残暑お見舞い申し上げます。
各地で大災害をもたらした梅雨がようやく明けたかと思えば、これまた災害級の暑さが到来、しかもコロナ禍は一向に収まらず。厳しい日々が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、今月は「小説に出てくるクラシック音楽」というテーマで音盤をご紹介します。暑気払いとして、サブスクリプションのプレイリストを見るような感覚で気楽にお読みいただければ幸いです。
■川上未映子 「愛の夢とか」(2011 講談社文庫)
この短編には、タイトルから想像がつくようにリストのピアノ曲「愛の夢」が出てきます。もちろん、最も有名な第3番です。
専業主婦の「わたし」は、ひょんなことがきっかけで、隣人の初老女性に誘われ、彼女がピアノに向かって「愛の夢」に挑むのを傍で聴くためだけに、週二回、隣家を訪れるようになります。互いをテリー、ブランカと呼び合う不思議な交流が始まりますが、テリーのピアノは一向に上達しない。しかし、十三回目の訪問となったある日のこと・・・。
ほとんどつながりのなかった二人の女性を、音楽がたったひととき結びつける。それは彼女らの人生におけるほんの些細な出来事であって、リストの名曲も所詮「とか」でしかないけれど、ささやかな幸福をもたらした音楽体験は人の心に波紋を広げ、次の行動に小さな影響を及ぼす。そんな何でもないけれど愛おしい光景が、何でもないけれど独特の文体で描かれていて心に残ります。
音盤は長富彩の演奏を (COCQ-84900)。彼女のデビュー第二作「リスト巡礼」に収められたものですが、長富の技術の高さとみずみずしい歌心を愉しめる好演で、スタインウェイCD368の豊かな響きも魅力的です。当然、この小説に出てくるような、素人が弾くたどたどしい「愛の夢」とはまったく別物ですが、次の一文は長富の演奏を聴いて感じるものに通じます。
音のひとつひとつは見えない糸でしっかりとつながれ、しかしそれらはあまりに自由で、真ん中あたりの、あのまるで世界そのものがまぶしさをこらえきれずに瞬きをしているようなあのきらきらした連打に―思わずわたしは胸をおさえた。終わらないで、ともうすこしで、声にしてしまいそうだった。 |
このアルバム、選曲も素敵なのですが、私自身は「孤独の中の神の祝福」の清らかな最も祈りに惹かれます。
川上未映子と言えば、彼女との対談本が話題となった村上春樹の小説にも、クラシック音楽がしばしば登場します。最近出た六年ぶりの短編集にも、やっぱりありました。
■村上春樹 「一人称単数」(2020 文藝春秋)
所収の八作のうち、「謝肉祭(Carnival)」で、シューマンの同名のピアノ曲が登場します。
この短編では、「僕」と「これまで僕が知り合った中でもっとも醜い」という女性との交流が描かれています。クラシック音楽ファンの二人は、「謝肉祭」同好会でも結成したかのごとく、この曲の演奏を多く聴き、語り合います。二人が互いのベスト盤をぶつけ合う場面もあって、クラシック音楽好きにはたまらない。
二人がどの演奏をベストに挙げたかは小説を読んでのお楽しみとして、ここでは田部京子のライヴ盤(COCO-73364)を。音楽に内在する「仮面と素顔」「天使と悪霊」のように相反する要素を、あたたかな調和のうちに包み込むような演奏で、この短編の中で鳴り響いているであろうものとは趣が大きく異なりますが、読後の解毒剤として聴くのに相応しい。
なぜ解毒が必要か。僕と女性の関係はやがて突如終わりを迎えるのですが、「僕」の過去の女性経験に触れた後、時折突然現れる過去と向き合うことへの箴言めいた文章をもって、この短編は唐突に閉じられ、複雑な読後感とヒリヒリした痛みを喚起するからです。心を激しく揺さぶられた後には、この田部の演奏から感じられる母性的な温度が恋しくなります。
もう一つ、「品川猿の告白」では、品川出身で人間の言葉を話すブルックナー好きの猿が出てきます。特に交響曲第7番の第3楽章に「いつも勇気づけられる」らしい。やたらとインパクトのある場面なので、読んだが最後、この曲を聴くと猿の姿を思い浮かべてしまう読者も少なくないでしょう。
音盤としては、猿とは関係なく、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレの名盤を挙げておきます(COCQ-85405)。全体に落ち着いたテンポをとって老舗オケの古雅な響きを生かした演奏ですが、第3楽章での活気溢れる表現は確かに勇気づけられます。
ドレスデンと言えば、このベストセラー小説を挙げない訳にはいけません。
■須賀しのぶ 「革命前夜」(2015 文春文庫)
