[この一枚] インデックス

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[この一枚 No.59] 2013年3月付 〜アカデミア・ビザンチナ/レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア〜

1992年9月のドイツ、DENON録音チームは次のような録音スケジュールで動いていた。 2日から6日までスイスのヴヴェでゲルバーの録音、並行して3日から8日までイタリアのラヴェンナでアカデミア・ビザンチナの第1回目の録音、そして4日空けて12日から17日までおなじくラヴェンナでアカデミア・ビザンチナの第2回録音、並行して14日から18日までケルンでラ・ストラヴァガンツァ・ケルンの録音、重なって17日から19日までフランスのクレルモン=フェランでオーヴェルニュ室内管弦楽団の録音が行われたが、さすがにこれは人、機材とも足りず、外部に委託となった。 さらに、22日から26日まではフランクフルトで先月このコーナーで取上げたインバルのバルトーク「青ひげ公の城」の、そして28日からは南ドイツ、バンベルクでクリヴィヌ指揮バンベルク交響楽団のブラームス交響曲全集録音第2回という、まるでパズルのように人と機材の組み合わせと移動を考えなければならないハードな月であった…つづき>>>

[この一枚 No.58] 2013年2月付 〜インバル/バルトーク:オペラ《青ひげ公の城》〜

日本の音楽ファンにとって、オペラハウスのオーケストラ・ピットで指揮するエリアフ・インバルはあまりなじみのない光景かもしれない。 しかし、インバルの経歴を見るとパリ、ハンブルク、グラインドボーンなど各国のオペラハウスで活躍してきたし、若い頃にイタリア、ヴェローナの野外オペラでヴェルディのアイーダなどを指揮した海賊盤CDもある。また、2007年から音楽監督を務めているヴィネツィアのフェニーチェ歌劇場の上演では、シェーンベルクの「今日から明日へ」、コルンゴルトの「死の都」などがDVDとして発売されている。いかにもインバルらしい、渋い、ひねったレパートリーだが…つづき>>>

[この一枚 No.57] 2013年1月付 〜ティーレマン/ワーグナー:《ニーベルングの指環》バイロイト音楽祭2008年〜

大阪で万国博覧会が開かれた頃、九州に新設されたばかりの大学の音響設計学科で日本のクラシック録音の第一人者、若林駿介氏の集中講義が開始された。講義内容はステレオ理論からマイクロフォンやテープレコーダなどの録音機材の操作方法、また録音実習や自身が録音したマスターテープを用いた様々な音源の研究など収音(放送、録音、拡声)に関して多岐に渡る内容であった。 そして、この講義の中で一冊の本『ニーベルングの指環―プロデューサーの手記』が紹介された…つづき>>>

[この一枚 No.56] 2012年12月付 〜ミシェル・ベロフ/ドビュッシー:ピアノ作品全集〜

以前、ドイツに住んでいる日本人からこんな話を聞いた。「家のカーテンを新調したとき、カーテン・マイスターと称する親方が弟子の職人と共に来て、取り付けの指図をし、最後に自ら手直しを行っていった。取付料金は高かったけれど、仕上がりは申し分ないものだった。マイスターとは凄いんだね。」 また、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の中では靴職人のマイスターと呼ばれる親方、ハンス・ザックスが活躍している。この2つの逸話にあるように、ドイツの手工業は中世からマイスターと呼ばれる親方と徒弟という職人組合制度が作られ、今日まで製品の品質の高さを維持している。20世紀半ばに急速に発展した映画、放送、レコード録音の分野でもこのマイスターという仕組みが導入されたのも不思議でない。1949年には西ドイツで…つづき>>>

[この一枚 No.55] 2012年11月付 〜藤原真理/風―Winds〜ナウシカの思い出に捧げる〜

藤原真理さんが第6回チャイコフスキー国際コンクール、チェロ部門で第2位に輝いたのは1978年。そして、翌年2月には日本コロムビアからデビュー・アルバム「ロマンティック・チェロ・ミニアチュアーズ」が発売された。以降、再度の小品集、ハイドン/ボッケリーニのチェロ協奏曲集、バッハ/無伴奏チェロ組曲全集とチェロ音楽の王道が録音され、順次発売されていった。「次回作はベートーヴェンのチェロ・ソナタ集」と音楽ファンならば誰もが予想しただろうが、でもそうはならなかった。無伴奏チェロ組曲の録音の途中から彼女はフルートのニコレやヴァイオリンのカントロフと共に様々な室内楽のチェリストとして録音に参加していった。途中、ソリストとしてもドビュッシーのチェロ・ソナタやベートーヴェンの三重協奏曲の録音を行ってはいたが…つづき>>>

