をコロムビアミュージックエンタテインメント(株)とする。
多くの名曲を生み出した赤坂スタジオ・クローズ。
本社を六本木に移転。
TDKコア(株)の全株式を取得。
CD2枚組『決定盤 栄冠は君に輝く 古関裕而大全集』発売。古関
生誕100周年。
CD6枚+DVD BOX『国民的作曲家 古関裕而全集 ~長崎の鐘・君の名は・栄冠は君に輝く~』発売(第51回「日本レコード大賞」企画賞受賞)。
CD『NHK-CD NHK番組による「国民的作曲家・古関裕而の世界」』発売。古関
本社を六本木から虎ノ門に移転。
フェイスグループの一員になる。
創立100周年。社名を日本コロムビア(株)に戻す。
コロムビア・マーケティング(株)を設立。
(株)フェイスによる完全子会社化。
生誕110周年。
CD2枚組『スポーツ日本の歌 ~栄冠は君に輝く~』、CD2枚組『古関裕而 昭和日本の歌 ~長崎の鐘~』、CD2枚組『古関裕而 戦時下日本の歌 ~愛国の花~』発売。古関
古関裕而・金子夫妻を主人公のモデルとしたNHK連続テレビ小説『エール』放送。
CD2枚組『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』、CD『古関メロディー カバー・コレクション』、CD『古関裕而スポーツ・ベスト ~みんなにエールを贈りたい』、CD2枚組『古関裕而秘曲集 ~歌謡曲編』、CD2枚組『古関裕而秘曲集 ~社歌・企業ソング編』発売。古関
創立110周年。
古関裕而ゆかりの人々
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古関金子(旧姓:内山) こせき・きんこ
<古関家>
(明治45(1912)年3月6日~昭和55(1980)年7月23日)
古関裕而の妻。現在の愛知県豊橋市の内山家に6人兄弟の三女として生まれる。昭和5(1930)年1月に「福島の無名の青年が国際作曲コンクールで入賞」という裕而の入賞を知らせる新聞記事を読んで文通を開始、同年6月に裕而と結婚。上京の後、帝国音楽学校に通い声楽を学ぶ。いくつかの舞台を踏むが、子育てに専念するために学校を中退。昭和9(1934)年に次女を出産した後、声楽家・ベルトラメリ能子に師事して本格的に声楽の勉強を再開するも、戦争のため活動は中断を余儀なくされた。裕而の創作活動を支える傍ら、戦後は「婦人文芸」委員となり詩や随筆を寄稿したり、詩誌『あいなめ』の同人となって、あいなめ会から作品を刊行したりした。
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山田耕筰 やまだ・こうさく
<コロムビアレコード>
(明治19(1886)年6月9日~昭和40(1965)年12月29日)
作曲家。父は医師でキリスト教の伝道師だったが、耕筰が10歳の時に亡くなり、曲折を経て育つ。岡山の姉の許に引き取られた時、義兄エドワード・ガントレットに音楽を学ぶ。東京音楽学校を卒え、岩崎小弥太の援助によりベルリン音楽学校で作曲を学ぶ。日本の交響楽団育成に力をそそぎ、日本交響楽協会(現NHK交響楽団の前身)を設立するが、後に分裂。紆余曲折があったが、交響曲・オペラ・映画音楽のジャンルで、日本の西洋クラシック音楽作曲家の先達として活躍、何より日本歌曲の作曲家として唯一の国民的な存在となる成功者であった。山田は日本のモダニズム形成において、音楽以外に舞踊・演劇・文学にも積極的に関与、日本近代化の文化面で多大な貢献をした。昭和31(1956)年に文化勲章を受章し、西洋音楽・大衆音楽のカテゴリーで初の受章者となった。
古関は学生時代から山田に憧れを抱き、自作の曲の譜面を郵送するなどして交流があった。昭和5(1930)年9月、コロムビアの顧問であった山田耕筰の推薦で古関はコロムビア専属作曲家として入社した。
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古賀政男 こが・まさお
<コロムビアレコード>
(明治37(1904)年11月18日~昭和53(1978)年7月25日)