舞台は、1989年、ベルリンの壁崩壊前夜のドレスデン。主人公は日本から彼の地の音大に留学したピアニストの卵、眞山柊史。彼が苦しみながら自己の音楽を確立していく過程を縦糸に、監視と密告でがんじがらめになった旧東独の社会生活と、自由と民主化を求める市民の「革命」のせめぎあいを横糸にして繰り広げられる歴史エンターテイメントです。同時に淡く切ない恋愛が織り込まれた青春小説でもあり、作者の巧みなストーリーテリングも相俟って、読み出したら止まりません。
東独時代、苦しい経済状態の割に音楽活動が盛んだったドレスデンが舞台で、登場人物の多くが音大生たちなので、クラシック音楽がいくつも出てきます。
そんな中でも特に印象に残る二曲を。
まず、ブロッホの組曲「バール・シェム」の「ニーグン」。柊史と同じ音大に通い、一時はデュオを組んでいたハンガリー出身の天才ヴァイオリニスト、ヴェンツェルが、柊史が思いを寄せるオルガニスト、クリスタと共に開いた演奏会の二曲目として登場します。
音楽的な相性の良さと、共通の利害を背景に結びついた二人の若い音楽家たち。柊史はその優れた音楽に揺さぶられつつ、秘めた恋の行き止まりを目の当たりにして打ちのめされますが、その後、ヴェンツェルがとった行動が大騒動を巻き起こします。物語の一つの大きなターニングポイントとなる場面だけに、他の使用曲とは異質な「ニーグン」の調べは、独特の余韻を残します。
音盤は、加藤知子のヴァイオリン名曲集「エストレリータ」(COCO-70979)。加藤は奔放にして濃厚な「ユダヤ節」とは距離を置き、節度と気品を保った演奏を繰り広げています。しかし、その胸が痛くなるほどに真摯で切実な歌いくちには、主人公が見出した「自由であることは同時に孤独でもある」という「真実」と響き合うものを見いださずにいられません。ただし、このアルバムは現在は廃盤のようで、大変残念です。
もう一つは、柊史がドレスデンの旧宮廷教会を訪れクリスタと初めて出会った場面で、彼女がジルバーマンのオルガンで弾いたJ.S.バッハの六声のコラール「深き淵より、我、汝に呼ばわる」BWV686。
小さくて大きな物語の端緒となる場面で、その後の柊史と仲間たちが織り成す人間模様と、東独と世界がたどっていく運命の伏線となっています。
印象的な文章を引用します。
これは懺悔のコラールだ。深い苦しみの淵から罪を告白し、赦しを求める人々の叫び。断罪の鐘。重苦しいのに、耳を塞ごうとは思えない。苦しみもがきながらも、絶望に染まっていないからだ。あまりに遠い救いを、なおも信じようとする心が見える。それが自然と背筋が伸びるような気高さを与えているのだ。 |
作者は音楽の専門家ではありませんが、この曲の、いや、バッハの音楽から受ける感銘を的確に言語化した名文ではないでしょうか。この「懺悔」という言葉が、結末での怒涛の展開ともきれいに響き合っているのも見逃せません。
音盤はヘルムート・リリングの「教会暦によるオルガン・コラール集」(COCO-73324)を。オーディオ評論家の故・長岡鉄男氏絶賛のPCM録音初期の名盤ですが、演奏も素晴らしい。端整な音づくりの中に、敬虔で堅固な祈りをたっぷり含ませたリリングの演奏には、先ほど引用した須賀の文章そのままに「自然と背筋が伸びるような気高さ」があります。
さて、この「革命前夜」のハイライトを彩るのは、架空の音楽です。柊史の亡父の友人、ハインツ・ダイメルが遺したヴァイオリン・ソナタを登場人物たちが弾くという設定ですが、その場面を描写した須賀の文章はすこぶる魅力的です。この世に存在しない音楽だと分かっていても、どうしても聴きたくなります。
一方、小説に登場した架空の曲が、現実の音楽として鳴り響いたケースはあります。例えば、あの「マチネの終わりに」です。
■平野啓一郎 「マチネの終わりに」(2015 文春文庫)
2019年に福山雅治と石田ゆり子の主演で映画化された小説で、多くのクラシック音楽が登場しますが、当欄では
二枚のタイアップCDを既にご紹介しているので、詳細については省略します。
この小説に登場する架空の音楽は、ヒロインである小峰洋子の父親が監督した映画「幸福の硬貨」のテーマ曲です。あらすじは若いクロアチア人の詩人が、ファシズムと闘いながら第二次世界大戦を生き抜くというもので、そのラストで、破壊され尽くした街の映像を背景に、タイトルの由縁となったリルケの詩の朗読とともにギター曲が流れるという設定です。主人公のギタリスト蒔野聡史がパリの洋子のアパルトマンを訪れてこの曲を弾く場面、そして、蒔野がニューヨークで開いた演奏会でアンコールとして弾くラストは、小説・映画ともに感動的なクライマックスとなっています。
音盤は作曲者の異なるものが二つ。一つはタイアップCD第一作(COCQ-85302)で林そよかが作曲したもの、もう一つは映画のサウンドトラック(COCP-40995)で菅野祐悟が作曲したものです。前者は、小説と映画両方でクラシックギター演奏の監修をおこなった福田進一、後者は福山雅治が演奏しています(最後のトラックの「組曲」では福田の名前もクレジットされています)。
