音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.71

クラシックメールマガジン 2016年1月付

~「聴くオペラ」の復権 ~プッチーニ/歌劇「トゥーランドット」 バッティストーニ指揮~

オペラを聴くのが好きです。
オペラは総合芸術、観ることの重要性を知らない訳ではありませんが、今ほど舞台上演に触れる機会が豊富でなかった頃にレコードやFM放送を通じてオペラの魅力を知り、オペラは聴くものという意識が身についてしまったせいか、今もオペラを聴くことに格別の喜びを感じます。
限界は自覚しています。視覚情報なしにオペラを聴いていると音楽に浸りきってしまうので、たとえあらすじが荒唐無稽であっても、登場人物のキャラクターや言動が共感を抱きにくいものであっても、それらを無批判に受け容れてしまうのです。
ですから、私がCDで愛聴していたプッチーニの歌劇「トゥーランドット」が、実はとてもヘンな物語で、ほとんどの登場人物の行動は不可解なものだと気がついたのは、初めて聴いてから随分経った後のことでした。いや、自分で気がついたのではなくて、学生オケの夏の合宿で、宿泊施設にあったゼッフィレルリ演出によるライヴ映像のレーザーディスクを仲間と一緒に見た時、ある友人が何気なく言い放った一言で気づかされたのでした。
「カラフの気が知れない。何でトゥーランドットなんだ。リューが可哀想だ」
確かに我が身に引き寄せて考えてみれば、私も冷酷無比な王女に命がけで求婚するより、自分を慕ってくれる身近な女性を選ぶなあと友人の意見に心の底から同意しました。
それまで私はそんな観点から「トゥーランドット」を聴いたことはなく、このオペラを狭い視野からしか捉えていなかったことに初めて気がつきました。歌、器楽、そして演劇が一体となってドラマを生むオペラをもっと深く味わうためには、オペラを「観る」ことに意識を注がねばと痛感しました。
以降、私はオペラの舞台上演に接する機会をなるべく作って「観るオペラ」を楽しんできました。国内でのオペラ上演数の増加、映像ソフトの充実やインターネットの普及でナマのオペラが身近になり、世の中でも「観るオペラ」が主流となりました。一方、それに反比例するかのように、特にメジャーレーベルからのオペラCDの発売点数は激減し、「聴くオペラ」の地位は低下していきました。まるで誰かがどこかで「CDを捨てよ劇場へ出よう」という合言葉を発し、世間がそれに吸い寄せられたかのように。
しかし、それでも私は今も「聴くオペラ」を愛しています。未知のオペラを知ろうとする時にも、馴染みのオペラを楽しむ時にもCDを聴くことが多い。人の声を聴くこと、オーケストラの響きを聴くことが純粋に好きだからです。「トゥーランドット」も、友人の一言で気づいた不条理を喉にささった骨のように感じつつも、プッチーニの音楽の魅力に酔いしれ、歌手の声や息遣いを感じ、オーケストラの響きに包まれる幸せや喜びを感じながら聴き続けてきました。
昨年末にコロムビアから発売されたバッティストーニと東京フィルの演奏による「トゥーランドット」は、「聴くオペラ」を愛する私にその醍醐味を存分に味わわせてくれる演奏でした。
トゥーランドット役にティツィアーナ・カルーソー、カラフ役にカルロ・ヴェントレ、リュー役に浜田理恵を迎え、2015年5月19日にサントリーホールでおこなわれた演奏会形式上演のライヴ録音。前日のオーチャードホール公演を聴きましたが、ライナーノートで吉田光司さんが詳細にレポートされているように、舞台装置なし、歌手の演技や照明は最小限と、徹頭徹尾「聴くオペラ」として演奏された「トゥーランドット」でした。
実演でも多大な感銘を受けた演奏でしたが、拙宅のオーディオはこんなにいい音が出せるのかと驚くほどに鮮明でリアルな録音(SACD層で聴きました)によって、まるで初めて聴くオペラであるかのように新鮮な気持ちで聴くことができました。
声楽、管弦楽ともに演奏家のすべてが持てる力を出し切ったクオリティの高い演奏であると同時に、様々な美点を持った演奏だと思います。熱い血潮の感じられる激しいドラマの表出。歌心に溢れながらも決して甘美にもたれかかり過ぎないしなやかなカンタービレ。そして、極上の絹の手触りのような柔らかさと豊かな色彩感を失わない弱音。ディスクの帯やライナーノートに書かれた賛辞をなぞったような言葉しか出てこないのが非常に歯がゆいのですが、挙げればキリがないほどにたくさんの魅力の詰まった「トゥーランドット」を私は心の底から楽しんでいます。
この音盤を聴いた最大の収穫は、「トゥーランドット」の物語が初めて腑に落ちたことです。ストーリーや登場人物の行動の不可解さを、音だけを聴いて払拭できたのです。