作曲家。現在の福岡県大川市に生まれる。幼くして父を亡くし、兄のいる朝鮮に渡って生活する中で大正琴やマンドリンと出会う。帰国後、大正12 (1923)年に明治大学予科に入学、明治大学マンドリン倶楽部の創設に参画する。昭和4(1929)年、マンドリン倶楽部の定期演奏会にて処女作「影を慕いて」を発表。昭和6(1931)年にはコロムビア専属作曲家となり、一時テイチクに移籍するも、昭和13(1938)年にコロムビアへ復帰。半世紀近くに渡っていわゆる“古賀メロディー”を発表し、数々のヒット曲を生み出した。死去後、“古賀メロディー”作曲による実績が認められ、国民栄誉賞を受賞した。
古関とはほぼ同時にコロムビアへ入社。同じ専属作曲家として切磋琢磨し、生涯にわたって日本歌謡界の第一線で活躍した。
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野村俊夫 のむら・としお
<コロムビアレコード>
(明治37(1904)年11月21日~昭和41(1966)年10月27日)
作詩家。福島県福島市生まれ。幼いころから新聞や雑誌に俳句や詩を投稿するなどの創作好き。大正13(1924)年に地元の新聞社・福島民友新聞社に入社、のちに記者として活躍するも昭和6(1931)年に退社して上京、作詩家としての活動を開始する。昭和14(1939)年、藤山一郎に提供した「上海夜曲」がヒットし、専属作詩家としてコロムビアに入社して活躍。戦後、昭和26(1951)年から昭和40(1965)年まで日本音楽著作権協会(JASRAC)の理事を務めた。
古関と同じ福島市大町の出身で、子供の頃からよく一緒に遊んでいた。昭和6(1931)年、既にコロムビア専属作曲家となっていた古関のすすめで上京し、古関と組んだ初のレコード「福島行進曲」(歌:天野喜久代)を発表。昭和14(1939)年にコロムビア専属作詩家となり、作曲:古関裕而、歌:伊藤久男という組合せで「暁に祈る」「若き日のエレジー」「岬の灯り」などを発表、三人とも福島出身だったため“福島三羽烏”と呼ばれた。
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伊藤久男 いとう・ひさお
<コロムビアレコード>
(明治43(1910)年7月7日~昭和58(1983)年4月25日)
歌手。現在の福島県本宮市生まれ。実家は旧家で、父は県議会議員、兄は衆議院議員を務めるなど裕福な家庭で育った。中学校の頃からピアノに傾倒してピアニストを志すが、家族の反対に遭って東京農業大学に入学。その後、農大を退学して帝国音楽学校に入学するも、家族に知られて仕送りが中止されたため、コロムビアで合いの手やお囃子を吹込むアルバイトを始める。これがきっかけとなって歌手としての道を進み、昭和15(1940)年には「暁に祈る」「お島千太郎旅唄」などのヒットを飛ばしてスター歌手の仲間入りを果たす。戦後も「イヨマンテの夜」「山のけむり」などをヒットさせて長く活躍した。
古関とは同郷。古関の妻である金子が帝国音楽学校で声楽を学んでいたこともあって懇意になる。早稲田大学の第一応援歌である「紺碧の空」は当時、伊藤のいとこが応援団長だった縁で古関に作曲が依頼された。昭和8(1933)年には古関のすすめでコロムビアの廉価盤レーベルであるリーガルよりデビュー。すぐにコロムビアレーベルからデビューし、その後は古関の作曲による「露営の歌」「暁に祈る」「イヨマンテの夜」「君いとしき人よ」などをヒットさせた。“夏の甲子園”の大会歌であり伊藤が創唱した「栄冠は君に輝く」は今も歌われている。古関、野村俊夫と並び、“福島三羽烏”の一人。
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三浦環 みうら・たまき
<コロムビアレコード>
(明治17(1884)年2月22日~昭和21(1946)年5月26日)
