音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.89

クラシックメールマガジン 2020年12月付

~武満徹 生誕90周年をめぐって ~ 「オーケストラ作品集」「ソングブック -コンプリート-」~

Erotic(官能的)、Emotional(感情に訴えかける)、Ecological(自然にやさしい)。
私にとって、武満徹の音楽の魅力とは、この「3つのE」です。何だか、このところ東京都知事が連発する標語みたいですが。
武満の音楽は、エロティックです。どの曲でも、ゆったりとした時間の流れから、液状化した音の響きが皮膚にしたたり落ち、ねっとりと絡みながら体内へと沁み込んでいく。官能が全身をかけめぐって五感が研ぎ澄まされ、なだらかな稜線を描いて高揚し、やがて潮が引くように静かな余韻の中へ消えていく。どこか女性的な生理を思わせる響きの干満のさまに、私はたまらないエロスを感じるのです。
武満の音楽は、私の感情に訴えかけてきます。官能的な響きに浸るうち、喜怒哀楽に分類することも、何か名前をつけることも不可能な、曰く言い難い感情が生まれ、動き出す。音の移ろいに伴って感情は形を変え、色を変え、速度を変えて、聴くたびに異なる軌跡を描く。
武満の音楽は、自然に優しい。何か具体的な対象を描写している訳ではないけれど、すべての音が自然の営みの暗喩であり、自然と渾然一体となって融け合いたいという憧れと祈り、そして愛に満ち溢れている。
ポエムチックなことを書いてしまいました。
私はこの何年か、武満徹の音楽を好んで聴いています。かつてはさほど好きでなかった音楽に、今、なぜこんなに惹かれるのか、その理由をぼんやりと考えてきました。音楽を聴く以外に、参考文献や武満自身が書いた文章を読んだりしてみたものの、その音楽がいかに優れたものかについての情報は得られても、私の問いの答えはどこにもなかった。
そんな折、コロムビアから、武満の生誕90周年を記念して、東京都響による「武満徹オーケストラ作品集」(COCQ-85505-9)がリリースされました。1990年代に、若杉弘、沼尻竜典、外山雄三の指揮で録音された5枚のアルバムのBOX化で、これを機に武満の主要な管弦楽曲をまとめて聴けば、何か答えが見つけられるのではないかと思い立ち、購入しました。もっとも、既発の5枚のアルバムは全部持っていたのですけれど。
果たして、その目論見は当たりました。三人の指揮者と都響が演奏する武満の音楽は、私を「3つのE」という言葉へと導いてくれました。文字通り、官能的で、感情に訴えるものであり、自然に優しいものだからです。
まず何より、都響の美しいサウンドが耳を惹きます。豊かに鳴る中低弦に乗って、ヴァイオリンが、触れるか触れないかくらいのタッチで、肌を優しく撫でるかのように歌い始めると、管楽器の音と絡みあい、次第に熱を持って膨れ上がって、聴き手の官能をかき立て、感情を動かす。武満徹が聴きとって楽譜に書かれた自然の音は、肉体を得て飛翔し、限りない「愛」ですべてを包んでいく。
武満の音楽の「3つのE」は、タケミツ・オーケストラと呼びたくなるほどに美しい東京都響の演奏があってこそ、見つけることができました。
しかし、もう一つ、ディスクの選曲にも大きな要因があります。
個々のアルバムを単独で聴いていたときには意識しなかったのですが、全部をまとめて聴き直してみて、録音当時はまだ「近作」だった、1980年代以降の曲が比較的多く収められていることに気づきました。確かに、収録曲を成立年代で分類すると、1950~70年代が9曲、80~90年代が12曲(「ジェモー」は1972年着手ですが1986年完成なのでこちらにカウント)となっています。
