来年(2014年)の消費税率引き上げが正式に決まりました。きっと音楽ソフトの値段も上がるのでしょう。コロムビアの新譜CDの値段は通常税抜き2,800円、税込2,940円ですから、増税後も本体価格が同じだとすると、税込価格は3,024円、最終的に税率が10%になれば3,080円という計算。
CD一枚3,000円は高いか安いか。私の感覚では、海外メジャーレーベルの新譜CDの輸入盤の価格が2,000円以下であることからするとどうしても割高感があります。コロムビアは新譜は自前の音源をリリースしているので「輸入盤なら同じ内容のものをもっと安く買える」ということはない(逆輸入は禁止されている)のですが、大手CDショップで売られているCD全体の相場感からすると3,000円の国内盤を買うのは「ちょっとした贅沢」となってしまいます。
とは言え、買ったCDの内容さえ良ければ、CDショップで精算する時やネットでオーダーする時にチクリと胸に刺さった割高感はすっかり忘れてしまいます。そして、収録された音楽そのものだけでなくトータルの商品として良いものを入手できたという満足感があれば尚更のこと、特にライナーノートの内容が良ければ3,000円でもお釣りがくるとさえ思います。逆に、3,000円出して買ったCDのライナーノートが、ごくごく簡単な楽曲解説や歌詞対訳、演奏家のプロフィールだけを載せた新鮮味のないおざなりなものだったりすると、こんなんだったらいっそライナーノートなんかなくして値段を下げて欲しいのにと言いたくなります。
その点、コロムビアのクラシックCDでは良いライナーノートに出会う確率がとても高い。専門性の高い資料としての価値のあるもの、ディスクを聴かずにブックレットだけ取り出して読みたくなるくらいに内容の濃いもの、音楽を聴いた感動をより深く豊かにしてくれるものがたくさんあるのです。鮮やかな記憶が残っているものを、思いつくままにいくつか挙げてみることにします。
まず、
加羽沢美濃の『24のプレリュード』。表裏のジャケットからブックレット、オビに至るまですべてモノクロで統一されていて曲集の雰囲気とよく合っていて美しいのですが、音楽ライターのオヤマダアツシさんのライナーノートが素敵なものなのです。作曲者がインタビューで語った言葉を前面に出しつつ、この愛おしい曲集を楽しむためのヒントを与えてくれていて、加羽沢さんのリスナーへ向けたメッセージも併せてCDを聴きながら読んでイメージを広げるもよし、聴く前に読んでプレリュード第0番とするもよし、聴き終えてからポストリュード(後奏曲)として読むもよしと実に味わい深い。オヤマダさんと言えば、イギリス音楽、特にフレデリック・ディーリアスの音楽をこよなく愛する者にとっては故三浦淳史氏亡き後の良き水先案内人であり、ジャンルに拘らず「おいしい音楽」を私たちに紹介してくれる方ですから人選の勝利というところでしょうか。
熊本マリの演奏した『日本の心、日本のメロディー ~奥村一作品集』の萩谷由喜子氏のライナーノートも強く印象に残るものでした。往年の名ピアニスト、シューラ・チェルカスキーが演奏したことで知られる「おてもやん」「音戸の舟歌」を含む奥村の日本民謡編曲集を熊本マリが初録音したディスクで、演奏があっと驚くほどに素晴らしく「音戸の舟歌」「大漁唄い込み」「五木の子守歌」あたりは是非実演で聴きたいと思うほどのものなのですが、ライナーノートもいい。作曲家についてのコンパクトながら心のこもったバイオグラフィがあり、オリジナルの日本民謡についても詳細に記述した楽曲解説がある。なるほどコロムビアのインフォメーションにある通りに「資料価値の高い」ライナーなのですが、それ以上にこの素晴らしい作品を世に知らしめようという演奏者と制作者の熱意がストレートに伝わってくる点が胸を打ちます。日本の作曲家の活動を幅広く紹介してきた老舗コロムビアならではのライナーノートです。
次は、
寺神戸亮のJ.S.バッハの『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』を挙げましょうか。押しも押されぬ名盤として知られるアルバムのライナーノートは全面的に寺神戸氏自身が書いていて、詳細かつ魅力的な楽曲解説と、録音にあたっての楽譜の選択やピッチ、使用した弦の情報などを記した「演奏ノート」となっています。そのこと自体は決して珍しいことではないのですが、寺神戸氏がどんな音楽家であり、バッハの音楽をどのように捉え何を私たちに伝えようとしているかが浮き彫りになった名文なのです。特に印象的なのは寺神戸氏が「想像力」について最も字数を使って熱っぽい文章を書いておられること。確かポール・トルトゥリエが「プロとアマチュアの最大の差はファンタジー、想像力である」と言っていたそうですが、寺神戸氏のあの素晴らしい演奏の源泉は磨き抜かれた技術や該博な知識だけでなく、何よりもファンタジーの飛翔なのであるということを思い知らせてくれます。古楽専門レーベル「アリアーレ」シリーズの美しいアートワークも含め(有元利夫の「真夜中の室内」の絵も美しい)、トータルのパッケージとしての魅力に溢れたディスクだと思います。