オペラ歌手。東京・京橋生まれ。幼少のころから日舞や長唄、箏曲などをたしなむ。明治33(1900)年に東京音楽学校に入学し、在学中の明治36(1903)年、日本初のオペラ公演とされる「オルフェオとエウリディーチェ」で主役のエウリディーチェを演じて好評を博す。大正2(1913)年に医師の三浦政太郎と結婚後にドイツへ留学。第一次世界大戦の影響で、程なくしてイギリス・ロンドンに移住し、指揮者であるサー・ヘンリー・ウッドのテストを受けて認められ、アルバート・ホールに出演したことで爆発的な評判を呼び、イギリス国内のみならず各国の新聞でも報じられる。その後、ロシアのテノール歌手であるウラジミール・ロージンからオペラ「蝶々夫人」の主演を依頼されて大正4(1915)年に初主演。ここでも話題を集めたためアメリカやヨーロッパ各地で公演し、出演2000回を達成した。昭和10(1935)年に帰国し、戦争が激化するまでオペラへの出演やリサイタルの開催、レコード吹込みなどを精力的に行った。
古関の著書『鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝』(集英社文庫)によると、昭和10(1935)年にコロムビア専属声楽家だった三浦が帰国した際、彼女を歓迎するコロムビア主催のレセプションで二人は初対面した。同年は音丸の歌う「船頭可愛や」がヒットしていた折で、後にこの曲を聞いた三浦から、私も吹込みたいとの申し出があり、昭和14(1939)年にレコード化が実現した。その後、「月のバルカローラ」も作曲して提供、これも同年にレコード化された。当時のコロムビアでは、外国の著名な芸術家のレコードのみ青いレーベルを用いて青盤レコードと呼んでいたが、三浦は数少ない日本人の青盤芸術家であったため、この2枚のレコードは青盤レコードで発売された。古関にとっては生涯でたった2枚の青盤レコードとなり、「コロムビア芸術家としては最高の名誉であった。」と回想している。
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高橋掬太郎 たかはし・きくたろう
<コロムビアレコード>
(明治34(1901)年4月25日~昭和45(1970)年4月9日)
作詩家。現在の北海道根室市生まれ。大正8(1919)年に根室商業学校を中退後、地元の根室新聞社に入社し、記者の仕事をしながら高橋春波の名で文筆活動を始めた。大正11(1922)年には函館日日新聞に転籍、ここでも仕事のかたわらで文芸同人誌に参加して詩や小説などの創作活動を行った。昭和5(1930)年に民謡雑誌『艸』で「酒は涙か溜息か」を発表。その後、コロムビアに投稿、作曲には当時注目を集め始めていた古賀政男を指名して曲が完成しレコード発売、本格的に作詩家デビューを果たした。「酒は涙か溜息か」は藤山一郎が、同時に投稿した「私此頃憂鬱よ」は淡谷のり子が、それぞれ歌って大ヒットし、昭和8(1933)年には函館日日新聞社を退社して上京。翌9(1934)年にコロムビア専属作詩家として入社した。専属作詩家として、「船頭可愛や」「雨に咲く花」「博多夜船」「人妻椿」などのヒット曲を続々と発表するかたわらで、昭和16(1941)年からは歌謡同人誌『歌謡文芸』を主宰して後進の育成に尽力。後年作詩家として活躍することになる石本美由起、宮川哲夫、星野哲郎らを輩出した。昭和19(1944)年からはキングレコード専属作詩家となり、戦後、「啼くな小鳩よ」「瓢箪ブギ」「ここに幸あり」「一本刀土俵入り」「古城」などの大ヒットを次々と放って活躍。昭和43(1968)年には紫綬褒章を受章した。
古関は古賀政男から「酒は涙か溜息か」でコンビを組んだ高橋を紹介され、昭和9(1934)年の春にヒットソングを生むべく潮来へ取材旅行に出かけた。この旅行は、松平晃の「利根の舟唄」、さらに音丸の「船頭可愛や」が生まれるきっかけとなる。「船頭可愛や」は大ヒットとなり、音丸とともに古関の名も世にとどろくこととなった。
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音丸 おとまる
<コロムビアレコード>
(明治39(1906)年12月8日~昭和51(1976)年1月18日)
