あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
今回は、お正月にふさわしい音盤を二枚、ご紹介しようと思います。いずれも年明けに開かれる演奏会の定番曲です。暫しお付き合いのほどを。
最初は、ルドルフ・ケンペ指揮ドレスデン・シュターツカペレによる「ウィンナ・ワルツ・コンサート」。同オーケストラの創立425周年を記念して、1972年暮れから翌年始めにかけドレスデンの聖ルカ教会で録音されたオイロディスク原盤のアルバムです。
収録されているのは、ヨハン・シュトラウス二世の喜歌劇「こうもり」序曲、ワルツ「ウィーンの森の物語」、ヨーゼフ・シュトラウスの「天体の音楽」、スッペの喜歌劇「ウィーンの朝昼晩」序曲、レハールのワルツ「金と銀」、ヨハン・シュトラウス二世のポルカ「浮気心」の6曲。
先年亡くなった音楽評論家、宇野功芳氏がレハールの「金と銀」を激賞したことでも有名なディスクなので、ご存じの方も多いかと思います。1974年のLP初発売以来、CDの時代になってからもカタログから消えたことはなく、つい最近も高音質を謳ったUQHCDで再発売されたばかりです。
恥ずかしながら、私はこのケンペ盤をつい最近になって初めて聴きました。きっかけは、少し前に名曲喫茶でケンペ指揮の「金と銀」のCDを偶然耳にしたことでした。
ただし、その時かかっていたのはウィーン・フィルと録音した旧盤の方。少し聴いただけでそれとわかる、艶やかで華のあるオーケストラの音色と、とろけてしまいそうなくらいに甘美な歌が大きなスピーカーからこぼれ出て、薄暗くて少し埃っぽい店内の空気はいっぺんに華やぎました。そのときに飲んだ珈琲の美味かったこと!
そうなると、音盤が欲しくなるのが人情というもの。早速近くのCDショップに足を運び、件のディスクを探しました。しかし、在庫切れなのか、あいにく店頭の棚には見当たらず。それではということで、ドレスデン盤を入手したという訳です。
いや、「金と銀」に限らず、どの曲も素晴らしい演奏です。
まず、ドレスデン・シュターツカペレの響きのなんと魅力的なことでしょうか。
確かに、その響きの重心はやや低く、音色も幾分くすんでいるし、几帳面に刻む三拍子のリズムにも若干の武骨さがあって、華美なウィーン・フィルの演奏に比べ「渋い」という印象があります。
しかし、それこそがドレスデンのサウンドの魅力です。ずしりと腹にこたえる重厚な低音。各楽器がまろやかに融け合った、柔らかであたたかみのあるトゥッティの響き。突出したところのまったくない、目のつんだ室内楽的なアンサンブル。このオーケストラからしか聴くことのできない独特の味わいが、聖ルカ教会の豊かな残響が適度に取り入れられた名録音によって、美しく捉えられています。
録音当時62歳、円熟期に入って世界的に名声を高めていたケンペの指揮も充実の極み。中庸のテンポを基本に、堅牢な枠組みのなかで音楽を着実に組み立てていく手腕はまさに職人芸。
しかも、要所でタメをつくって見栄を切ったり、「ウィーンの朝昼晩」のコーダではあっと驚く加速を見せたりとメリハリは十分。ドラマティックな盛り上げにも不足はない。その一方で、どんな局面でも音楽がゆとりをもって自然に息づき、柔和で穏やかな微笑みをたたえていて、ウィンナ・ワルツを聴く醍醐味はちゃんと確保されてもいる。
このように、当盤では、ケンペの熟達の指揮と類稀なオーケストラの美質が分かちがたく結び付いた、本場ものとは一味も二味も違うウィンナ・ワルツの愉悦に浸ることができます。
特に、ヨーゼフ・シュトラウスの「天体の音楽」の柔らかなファンタジーがどこまでも広がっていくさまの美しさ、「ウィーンの森の物語」ののびやかなリリシズムは、一度聴いたら忘れることができません。
でも、どれか一曲だけ選べと言われれば、宇野氏の言うとおり、やはり「金と銀」に指を屈することになるでしょうか。名曲喫茶で聴いたウィーン・フィル盤も素晴らしいのですが、このドレスデン盤の方がより魅力的な演奏に感じられます。