ライナーノートというよりジャケットそのものに強いインパクトを与えられたディスクもあります。吉松隆氏が往年のプログレ・バンド、エマーソン・レイク&パーマーの名盤「タルカス」をオーケストラ編曲したバージョンが収められた
『タルカス~クラシック meets ロック』。コロムビアのHPの特設ページ、オリジナルジャケットの実写版の制作経緯についてプロデューサーの岡野博行氏が熱く書かれていますし、散々巷で話題になったアルバムですから詳細については書きませんが、アルマジロと戦車が合体したような架空の怪物タルカスのフィギュア写真が余りにも強烈。これ、うちの中学生と小学生の娘たちにけっこう評判いいんですよね(マギー司郎風)。「これ動くの?」「これどっかで売ってないの?ほしい!」と言っています。岡野プロデューサーだけでなく、超一流のプロの作り手たちがほとんど高校生の文化祭のような軽くて熱いノリで作り上げた素晴らしいアルバムでありジャケット。これが印象に残らない訳がありません。吉松氏自身のライナーノート、インタビューもとても興味深いものであり魅力的な言葉が満載です。
最後に挙げるのは、エリアフ・インバル指揮日本フィルの演奏したマーラーの交響曲第9番の1979年11月のライヴCD。コロムビアが96年に発売した後は長らく廃盤になっていたディスクですが、昨年タワーレコードのオリジナル企画の一環として再発売されました。インバルのCDというとそのほとんどが音楽学者の森泰彦氏が担当されていて、このディスクも例外ではないのですが、実際の演奏会の裏方として参加された森氏による貴重なドキュメントとなっています。そもそもこのインバルと日本フィルのマーラーの9番は日本フィルの歴史の中でも今だに語り草になっている名演ですが、その成立の背景はどんなものだったのか、当時の聴衆やスタッフはこの名演をどう捉えたかを、淡々と、しかし生き生きとした筆致で伝えてくれます。記録された演奏はオビの「奇跡」というコピーには嘘はなく驚くべきものなのですが、CDで初めて演奏を聴く聴き手は、森氏の書いたライナーノートによって1979年11月19日の東京文化会館の客席へと誘われ、この精緻にして激しくエモーショナルな演奏の「当事者」として巻き込まれてしまいます。インバル自身が楽団員に向けて発した言葉もいくつか取り上げられていて、短時間のうちにマーラーの音楽の語法をオーケストラに植え付けてしまった凄腕指揮者インバルの実力の秘密を垣間見せてくれますし、当時労働争議中だった日本フィルの窮状に誰よりも深い関心を示していたというようなインバルの人間的であたたかい一面をも見せてくれ、インバルの熱狂的ファンを自認する私にはとても嬉しいライナーノートです。
さらに演奏会当日のプログラムから転載された曲目解説も精緻な分析に基づいたものであると同時に、随所に鮮烈で胸にささるような言葉に溢れていて、「マーラーの音楽が私たちに語りかけること」が何なのかを考えるためのヒントを与えてくれます。だから、ライナーノートを読むことで音楽の印象がよりピントの合った鮮やかなものになり、自分がこの音楽の何に心を動かされたのかに気づかせてくれます。演奏会を体験できなかった悔しさ以上に、素晴らしい演奏の記録が良い状態で残っていること、それを私たちが聴くことができることの喜びを感じずにはいられません。ですから、今回タワーレコードがこの「幻の名盤」を復活させるにあたって森氏の渾身のライナーノートをそのまま掲載しているのは当然すぎるくらいに当然のことです。もしもこの演奏をライナーノートを読まずに聴いたとしてもやはり大きな感銘を受けるでしょうが、森氏の素晴らしいエッセイを読まないのはもったいなすぎる。絶対に読んだ方がいい。コロムビアのCDを代表する「名ライナーノート」だと私は勝手に思っています。
他にも挙げればキリがないほどに素晴らしいライナーノートがコロムビアのCDには数多くあります。しかし、当然ながらすべてが万歳という訳ではありません。
例えば、
朴葵姫の2枚のアルバム(最新盤である『最後のトレモロ』を含む)や『
疲れているあなたへ~やさしい癒しのクラシック~』 『
眠れないあなたへ~心地よい眠りのクラシック~』の曲目解説は、「クラシック批評こてんぱん」「私の嫌いなクラシック」「愛と哀しみのクラシック」といった新書、HMVのHPのコラム「クラシック妄聴記」などでおなじみの鈴木淳史氏が執筆されているのですが私が読みたいのはそれじゃない。ちょっと斜に構えたようなひねりの効いた批評が人気の高い鈴木氏なのですから、氏の書いた「私批評」(氏が標榜するモットー)をこそ読みたい。コアなファンの間で人気の高い方なのですから私と同じ思いをする人は結構いるんじゃないかと推察するのですがいかがでしょうか。もったいないです。
