Matthew Law『Mélangé』ライナーノーツ
<文・村尾泰郎>
シンガー・ソングライター、そして、クラシック・ピアニストという2つの顔を持つマシュー・ロー。6月にデジタル・リリースされた『LOST2』はシンガー・ソングライターとしてのアルバムだったが、『Mélangé』はピアニストとしての才能を発揮したクラシック・アルバムだ。子供の頃からピアノを弾く母親の膝の上に乗って、おもちゃのようにピアノに親しんでいたというマシュー。4歳の頃からピアノを学び始め、才能を開花させると桐朋学園大学を経てフランスへと留学。パリ国立高等音楽院を首席で卒業してピアニストとしてデビューすることになる。『Mélangé』に込めた想いについて、彼はこんな風に語ってくれた。
「フランスで5年半学び、フランスの作曲家に惹かれてきたので、自分のルーツであるフランスを軸にしたアルバムにしたいと思いました。同時に〈クラシック入門編〉のようなアルバムには絶対したくなかったので、自分が惹かれる近現代の作曲家を選んだんです」
そんなアルバムの冒頭を飾るのは、カプースチン「トッカティーナ」。カプースチンは、クラシック、ジャズ、ロックなど、様々な音楽性を吸収した個性的なスタイルで人気を集めるロシアの作曲家だ。マシューは高校1年の時にこの曲を初めて聴いて衝撃を受け、アルバムに絶対入れたいと思っていたそうだ。2分という短い時間を超絶技巧の演奏が駆け抜けていくが、ビート・ミュージックのようなグルーヴを感じさせるのが面白い。
2曲目からはフランスを代表する作曲家、ドビュッシーの曲が続く。ドビュッシーはマシューが一番好きな作曲家で、彼の音楽には「圧倒的な幻想性のなかに、蠢くような欲望とグロテスクなロマンが詰まっている」とマシューは言う。なかでも、「アラベスク第1番」は小学4年の時に発表会で弾いて、ドビュッシーに初めて出会った曲だとか。美しく親しみやすいメロディーで人気の曲を、マシューはエレガントなタッチで聞かせる。そして、イタリアのナポリを旅した思い出をもとに書かれた「アナカプリの丘」では、ピアノから強い陽射しのきらめきがこぼれ落ち、「西風が見たもの」ではダイナミックな演奏で荒れ狂う風を表現する。そして、その風が凪いだ後に始まる「沈める寺」の神秘的な世界。「アラベスク第1番」から「沈める寺」まで、まるで一本の映画を見るようなドラマティックな展開に引き込まれていく。
アルバムの後半はバルトークの「ピアノ・ソナタ」が3楽章演奏されるが、この曲はマシューが高校の時に卒業試験で弾いた曲。「難解な作品で研究すれば研究するほど奥が深い曲なので、今の時点での自分の解釈の完成版としてアルバムに残したかった」とか。静と動が際立つ楽曲だが、打楽器のようなピアノがリズミカルな躍動感を生み出していて、理性と狂気が紙一重でせめぎあっているような緊張感に貫かれている。そして、そこからメシアン「喜びの精霊の眼差し」へとなだれ込んでいく展開が圧巻だ。マシューはパリ国立高等音楽院で学んだ際にメシアンを研究。卒業試験で弾いたのがこの曲だった。東洋風のリズムを取り入れたこの難しい曲を、マシューは湧き上がるような熱狂のなかで見事に弾きこなし、天才的な技巧と豊かな感性で聴くものを圧倒する。そして、ドビュッシーの名曲中の名曲「月の光」でアルバムは穏やかな余韻を残しながら幕を閉じる。
時には叙情的に、時には情熱的に。マシューのピアノは澄んだ響きのなかに豊かな情感が息づいている。そこにはマシューにしか出せないグルーヴを感じさせて、ロックやR&B、テクノなど幅広い音楽に触れているマシューだからこその解釈/演奏を楽しむことができる。アルバム・タイトルの『Mélangé』とは「Mixed=混ざった」という意味のフランス語。イギリス人の父と日本人の母の間に生まれて日本とフランスで音楽を学び、ポップスとクラシックの分野で活躍している、多彩な文化的背景を持つマシューを表すような言葉だ。その活動の原点ともいえるクラシック・ピアノの魅力について彼はこう語っている。
「ピアノはほかのどんな楽器よりも多様な色が出せる。クラシック音楽は、そのマクロ単位の色合いの変化を聴かせられることが何よりも魅力的だと思います。そして、シンガー・ソングライターの作品との違いは、作曲家(しかも、幅広い時代の)の心を楽譜という地図を通して読み取ること。同じ台本でも役者が10人いれば10通りの演技が生まれるように、クラシック音楽も演奏者によって違うところが面白い」
ポップスの世界でも活動するマシューにしか表現できない「色」と「演技」が堪能できる本作は、ジャンルを超えて幅広いリスナーに届いて欲しいアルバムだ。