つまり、前衛作曲家、武満の名を世界に知らしめた「ノヴェンバー・ステップス」「地平線のドーリア」など、強面の現代音楽という趣を持った曲よりも、「鳥は星形の庭に降りる」以降、調性やメロディへの傾斜を見せるようになってからの、いわゆる後期の作品の方が多く収められている。
そして、それら後期作品こそ、官能的で、感情に訴え、自然に優しい音楽なのです。無調の響きの雲が晴れた瞬間、ハッとするほどにきれいな旋律や、とろけるほどに甘いハーモニーが姿を現し、甘やかな感傷の蜜を垂らして「3つのE」を際立たせる。具体的な例を挙げれば、「星・島(スター・アイル)」、「夢の時」、「遠い呼び声の彼方へ!」、「精霊の庭」、そしてDisc3全体を聴いてみれば、一目瞭然です。
シロップが添えられた後期作品を多く聴くことで、アヴァンギャルドな意匠を凝らした60年代までの作品の中にある、同様の甘さにも敏感になります。「グリーン」終盤の弦の響きの絶景、「地平線のドーリア」のポリフォニーが交差する瞬間に隠された、古い旋法の澄んだ歌を聴けば、ここでも「3つのE」は有効なのだと、確信を持つことができます。
このBOXを聴いて、武満の音楽を理解できたなどとは到底言えませんが、私なりのパーソナルな切り口が見つけられたのは、嬉しいことです。明日になれば、まったく違うものを見つけるのかもしれませんが。
個々の演奏家について、少し述べておきます。
若杉、外山、沼尻の三人の指揮者たちは、それぞれのやり方で、都響から極上のタケミツ・サウンドを引き出しています。
特に、2枚のディスク録音当時、都響の首席指揮者を務めていた若杉の指揮が素晴らしい。ヨーロッパのオケを思わせる柔らかくて深みのある響きと、抑制の効いた穏やかな動きの中に、武満の音楽に内在する熱いロマンを滲ませるあたりのバランス感覚が、まさに若杉の面目躍如たるところ。「弦楽のためのレクイエム」と「ノヴェンバー・ステップス」、沼尻と二人で指揮を分担した、大編成の「ジェモー」が印象に残ります。
武満が精緻に計算して創造した音空間を、歪みや曇りを排して正確に再現する、外山雄三のたしかな職人芸にも感服しますが、今回聴き直してみて、録音当時、まだ30代だった沼尻のみずみずしい指揮ぶりが印象に残りました。彼のフレッシュな感性が、後期作品のピュアな美しさを際立たせているのがいい。また、1967年に書かれた「グリーン」の美演も、忘れ難い。
錚々たる顔ぶれを揃えたソリストの演奏は、折り紙つきのもの。「ノヴェンバー・ステップス」では初演者の鶴田錦史(琵琶)、横山勝也(尺八)、「秋」では横山と中村鶴城(琵琶)、「遠い呼び声の彼方へ!」では堀米ゆず子(ヴァイオリン)、「スペクトラル・カンティクル」では堀米と鈴木大介(ギター)、「ジェモー」では本間正史(オーボエ)とクリスチャン・リンドベルイ(トロンボーン)、「ウォーター・ドリーミング」では小泉浩(フルート)、「環礁」では浜田理恵(ソプラノ)が参加。どの演奏家も、武満音楽のエッセンスを見事に音化していて、胸を打ちます。
中でも、鶴田・横山が揃って録音した最後の「ノヴェンバー・ステップス」、堀米が弾く二曲、そして浜田が歌う「環礁」は強い印象を受けます。また、武満が亡くなる直前に認められ、現在も積極的にその音楽を演奏している鈴木大介の、若々しさに満ちたソロが聴けるのも嬉しいところです。
思い起こせば、80年代以降、甘くて保守的な音楽を書くようになった武満は、衰えたとか、後退したとか、しばしば批判を受けていました。しかし、このBOXを聴いて、彼の作品の主だったところを網羅的に聴くと、彼はただ自分の理想とする音の響きを求めた末、自らの意志でそこにたどり着いたように思えます。彼の死の前後から、ネオ・ロマンティシズムなどという言葉が流行し、多くの作曲家がメロディや調性に回帰しだしたことを考えると、実は武満こそ、時代の先端を走っていたのかもしれません。