宇野氏が音楽之友社刊のムック「名盤大全 管弦楽曲篇」に寄せた「曲への思いのたけをすべて吐露したような名演」「真正面からシンフォニックに取り組み、しかも絶品のニュアンスでロマンティックに歌わせ、燦めかせた演奏」という評には頷くほかなく、まったくその通りの演奏だと思います。
特に「思いのたけをすべて吐露した」という点には深く共感します。例えば、低い音域から始まるワルツの主題を、弦楽器がユニゾンで唸るように奏で始めるあたり。ドレスデンの音楽家たちは、まっすぐにこちらを向き、腹を割って本音を語りかけるように旋律を歌っています。飾りけのまったくない、心の奥底からの実感がこもった熱いカンタービレを聴くだけで、いっぺんに音楽の中に引き込まれてしまいます。
とは言え、彼らは決して野放図に演奏している訳ではありません。どんなにヴォルテージが上がり熱を帯びた展開になっても、その語り口は折り目正しく、エレガント。柔らかな物腰で誠実に胸のうちを語る人を前にしては、こちらも相手を信頼し、完全に武装解除した「素」の自分にならずにはいられません。
かくして、弾き手と聴き手との間の壁は取り払われる。人生の甘いも酸いも味わい尽くしたあとで、すべてを肯定するかのような包容力のある響きに身を委ねていると、知らず知らずのうちに「ま、いいか」と微笑みながら呟いたりする。何の留保条件もなく、素朴に音楽っていいなと思える幸福な時間が、このワルツの中で絶えず流れています。
実を言うと、私は、宇野氏がこの「金と銀」を絶賛していたことをずっと忘れていました。名曲喫茶でウィーン・フィル盤を聴いたときも、ドレスデン盤を初めて聴いたときも、氏の評価はまったく念頭にありませんでした。
後になって氏の熱い文章を読み返したとき、その的確な評に深く納得しつつも、初めて聴いたときに頭に残っていなくて良かったと思いました。個性的な「宇野節」に感化されて感動したように思えるのが嫌さに、いささか距離を置き、身を固くして音楽を聴いてしまいかねないからです。
誰かから薦められたというのでも、誰それの何々という曲を聴くのだと身構えるのでもない。まったく無防備な状態で音楽と電撃的に出会い、心を奪われる。そんな「一目惚れ」のような音楽との邂逅こそ大切にしたい。私のもっとも根源的な部分を剥き出しにして、真正面から音楽に触れたい。
常日頃からそんなふうに考えているので、このケンペとドレスデンの音盤との出会いはとても幸せなものだったと、名曲喫茶での偶然に感謝しています。
人様にディスクをご紹介する文章を書いておきながら、自分は他人の文章を読まずに聴けて良かったなどと言うのは自己矛盾もいいところです。でも、だからこそ誰かからの受け売
りではなく、「このディスク、とっても良かった!」と実感をこめて書ける訳で、ここはひとつ大目に見ていただければと思います。
そんな御託はともかく。
近年、ウィンナ・ワルツと言えば、少なくとも音盤の上ではウィーン・フィルの独占状態になっています。このケンペとドレスデンといういわば非主流派の演奏家によるアルバムは、メジャーなオーケストラが競って録音していた時代の美しき記憶として、高い価値を持つのではないでしょうか。
来年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、ドレスデンの現シェフで、生粋のドイツ人であるティーレマンが指揮するそうです。そんなことを頭の片隅に置いてこのディスクを聴くのもまた一興かもしれません。
続いては、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」を。アンチェル、クーベリック、ノイマンらの歴史的名盤を差し置いて、ラドミル・エリシュカ指揮東京佼成ウィンドオーケストラの演奏をご紹介します。
そう、吹奏楽による演奏です。2013年4月27日に東京芸術劇場でおこなわれた演奏会のライヴ録音で、エリシュカがその長いキャリアの中でただ一度だけウィンドオーケストラの指揮を引き受けた際の貴重な記録。
