Text by NHK交響楽団&モルゴーア・クァルテットヴィオラ奏者 小野富士
1)の「私のプロフィール」の中に書いたように、中学時代、毎週弦楽四重奏の初見大会をしていた頃は、先輩達から弦楽四重奏の演奏団体についても話を聞いたり、レコードを聴かせてもらったりしていた。
その先輩の紹介で、1969年5月に、当時日本では「労音」という音楽鑑賞団体がありその地方公演で福島市に来た、ゲヴァントハウス管弦楽団の名コンサートマスター、ゲルハルト・ボッセ率いる「ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・クァルテット」を聴いた。
プログラムはハイドンの「ひばり」、シューベルトの「死と乙女」、ベートーヴェンの「ラズモフスキー第3」というものだった。シューベルトは中学2年生にとっては時間的にも相当長いものだったが、自分が曲がりなりにも弦楽四重奏の演奏を身をもって体験した後に聴くと、聴こえ方、味わい方もまるで異なり、あっという間に聴き終わった記憶がある。
さて、当時のほとんどの弦楽四重奏団は、名門オーケストラの首席奏者のようなメンバーが集まっていて、大体は第1ヴァイオリン奏者が主導権を持って演奏するスタイルだった。
その中で「初見大会」メンバーが口々に「チョット違う」と言っていた弦楽四重奏団が「スメタナ・クァルテット」だった。
レコードを聴くと、確かに「スメタナ」は他の弦楽四重奏団とは一線を画していた。
音楽に対して高い意識を持つ4人が“対等に発言している”「感じ」がしたのだ。
スメタナ・クァルテットを聴く
私自身でスメタナ・クァルテットのレコードを最初に買ったのは、1971年にスプラフォンから発売されていたシューベルトの「死と乙女」とドヴォルザークの「アメリカ」がカップリングされているモノラル録音だった。
どちらも綿密にして生気あふれる演奏だったが、何か全体のサウンドが違う気がしていたら、後にシューベルトのヴィオラはシュカンパ氏の前任者リベンスキー氏だったことがわかり、その頃からヴィオラの、というよりもシュカンパ氏のヴィオラは気になる存在となっていた。
高校3年生(1972年)の春、授業が午前中で終わる日に東北本線に乗って仙台市に行き、初めて生のスメタナ・クァルテットを聴いた。 ベートーヴェンの「セリオーソ」、ドヴォルザークの「アメリカ」、ヤナーチェクの「内緒の手紙」というプログラムだった。
「セリオーソ」冒頭のユニゾンを聴いて、音量そのものはそれほど大きくはないと感じたが、その後はだんだんホールそのものが鳴り出す感じで、一人一人の音楽的な雄弁さと、ここ一番の時に集合する見事なアンサンブルに大いに感動して帰路についたことを覚えている。
小野 富士 Hisashi ONO
1981年、東京芸術大学音楽学部器楽科ヴィオラ専攻卒業。
東京フィルハーモニー交響楽団副首席ヴィオラ奏者を経て、1987年10月から2015年2月までNHK交響楽団次席ヴィオラ奏者。1992年、“モルゴーア・クァルテット”結成に参画。2006年9月、第一生命ホールで「モルゴーア・クァルテット・ショスタコーヴィチ生誕100年記念演奏会」を開催。ショスタコーヴィチの誕生日9月25日を挟んだわずか3日間で、弦楽四重奏曲全15曲を演奏し話題を呼んだ。2012年6月、2014年5月に日本コロムビアからリリースした全曲荒井英治編曲のプログレッシヴ・ロックアルバム《21世紀の精神正常者たち》《原子心母の危機》が爆発的な反響を呼んでいる。
モルゴーア・クァルテット・メンバーとして1998年1月、第10回“村松賞”、2011年5月、2010年度「アリオン賞」受賞。ヴィオラ演奏の他、多数のオーケストラのトレーナーをつとめ、情熱とユーモアにあふれる指導には定評があり、福島市民オーケストラ(音楽監督)、東京ジュニアオーケストラ・ソサエティ(音楽監督)、光が丘管弦楽団などの公演を指揮している。