音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.07

クラシックメールマガジン 2013年11月付

~音楽の人格 ~『ロマンティック・メロディーズ』高嶋ちさ子(Vn)~

音楽に人格があると言ったら笑われるでしょうか。そもそも音とは空気の振動でしかないのですから、音がいくら集まったところで何かを考えたり行動したりする主体にはなり得ず、音楽が人格を持つはずはありませんが、人格があるかのように見なすことはできる。音楽を人格化する、つまり「仮に意志のある人間と見なす(新明解国語辞典)」ということ。
考えてみると、私が音楽を聴く時には、いつもその人格化を無意識のうちにやっています。聴こえてくる音楽自体を人間に見立て、音の向こう側に透けて見える人格と対話をする。これがなかなかに楽しい。音楽が何かを私に語りかけてくるように思えて、音楽とより能動的に、より深くコミュニケーションが取れるからです。音楽を理解しているというのとは違うと思いますが、少なくとも音楽を自分のものとして捉えることができる。
ただ、音楽の作り手が、もしも私が実際に知っている人だったり、メディアを通じて人となりを間接的に知っている人だったりすると、聴いている音楽の人格と、音楽の作り手の人格とを混同して頭がこんがらがることがあります。音楽は、作り手の手を離れて空間に鳴り響いた瞬間にまったく違う人格を持つものと見なすべきなのに、両者の人格が一致していると思いたいがために、音楽とは関係ないフィルターをかけて感想を捻じ曲げて偽装してしまったり、自分が音楽から受けた印象の根拠を音楽の作り手にまつわる物語に求めたりしてしまうこともあります。人格という切り口で音楽を聴くことの面白さと危うさ。まさに諸刃の剣です。
では、例えば私たちにとってはテレビなどでお馴染み、子育てしながら演奏活動を続けるママさんアーティストとして、コロムビアの看板アーティストとして、J-Classisの中心人物として、そして美人ヴァイオリニストとして長年活躍してきた高嶋ちさ子の場合はどうでしょうか。彼女の演奏を聴いて、メディアを通して垣間見る高嶋ちさ子という人自身の人格と、彼女の音楽にある人格に対して私はどんなことを感じ何を思うでしょうか。ちょうどおあつらえ向きに彼女はソロ名義では2年ぶりの新盤をリリースしたばかり。『ロマンティック・メロディーズ』と題されたニューアルバムを題材に話を続けます。
まず、このアルバムに収められた14曲の音楽から感じ取れる仮想人格とはどんなものか。
一言で言ってしまうと、生真面目な人。自分と接してくれる聴き手の多くがクラシック音楽には馴染みの薄い方々だからと言って、決して手抜きやごまかしをせず、誠心誠意、自分の言いたいことや伝えたいことをまっすぐに相手の目を見て熱っぽく話しかける、そんな人をイメージさせるような人格。きっと音楽の作り手から大切に丁寧に育てられて生まれてきたに違いないと思えるような音たち。
そんな音に接すると、私はもっとこの人の言葉に真摯に耳を傾けよう、もっと丁寧に聴こうという気持ちが高まります。ああ、この曲は自分の旋律の美しさを聴いてほしいんだな、リズムの面白さに気づいて欲しいんだな、ヴァイオリンと他の楽器との絡みを楽しんでほしいんだなというような感想が湧き起こる。すると、音楽の仮想人格に接している自分がどんな風に反応しているかを見ていると、自分は今目の前にいる人に対してどんな感情を持っているのかが分かる。いつも話ししていて楽しいあの人と喋っている時の気分に似ているか、大の苦手のあの人と話している時の気分に似ているか、などと考えると、自分がどういう音楽を好んでいるのか、音楽に何を求めているのかがぼんやり見えてくる。そして、ああ俺ってこういう人間なんだいうこともほんの少しだけ分かるような気がしてくる。
高嶋ちさ子の『ロマンティック・メロディーズ』を聴き、そこにある生真面目な人格に触れることで、私は思いもかけず聴き手としての自分に真正面から向き合うことになりました。それはとても楽しく、とても有意義なことでした。きっと私はこの高嶋ちさ子の奏でる音楽の人格がとても好きなのだろうと思います。その音楽の人格は、テレビなどで知っている彼女自身の人格、キャラクターと余り結びつかないような気もしますが強い関連はある。テレビでいつもいつも面白いことを言ったりやってくれるのは、その根本の部分ではとても真面目でキチッした人で、人を喜ばせよう、楽しませよう、一緒に盛り上がろうという気持ちにものすごく忠実なだけなのかもしれません。周囲を凍らせるような強烈な毒舌を吐いたり、同僚ピアニストや仲間のアナウンサーに凄まじい罵詈雑言を投げかけたり、毎日のように「肉、肉、肉」と連呼するような彼女の人格を、音楽そのもののもつ仮想人格とを混同しては何か大事なことを見失ってしまうのでしょう。