また、ライナーノートそのものの問題ではないのですが、せっかく素晴らしいライナーノートなのにディスク自体が廃盤になってしまっているものが結構あります。例えば、藍川由美の「古関裕而歌曲集」などは、全部縦書きで、しかも豊富な資料満載の素晴らしいライナーノートでしたが、あろうことか今や廃盤で入手不可能です。音楽的な内容が素晴らしいだけでなく、日本の昭和史の貴重な文化的な証言でもありますから非常に残念。このように心ならずも表舞台から姿を消してしまった貴重盤はまだまだたくさんありますが、音源だけでなくライナーノートもちゃんと復活させて欲しい。いや、可能ならばコロムビアの抱える膨大なディスコグラフィの中から文化的・歴史的価値の高いライナーノートは出版(電子書籍含む)するなり、有料でアクセスできるようにアーカイヴを作るなどして、いつでもアクセスできる状態にしてほしいです。素晴らしい内容のものであればお金を払ってでも読みたいからです。
それにしても、こうして挙げてきたディスクのライナーノートを思い、未来への展望を思うとき、私にとっての心に残るライナーノートとはつまるところ音楽の作り手の音楽への情熱や愛情を感じさせてくれるものであることに気づきます。ネットで検索して調べればわかるような知識の羅列に終始したドライなレポートも、易しく書き過ぎて茹で過ぎたパスタみたいになった初心者向けの説明書も、「わかるやつだけわかればいい」みたいな専門用語満載の高踏的なオタク評論も、「雲の上の人」である偉いセンセイ方のありがたいお墨付きとなる文章もいらない。昔、ネットもなく、音楽に対する知識や情報が今ほど簡単に入手できなかった頃はそうではなかったでしょう。聴き手、観光名所を巡る時に「どこを見ておけば恥をかかないか」を知るために観光ガイドを見ていたのと同じ感覚でライナーノートを読んでいたかもしれません。でも、もはやそんな文章にはリアリティはありません。
今は私たち聴き手が演奏家や制作者、音楽評論家といった音楽の作り手のプロの方々と簡単にコミュニケーションがとれる時代。収録された音楽が名曲なのか名演なのか値踏みするような評論よりも、SNSなどを通じて日常生活までも知っている「顔の見える」「会いに行ける」プロの書き手がどんなところに注目して聴き、ディスクに収められた音楽にどれほど「ガチ」で接したか、どんな思いで聴いたか、なぜこの音楽をディスクとして聴き手に届けるのが「今でしょ!」なのか、制作者の熱い思いがストレートに伝わってくるものに価値を置くようになっていくのではないでしょうか。そう、先ほど挙げた5点のCDのライナーノートはそうした要求を満たしたものだと思いますが、もっともっとアグレッシヴなものを期待します。そのためにも、もっと若い世代の評論家や、最近とても元気な女性の書き手(小田島久恵さんとか高野麻衣さんとか)、あるいは他分野のエキスパートの方々の起用も望みたいです。
先日発表されたニュース記事によれば、2013年上半期の音楽ソフトの売上は全体では大幅な売上減になっている一方で、クラシック音楽だけは売上が5%伸びているのだそうです。これが消費税率引き上げに伴ってどう推移するのかは分かりません。作り手にとっても聴き手にとっても逆風が吹き始めている訳ですが、コロムビアには「やられたらやり返す。倍返しだ!」くらいの勢いで値上げをものともしない充実した内容のディスクをリリースして頂きたいです。たとえ音盤という媒体が消えてすべてがネットから聴けるようになっても現状のライナーノートのような枠組みは消さずに残してほしい。私たちも倍返しへの恩返しとして、ラーメンのスープを一滴も残らず飲み干すようにじっくりと深く音楽を味わい尽くしたいと思います。
最後に、コロムビアにはもう一つ要望があります。当コーナーのお隣りでコロムビアの元録音スタッフの方が長く連載されている「
この一枚」は、録音時の生々しいエピソード満載の素晴らしいコラムです。そこで取り上げられたディスクの次の再発時のライナーノートには、是非とも掲載して頂きたいです。多くのファンが大歓迎だと思います!
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粟野光一(あわの・こういち) プロフィール
1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。
http://nailsweet.jugem.jp/
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