そんなふうにあれこれ考えると、一人の作曲家についてより深く知り、考えるときには、ただ代表的な1曲や2曲を知るだけでは足りず、その生涯に残したものをできるだけ多く聴く必要があり、可能であればまとめて聴く方が良いのだと痛感します。
その意味で、今回のBOX化には、大きな意義があると言えます。小学館から出た「武満徹全集」を別にすれば、今、これだけの数のオーケストラ曲をまとめて聴けるセットはほかにないからです。特に、武満の音楽にこれから親しもうという方にとっては、財布にも優しくて、最良の水先案内盤となってくれるに違いありません。
さて、コロムビアからは、もう一点、武満の生誕90周年を記念するアルバムが同時にリリースされました。ショーロクラブの「武満徹ソングブック -コンプリート-」(COCB-54314-5)です。以前、ソングエクス・ジャズ・レーベルからリリースされていたアルバムに、未発表テイクとコンサートのライヴ録音を収めた1枚を加えての新装発売。
武満徹は、自身の言葉を借りれば「クラシックの、しかもこむずかしい現代音楽」を発表する一方、誰もが親しめる「大衆音楽(ポピュラーソング)」をいくつも書きました。
それらの多くは、谷川俊太郎や五木寛之、あるいは武満自身が書いたシンプルな詩の言葉に乗せ、日常の何気ない暮らしの風景や心情をしんみりと歌ったもの。哀しみや不安、過去への郷愁を奥底に横たえつつ、明日への希望を見いだして生きようとする健気さをたたえた、優しくて愛すべき歌たちです。
そんな武満の歌たちは、ブラジルの伝統音楽と相性がいい。甘くセンチメンタルなメロディは、ブラジル音楽のエッセンスであるサウダージ(哀愁、郷愁)と響き合い、ゆるく弾む愉しげなリズムもボサノバやショーロに馴染むからでしょうか。
だから、ブラジルの伝統音楽ショーロをベースとして、独自のサウンドを追求してきたショーロクラブの音楽にも、面白いくらいにきれいにハマった。バンドリン(ショーロで使われるマンドリンに似た撥弦楽器)の秋岡欧、ギターの笹子重治、コントラバスの沢田穣治の三人は、武満の歌を自らの手でアレンジし、ヴォーカリスタス(歌手)にアン・サリー、おおたか静流、おおはた雄一、沢千恵、tamamix、松田美緒、松平敬を迎え「武満徹ソングブック」を録音しました。
名手オノセイゲンによるマスタリングを経て出来上がったアルバムは、2011年8月にリリースされ、すぐに大反響を呼びました。ちょうど東日本大震災直後の不安な時期で、このディスクを聴いて心を慰められたという声を、ラジオなどでよく耳にしたのをよく覚えています。かく言う私自身も、その一人でした。 今回コロムビアから出たコンプリート盤は、初発盤と同内容の1枚に、前回未収録だった曲や、2014年3月に東京文化会館でおこなわれたコンサートのライヴ録音を2曲収めた1枚を加えた形での再発売です。収録曲は、リプライズ5曲を除いて全23曲となり、武満のポピュラーソングのほとんどを網羅したと思われます。追加トラックではヴォーカリスタスに畠山美由紀、優河の二人が加わり、「3たす3と3ひく3」のライヴ音源では、多くの歌詞を書いた谷川俊太郎の声も聴けます。
しかも、今回のコンプリート盤の登場で、初発盤ではインストゥルメンタルのみだった「小さな空」が、おおたか静流の歌で収められているのと、未収録だった「小さな部屋で」「〇と△のうた」が聴けるようになったのが嬉しい。また、「素晴らしい悪女」「雲に向かって起つ」など、あまり歌われる機会のないナンバーが聴けるのもいい。