今まで私は「トゥーランドット」における勝者はカラフ王子だと思っていました。正義の味方が悪の象徴である王女トゥーランドットを打ち負かせたのだと。しかし、このオペラはそんな勧善懲悪的な話ではないということをバッティストーニ盤は私にはっきりと感じさせてくれたのです。
異国から次々にやって来る求婚者たちに謎解きを課し、失敗すれば即刻斬首刑、国民にも恐怖政治の限りを尽くしていた中国の王女トゥーランドット。敵に追われるようにして北京に流れ着いたタタール国の王子カラフは、彼女を一目見てその美しさの虜になり、誰も解けなかった3つの謎にすべて答えて彼女の愛を勝ち得ます。カラフとトゥーランドットが歌う愛の二重唱のヴォルテージが最高潮に達した時、合唱とオーケストラが、カラフが歌う有名なアリア「誰も寝てはならぬ」の名旋律を輝かしい響きの中で壮大に歌い上げ、「永遠の幸福」の到来を祝福します。
この場面は、プッチーニが未完のまま病に倒れ亡くなってしまったため、後輩の作曲家アルファーノが補筆して完成させたものですが、バッティストーニ盤ではこれまでに聴いたことのないような大きな包容力をもった音楽を聴くことができます。従来、プッチーニが書いた音楽との質的な落差を指摘されることの多い場面ですが、この演奏を聴いているとそんな批判など吹き飛んでしまいます。すべてが幸福な結びつきの中で均衡のとれた状態にあり、それが永遠に続くのではないかと思えるような法悦に満ちた「調和」が鳴り響いている。
洪水のように押し寄せてくる肯定の響きに浸りながら、トゥーランドットは、その本質においては決して血も涙もない極悪非道の独裁者などではなく、実は「愛」を象徴する存在であるように思えてきました。
ただ、彼女は「内向きの愛」を象徴する。彼女は熱烈に国を愛していますが、その思いが強すぎるがゆえに異国からの求婚者を拒み次々に殺していく。盲目的な愛国心は時として人々の心を極端な不寛容へと導きます。
一方のカラフは「外向きの愛」の象徴。愛はいつも正しい、愛のためなら自分の命も惜しくはないという正義と理想に燃えた人ですが、それだけでは愛する人を守れないこともある。正義や理想は、煮えたぎる憎悪と強い猜疑の前では往々にして脆くも無力となってしまうから。
「内向きの愛」と「外向きの愛」という相反する方向を持った二つの愛は単独で存在することはできません。両者がしっかりと結びつき美しく調和して初めて、真の「愛」になることができる。今や瀕死の状態にある世界を滅亡の危機から救い出すためには、燃えさかるカラフの愛の力でトゥーランドットの凍りついてしまった愛を溶かし、再び両者が一体となる必要があったのです。別れ別れになっていた二つの愛が熱いくちづけと抱擁を交わして調和を取り戻したとき、世界はようやく息を吹き返す。
そんな風に、このオペラをリアルなストーリーを超越した「愛」をめぐる物語と捉えてみると、トゥーランドットとカラフが結ばれるハッピーエンドは必然なのだと考えられるようになりました。こうでなくてはならない、愛しか地球を救えないのだと。
ただ、カラフを守るために自害したリューは、それでもやっぱり可哀想です。愛の痛みに満ちた二つのアリアの切なさや哀しさを思うと、どうしても割り切れなさは残ります。リューを歌う浜田理恵の、カラフへのひたむきな愛を痛切に感じさせてくれる歌と、リューの心に寄り添うようなデリケートなオーケストラの響きに触れているとなおのこと、リューはどうして愛の勝利の輪の中にいられなかったのかと悔しくなる。
実演を聴いた時も、特にリューの死の場面では、身がちぎれるような哀しみに襲われて感極まってしまい、目を開けていることすらままならない状態に陥りましたが、音盤で聴いても状況は変わりません。原作になかったキャラクターとしてリューを登場させ、彼女に過酷な悲劇を一身に負わせた上に、聴く者の涙を誘う美しい歌を歌わせたプッチーニを恨みたくなります。勿論、この演奏の白眉ともいうべき素晴らしい歌唱を聴かせてくれた浜田理恵には心からの拍手を贈ります。
こうしてリューへの思いをさらに強めつつも、それでもなおこのオペラの展開が「腑に落ちた」と思えたのは、結末で成し遂げられた「愛の調和」が、リューの死をもすっぽりと包み込んでしまうほどに大きなを力を持っているからとしか言いようがありません。それほどまでに強烈な印象を与えてくれる演奏なのです。主役のカルーソーとヴェントレの歌も十分にドラマティックでありながら、愛の哀しみと喜びを余すところなく表現していてとても印象に残ります。