正直言うと、私は、ライナーノートにあるように「編成の違いが全く気にならないどころか(略)吹奏楽であることすら忘れてしまう」というほどに柔軟な耳でこの演奏を聴けてはいません。
原曲には馴染みがあり、自分でもアマオケで演奏した経験があるせいかもしれませんが、弦楽器のずしりとした質感のある響きや強いアタックが恋しくなる場面、あるいは、ハーモニーの厚みや多彩さに物足りなさを感じる場面は至るところにあり、何度聴いてもそれは解消できないでいます。
それでも、エリシュカ指揮の吹奏楽版「新世界」の演奏は、いくつかの違和感を飛び越えて私に大きな満足を与えてくれます。
通常のフルオーケストラを指揮したディスクよりもむしろ、エリシュカの音楽づくりの理念やプロセスが明瞭なかたちで見え、彼の音楽家としての人格に直接触れることができるように思えるからです。
弦楽器不在のウィンドオーケストラを相手に、フルオーケストラでの演奏を前提として書かれた曲を指揮する。本来弦楽器が奏でるべき旋律やハーモニーをどのように管楽器で吹かせるか。楽器同士の音色をどのように調整して音楽の輪郭と色彩を作るか。そして、ウィンドオーケストラでしか出せないユニークなものを引き出すか。解決しなければならない課題がたくさんあります。
エリシュカは、長年の活動で蓄積したノウハウを駆使してそれらを一つ一つ解決し、紛うことなきドヴォルザークの音楽を生み出すことに成功しています。彼の誠実さと、物事を成し遂げる意志の強さに胸を打たれずにはいられません。
印象的な場面はいくらでもあります。例えば、第3楽章のスケルツォ。各楽器間のバランスのとり方の何と絶妙なことでしょう。ベースとなるリズムと微妙に変化するハーモニーの中から、主旋律がくっきりと浮かび上がるあたりの響きの立体性には瞠目せずにいられません。また、第2楽章の中間部、サックスの哀愁味溢れる音色を生かした孤独の歌も印象的ですし、両端楽章のきびきびとした音楽運びと、均整のとれたたしかな造型にはただただ「美」を感じます。
東京佼成ウィンドオーケストラの演奏も卓越したものです。エリシュカが絶賛したという第2楽章のイングリッシュホルンを始めとする各楽器のソロの巧さ、ライヴゆえの若干の瑕はあるにせよ、全体のアンサンブルの手堅さなど、いずれも見事としか言いようがありません。
でも、何よりも、団員の一人一人が指揮者に大きな信頼を寄せ、献身的に、そして感動に打ち震えながら演奏していることが音楽からはっきりと感じられること、それが素晴らしい。だからこそ、私はこの演奏に大きな感銘を受けるのだろうと思います。想像するのですが、このオーケストラの人たちにとっても、エリシュカの棒の下で演奏したことは、かけがえのない経験だったのではないでしょうか。
併録曲のドヴォルザークの「謝肉祭」序曲と、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」も、ともに充実した演奏です。特に後者は、ヤナーチェク直系の弟子であるエリシュカの正統的な解釈と、数々の難所を見事にクリアした東京佼成ウィンドオーケストラの高い技量に思わず唸ってしまいます。
今年87歳となるエリシュカは、高齢のため飛行機での長旅を医師から禁じられ、昨年秋の札幌交響楽団との共演をもって、十年余りにわたった日本での実り豊かな指揮活動にピリオドを打ちました。多くのファンを魅了した、堅実で温もりのある手触りと豊かな起伏とを併せ持ったエリシュカの音楽には、もう実演では接することができません。
でも、彼が残してくれたいくつかの名盤は、多くの聴き手によって大切に聴き継がれていくことでしょう。もちろん、彼の音楽家としての誠実な姿を鮮明に刻み込んだ、この佼成ウィンドオーケストラとの一期一会のアルバムも例外ではないはず。この名指揮者が日本に残した足跡をたどり、敬意と感謝を改めて捧げるのには格好の一枚ではないでしょうか。