[この一枚 No.54] 2012年10月付 〜ミシェル・ダルベルト/シューベルト:ピアノ・ソナタ全集〜

130年以上も前の話だが、ある気持ちの良い秋の朝、ヘルツォーク氏と私は一緒に神戸の山手地区を散歩していた。昨夜、神戸文化ホールで行われたスメタナ四重奏団のライヴ録音が上首尾に終わったこともあり、二人とも上機嫌だった。 すると、英語で「教えてくれないか?神社とお寺の違いはどうすれば見分けられるんだい?」との質問が聞こえてきた。瞬間、私の頭の中は真っ白になった。「えっ!天照大神とシャカの生涯はうまく説明できないし、神社の鳥居とお寺の仏像や鐘はなんて言うのだっけ?さらに、宗教については日本語でも説明するのは難しいのに、まして英語で?」快適な筈だった朝の散歩は身振り手振りも交えた冷や汗の苦行に変わっていた。75年以降の数々のスメタナ四重奏団のデジタル録音で…つづき>>>

[この一枚 No.53] 2012年9月付 〜ミシェル・ダルベルト/シューベルト:ピアノ・ソナタ全集〜

1980年代後半、日本コロムビアのクラシック・レパートリーは順調に拡大を続けていた。オーケストラ部門ではインバル、スウィトナー、アンサンブルではイタリア合奏団が活躍、室内楽ではスメタナ四重奏団の残照が続き、弦楽器ではカントロフのヴァイオリン、藤原真理のチェロ、さらに声楽では鮫島有美子が日本のうたを中心にレパートリーを拡大していた。問題はピアノ部門だった。高橋悠治を筆頭に、ゲルバー、ルヴィエで様々なピアノ曲の録音を進めていたが、1976年のモレイラ=リマやアンネローゼ・シュミットでの録音以降、ショパンのピアノ曲の新録音は殆ど無く、当時のブーニン現象をただ茫然と眺めるのみだった。また、自主音源では…つづき>>>

[この一枚 No.52] 2012年8月付 〜有田正広/トウキョウ・バロック・トリオ/テレマン:パリ四重奏曲集〜

「録音スタッフで良かった」と思える時がときおりある。いまそこで行われている素晴らしい演奏を録音している時がまさしくそうだ。そんなとき、ゲーテのファウストの一節を思い出す。「時よ止まれ、お前は美しい」。有田正広とトウキョウ・バロック・トリオによるテレマンのパリ四重奏曲集の録音はそんな思いを抱かせた録音だった。トウキョウ・バロック・トリオの3人に最初に会ったのは1992年初夏、ドイツ、ケルンの教会で行われたコンサートだった。デンオンの古楽シリーズ、アリアーレ誕生の親で音楽評論家の故佐々木節夫さんから …つづき>>>

[この一枚 No.51] 2012年7月付 〜渡邉暁雄/シベリウス:交響曲全集〜

1981年末、日本コロムビアはレコードアカデミー賞を3つの部門で獲得した。 交響曲部門でスウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレのベートーヴェン: 交響曲第6番「田園」、室内楽曲部門でスメタナ四重奏団+スークのモーツァル ト:弦楽五重奏曲第2番、第6番、そして日本人演奏部門で渡邉暁雄指揮日フィル のシベリウス:交響曲全集である。 渡邉暁雄指揮日本フィルは1961年、世界初ステレオ録音によるシベリウス交響曲 全集が当時…つづき>>>

