Text by NHK交響楽団&モルゴーア・クァルテットヴィオラ奏者 小野富士
前項の音大学生時代にいろいろな情報を聞きながらあれこれ考えさせられた。
私は当時クァルテット弾きになりたいと思っていたが、どうもヴァイオリンやチェロの仲間達はコンクールに参加することに忙しく、弦楽四重奏曲の練習をするのが難しいことに気がついた。
そこで、自分もソロの勉強もした方がいいと考え、1980年にミュンヘン国際コンクールに参加した。
良い結果が得られたわけではなかったが、いくつか、今日に繋がるきっかけがあった。
たとえば、ヨーロッパで勉強していた日本人の演奏を聴いて、日本人のDNAはやはり根強く残って、ヨーロッパ人の様な演奏が無意識にできるようになるわけではない事を感じたし、留学後しばらくヨーロッパに残っている日本人の話を聞くと、どこかで、できれば日本に帰国する事を望んでいることを感じた。
私は既に2つ目の大学も4年生になり、そろそろ親にやっかいになることはやめよう、と決心させてくれたのは、このミュンヘンコンクールだったように思われる。
芸大卒業後、東京フィルハーモニー交響楽団に入団。
このオーケストラは日本でも有数に忙しいオーケストラで、演奏会を聴きに行く時間は殆どなかった。
その後1986年からはNHK交響楽団に移籍、このオーケストラはスケジュールが明解に整理されているので、演奏会に足を運ぶことが可能になった。
そんな時、スメタナ・クァルテットが1988年秋に日本で「さよなら公演」をする、と聞いた。
既に結婚して2人目の子供も生まれた年に「自分の青春を振り返る」意味も込めて聴きに行くことにした。
この年スメタナ・クァルテットは9月23日から11月1日のかけて19回の演奏会を行った。その最終日を開館2周年のサントリーホール大ホール(2000人)で聴いた。
プログラムはハイドンの第83番変ロ長調作品103、ヤナーチェクの第1番「クロイツェル・ソナタ」、スメタナの第1番ホ短調「わが生涯より」というものだ。
2階最前列に座ったやや高齢なご婦人は終始泣きっぱなしだった。
私自身も18歳の時に初めて生の演奏を聴いてからの事が走馬燈のように思い出される演奏だった。
コホウト氏は右手が、シュカンパ氏は左手が辛そうだったが、4人の発する音は繊細にして鋭く、私の全ての細胞にしみこんできた。
ヤナーチェクの東欧的「光と影」、スメタナ冒頭のヴィオラソロの切なさ、第2楽章のポルカのリズム、第3楽章のコホウト氏のピツィカートが醸し出す音楽の流れ、第4楽章の飲めや歌えの宴と突然の不幸の襲来。
「この演奏を聴きながら自分は10代20代を過ごしてきたのだ!」という幸せがふつふつと湧いてきた。
そして「スメタナ・クァルテットを聴きながら生きてきた自分の青春は間違っていなかった」と確信したのだった。
アンコールのドヴォルザーク「アメリカ」の第2楽章は2000人満員の聴き手に静かに「さよなら」を伝える絵はがきのようだった。
スメタナ・クァルテットは約30年間日本に通い続けて、弦楽四重奏という音楽の分野を伝え続けてくれた。
それまでの第1ヴァイオリン主導型のではなく、4人が対等な発言力を持った弦楽四重奏というものを世界に示し続けてくれた。
そんな弦楽四重奏団の一員を経験したくて1992年に仲間とMorgaua Quartet(モルゴーア・クァルテット)という弦楽四重奏団を結成し、23年経った今も継続している。
オーケストラを弾きながら尊敬する仲間と弦楽四重奏を続ける、ヴィオラ奏者としては最高の音楽家人生を送らせてもらっている。 これもスメタナ・クァルテットに出会えたから、と感謝している。(了)
小野 富士 Hisashi ONO
1981年、東京芸術大学音楽学部器楽科ヴィオラ専攻卒業。
東京フィルハーモニー交響楽団副首席ヴィオラ奏者を経て、1987年10月から2015年2月までNHK交響楽団次席ヴィオラ奏者。1992年、“モルゴーア・クァルテット”結成に参画。2006年9月、第一生命ホールで「モルゴーア・クァルテット・ショスタコーヴィチ生誕100年記念演奏会」を開催。ショスタコーヴィチの誕生日9月25日を挟んだわずか3日間で、弦楽四重奏曲全15曲を演奏し話題を呼んだ。2012年6月、2014年5月に日本コロムビアからリリースした全曲荒井英治編曲のプログレッシヴ・ロックアルバム《21世紀の精神正常者たち》《原子心母の危機》が爆発的な反響を呼んでいる。
モルゴーア・クァルテット・メンバーとして1998年1月、第10回“村松賞”、2011年5月、2010年度「アリオン賞」受賞。ヴィオラ演奏の他、多数のオーケストラのトレーナーをつとめ、情熱とユーモアにあふれる指導には定評があり、福島市民オーケストラ(音楽監督)、東京ジュニアオーケストラ・ソサエティ(音楽監督)、光が丘管弦楽団などの公演を指揮している。