もう一つ。このオペラには「民衆」が合唱で登場します。彼らの本来の姿は、自害したリューを憐み、トゥーランドットとカラフの「結婚」を祝うような善良な人々なのですが、ひとたび歯車が狂えばいとも簡単に理性を失ってしまう。謎解きに失敗した異国人の斬首刑を見世物のように楽しんで「殺せ!殺せ!」と首切り役人を煽り、異国から来た人々を取り囲んで責め立て排斥する。バッティストーニ率いるオーケストラと合唱が描き出す民衆の残忍さはまったく容赦のない激しいもので、これを聴いていると、ああ、だからこそカラフとトゥーランドットは結ばれなければならないのだという思いを強くします。「内向きの愛」と「外向きの愛」が一体とならなければ、リューのような犠牲者を生み、民衆は暴徒化し、世界は滅亡への道をひた走ってしまうからです。
このようにフィナーレの眩いばかりの輝きに満ちた響きから逆算して、「どうしてトゥーランドットなんだ!」と言った友人の問いに対する答えのようなものを見つけ、ドラマの結末に深く納得できるようになりました。最後に愛が勝たねばならない、と。
ところで、このディスクのライナーノートには今回も加藤浩子さんが素敵な一文を寄せておられますが、そこでバッティストーニ自身の言葉が紹介されています。彼は「トゥーランドット」はそれまでのプッチーニの人間的なオペラとは異なり、生身の人間の感情とはかけ離れた「音楽的寓話 favola musicale」なのだと言います。このオペラは音楽による寓話なのであって、トゥーランドットもカラフもリアルな人間としてではなく象徴的な存在と捉え、展開していくドラマも何かの比喩として読み取り、我々はそこから教訓を得るべきだということなのでしょう。
その言葉の通りバッティストーニは、約100年前に書かれた音楽的寓話「トゥーランドット」が投げかける問題提起を、21世紀初頭を生きる我々にとっても切実で普遍的な問題として捉えているように感じます。勿論、彼が実際に何を問題と捉えているのかは分かりませんが、どの音にも胸が痛くなるほどに切実な「当事者意識」が込められているのは間違いなく、それが聴き手である私にもビリビリと伝わってきて、このオペラがとてもアクティヴなものとして感じられるようになりました。
迫害から逃れ北京へとたどり着いたタタールの王子カラフは、トゥーランドットら中国の人にとっては「難民」であると言えます。「難民」という言葉を持ち出した瞬間に、「トゥーランドット」の物語は途端に心に響いて来ます。
いまヨーロッパには毎日のように難民が押し寄せて来ていて、人々は否応なしに様々な難問と向き合っています。世界中で、人々はカラフ的な寛容とトゥーランドット的な不寛容の間で激しく揺れ動いています。
愛とは他者の存在を受け容れること。私たち一人一人の心の中で、トゥーランドットが示した自らのアイデンティティを大切にする内向きの愛と、カラフが見せたあらゆる障壁を乗り越えて結びつきたいと願う外向きの愛が、しっかりと手を結び合って調和しなければヨーロッパどころか地球全体が滅亡してしまう。
そんなことを考えながらバッティストーニらの演奏する「トゥーランドット」を聴いていると、どんなに困難な時代にあっても愛に満ち溢れた理想の世界の姿を思い描き続けるのだ、そして、互いに抱き合えという声が音の背後から聞こえてくるような気がします。そう、アルファーノの補筆したフィナーレで「誰も寝てはならぬ」の旋律が回帰するとき、ベートーヴェンの「第9」の終楽章で人類愛を謳い上げる「歓喜の歌」と同じニ長調のハーモニーが高らかに鳴り響くのは、単なる偶然とは思えなくなってしまうのです。
妄想もいい加減にしなさいと言われてしまうかもしれませんが、バッティストーニの指揮する「トゥーランドット」の素晴らしい演奏から受けた感銘が、彼自身の音楽的寓話という示唆を経て「第9」の「人類愛」という思想へと思いがけず辿り着けたのは、私にとってはとても刺激的なことでした。豊かでかけがえのない聴体験を与えてくれた「聴くオペラ」の音盤の登場を心から喜びたいと思います。そして、これからも繰り返し聴いて妄想をさらに広げ、その思いを少しでも「美しき誤解」へと近づけたいです。
世の中ではこれからも「オペラは観るもの」という流れが加速していくのかもしれません。しかし、私はこんなに素晴らしい音盤が生まれるのなら、「聴くオペラ」がもたらしてくれる豊かな体験の価値は増しこそすれ減ずることはないと思います。バッティストーニと東京フィル、そしてコロムビアがこれからも強力なタッグを組み、「聴くオペラ」の魅力を味わわせてもらえることを心から希望します。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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