ぐだぐだと抽象的なことばかり書いてしまったので、アルバムを聴いた感想について少し具体的に述べておきます。
『ロマンティック・メロディーズ』には私がこれまで知らなかった音楽がいくつか録音されています。具体的には、ブリッジスの「ケルトの歌」、シェーンフィールドの「カフェ・ミュージック(第1楽章のみ)」、バザンの「ロマンス」の3曲。
まずカナダの作曲家ビル・ブリッジスの書いた「ケルトの音楽」(トラック2)は、CDの選曲をしている際にネットで見つけた(誰が見つけたかは不明)曲なのだそうで、作曲者本人にSNSを通してコンタクトをとって楽譜の提供を受けたというまさに「秘曲」。「ダニー・ボーイ」を思わせるような静かに胸にしみこんでくる優しい歌が心に残る佳品です。特に、ちょっとマイナーコードが忍び込んできたところに、装飾音をつけながら切々と歌うあたりのセンチメンタルな雰囲気は私のような甘党には猫にマタタビ的な魅力があります。高嶋ちさ子の演奏も淡々とした歌い口から生まれるしみじみとした情感が魅力的。ブリッジスという人は、彼女が演奏・録音してくれたことをきっと喜んでいるに違いありません。
次に、トラック3のアメリカの作曲家ポール・シェーンフィールドの「カフェ・ミュージック」の第1楽章。デトロイト出身でピアノをルドルフ・ゼルキン(!)に学んだという作曲者が1986年にピアノ・トリオのために書いた曲で、アメリカでは人気のある曲なのだそうで、ラグタイムとジャズのテイスト満載のとても楽しい音楽です。もっとも、カフェの音楽とは言っても、客が皆、スマホやタブレットを黙々と操作しているような静かな落ち着いたカフェなどではなく、集まった人たちがガヤガヤと会話を楽しみ、笑い声が絶えないオープンで賑やかなカフェで流れていそうな音楽。書かれた当時はまだインターネットや携帯電話なんて一般的ではなかったのですから当然といえば当然でしょうか。トリオの演奏も楽しげで、この音楽の持つ生命を感じさせてくれるのがいい。
ところで、このシェーンフィールドという人、私は全然知らなかったのですが、ライナーノートによれば高嶋がアメリカでニュー・ワールド・シンフォニーに在籍していた時にトランペット協奏曲(「ヴォードビル」という曲と思われる)を演奏して気に入ったとのこと。ネットで調べてみると、この人の作品には「キャンプの歌」「ゲットーの歌」などというナチス時代の強制収容所でのユダヤ人の生活を題材にした詩をテキストとした歌曲集や、名チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレに捧げる曲があり、私の好奇心を大いにそそるのです。実際にいくつかの曲をCDで聴いてみましたが、これがなかなかに良い。マーラーの歌曲を彷彿とさせる旋律があるかと思えば、バーンスタインのミュージカル・ナンバーみたいなノリの良い音楽もある。しかも、その楽しげな音楽に乗せて悲惨なユダヤ人達の悲痛な叫びが歌われていたりして、なかなかにシニカルなところのある癖のある音楽。ユダヤ的な要素を持つ音楽に目がない私にはこれもまた堪らない魅力のあるものです。いい作曲家を教えてもらったなあと思います。
余談ですが、ニュー・ワールド・シンフォニーに関連して言えば、彼女がヴィラ=ロボスを知ったのもやはりアメリカ滞在中だったとのこと。確かに彼女がニュー・ワールド・シンフォニーに所属していた1996年には、マイケル・ティルソン・トーマスが指揮したヴィラ=ロボスの作品集(フレミングが歌うブラジル風バッハ第5番を含む)のCDが録音されていますが、彼女は録音に団員として参加していたのでしょうか。そう思うと、あの名盤を聴く時の感覚もちょっと変わってきます。まあ、だからどうしたと言われると困ってしまうのですが、こういうトリビア的なネタに出会えたものこのアルバムの楽しいところ。
そして、トラック9のバザンの「ロマンス」。オペラ・コミックの人気作曲家だったというバザンのオペラ「パトラン先生」の中のアリアだとか。これもまったく初めて聴く曲なのでネットで検索してみましたが、CDはどうやらコロムビアのアーティストによるアルバム(幸田聡子のその名もズバリ『バザンのロマンス』、高木綾子の『シシリエンヌ』)に収録されているくらいらしい。高嶋ちさ子がそれらのCDを聴いて気に入ったのか、制作者からの提案だったのかは分かりませんが、コロムビアの伝統の一曲みたいなものでしょう。哀愁に満ちた旋律が胸に迫る曲ですが、彼女の演奏には昔々に人々から愛されていた「ジョスランの子守唄」とか「ドリゴのセレナード」みたいな「セミ・クラシック」的なセピア色の雰囲気があって何とも懐かしく、洋食屋さんのオムレツやハヤシライスみたいな味わいがいいです。
