音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.72

クラシックメールマガジン 2019年7月付

~喫茶店映えする音盤たち~

最近、喫茶店めぐりにハマッています。もともと大のコーヒー好きで、これまでも喫茶店で過ごす時間を愛してきましたが、昨今の「純喫茶ブーム」に押され、雑誌や書籍で情報を仕入れては新しい店を開拓して楽しんでいます。時間の制約もあって、少しずつしか広がっていかないのがもどかしいのですが。 私にとって「いい喫茶店」かどうかを決めるのは、コーヒーの味だけでなく、そこが私にとって居心地良い場所かどうかです。
空間の広さ、間取り、内装、ソファやテーブルなどの調度品、マスターや店員さんの立ち居振る舞い。それらが生み出す時間の流れが、私の心に響くところが「いい店」です。巷の評判はまったく関係ありません。
店内がどんな「音」で満たされているかも非常に重要です。
気の利いた音楽がかかっている必要はありません。無音でも、ラジオが流れていても、それが店の「音の風景」として自然に成立していれば良いのです。喫茶店という場においては、ジョン・ケージの「4分33秒」ではありませんが、そこで偶然鳴り響いた音、例えば客の話し声や笑い声、食器の音、外の物音もすべて「音楽」だからです。
しかし、経験上確信を持って言えるのは、いい音楽が聴けるところはいい店だということです。思い込みかもしれませんが、「自分が選んだ音楽を聴きながら、こだわりのコーヒーを楽しんでほしい」というような、コーヒーと音楽への深い愛情が感じられる店は、コーヒーもおいしいという実感があります。
例えば、神保町のとある店ではタンゴが聴けるのですが、古いスピーカーから聴こえてくる往年のタンゴは惚れ惚れするほどに美しく、選曲も素敵です。そして、コーヒーは味、香りともに深みがあって実に美味い。行くとついつい長居してしまうし、帰り際にはまた来ようと思います。
同様の店は他にもいくつかあり、クラシック音楽が聴ける「いい店」も少なくありません。
最近の純喫茶ブームの中で再び注目を浴びている名曲喫茶は、その代表例です。1950年代をピークに衰退の一途を辿った名曲喫茶は、数は少ないながらも今も生き続けています。東京では渋谷と新宿の有名店が営業を続けていますし、中央線沿線には多くの人から愛される名店がいくつもあります。地方にもユニークなお店があると聞きます。 私は渋谷の老舗がとても気に入っていて、よく行きます。
そこでは客からのリクエスト、または店員が所蔵盤から任意に選んだ音楽が次から次へとかけられますが、基本的に何でもアリの選曲で、大曲が多くかけられる印象があります。
例えば、マーラーの交響曲との遭遇率は非常に高いですし、行くたびにワーグナーの「ニーベルンクの指環」(クナッパーツブッシュ指揮のバイロイトの1956年盤)が少しずつ進んでいた時期もありました。家では大音量で聴けない大曲を、喫茶店の広々とした空間の中で大きなスピーカーを通して聴きたいという方からのリクエストだったのでしょうか。
いつだったか、ビーチャム指揮のディーリアスの「人生のミサ」を聴いたのも忘れ難い体験でした。店所有の英コロムビアのモノラルLP盤は年季が入っていてスクラッチ・ノイズだらけ。私が愛聴している復刻CDに比べ、音像もかなりボヤけていまいした。
しかし、生きとし生けるものへの限りない愛慕と、遥か遠く理想郷への憧れを孕んだディーリアスの音楽の響きが、店内の隅々にまで静かに染み入っていくさまは息を呑むほどに美しかった。余りの素晴らしさに陶然となってその場を立ち去りがたく、コーヒーを飲むのも忘れて最後まで聴き通してしまいました。勿論、コーヒーは冷めてしまいました。お代わりすれば良かった・・・。