[この一枚 No.50] 2012年6月付 〜ヘルマン・プライ/モーツァルト:オペラ・アリア集〜

「いつもどうもありがとう ○○様 八九・四・七 吉田秀和」。私の手元に先月亡くなられた吉田秀和氏のサイン入りの著書が1冊ある。二十数年前に鎌倉のご自宅に伺ってオーディオ装置を点検し、その後、色々お話を伺った折にプレ ゼントされたものだ。当時、クラシックCDのセールスに大きな影響力を持つものは、「レコード芸術」誌の特選、朝日新聞の「試聴室」、そして吉田氏の2つの連載、「レコード芸術」誌の「今月の1枚」と朝日新聞での「音楽展望」であった。時に朝日の「母と子の試聴室」や「ブーニン人気」を起こしたNHK TV放送などもあったが、本流ではなかった。 …つづき>>>

[この一枚 No.49] 2012年5月付 〜イタリア合奏団/ヴィヴァルディ:協奏曲集《調和の霊感》〜

東京赤坂に当時「東洋一」と謳われた日本コロムビアの録音スタジオが完成したのは1965年。このビルは地下2階が駐車場、地下1階は社員食堂、1階ロビーは様々なパーティや多くの歌手たちの涙の会見の場として使われた。2階は事務所とダビングや放送番組制作用スタジオ、テープ編集室、そして奥にレコード・カッティング室が配置されていた。3、4階は吹き抜けでオーケストラ録音が可能な第一スタジオ、邦楽やバンドの録音に多用された第二スタジオが隣り合わせていた。また第一スタジオのモニタールームの上には録音風景をガラス窓ごしに見下ろせる見学者用階段室も設けられていた。 …つづき>>>

[この一枚 No.48] 2012年4月付 〜コチシュ/バルトーク:ピアノ作品集〜

2002年6月に「日本コロムビアのクラシックの名盤を1000円で」で、という大胆な価格設定の70タイトルのリリースで始まった「クレスト1000」シリーズ。以降、この10年間、毎年末の恒例となり、昨年(2011年)末には第11回発売を迎えている。 繰り返し発売される名盤だけでなく、数十年前にLPで発売されただけで廃盤となった、商業的には難しかったが優れた作品も復活させ、オリジナルに遡ってのジャケット写真や数々のデータ収集に大変な苦労をされてきた関係者の努力に敬意を表したい。数年前にクレスト1000の全発売作品の売上枚数を調べる機会があった。売上上位にあるものの大半は過去に名盤とされたもので、その位置を納得できたが、中で「コチシュ/バルトーク作品集」が上位にいるのは予想していなかった。 …つづき>>>

[この一枚 No.47] 2012年3月付 〜スーク・トリオ/ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第7番《大公》〜

作家村上春樹は近刊「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を一読すれば解 るように、ジャズやポピュラー音楽のみならず、クラシック音楽にも大変造詣が深いことで知られているが、2002年に刊行された小説「海辺のカフカ」の中でも15才の主人公が聴くロック音楽と相対する形で、ベートーヴェンのピアノ・トリオ《大公》を「大人の音楽」として扱い、大変重要な役割を持たせている。 まず物語後半の喫茶店の場面で、ルービンシュタイン−ハイフェッツ−フォイヤマンの《百万ドル・トリオ》による …つづき>>>

[この一枚 No.46] 2012年2月付 〜安田謙一カ/J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全集〜

1960年代後半からのバロック音楽ブームにより、フィリップスのイ・ムジチ合奏団、デッカのアカデミー室内管弦楽団、エラートのパイヤール室内管弦楽団など、レコード会社各社から多くの合奏団のアルバムが発売されていた。 当時、スイスのルツェルン音楽院院長で音楽祭の主催者でもあったバウムガルトナーも音楽院在校生、卒業生を中心にルツェルン音楽祭弦楽合奏団(ルツェルン合奏団)を組織し、西ドイツ、オイロディスクに次々と録音を行っていた。そのLPジャケットには時折メンバーの集合写真が使われていたが、その中にスラリとした欧米人に混ざって小柄な日本人男性が写っていた。今回のコラムに登場する安田謙一カである。安田のプロフィールをライナーから簡単に紹介しよう …つづき>>>

