女の子の喜怒哀楽を”ギュッ!”と詰め込んだ毎日キラキラ★クラシックライフ
「彼は人間ではない、病だ」−ニーチェ
「(彼は)いかがわしい」−トーマス・マン
リヒャルト・ワーグナーを知る者はみな、その究極のオレ様加減に辟易しつつもその魔力に執りつかれたようです。
2013年はリヒャルト・ワーグナー生誕200年。今年初回の恋するスキャンダルは、クラシック音楽界きってのオレ様男をご紹介します。
リヒャルト・ワーグナーを知る者はみな、その究極のオレ様加減に辟易しつつもその魔力に執りつかれたようです。
2013年はリヒャルト・ワーグナー生誕200年。今年初回の恋するスキャンダルは、クラシック音楽界きってのオレ様男をご紹介します。
◆リヒャルト・ワーグナー〜“圧倒的な強さと才能の魔力−数知れない不倫愛”
本名:ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー
出生地:ドイツ ライプツィヒ
生年月日:1813年5月22日(ふたご座)
結婚暦:1回目 1836年(23歳) / 2回目 1870年(57歳)
ワーグナーを一言で表現すると、「不愉快」という言葉が出てくるほど、その唯我独尊の度合いは天下一品だったそうです。しかし、悪い分だけ人を魅了する魔力というものが備わっていたのか、バイエルン国王のルートヴィッヒ2世が彼に入れ込み、国がつぶれるほどの財をワーグナーに注ぎ込んだことは有名なお話し。 女性というのは基本的に、大きな自信をもった強い男性に惹かれるもの。ワーグナーも性格が甚だしく“不愉快“であったにもかからず、数多くの女性を虜にしてきました
《最初の結婚−ミンナ・ブラナー》
こどもの頃から文学や音楽に強く興味を示し、ほぼ独学で音楽の知識を身につけ18歳から作曲を始めてます。彼が23歳のときに、4つ年上のミンナ・ブラナーという女優と出会い猛烈なラブレター作戦が成功し、めでたく結婚に至りました。
しかし、結婚7ヶ月めでミンナは浮気をし(!)、その相手と駆け落ちしてしまいます。不幸な結婚の始まりは、ワーグナーを加速的に横柄にしていきます。彼は度重なる借金をし、ことごとくそれを踏み倒し夜逃げするという生活を繰り返します。
そんなダメ人間のワーグナー。ドレスデンで起きた革命デモに一般参加。ドイツ国家のブラックリストにしっかりとその名を残すことになり逮捕寸前で逃亡に成功。そのときに世話になったのが、パリにいた音楽界の重鎮、リストでした。
《ヴェーゼンドンク夫人−ヴェーゼンドンク歌曲集、トリスタンとイゾルデ》
逃亡中においても精力的に作曲活動は行っており、彼の周りに数々のパトロンも現れてくれました。パトロンは音楽家にとっては神さまのような有難い存在…にもかかわらず、そのパトロンの奥さんと不倫を重ねていくワーグナー。そのうちの一人にヴェーゼンドンク夫人がおり、彼女との関係が続いている間に音楽史上に残る名曲を2つも創作したワーグナー。その不倫相手の名前を冠した『ヴェーゼンドンク歌曲集』と悲恋のオペラ『トリスタンとイゾルデ』です。不倫とはいえ、これらの傑作を生み出すパワーはほんとにハンパない…
この『ヴェーゼンドンク歌曲集』は5つの詩をベースに書かれた歌曲集ですが、この詩は他でもない、ヴェーゼンドンク夫人が書いたもの。そして、オペラの大作『トリスタンとイゾルデ』はヴェーゼンドンク夫人との秘め事を音楽で表現されたといわれています。
ワーグナーは夫人に「きみ!最愛のきみよ!この巨匠はまた成し遂げた。たった今、幕の前半を通しで演奏したところだが、われらの愛する神が“良しとされた”とお考えになったことを、私も考えずにいられなかった。」と手紙を送っています。
自分で自身のことを「巨匠」と書き印し、自己を神になぞらえ始めているところなど、なんという自信家!でも、現実も伴っているので誰も何もいえなかったのかもしれません?!ちなみに、『トリスタンとイゾルデ』第1幕が完成したところで、ヴェーゼンドンク夫人との不倫が発覚!ワーグナーはヴェーゼンドンク邸のあったチューリヒから離れ、ヴェネツィアでオペラを書き続けます。しかし、このヴェネツィア滞在費もヴェーゼンドンク氏が負担していたとか。その心境やいかに…。
《コジマ−ニュルンベルクのマイスタージンガー、ニーベルングの指環》
ヴェーゼンドンク夫人とただならぬ関係になり始めの頃に、もう一人の女性に出会っていました。それがワーグナー救いの神、リストの娘であるコジマです。ただ、初めて出会ったときはそれだけのことでした。コジマ側もほどなくして、リストの一番弟子であるハンス・フォン・ビューローという男性と結婚。
この時期はワーグナーもミンナと婚姻関係は継続しながらヴェーゼンドンク夫人と不倫しつつの状態。そんな中、ビューローはワーグナーの信奉者ということもあり、コジマとのハネムーン中にワーグナーの家を訪ねていったといいます。その場にはミンナ、ヴェーゼンドンク夫人、そしてコジマも同席する場面があったといわれています。
ワーグナーはコジマとの再会ですっかりとコジマの魅力にとりつかれ、ミンナ、ヴェーゼンドンク夫人との関係も冷め切ったようです。コジマ側も、夫婦の関係がぎくしゃくし始め、ワーグナー50歳、コジマ20代半ばというタイミングで二人は深い関係になったようです。
コジマはワーグナーとの間に娘をもうけ、娘の名は「イゾルデ」と名づけられました。ほどなくして、ワーグナーの妻であるミンナが病死。その後、コジマもビューローと離婚。1870年、ワーグナーはコジマと再婚を果たします。
そんな状況の中で、ワーグナーとコジマはビューローとの三人での生活をしていたといわれています・・・さらにビューローはワーグナーの熱烈なファンであったので、指揮者としてワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」や「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の初演で指揮をするなど、普通の感覚では計り知れない複雑な関係をこの三人は紡いでいきました。そして、4つの独立した楽劇からなる連作で、4夜にわたって上演される壮大な作品「ニーベルングの指環」といった超大作を生み出していくことになります。
ワーグナーとコジマは普通の夫婦を超えた愛で結ばれ、ワーグナーは最期、心臓発作を起こしコジマの腕の中で息を引き取ったということです。
今回、ワーグナーの恋バナを辿って感じたのは、オラオラ中のオラオラ系だということ!(笑)
そして、大作を生み出していけた背景には、大のワーグナーファン、いや崇拝者であるバイエルン国王のルートヴィッヒ2世の金銭的バックアップも欠かせません。自分だけの作品だけを上演する‘ワーグナー劇場’をドイツ北部のバイロイトに建設してしまったという…(!) そしてこの劇場で毎年行われるバイロイト音楽祭は現在においても大人気を誇っており、チケットは10年待っても買えないくらいの凄さだそうです。
※バイロイト音楽祭の映像紹介ページ http://columbia.jp/bayreuther-festspiele/
女性だけでなく男性、しかも王様をもひれ伏させたワーグナー、現在もなおその熱狂的な人気は衰えていないのですね。
今年はワーグナー生誕200年。
ワーグナーの類まれなるオペラの世界に、恐れ多い気持ちで踏み込みたくなってしまいました。
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