あともう1曲、私が初めて聴く曲があります。それは高嶋ちさ子自身が書いたという"Bleu Forest"。2011年のクリスマスに、汐留のイルミネーション・イベントのために書かれた音楽とのこと。メロディ自体はさすがに専業作曲家によるものではないので素朴なものですが、アレンジのおかげもあってイベントに相応しい華やかな雰囲気があります。あの震災の年のクリスマス、汐留に集まった人たちは誰もがあたたかい光と音に包まれて、束の間の安らぎを得て笑顔になったに違いないと思えるような音楽だし演奏。
それから、今回私は「12人のヴァイオリニスト」を初めて聴きましたが、これはとても良かった!特に、ブラームスの子守歌。まず加藤真一郎氏のアレンジが実に素晴らしい。独奏ヴァイオリンが無伴奏であの有名な旋律を歌い始めた後、ピアノの導きによってアンサンブルが歌を引き継ぐのですが、近い音程で微妙に絡み合いながら主旋律をぴったりと包み込むような高音のオブリガートが何とも言えず神々しいほどの美しさなのです。シルクのような手触りのヴァイオリン・アンサンブルの豊かな音の上で飛翔する高嶋のヴァイオリンは、ほとんど女神さまのようで美しい。同じように、メンデルスゾーンの「歌の翼に」も心のこもった豊かな歌に目眩がしそうなくらいです。彼女らの演奏形態はちょっと特殊かなとも思いますが、なかなか面白い可能性があると思います。
あと、このアルバムでは編曲の妙も楽しみました。例えば、藤満健氏が合唱曲をピアノ三重奏にアレンジしたフォーレの「ラシーヌ讃歌」。あの美しいメロディが、ヴァイオリンとチェロの対話によって広がっていくあたりの心地良さは格別です。また、前述のヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ第5番」のアリアも良かった。もとはチェロアンサンブルとソプラノ独唱のために書かれた曲を、これもまた加藤真一郎氏が12人のヴァイオリニストとピアノ伴奏用に編曲したもの。哀愁に満ちたソプラノ独唱のメロディをソロ・ヴァイオリンが綿々と歌う後ろで、ピチカートの伴奏がヴァイオリン・アンサンブルによって演奏されていますが、チェロで聴くと雨だれのように感じられるところが、ヴァイオリンだと涙がポトポトとこぼれるかのように響いてきて、この曲の新しい魅力を感じさせてくれます。
と、純粋に音楽的な面からも、とても楽しいアルバムですっかり気に入って愛聴しています。聴き手に対して、真面目に、真摯に語りかけようとする音楽の人格に触れて、私はますます彼女のファンになってしまいました。アルバムのライナーノートには、高嶋自身が「わたしの演奏ってつまらないでしょう?」と言ったというエピソードが紹介されていますが、彼女はもしかしたら自分の音楽の持つ生真面目な人格のことを言っているのでしょうか。でも、そんな彼女の音楽の誠実さゆえに、私だけでなく多くのファンが魅了されているのでしょうし、クラシック音楽に初めて接する人たちこそ無駄に敷居の高さを感じずに音楽を楽しめるのではないでしょうか。まさにそこにこそ彼女らの人気の秘密があるように私は思います。彼女の音楽はつまらなくなんてないのです。
忘れてはいけません。私は、高嶋ちさ子自身の人格もとても好きです。最近はあまりやっていないようですがバギー・コンサートという子連れOKの演奏会を開いて日頃忙しいママさん達が音楽を楽しめる場を作ったり、フィリピンやネパールの貧困問題に心を痛め、12人のヴァイオリニストたちのツアーで教育援助のための募金をしたり(2013年10月末時点で400万円近くを集めたとか)と、決して名を売るための美談作りなんかじゃなくて、自分の「こうしたい」という純粋な気持ちだけで行動をしておられる。何と誠実で、まっすぐで、優しい心の持ち主なのだろうかと思います。また、時折ツイッターではご家族に対する愛情あふれる感謝の言葉を書かれることもあり、彼女のあたたかい人柄を垣間見る気がします。そんなことで、私は彼女のことを、人間として、そして子育て中の親の仲間として尊敬します。彼女の活動を応援していきたいと思います。まずは是非、彼女らのライヴを聴きに行きたいです。
高嶋ちさ子がまいてくれた種を育て、獲得した新しいファンをさらにクラシック音楽の深い森へと誘うのは、コロムビアの役割だと思います。既にいろいろな試みが実践されているようですが、私たちクラシックの常連も楽しませてくれるようなエキサイティングなアルバムをこれからも聴かせて欲しいです。期待しています。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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