歌手。東京・麻布の履物屋の一人娘として生まれる。“稽古始め”のしきたり通り、6歳になった明治45(1911)年6月6日から常磐津と舞踊を習い、その後、琵琶や小唄もたしなんだ。昭和6(1931)年、尺八奏者の菊池淡水が指導する民謡の会で歌声を披露したことがきっかけとなり、コロムビアの廉価盤レーベルであるリーガルよりレコードデビュー。昭和9(1934)年9月にコロムビアと契約し、本名である永井満津子の名にて「おけさくづし」で正式にデビューした。翌10(1935)年には芸名を芸者風の音丸と改め「船頭可愛や」を歌い大ヒットさせる。その後も「下田夜曲」や「博多夜船」をヒットさせ、小唄勝太郎・市丸・赤坂小梅などのいわゆる“鶯芸者”と肩を並べる人気者となって一世を風靡。晩年まで精力的に活躍し、懐メロブームの折にはテレビにもよく出演した。
古関にとって初めてのヒット曲が、昭和10(1935)年に発表した音丸の「船頭可愛や」である。古関は日本民謡の旋律を生かして作曲したこの曲を、楽譜が読めない音丸にピアノを弾きながら熱心に指導して大ヒットにつなげた。この「船頭可愛や」は、専属作曲家としてコロムビアと契約してから5年近くヒットの無かった古関にとって、起死回生の一曲となった。
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藤山一郎 ふじやま・いちろう
<コロムビアレコード>
(明治44(1911)年4月8日~平成5(1993)年8月21日)
歌手。東京・日本橋生まれ。東京音楽学校声楽本科在学中に関東大震災や金融恐慌が発生。その煽りで困窮した家業を助けるため、昭和6(1931)年にコロムビアから藤山一郎の名でデビュー。「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」などのヒットを放つが、学校の規律に反するため活動を一時停止。卒業後、ビクター、テイチクを経て、再びコロムビア専属となる。戦後も「青い山脈」「丘は花ざかり」などの大ヒット曲を放つ傍ら、作曲家・指揮者・コーラスの指導者などとしても活躍。長きに渡り、歌謡曲を通じて国民に希望と励ましを与え、美しい日本語の普及に貢献した功績が認められ、平成4(1992)年5月に国民栄誉賞を受賞した。
古関と同じ昭和6(1931)年にコロムビアへ入社。「平右衛門(へいねも)」を吹込み、戦時歌謡としては「海の進軍」などを歌った。戦後、「三日月娘」や「夢淡き東京」、「長崎の鐘」「ニコライの鐘」の鐘シリーズ、「東京の雨」「長崎の雨」「みどりの雨」の雨三部作などを高らかに歌い、古関-藤山は名コンビとなった。
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霧島昇 きりしま・のぼる
<コロムビアレコード>
(大正3(1914)年6月27日~昭和59(1984)年4月24日)
歌手。現在の福島県いわき市生まれ。農家の三男として生まれ、小学校を卒業後に上京。藤原義江のレコードを聴いて歌手を志し、東洋音楽学校に進学。苦学して卒業後の昭和11(1936)年にコロムビアへ入社。翌12(1937)年にデビューし、翌13(1938)年には松竹映画『愛染かつら』の主題歌「旅の夜風」を後に妻となるミス・コロムビアと共に吹込み大ヒット。その後も「一杯のコーヒーから」「誰か故郷を想わざる」「蘇州夜曲」などのヒット曲を放つ。戦後も「リンゴの唄」「胸の振子」「三百六十五夜」などをヒットさせて長く活躍した。
古関と同郷。コロムビア入社直後より古関作品を多く歌い、特に「露営の歌」「若鷲の歌(予科練の歌)」「雷撃隊出動の歌」などの戦時歌謡にヒットが多い。
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丘灯至夫 おか・としお
<コロムビアレコード>
(大正6(1917)年2月8日~平成21(2009)年11月24日)