9人のヴォーカリスタスの歌は、どれも素晴らしい。
心の襞に入り込む透明な歌声と、優しい歌いくちでしみじみ聴かせるアン・サリー。あたたかい声の中にも、ピンと張った強靭な表現が印象的な、おおたか静流。人懐っこくて、聴き手を柔らかくする波動をもった歌が心地良い、おおはた雄一。明るいキャラクターと、即興性をたたえた歌で、微笑みを振りまく沢知恵。ちょっと舌足らずで、少女のようなあどけなさをもった歌に打たれるtamamix。自身の原点であるファドの情念を秘め、妖艶に歌い舞う松田美緒。格調高い歌と、スウィングする軽快な歌の両面で楽しませてくれる松平敬。弱音での吐息と、言葉に込められた情感の表出が官能的な畠山美由紀。伸びのある声を用心深く抑制し、しっとりとした抒情を歌い上げる優河。
どの人たちも他に代えがたい美声と個性の持ち主で、「みんな違ってみんないい」なのですが、共通して、歌詞の言葉の一つ一つの響きと意味を聴き手に明瞭に届けながらも、武満メロディの美しさ、楽しさ、哀しさをじっくり味わわせてくれているのが、嬉しい。
そして、ショーロクラブの演奏が、実にいい。
沢田穣治が弾く、シンプルだけれど、音楽にたしかな脈動を与えるベースラインに乗って、笹子重治が奏でるギターが、豊かなハーモニーと、生き生きと息づくリズムをもって音楽に豊かな肉体を与える。そして、秋岡欧のバンドリンがつま弾く単旋律と、時折聴かせるトレモロが、武満メロディと、ヴォーカリスタスたちの歌に寄り添って、仄かな感傷を帯びた色彩を与えていく。絶妙に息の合った彼らのアンサンブルは、聴いていて愉しく、ちょっぴり物悲しく、そして何より幸せな気分になれます。
個人的なことを言えば、私は、ギターの笹子重治の大ファンです。歌手としても活躍する女優、純名里沙と組んだデュオのライヴを聴いて、いっぺんに彼のギターに魅了されてしまったのです。ほんの些細なフレーズやアルペジオでホロリとさせる哀愁を帯びた音色が好きで、二人のライヴでは、贔屓の純名里沙の歌に聴き惚れ、見惚れつつも、笹子のギターからは一時も耳が離せない。勿論、このアルバムでも、彼はしみじみといい演奏を聴かせてくれています。
個々の曲について細かいことを書く余裕がなくなってしまいましたが、すべての曲が等しく聴きもの、とだけ述べておきます。幼少期から親しんだジャズだけでなく、ロックやポップスも好んでいたという武満が聴いたら、どんなに喜んだでしょうか。このショーロクラブとヴォーカリスタスの「ソングブック」は、同じくコロムビアから出ている石川セリの名盤「翼」と並び、武満のソングアルバムの双璧をなすに違いありません。
武満徹は生前、人間の聴覚はさまざまな要因で汚れ、劣化したと何度も文章に書いていました。テクノロジーの進化と引き換えに、失ったものは余りにも多いと。彼の警告は、今もアクティブです。いや、彼が生きていた頃よりも、むしろ状況は悪い。自然は人間と同化するどころか、牙をむいて、気候変動という形で逆襲を仕掛けています。せめて、武満の音楽を聴くように聴覚、知覚を呼び醒まし、研ぎ澄まさねば、困難な時代を生き延びる知恵を手に入れられないのかもしれません。
さて、コロナに明け暮れた2020年も、残すところ、あとわずかとなりました。この一年、拙い記事をお読み頂き、ありがとうございました。健康に気を配り、どうぞ良いお年をお迎えください。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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