名曲喫茶と謳っていなくとも、クラシック音楽をBGMとして流す喫茶店となると、数はグッと増えます。そうした店では、前述の名曲喫茶のアナーキーぶりとは違い、定番と言えるラインナップがあるようです。「インスタ映え」ならぬ「喫茶店映え」する音楽とでも言えば良いでしょうか。
例えば、バロック音楽。古楽器による演奏だと、「デジタル」「平成」感が前面に出て俄然「カフェ」っぽくなるので、モダン楽器による演奏がいい。最近、東横線沿線のフレンチトーストの美味しい喫茶店で、フルニエが弾くバッハの無伴奏チェロ組曲を聴いたときは、芳醇な時間が流れていて幸せでした。
室内楽も定番です。独墺系の古典派からロマン派の弦楽四重奏曲やヴァイオリン・ソナタを聴く機会は非常に多く、演奏も古めのものが似合うという印象があります。
そして、モーツァルト。彼の音楽は、ジャンルを問わず何でも喫茶店に合います。しかも単なるBGMにとどまらず、確実に店内の高級感を上げる力があるところが凄い。まさに最強です。
前置きが余りにも長くなってしまいました。喫茶店映えする音楽があるなら、喫茶店映えする音盤もあるはずということで、先述のカテゴリーに沿って、私の独断と偏見で「喫茶店映え」するアルバムをいくつかご紹介します。

まず何はさておき、ハンスイェルク・シェレンベルガーとイタリア合奏団の共演による「イタリア・バロック・オーボエ協奏曲集」を挙げなくてはなりません。
1987年録音の第1集 (COCQ-84644)、1992年録音の第2集 (COCO-70898)、どちらも「喫茶店映え」音盤の最右翼だと確信します。この時期の彼らにしか作れない清々しい空気感は、喫茶店の中で空気清浄機としても機能し、コーヒーの香りを引き立ててくれることでしょう。
これらのアルバムを聴いていると、喫茶店の情景が目に浮かびます。
例えば、雨模様の日曜の昼下がり。店内にはシェレンベルガーとイタリア合奏団の演奏するオーボエ協奏曲が流れている。例えば、あの哀愁に満ちたマルチェロのオーボエ協奏曲の第2楽章。
焦げ茶色の内装からほのかに漂う木の香り、窓のステンドグラスから射し込む光、ドアの開閉のたびに鳴るベルの音。カウンターの向こうには、たくさんのカップを収めた棚を背にコーヒーを淹れるマスターの姿。ゆっくりと湯が注がれた挽きたての珈琲豆は、ブクブクと泡立ってこんもりと膨れ上がり、馥郁たる香りが店内に広がっていく。
私はそんな光景の一部となって溶け込み、しっとりと抒情をたたえたオーボエの響きに時折耳を奪われながら、本を読んだり、親しい人と語らったり、ゆったりと時間を過ごしている。実際にそんな場面に遭遇したことはないのですが、想像しただけで幸せな気分になれます。
ジェイムズ・ゴールウェイがザグレブ・ソロイスツと1978年に録音したテレマン・アルバム(COCO-73242)も映えるはずです。特に「フルート、弦楽と通奏低音のための組曲イ短調TWV 55:a2」。
この曲はもともとリコーダーのために書かれたフランス風組曲で、古楽隆盛の昨今、モダンフルートで吹く人はほとんどいません。しかも、ゴールウェイもオーケストラも、悠然たるテンポの中で、ヴィブラートをいっぱいにかけてゴージャスな演奏を繰り広げています。今の感覚からすると、いささか「時代遅れ」の演奏に聴こえます。
しかし、喫茶店で映えるかという観点では、その時代遅れ感はむしろプラスに作用します。喫茶店ならではの軽食メニュー、例えば、神田の店の名物「のりトースト」、神保町の店の大盛りのナポリタン、代々木駅前の店で出てくる「ババロア」「ジジロア」のような人懐っこくて、あたたかくて、胃にやさしい美味なる音楽がここにあります。
コンサート会場ではもう聴くことができないアナクロな音楽も、喫茶店という場で新たな生命を得て輝くことができる。素晴らしいではありませんか。 室内楽ならば、ウルブリッヒSQのハイドンの太陽弦楽四重奏曲(COCO-70733-34)を。1970年録音のオイロディスク原盤のアルバムです。