[この一枚 No.45] 2012年1月付 〜シェレンベルガー/モーツァルト:オーボエ四重奏曲〜

ピエール・ピエルロ、モーリス・ブルグ、ハインツ・ホリガー、ローター・コッホ、そしてハンスイェルク・シェレンベルガー。何れもがフランス、スイス、ドイツを代表するオーボエ奏者で、デンオン・レーベルにソロやアンサンブルの録音を残している名手達である。「オーボエの可能性を飛躍的に拡大した」と言われるホリガーについては以前このコラムでも取り上げたので、今回は1980年から2001年までベルリン・フィルの首席オーボエ奏者でもあったシェレンベルガーを取り上げてみよう。1974年デンオン・ヨーロッパ録音の当初から録音エンジニ アを担当していたピーター・ヴィルモースは母国デンマークの世界的音響測定器メーカー、ブリューエル・アンド・ケア(B&K)社の音楽録音用マイクロフォン開発のアドバイザーでもあった。そして1981年初夏、 …つづき>>>

[この一枚 No.44] 2011年12月付 〜田部京子/グリーグとブラームス 新旧石橋メモリアルホール〜

1974年秋の上野学園石橋メモリアルホールの開館は様々な意味でクラシック音楽 界にとって大きな一歩であった。 それまでの日本のコンサートホールは様々なジャンルの音楽やオペラやバレエ、さらに歌舞伎や演劇、舞踏、そして講演など、どんな催し物もできる多目的ホールと呼ばれる造りで、舞台の間口(幅)が広いために演奏に輝きを付加する壁か らの強い反射音が聴集に届きにくかった。また、響きの目安である残響時間が短いこともあり、豊かな響きに包まれるというより、さっぱりとした音のするホールが大半だった。しかしながら、このホールは最初からクラシックコンサート専用のホールとして …つづき>>>

[この一枚 No.43] 2011年11月付 〜インバル/マーラー交響曲全集とアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュ〜

インバルのマーラー交響曲全集は個々のCDジャケット・デザインがどれも中央にマーラーの横顔が置かれたシンプルなもので、レコード店頭や雑誌面上でも一目でインバルのものと判る。
しかし、1点だけマーラーの顔が使われていないものがある。それは1907年に作曲が開始された「大地の歌」。ジャケット表にはハンス・ベートゲの詩集「中国の笛」1907年初版の表紙のイラスト「笛を奏でる中国人」が使われている。
この絵は1988年、「大地の歌」の録音直後に …つづき>>>

[この一枚 No.42] 2011年10月付 ザンデルリンクとレーグナー 旧東ドイツ初のPCM録音

東西ドイツで最初のオーケストラのPCM(デジタル)録音は1978年6月7日から始まったクルト・ザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団によるチャイコフスキー:交響曲第4番だった。 この録音は1972年のルイ・フレモー指揮東京都交響楽団による「展覧会の絵」から始まり、ブロムシュテット指揮デンマーク放送交響楽団のテスト録音、フィッシャー=ディスカウ指揮チェコ・フィルによるブラームス:交響曲第4番などを経て、レパートリーや音源の物足りなさを感じていた日本コロムビア制作録音チームがようやく辿り着いた一里塚であった。 …つづき>>>

[この一枚 No.41] 2011年9月付 高橋悠治/新ウィーン楽派ピアノ作品集 他

1971年から約10年間、高橋悠治はコロムビアにパーセル、バッハからベートーヴェン、シューマン、サティ、ドビュッシー、新ウィーン楽派、ストラヴィンスキー、ケージ、メシアン、クセナキス、そして現代日本作曲家に至る、大変幅広いピアノ・レパートリーの録音を残している。売上ではサティの3CDが圧倒しているが、他の作品もいずれ劣らず個性的である。あえて言えば1番は以前この欄でも取り上げたケージのプリペアード・ピアノのための作品、次に今回取り上げる「新ウィーン楽派」、もしくは氷水を入れたバケツで手を冷やしながら録音を続けたという伝説の残る超難曲のクセナキスの作品だろうか …つづき>>>

[この一枚 No.40] 2011年8月付 ゲルバー/ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ集-5第17番《テンペスト》、他