映画がヒットしたこともあり、一般的には菅野版の人気が高いようです。甘美で切なく、イメージの広がりを喚起する菅野ワールド全開の音楽は、確かに訴求力があります。クラシックギターに挑戦した福山の演奏も、主人公を生きた俳優だからこそ描けた音の景色を感じさせていい。私自身も映画館で目を腫らしながら、この曲を聴きました。
しかし、林そよかが最初に提示してくれた曲は、菅野バージョンと甲乙つけ難い名作です。民謡のような素朴な調べには、心の痛みを癒す優しさと包容力、そして、ラストシーンのあとの物語に希望を託したくなるような明朗さがあって、心の琴線に触れます。福田の演奏のなめらかなレガートと、音色の変化への細心の心配りも曲にぴったりです。
「マチネ」のファンは、二つのバージョンを座右に置き、時々の気分で聴き分けることができる。何という贅沢でしょうか。
ところで、昨秋、映画の主演俳優二人の対談が某雑誌に掲載されていましたが、石田ゆり子は好きな本として宮本輝の「錦繍」を選んでいました。「過去は変えられるか」という、「マチネの終わりに」の主要テーマからの連想とのことで唸ったのを覚えています。
■宮本輝「錦繍」(1982 新潮文庫)
夫の不義がもとで離婚した男女が思いがけず再会を果たし、14通の手紙のやりとりを通して互いの過去を乗り越えていく物語。宮本の代表作の一つで、発表以来、長く読み継がれてきました(既に77刷を超えています) 。
主人公の亜紀が、別れの痛みを癒すために訪れた名曲喫茶「モーツァルト」で、交響曲第39番のレコードを聴いて、店のマスターにこんなことを言う場面があります。
生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれへん。そんな不思議なものをモーツァルトの優しい音楽が表現してるような気がしましたの。 |
「死は一生の最終目標であり、今は真の最良の友として感じる」と書かれたモーツァルトの有名な手紙を念頭に書かれた台詞なのかは分かりませんが、天衣無縫な音楽が孕む、生と死、喜びと悲しみ、明と暗の完璧なまでの共存を表現した名文かと思います。
音盤としては、再びブロムシュテットとドレスデン・シュターツカペレの名盤を(COCQ-85428)。何のケレン味もないオーソドックスな演奏で、「生きていることと、死んでいること」との関連よりも、ドレスデンのオケの渋い音色が、タイトルの「錦繍」という言葉が呼び覚ます秋のイメージによく合います。
男女の往復書簡で進められていく小説というと、小池真理子の「午後の音楽」があります。
■小池真理子 「午後の音楽」(2008 集英社文庫)
往復書簡と言っても、時代の流れを反映して、メールのやりとりで話が進んでいきます。義理の姉と弟という関係の中で、危険な甘さを秘めて深まっていく恋愛感情の行方を、読者は息を呑んで見守るしかありません。
しかし、この小説には具体的な音楽は登場しません。ただ、二人が濃密な時間を過ごした後で、由布子がこんな言葉をメールに打つだけです。
私の耳には、あなたの中に流れている「音楽」が届いたような気がしていました。そう、「音楽」です。(略) あなたの中で、あなた自身が奏でていた「音楽」……としか言いようがないのです。
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義弟の龍士郎はこんなふうに応えます。
僕たちをつなげていたのは、「言葉」ではなく、「音楽」だったのかもしれない。 |
その音楽がどんなものなのか示されていないのは、読者が自由にイメージしてほしいという作者のメッセージでしょうか。文庫版の解説では、吉田伸子氏がマーラーの「アダージェット」を思い起こしたと書いていて頷けるのですが、それとて無数の可能性の一つに過ぎません。「私」の中で鳴り響いている「音楽」に耳を傾け、それは一体何なのか、誰に届けるべきなのかを静かに考えるべきでしょうか。
どうやら私は、しりとりの「ん」となる小説を挙げてしまったようです。ご紹介する音盤が尽きてしまいました。おしゃべりも長くなってしまったので、今月の当欄はこれにてお開きとします。
今、私は野坂昭如の「終戦日記」を読んでいます。コロナ禍と猛暑で終戦75年関連の行事が軒並み縮小され、戦争体験の語り手の高齢化、遺産の劣化も叫ばれる中、私たちの先人が体験した時代の記憶を、次の世代に引き継いでいかねばと思いつつ、あの「火垂るの墓」の原作者の言葉に触れています。
そこでもまた、私自身の心の中で響く音楽に耳を傾ける必要があるのでしょう。しかし、思考を広げるために、何か具体的な音楽の力を借りるのも悪くない。
再びしりとりを始めましょう。さて、何を聴きましょうか。