ハイドンの甘すぎず、ピリッとした苦みを持った音楽はコーヒーにぴったり。ドレスデン・シュターツカペレの当時のトップ奏者たちが奏でる熟達の演奏に対して、 堅牢なフォルムには「ボディーがある」、細やかな陰翳の変化には「コクと苦み、酸味の絶妙なブレンド」、時折見せるユーモアには「ほのかな甘み」のようなコーヒー用語を使って評しても違和感はなさそうです。
ドレスデンのルカ教会の定評ある豊かな残響を取り入れた録音も、マスターがこだわりを持って作り上げた空間と美しく調和することでしょう。
モーツァルトの音盤では、数々の名盤に後ろ髪を引かれつつ、オトマール・スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレが1983年に録音した「ハフナーセレナード」(COCO-70948)を。
セレナード第7番「ハフナー」の8つの楽章を、3楽章のヴァイオリン協奏曲と、5楽章の交響曲の二つに分離して再構成した珍しいバージョンによる録音。
残念ながら現在は廃盤ですが、演奏は極上。大人の落ち着きをもった格調の高い音楽はまさに典雅の極みで、気品高い愉悦感に満ち満ちています。ベルベット生地のフカフカのソファにゆったりと腰掛け、深煎りのコーヒーのローストの香りを楽しみながら聴きたい逸品です。
これもまた今や時代遅れの演奏ですが、だからと言って切り捨ててしまうのはあまりに惜しい。喫茶店云々とは関係なく、復活して然るべき名盤だと思います。 そして、92歳を迎える今も元気に活躍を続けるヘルベルト・ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレによるR.シュトラウスの「メタモルフォーゼン(変容)」(COCQ-85434)。
1989年、つまり平成元年の2月、「ベルリンの壁」崩壊の9か月前に旧東ドイツで録音された名盤。作曲者が、第二次世界大戦末期、崩壊へと突き進む祖国ドイツへの挽歌として書いた曲なので、喫茶店で聴くには重いかもしれません。
しかし、絹のような手ざわりと、いぶし銀の輝きを持ったドレスデンの弦の響きは、古びてはいるけれど、手入れの行き届いた喫茶店の空間にも映えるはずです。ブロムシュテットのケレン味のないストレートな音楽づくりもあって、この美しい音楽を喫茶店の片隅で静かに味わうには最適の演奏と言えます。
黄昏どきの喫茶店で、窓ガラス越しにオレンジ色の空を見て日が沈んでいくのを感じながら、この演奏を聴いてみたい。時の流れに伴って消えてゆく儚いものへの愛惜を込めて。

喫茶店では聴いたことのないような、しかし「喫茶店映え」しそうな音盤もあります。いくつかご紹介しましょう。
まず、高橋悠治が1975年に録音したジョン・ケージの「プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード」(COCO-73318)。
弦と弦の間に異物を挟んだピアノが発する独特の響きと、お寺の鐘やバリ島のガムランを想起させるアジアン・テイスト満載の音楽は、喫茶店の中では異様に響くかもしれません。
しかし、その音の面白さをぼんやりと楽しむうち、無機的に思えた音の組み合わせとその反復の中から、作曲者が盛り込んだという人間の普遍的な「感情」が音として沁みだしてくる。すると、自分の内側にある「感情」も刺激を受け、形を与えられたかのようにはっきりと立ち現れる。そんな不思議な時間を過ごすことができるのが、このアルバムの最大の魅力です。
どなたかが「自分の感情を咀嚼する」ために喫茶店を訪れると書いていましたが、そんなときには、この若き日の高橋が弾くケージを聴きたい。