1960年代、アルゼンチンから3名の世界的なピアニスト、アルゲリッチ、バレン ボイム、そしてゲルバーが次々にデビューした。 ゲルバーは当初から「その若さからは想像できない巨匠的な堂々とした演奏」と して、同国の先輩ピアニスト、アラウの後継者と高く評価される一方で、幼い頃 に罹った小児麻痺の影響で足が不自由であることや、ステージ上の照明にも拘る など、周辺の話題にも事欠かず、世界中の音楽市場で成功を勝ち得ていった。 しかし、70年代以降、他の二人が活動の幅を益々拡げていったのとは対照的に、ゲルバーの録音活動は減少してゆき、やがてEMIとの契約も解消された。…つづき>>>

[この一枚 No.39] 2011年7月付 ランパル/ホリガー/有田/テレマン/無伴奏フルートのための12のファンタジー

インバルによるマーラー交響曲第6番《悲劇的》のライナーには以下のコメントが記されています。
「この録音はB&K社製録音用マイクロホン 4006 2本だけによる録音を基本とし、一部にデジタル遅延補正をおこなった補助マイクロホン出力をミックスしております」 ここに書かれている「デジタル遅延補正」とはどのような録音手法でしょうか? デンオンがクラシック録音で心がけたのは…つづき>>>

[この一枚 No.38] 2011年6月付 インバル/マーラー交響曲第6番《悲劇的》

インバルによるマーラー交響曲第6番《悲劇的》のライナーには以下のコメントが記されています。
「この録音はB&K社製録音用マイクロホン 4006 2本だけによる録音を基本とし、一部にデジタル遅延補正をおこなった補助マイクロホン出力をミックスしております」 ここに書かれている「デジタル遅延補正」とはどのような録音手法でしょうか? デンオンがクラシック録音で心がけたのは…つづき>>>

[この一枚 No.37] 2011年5月付 インバル/ショスタコーヴィチ/交響曲全集

1990年、バブル絶頂期の日本コロムビアはCDの海外生産、輸出に意気盛んで、国内、海外ディラー達からはCDレパートリーの拡大が強く求められていた。その声を受けてDENONのメイン・アーティストとなったインバルにはオーケストラ・レパートリーの主要部分が任されていた。世界的な成功を収めたマーラーに引き続きフランクフルト放送響とはベルリオーズ、チャイコフスキー、新ウィーン楽派、ブラームス、シューマン、そしてフランス国立管弦楽団とはラヴェルのオーケストラ作品、スイスロマンド管弦楽団とはリヒャルト・シュトラウスやバルトーク、そしてウィーン交響楽団とはショスタコーヴィチの交響曲全集の録音計画が次々に立てられていった…つづき>>>

[この一枚 No.36] 2011年4月付 「スメターチェク/スメタナ/連作交響詩「わが祖国」

「プラハの春音楽祭」は毎年スメタナの命日である5月12日に彼の6曲からなる交 響詩「わが祖国」の演奏会で幕を開ける。 1990年、ビロード革命がなされた直後の「プラハの春音楽祭」のオープニングを飾ったのは約40年ぶりに祖国の指揮台に立つラファエル・クーベリック。ハベル大統領も出席してのこの記念すべき演奏会はTV中継され、またCDやDVDとなって全世界の人々を感動させた。 また、今年はプラハ音楽院の200周年を記念してビエロフラーヴェク指揮プラハ音楽院管弦楽団がスメタナホールで演奏するという…つづき>>>

[この一枚 No.35] 2011年3月付 「メイエ:モーツァルト/ブゾーニ/コープランド:クラリネット協奏曲」

ここに1枚の写真がある。クラリネット奏者のポール・メイエ、指揮者のデヴィッド・ジンマン、そしてDENONの録音スタッフ(ディレクターのウアバッハ、ミキサーのシュトリューベンなど)がにこやかに写っており、1992年春、ロンドンの小さな教会でモーツァルトのクラリネット協奏曲の録音終了後に行われたフォト・セッションの余韻の中で撮影されたものである。 1990年頃、いまや世界的クラリネット奏者で指揮者でもあるポール・メイエについて、ヤマハのピアノを愛用し、パリのヤマハのオフィスに出入りしていたピアニストのエリック・ル・サージュから「凄いクラリネット奏者がいるんだ」と…つづき>>>

 

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