作詩家。現在の福島県田村郡小野町生まれ。西田屋旅館の六男として生まれ、昭和7(1932)年、福島県郡山市立郡山商工学校商業科を卒業。子供の頃から体が弱かったため仕事が長続きせず、職を転々とするうち読書に没頭。西條八十主宰の雑誌に作品を載せてもらったり手紙を出したりしているうちに交流を持ち、昭和10(1935)年に西條に弟子入りして作詩の道に進んだ。昭和16(1941)年にNHKへ入局、翌17(1942)年には毎日新聞に入社して新聞記者となる。昭和24(1949)年、大映映画『母燈台』の主題歌の作詩をきっかけに、コロムビア専属作詩家となった。作詩家となった後も毎日新聞に籍を置いて昭和47(1972)年の定年まで勤め上げ、毎日新聞社終身名誉職員、出版局特別嘱託となった。昭和63(1988)年、勲四等瑞宝章受章。丘十四夫と名乗った時期もある。
古関とは昭和11(1936)年、西條八十の弟子になった翌年に出会う。それから半年後の翌12(1937)年、コロムビアの廉価盤レーベルであるリーガルより発売された「焦れったいわネ」(作曲:東三吉、歌:南玲子)が丘のレコードデビュー作だが、同曲はかねて古関と面会した折、丘が手渡していた三篇の詩稿の中にあったもので、これが後に「白いランプの灯る道」「あこがれの郵便馬車」「高原列車は行く」など、このコンビが多くの名曲を生み出すきっかけとなった。
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菊田一夫 きくた・かずお
<古関裕而の盟友>
(明治41(1908)年3月1日~昭和48(1973)年4月4日)
劇作家・作詩家。神奈川県横浜市生まれ。5歳で菊田家の養子になるが、転々とし大阪や神戸で小僧をしながら夜学に学んだ。大正14(1925)年に上京し、印刷工をしながら浅草国際劇場の文芸部に入る。昭和8(1933)年、古川ロッパらにより旗揚げされた劇団・笑の王国に座付作家として迎えられ劇作の道へ。昭和11(1936)年より東宝文芸部に籍を置く。戦後間もなく、古関裕而とコンビを組んで多くのラジオドラマやテレビドラマ・映画・演劇・ミュージカルを手がけて多くのヒット作を生み出した。昭和30(1955)年に東宝取締役となっても映画や帝国劇場・宝塚歌劇団の舞台の原作・脚本・演出をはじめ小説も執筆するなどして、晩年まで精力的に活躍を続けた。
昭和12(1937)年、古関は放送劇の音楽作曲の依頼を受け、菊田を紹介される。以後、戦争によって交流は途絶えていたが、昭和20(1945)年10月に古関と菊田に戦後初のラジオドラマ「山から来た男」の制作依頼が舞い込みコンビが復活した。以後、連続ラジオドラマ「とんがり帽子」「さくらんぼ大将」「君の名は」などを手がけ、大ヒットを連発。東宝がミュージカルの公演を始めると、古関を伴って演劇やミュージカルへと活躍の場を広げていった。「フランチェスカの鐘」「イヨマンテの夜」など、古関と組んだ流行歌のヒット曲も多数。
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ベルトラメリ能子 べるとらめり・よしこ
<古関金子の師>
(明治36(1903)年4月1日~昭和48(1973)年8月2日)
声楽家(ソプラノ)。茨城県平潟町生まれ。子供の頃に東京へ転居し、東京音楽学校に進学。卒業後にアドルフォ・サルコリに師事、小学校で教師をしながら山田耕筰にも師事した。大正11(1922)年よりオペラ研究のためイタリアへ留学し、国立音楽学校で声楽を学んだ。昭和3(1928)年、イタリアの詩人であるアントニオ・ベルトラメリと結婚するが、アントニオは昭和5(1930)年に亡くなり、翌昭和6(1931)年に帰国してコロムビア専属歌手となった。その後再びイタリアへ渡ったが、昭和10(1935)年に帰国し、ベル・カント唱法の普及などに貢献。戦後も国立音楽大学の教授を務めるなど音楽教育に尽力した。
古関の妻・金子は昭和9(1934)年に次女を出産した後、ベルトラメリ能子に師事して本格的に声楽の勉強を再開。能子の一番弟子となり、「カヴァレリア・ルスティカーナ」「アイーダ」「トスカ」などの舞台を踏んだ。