体感温度ですが、喫茶店では、日本人のクラシック音楽作品を聴く機会がとても少ないように思います。確かに、黛敏郎の「涅槃交響曲」や武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」は、いくら好きな曲でも喫茶店で聴きたいとは思いませんが、日本人作曲家たちの音楽の中にも「喫茶店映え」する音楽は間違いなくあります。
例えば、福田進一が弾く、吉松隆のギター曲集「優しき玩具」(COCO-73053)。1997年に録音され、当時大きな話題になったアルバムです。
「優しき玩具」は、素敵な副題を持つ20曲の小品からなる曲集で、過ぎ去った時を惜しむような哀愁とノスタルジーをたたえた、どこまでも優しい曲調が魅力的です。
福田は、クリスタルのごとき輝きと、血の通ったあたたかさを併せもった響きをギターから引き出し、吉松の音楽の持つ味わいを存分に楽しませてくれます。時折聴こえてくるハーモニカの懐かしい響きや、作曲家自身が奏でたウィンド・チャイムの音もまた心に沁みます。
日々の暮らしに疲れ、益田ミリさんの言葉を借りれば「すごろくの一回休み」の時間を過ごしたいと喫茶店を訪れたとき、もしこの「優しき玩具」が流れてきたら、固く締めていた心のフタが開いて泣けてしまうかもしれません。それもまた人生、善き哉。
今年初めにご紹介した5人の若いアーティストのデビュー盤Opus Oneに収められた、日本人の曲もいい。特に、石上真由子の弾く幸田延のヴァイオリン・ソナタ(COCQ-8544)と、古海行子の弾く大澤壽人のピアノ曲「てまりうたロンド」(COCQ-85450)。
1895年に書かれた幸田のソナタ、戦時中に書かれた大澤の小品、いずれも和洋折衷の佇まいが美しい佳作です。二人の音楽家の若いながらも大人の風格をもった演奏も素晴らしくて、特に「和」の要素を強調した喫茶店にはうってつけです。50年後くらいにコロムビアが「名曲喫茶で聴くクラシック」なるアルバムを作るようなことがあれば、これらのトラックを入れてほしいとさえ思います。
他の3人の才能溢れる若者たち、鈴木玲奈、秋田勇魚、笹沼樹らのアルバムに収められた日本人作品も素敵なものばかりで、おしゃれな今風のカフェにも、歴史ある喫茶店にもフィットするはずです。
おしゃべりが過ぎてしまいました。店じまいの音楽として、エマヌエル・クリヴィヌ指揮国立リヨン管と合唱団によるフォーレの「ラシーヌ讃歌」を(1988年録音、COCO-73139)。
柔らかい慈しみに満ちたフォーレの音楽は、過ぎていった一日と、心ゆくまで味わった一杯のコーヒーの余韻、そして、明日へのいくばくかの希望をもたらしてくれます。
この曲は大好きなのでいくつかの演奏を聴いて来ましたが、私はクリヴィヌ盤のあたたかい肌ざわりと、物思いに沈むような静けさをたたえた演奏をこよなく愛していますし、喫茶店の去り際にしんみりと聴いてみたい。

時代はどんなに変わろうとも、珈琲、音楽、そして人の麗しいトライアングルは、絶妙のバランスを保って生き続けるだろうと思います。なぜなら、珈琲と音楽を愛する人は絶対にいなくならないからです。
しかし、最近は原材料費の高騰や後継者不在などのため、飲食店が次々と店をたたんでいると聞きます。喫茶店も例外ではなく、このところの純喫茶ブームも、有名な老舗が立て続けに惜しまれつつ閉店したことへの危機感が背景にあると聞きます。まったく世知辛い世の中ですが、老若男女が集い憩う喫茶店が生き残れるような社会のゆとりは、せめて私たちの手で守っていきたいものだと切実に思います。
そのためにも、今度の休みの日には、喫茶店映えする音楽を求めて喫茶店とCDショップめぐりに出かけることにします。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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