Text by NHK交響楽団&モルゴーア・クァルテットヴィオラ奏者 小野富士
東京芸術大学に1977年春に入学した。
一つ目の大学で人生設計を大きく変更して、「自分はどんなに辛いことがあっても音楽と一緒なら生きていける」と思って入った音楽大学、最初の数ヶ月で思わぬ現実に直面した。
小さい時から親がかりで楽器を習わされてきた弦楽器の学生の中には、既に音楽と関わることにくたびれてしまった学生が少なからずいることに気づいたのだ。
私のようにアマチュアとしての「悦び」や「感動」のみで10代を生きてきた人間にとって「音楽大学」というひとつの楽器の修練に明け暮れてきた学生たちの中に身を置く経験は、いろいろな意味で興味深い経験になったと思っている。
さて、そんな音大生2年の時(1978年)にまた、スメタナ・クァルテットが来日した。
音大に学生として在籍している期間というのは、音楽家の人生の中で最も勝手な発言の許される時期と言え、1978年当時、私は正にその真っただ中にいた。
活躍中の音楽家達に対するコメントも辛辣、というか無責任だった。
そんな中、スメタナ・クァルテットを聴きに行くと周りの学生に話したら、「スメタナ・クァルテットはムードミュージックだ」「スメタナ・クァルテットの音程はそれぞれの瞬間で合わせすぎるから、それぞれのパートの輪郭が聞こえてこない」など、私が10代の殆どを共に生きてきたスメタナ・クァルテットに対してもネガティヴな言葉が聞こえてきた。
私は現役で入学する大学生より4年遅れて入ったこともあり、また22歳から専門教育を受け始めた負い目の様なものもあり、なるべく周りの仲間からの意見は尊重するように心がけていたが、これには正直参ってしまった。
そこで、彼らの言うところの「いい弦楽四重奏団」というものを少しずつ聴いてみたが、今から思えば、その時既にレコードでしか聴けない、過去の弦楽四重奏団が多かったように思われる。
1978年11月1日から12月6日までのスメタナ・クァルテットの来日公演は20回あり、 その時に新宿の厚生年金会館で聴いたシューベルト「死と乙女」はだんだん円熟を感じさせる、正に「王者」の風格漂うものだった。
小野 富士 Hisashi ONO
1981年、東京芸術大学音楽学部器楽科ヴィオラ専攻卒業。
東京フィルハーモニー交響楽団副首席ヴィオラ奏者を経て、1987年10月から2015年2月までNHK交響楽団次席ヴィオラ奏者。1992年、“モルゴーア・クァルテット”結成に参画。2006年9月、第一生命ホールで「モルゴーア・クァルテット・ショスタコーヴィチ生誕100年記念演奏会」を開催。ショスタコーヴィチの誕生日9月25日を挟んだわずか3日間で、弦楽四重奏曲全15曲を演奏し話題を呼んだ。2012年6月、2014年5月に日本コロムビアからリリースした全曲荒井英治編曲のプログレッシヴ・ロックアルバム《21世紀の精神正常者たち》《原子心母の危機》が爆発的な反響を呼んでいる。
モルゴーア・クァルテット・メンバーとして1998年1月、第10回“村松賞”、2011年5月、2010年度「アリオン賞」受賞。ヴィオラ演奏の他、多数のオーケストラのトレーナーをつとめ、情熱とユーモアにあふれる指導には定評があり、福島市民オーケストラ(音楽監督)、東京ジュニアオーケストラ・ソサエティ(音楽監督)、光が丘管弦楽団などの公演を指揮している。